◇ 2 ◇
愛撫に慣らされた身体が顕著に反応し、俺の息子は見事に堅さを誇示し始めていた。
情けないくらいに素直な自分の身体を呪いながら、唇をまたぎゅっと噛みしめる。
大泉はといえば息子にはひとつも触れずに、わざとその下にあるモノを口に含んでくる。温かくてねっとりとした口中に含まれ、思わず小さな悲鳴を漏らしてしまった。
暫く舌と唇で愛撫された後、舌は更に奥底へと潜り込み……奥まった部分を音をたてて舐め始める。
―――――今欲しい刺激は、そこじゃないのに――――――。
「………ぅ……っ…………」
何度も声が漏れてしまう。
舌先でたっぷりと潤されたソコに指先が浅く潜り込んできて、慣らすように小さく蠢いてるからだ。
受け入れることに慣らされた俺の奥底も、もっと刺激が欲しいと蠢いている。
大泉が俺の両脚を抱えてそんな様子をじっと眺めながら、徐々に指を大きく動かしてきた。より大胆に内壁を抉り、中の一番弱い部分ギリギリの所を指先で何度も引っ掻いては、その度に俺が身体を引きつらせて悲鳴を堪えるのを眺めている。
その口許にうっすらと笑みを浮かべながら………。
今までリズミカルに動いていた指がぴたりとその顫動を止め、そのままずるりと引き抜かれた。
内蔵を根こそぎ引きずり出されるような違和感に思わず呻き声をあげてしまう。
そしてとうとう、恐れていたモノが俺の奥底に宛われた。
先端から溢れ出す先走りの液をぬるぬると塗りつけ、中に押し入る用意をしながら大泉は尚もぎらついた目で俺を見ている。
その目が怖かった。
そして………こんな事、決して信じたくなんかなかった。
今まで必死になって回避しようとしていたことが、この瞬間凄まじい絶望となって俺の心を押し潰す。
このまま身体を重ねてしまったら―――――きっと俺はもう二度と後戻りが出来なくなる。
そんな思いが溢れてきて、小さく頭を振った。何かを言おうと口を動かした。
でも言葉なんてものはひとつも出ては来なくて、ただ唇が虚しく動くだけだった。
「諦めれって……」
呪文のように小さく囁き、大泉が俺の中に入ってくる―――――――。
「……ひ…っ…………ぁ…………………んん…ッ…………」
痛みと違和感に悲鳴を上げようとして、慌てて唇を噛んだ。唇からは薄い血の味が流れ込んでくる。何度も噛みしめていたので血が滲んでしまったらしい。
ぎゅっと硬く目を閉じた。
もう何も見たくはなかったからだ。目を閉じて身体を引き裂かれるような痛みに耐えながら、いつしか瞼が熱くなっているのに気付く。
絶対に泣いちゃいけない―――――――必死で自分に言い聞かせても、涙が自然と溢れてきていつの間にか幾つかの雫がぽたぽたと滴り落ちた。
もうどうしていいか解らないまま、ゆっくりと突き上げられてゆく。
大泉のアレが少しずつ侵入してくるたび、身体の奥底がひりついて悲鳴をあげそうになる。
………犯されている。
そんな言葉が脳裏に浮かび、屈辱と絶望と怒りがない交ぜになって頭がどうにかなりそうだ。
更に絶望的なことに、突っ込まれてゆっくりと動かれる度に、俺の身体がちゃんと大泉を受け入れていくのが悲しかった。
「佐藤さん―――相変わらず貪欲なお身体してますなあ。そんなに俺が欲しかったかい?」
大泉も身体全体でそれを感じ取ってはからかうように言葉を投げかけてくる。
思わずカッときて目を見開き、精一杯睨み付けた。
事実を目の前に突き付けられるのが、心底悔しかった。
「いっくら睨んだって無駄やっちゅーの。せいぜい声あげんよーに、必死で頑張ってろや!」
何度も何度も執拗に出し挿れを繰り返される。ゆっくりと確実に中に押し入ってきては、また出ていくことの繰り返し。
だけど徐々に大泉の先走りが俺の中を潤していくから、気が付けば動きがスムーズになっている。
そうなればなる程、身体の奥底からじわじわと別の感覚が沸き上がってきて、いつの間にか痛みとすり替わっていた。
蹂躙されるたびに例えようもない充足感と快楽の波が背筋を駆け上がる。
頭がぼんやりとして、何が何だか解らなくなってくる。
泣きたいような気持ちのまま口から溢れ出すのは………甘い喘ぎ声ばかりだ。
もっともっと刺激が欲しくて、でも罪悪感に苛まれて――――鬩ぎ合う二つの心が出口を見つけられずに俺の心を麻痺させていく。
身体はそんな葛藤とは裏腹に実に素直に快楽へと突き進んでいく。
大泉のモノで中を攻められているだけで、俺の息子は先端から汁を漏らし続けた。何一つ触られてなどいないというのに。
限界まで張り詰め、苦しさに喘ぐように先走りの液に塗れて震えている。
大泉は意地悪く見つめながら更に動きを早めた。知り尽くしている弱い場所を執拗に抉っては、その度に悲鳴をあげる俺を笑いながら見つめ続ける。
先程とは比べようもない快楽に腰を引いて逃げようとする俺をがっちり抱え、激しく淫らに腰を使って責め立ててきた。
段々目の前が真っ白になってくる。
その一瞬だけは脳裏から全てのしがらみがかき消すように消え去り、身体がふっと軽くなる。
そしてビクビクと身体を痙攣させがら――――――堪えきれずに熱く滾るものをぶちまけ、更に自分の腹の上にどくどくと垂れ流していた。
あまりの屈辱感に気が遠くなりそうだ。
さっきまでイくことだけしか考えられなかったのに、今は僅かな開放感の中に嫌悪感がとめどもなくうち寄せてきて、俺を支配してゆく。
大泉はまだ執拗に俺の中を貪り続けていた。
勢い余って身体のあちこちに飛び散った精液を尖った舌で舐め回しながら、淫らな音を響かせてゆっくりと俺を犯し続ける。
舌先で擽られ続け、更に敏感になった身体がびくびくと震えた。
掌でまさぐられ舌で舐め回されるたびに、堪えきれずに声を漏らした。
ほんの少し前にイったばかりの俺自身が再び熱を帯びて急速に堅さを取り戻していく。
それを見透かして大泉がそっと手で触れてきた。
再び激しく動かれて中をぐちゃぐちゃに掻き回されながら、指先や掌で丁寧に愛撫されて身体が再び射精へと導かれていく。
いやらしい水音と荒い息遣いが響く室内で俺は大泉に犯されて再び熱いものを掌の中に迸らせ、腹の中には大泉の出したものをぶちまけられていた。
ぼんやりと今の状況を考えていた。
忘れなければいけない男に縛られて犯され、乱暴にイかされたまま……布団の上に身体を投げ出している惨めな自分を想像し、襲いかかかってくる絶望感にただ呆然としていた。
しかもすぐ隣にはスタッフが寝ているというのに。
情けなさに涙が溢れそうになる。
出も何より情けないのは――――心の奥底では、大泉をはねつけられずに受け入れているという事実。
無理矢理陵辱されているのに、俺は自分の奥底に真っ黒に滾る醜い愛欲を見ていた。
身体が顕著に受け入れると同時に、重ね合わされる身体に秘かに悦びを感じている。
深く暗い奥底で、まだ大泉が好きだと悲鳴をあげている。
こんなにも哀れな感情が………突き上げられる度に迸り溢れて、俺を内側から責め苛んでいた。
そんな事を知る由もない大泉は、自分の手の中に吐き出された俺の液体をたらたらと身体の上に垂らしている。
肌の上にぽたり…ぽたり……と落ちてくるそれは暫くそこに止まったかと思うとゆっくり伝って下に流れ落ちていく。
その微妙な感触にびくりと身体が震えた。
大泉は全て垂らし終えてから、まるで絵でも見るように俺をしげしげと睨め廻した。
その目線にすら、今の俺はまた身体の奥に悦楽の火を灯してしまう。
出来ることなら逃げ出したかった。
今ならまだ、辛うじて諦めることが出来るかもしれない。あさましい自分の想いをまだ抑え込めるかもしれない。そんな幻想を抱いてぼんやりと大泉を見つめた。
大泉は口許に笑みを浮かべたまま、そっと舌を這わせてきた。自分で垂らしたモノを、今度は丁寧に舌で舐め回していやらしい音をたてていた。
このままだと、もう本当に諦めがつかなくなる。
心の赴くままに大泉を求め続けてしまう。だけどそんな事、絶対に許される筈はない。
「………も………………やめて……………」
どうにか声を絞り出し全ての思いを込めたが、大泉は一向に止める気配を見せない。それどころかエスカレートさせ、下半身にまで舌を這わせて本格的に愛撫を繰り返してくる。
「……あのねぇ佐藤さんさあ………なしてこんなにいやらしいカラダしてるワケ? まぁ〜た元気にしちゃってさあ。」
容赦なく浴びせられた言葉が痛かった。誰がそんな風にしてんのよ……と思っても言葉がちゃんと出てこなくて、悔しさと情けなさにまた唇を噛みしめた。
大泉は再び俺の両脚を抱え込むようにがっちりと動きを封じながらあちこちに舌を這わせてきていたが、うっすらと口の端にいやな笑みを浮かべてそっと俺の昂ぶりに唇を押し当てた。最初は優しく……やがて激しく。
「や…………め…ッ…………」
その一々に身体をびくつかせる。僅かに与えられるだけの焦れったい快楽に、身体が過剰反応してしまっていた。
それを解りきっているのか、大泉は執拗に口付けだけを繰り返してくる。
丁寧に何度も何度も俺のモノを唇で弄んで俺が噛み殺した悲鳴をあげるのをじっくりと堪能した大泉は、今度は本格的にしかけてくる。
ぬるりと唾液でぬめる舌がくちゅ…と小さな音をたてた。
泣きたくなるような焦れったさのまま、舌はいやらしい音をたてて這いずり回った。
まるで独立した生き物がいるかのように自在に動き回るそれは、やがて先端のに近付いてきて今度はぴちゃぴちゃと音をたてる。耐えきれずに漏らし続ける俺の先走りを絡め取るかのように舐め上げては、ぺろりと舌なめずりをする。
それでもまだ飽き足りなくて、割れ目に舌を差し入れてはまた舐め取り……挙げ句、ちゅっと音をたてて吸い取っていた。
例えようもない快楽にびくびくと震えながら、必死で頭の中をよぎる思いを否定し続けた。
――――このまま流されて、ずるずると続けていたい。何があっても別れたくない。例え自分が今までのように一番愛されているわけではなくても………それでも構わない。
断固として否定し、心の奥底に押し込めていた真っ黒な心。自分勝手で非生産的な……絶対に認める事など出来ない醜い感情の塊。それらが一気に溢れ出してきそうで、俺は懸命に抑え込もうと葛藤し続ける。
そんな俺に追い打ちをかけるような言葉が大泉の口から漏れてきた。
「ずっとずっと…こうしたかったわ。お前に触りたくて触りたくて……気ぃ狂いそうやった。解るか? しげぇ。この天下の『大泉洋』がですよ、毎日毎日……お前のことばっか考えて……全くどうしてくれんのよ。」
――――やめろ馬鹿! お願い…頼むから…………大泉………………俺をこれ以上惑わすなや。
今の俺はそんな言葉聞かされただけで、ぽきんと折れちまう。
お前が好きだよって……だから捨てないでよ………って、叫びだしちまいそうで怖いんだって。
俺はまだお前が本当に好きで――――諦めようと馬鹿みたいに必死で足掻いてる……………お願いだから……解ってよ。なあ………。
想いが堰を切ったように後から後から溢れてくる。
何も彼もぶちまけて泣きつきたい衝動にかられ、喉元まで言葉が出かかっていた。
だけど必死でそれを呑み込み、大きく息を吸ってどうにか言葉を呟いた。
「……………嘘も大概にしてくれや……大泉さんさあ。」
心とは全く正反対の言葉を。
大泉の顔がオレンジ色の灯りの中で悲しげな色合いに歪んだ。
「嘘……ぉ?」
先程まで張り付いていたいやらしい笑みがふっとかき消えて、見えていたのは大泉の戸惑いと悲しみ。
そんな顔は見たくなかった。
しかも自分が言った言葉で傷ついている。そう思うともう真正面から睨み付けることすら気が引けて、思わず顔を背けていた。
繋がれている二の腕とシーツをぼんやりと見つめながら……これでようやく全てが終わるのだと思っていた。
どのくらい時間がかかるのかは解らないけれど、ゆっくりと学生の頃のような友達に戻れればいい……ただそれだけが今の望みだった。いや、もし戻れなかったとしても―――それはそれで仕方のないことだとも諦めながら。
大泉は暫く黙ったまま呆然としている。沈黙が苦しかったが、それでもこの先の泥沼を続けるよりはマシだと思っていた。
「何で、勝手に決めつけてんのよ……」
ようやくぽつりと呟かれた言葉。それは予想していたものより重たくて……しかも意図していたようなものではなかった。
慌てて大泉の顔を見つめる。
明らかに怒りの表情に変わっていた。
「……ったまきた……。何なの? お前!? 何考えてんのかさっぱり解んねえ!!」
そう叫んだかと思うといきなり俺の身体を持ち上げてうつ伏せにし、俺は四つん這いの格好にさせられた。
不意をついての事だっただけに言葉も出ないままシーツの上に突っ伏した。
そのまま腰を掴まれて猛ったモノを突き立てられた。下半身に鈍い痛みが走り悲鳴をあげる。
俺は再び犯されていた。
ほんの少し前に放たれた液で満たされた俺の中は、容易に大泉を受け入れてゆく。
慣れた粘膜が侵略者にまとわりつき、ひくひくと震えるのが解った。
乱暴なくらいに突き上げられて掻き回され、あっという間に蕩けるような痺れが頭を麻痺させてゆく。
「や…ぁッ…………もう………やだ…………ぁ……………」
ドロドロの底なし沼に引きずり込まれるような感覚が襲いかかる。
穿たれたモノで激しく揺さぶられるたび、最早完全に全ての事が無に帰してしまったような絶望感に苛まれる。
それを尚必死で否定し続けながら、俺は悲鳴をあげ続けた。
容赦なく楔を突き立てられながら、今度は背中に口付けを繰り返される。甘い痛みがちくりと肌を焦がすたび、俺の身体にしるしが刻まれていく。
一つ一つの刻印は、俺が未だに大泉の支配下にあることを雄弁に語っていた。
人には決して見せられない跡を付け、自分から逃がれることなど出来ないのだと……そう大泉は無言で示唆しているのだ。
悲鳴とも喘ぎともつかない声をあげ続けながら、俺はぼんやりとそんな事を思っていた。
どうにもならない悔しさに喘いでみても、身体はすっかり大泉を受け入れ、更に深い陶酔感を得ようと蠢いてしまう。
……………もう全てを投げ出したくなっていた。このまま意地を張り続けるよりも、自分の心に素直になった方がどれだけ楽だろう……今だけの快楽に身を委ねて、先のことなど考えずにいられたらどんなにか自分が救われるだろうか。
心の奥底にしまい込んでいた大泉を求める心が、今や少しずつではあるが抑えきれずに溢れてきてしまっていた。
だけどそんな俺を正気に引きずり戻したのは―――皮肉にも大泉の一言だった。
「………いいザマですなぁ、佐藤さん。キミの身体があまりに正直すぎて、洋ちゃん笑いが止まりませんわ。」
嘲るような口調で背後からかけられた言葉が、俺をずたずたに引き裂いていく。
その途端、あの時の光景が脳裏にはっきりと蘇ってきた。
あの最悪な光景。
何も語ってくれることがなかった大泉の態度。必死で導き出した決別への道。
それらがあっと言う間に沸き上がり、甘い夢に捕らわれかけていた俺を否応なしに現実へと引きずり戻す。
「……死んじゃえばいいんだ……ッ……お前なんか…………」
悔しくて…ただ悔しくて、そんな言葉が口を突いて出た。
精一杯の虚勢で後ろを睨み付ける。
大好きで――本当に好きで――――だけど現実はそれを許されるわけはなくて。
子供のように純粋に求められれば求められるほど、苦しさに苛まれる。
いつしか睨み付ける目に涙が溢れてきた。
解って貰えない悔しさと、消し去らなければいけない恋心が鬩ぎ合って、自然と涙が零れてしまう。
「――――ふーん。」
そんな俺の事なんてお構いなしに、大泉は一際腰を大きく使いながらふてくされたような言葉を呟き、更に言葉を続けた。
「悪ぃけど俺、死ぬときゃお前も道連れにすっから―――――」
今度はやけに静かな口調でそう呟き、そのまま狂ったように突き上げられた。
「…あ…………ぁあ…ッ…………いやだ……………たすけ…ッ……………」
――――死ぬときは道連れに。
その言葉だけがぐるぐると渦巻いていた。
襲いかかる快楽の波と、大泉の冷静な口調が俺を蝕んでゆく。目の前が真っ白になって、もう何も考えられない。
弱い部分を激しく突き上げられ、身体がびくびくと痙攣を繰り返した。
大泉の雄は狂おしいまでに俺を抉り続け、いやらしく響き渡る水音と荒々しい息遣い、そして自分の掠れた喘ぎ声が耳をも蝕み続ける。
もう限界はすぐそこまできていた。
俺は小さな悲鳴をあげ、またもや何も愛撫されないままの息子を暴発させて自分の体液に塗れていた。
背後からは小さな呻き声が聞こえてくる。
大泉が再び俺の中で果てた証拠だった…………。
目は開いていた。だけど何も見ちゃいなかった。
気が付いたら手首の紐が解かれていて、大泉が無言で俺の身体を拭いていてくれた。
時折柔らかい唇が俺の口を塞いでいたが、それに反応する気力も体力も最早無くなっていた。
ただ為すがまま、俺は大泉の腕の中で呆然としているだけ。
やるせなさと自分の弱さに打ちのめされたまま、考えることを放棄していたかった。
そんな俺の様子に耐えきれなくなったのか、それまで黙っていた大泉がぽつりと口を開いた。
「しげ………やっぱ、怒ってる?」
そんなことを言いながら、汗で額に張り付いていた前髪をその長い指でそっと掻き上げる。
いつもと変わらぬ仕草。
長いこと、行為が終わった後に必ず大泉がやる無意識の癖だった。
でも今はそれすら虚しかった。
………あの頃に戻れる筈はないのに、戻ったような気がしてしまうから…………もう何も考えたくはなくて。
不意に大泉が腕に力を篭めてくる。
苦しいぐらいにぎゅっと抱き締めてきて………声を立てずに肩を震わせた。
目に涙を溜めて、慌ててそれを拭っている。
―――いや、ちょっと待ってよ大泉。どうしてよ………どうしてお前が泣かなきゃならんのよ。
その涙に揺り起こされるように、俺の中にも悲しみが戻ってくる。
「……………何でお前が……泣くのよ。」
気が付くと言葉になっていた。
そのまま続けて言葉を吐き出してしまう。
「泣きたいのはこっちだよ、馬鹿野郎。」
思わず大泉の身体を手で押しのけて、ふらつきながらも腕の中から抜け出した。このまま黙って大人しく抱き締められているのは――――気が狂いそうで我慢出来そうになかった。
「うるせえよ。お前が何も言わねえから悪いんだべや………なんでお前…………」
目を真っ赤にした大泉が肩を震わせながら静かに一言一言を口にする。
その言葉に思わずカッとなって睨み付けながら叫んでいた。
「言ったらどうなるってんだよ!!」
何かが音をたてて弾けたような気がした。
まるで糸が切れるかのように様々な感情が込み上げて抑えきれなくなってきて、今まで決して口に出さずに我慢してきた言葉が堰を切って溢れ出してくるのをもうどうにも止めることが出来ない。
「お前に彼女が出来ようと結婚しようと、俺にはどうせ何にも関係ないだろうよ!! 都合の良いときだけ抱けりゃ、それでお前は満足なんだろ!?」
勢いのまま言葉を叩き付ける。
悔しさと苦しさにまたもや瞼が熱くなり、頬に涙が伝うのを止められない。
だけど大泉は俺の言葉に呆気にとられていて、本当にポカンとした顔をしている。
「おいおい、ちょっと待て………お前何を………」
この期に及んでとぼけようとしているのか? 俺が何も知らないとでも思っていたのかよ!?
「うるせえ!! 俺は見たんだよ。全部知ってるんだからな!!」
叫んだ途端に隣りに寝ていたADが身体をびくっとさせ、そのままうるさそうにごろりと背中を向ける。
その様子を恐々見ていた大泉はスタッフがまだよく寝ていることを確認してから、改めてすうっと息を吸い込んで声を荒げた。
「見たって何をよ!」
あくまでも口を割らないつもりなのかな…………こいつ。
何もなかったことにして、だまし通せると思ってる? 大泉………。
なんだかやるせなくなってきて、俺はぼんやりと大泉を見つめた。
大泉は怒っているのか泣いているのか解らない表情のまま、真っ直ぐ俺を見つめている。
「見たんだってば………お前がいつもの店で、女口説いてんのをさ。」
ぼそぼそと力なく呟いた。なんでこんな事、俺の口から言わせんのよ………お前。
こんな悲しいこと言わせて……何が楽しいの?………大泉の大馬鹿野郎………。
「は?」
相変わらずすっとぼけた返事だ。大泉はそのまま言葉を続ける。
「いや、俺あそこに女連れで行ったことなんてねーよ、しげ。」
なんだかもう何も彼も全てが嫌になって、俺はゆっくり首を横に振った。怒ったり叫んだりする気力すら無い。
それからやっぱりゆっくりとした口調で、思い出したくもない事を口にしていた。
「俺……見たもん。お前が絶対に俺の前でなんかしない顔してさ、なまら綺麗な女の子と寄り添って笑ってた。それ見たとき………正直、もう駄目だと思った。」
それを口にした途端、自分でも馬鹿みたいだと思うけど身体が震えた。
言葉にしてしまうことで事実がより一層深みを持って突き刺さってくる。覆しようもない事実へと確定されてしまうようで、顔を上げていられなくなる。
「俺なんて………この先いつまでお前と一緒にいたって、世間的に認められる訳じゃねえし。どんどん醜く歳とって、ただのおっさんになっちまったら………もう本当にどうしようもねえし…………」
言いたくもない言葉。ずっと秘かに恐れていた想い。
そんなものが自分の口から次々とこぼれては、俺を傷つける。
「……しげ。」
大泉の声は困惑気味だった。そりゃあそうだろうよ、この大馬鹿野郎。
「それならとっとと今のうちに別れた方が、お互いいいんだと思ってて…………でもやっぱり………」
ここまで言ってしまってからその先が言えない。喉の奥に鉛がつかえているような重苦しさに襲われ、そのまま言葉を奥へと呑み込んだ。俯いたままもう止まらなくなってきている涙を手首で何度も拭って、なんとか泣くなんて無様な醜態を晒すのをやめようと努力してみる。
でもちっとも止まんねーのよ………涙。
しゃくり上げそうになる俺を、また大泉が引き寄せてぎゅっと抱き締めてくる。
本当はこの腕の中は俺のものじゃないのに。
どんなに心地よくったって、俺の居場所じゃなくなってるのに。
でも抱き締められると縋り付きたくなって、余計に涙が止まらないよ………くそったれ。
何も言えず、抵抗も出来ないまま暖かい腕の中で肩を震わせている俺に、大泉が優しい声で静かに囁いてきた。
「あのなあ、しげ。それ、なまら勘違い……お前の。」
耳を疑うような言葉だった。
どうしていいかわからなくてそのまま抱き締められていると、大泉がほんの少し声を震わせながら話し出した。
「思い出したよ。きっとお前が見たのは、あそこにたまたま居合わせたファンの子だわ。普段はああいうの全部お断りしてるんやけどね。あの子、お店の関係者だったからちょっとだけお話してあげただけなの。」
突然の事に頭がついていかなくて、呆然としてしまう。
いやまて。だけど大泉………指輪をファンの子の薬指に付けてあげるって、あるか?
恐々と大泉を見上げ、疑問を投げかけてみる。
「………だってお前………あの子に指輪渡してたのは、何なのよ?」
もう何が本当で何が嘘なのか俺には解んねぇよ………。
そんな俺をさっきとはうって変わってなまら優しい目で見ながら、大泉はまるで子供に諭すみたいな口調でゆっくりと話しかけてきた。
「あれはねー、しげ。あの子が元々してた指輪だ! 俺の大ファンでね、『一度でいいから指に填めて貰えませんか?』な〜んて言うから、大サービスしてあげただけ。どうだ。納得したか?」
耳を疑うような話だった。だけど………つじつまは合ってる。
だけどこの事が事実だったとしたら――――――今まで散々俺が悩んでいたことは―――――――。
どうしていいか解らなくて、俺は大泉の顔を見上げた。
いつもの間の抜けた長い顔に無精ひげ。
だけどその目は笑っていて、どうしようもないくらい胸が熱くなる。
ほっと気が抜けていく安堵感と、穴があったら迷わず頭を突っ込みたいほどの恥ずかしさと情けなさがごっちゃになって、大泉にぎゅっと抱きつきながらぼそりと呟いた。
「………んじゃ、俺…………馬鹿みてえじゃん。」
「おお、馬鹿だぁ。史上最強の大馬鹿だ!!」
速攻で馬鹿呼ばわりしてくれた大泉だったが、俺の髪をぐちゃぐちゃと掻き回すように触りながら笑ったかと思うと、突然ぽろっと大きな目玉から涙を零した。
びっくりしてその雫が伝う様を眺めていたら俺も目頭がまたじんわり熱くなってきて、慌ててその顔を見ながら呟いた。
「泣くなぁ…大泉ぃ。」
………俺、本当に馬鹿みたい。一人で勘違いして、一人で馬鹿みたいに道化を演じてた。
きっと振り回された大泉だって辛かっただろう。
ごめん………大泉。
謝って済む事じゃないけど、謝らなきゃ気が済まないわ。
「ごめん。俺がちゃんとお前に聞けば済むことだった。」
本当に申し訳なくて自然と顔が俯いてしまう。
今は笑っているけど、もしかしたら大泉は内心呆れているかもしれない。
このまま本当に終わりになったっておかしくはない。
そう思ったら泣きたくなってきた。
ほんの僅かな時間が果てしなく長い時間に感じられ、その間ずっと気まずい沈黙。少なくとも俺には。
大泉は何も言わずにただ俺を抱き締めている。
何か言おうと口を開きかけた時、大泉が先に口を開いた。
「しげ………ごめん。せっかくこの際だから、もうハッキリさせちまうか。」
その言葉に思わずびくっと震えた。
はっきりさせるって………何よ。やっぱりこのままじゃいられないって事か? それとも馬鹿みたいな勘違いをする俺なんかには愛想が尽きたって事か?
心臓が早鐘をつくようにもの凄い勢いで脈打っていた。
「ごめんって………どゆことよ……………ちょっと……待って…………」
それだけ言うのが精一杯で、ただ呆然と大泉を見ていた。
頭の中はぐるぐると嫌な想像ばかりが渦巻いている。いや、だってこの言葉の様子じゃ絶対いい方向に考えられるわけないし。
ああ………もう終わりなんだな。
そう思って溢れそうになる涙を必死で堪えた。
せめて笑顔でさよならって言おう。散々迷惑かけちまったんだから、今まで有り難う…って、せめて明るく言ってケリをつけよう。
どうにか自分の心をなだめすかして、そこまで考えをまとめていた俺に大泉はにやっと笑った。
「お前がどんなにおっさんになろうと、醜くなろうと―――俺はお前と別れる気なんて、更っ々…無いワケ。」
悪戯っぽい目玉をぎょろっとさせて、つらっと言いのける大泉に一気に気が抜けた。
呆気にとられてただただ呆然としている俺に、悪戯っ子のような顔をした男が尚も言葉を続けた。
「でもお前はさあ、絶対に醜くなんかならないよきっと。なんつっても俺の自慢のハンサムだもん。見た目だって全然歳とらんで、ずっと若いままなんとちゃう?」
「は………い?」
―――――言葉が出てこない。
目の前の大泉はまだ悪戯な笑みを浮かべて楽しそうに言葉を続ける。
「だから余計な心配すんなや、もう。心配すんならどっちかってーと………俺の方だ。」
ここにきてようやく事態が飲み込めてきた。
大泉のはっきりさせるって………こういう事?
今までうすぼんやりとしか考えられなかった脳味噌がようやく回転し始める。
俺は咄嗟に切り返してここぞとばかりに反撃に出た。
「僕も大泉さんが禿げようが腹が突き出ようが、チチが垂れようが……きっと変わらず好きですっ!!」
でもこれ……反撃っつーか、ぶっちゃけ告白じゃん……。
「しげてめえ!………腹出てるとかチチ垂れてるとか言うな! ましてや禿げとか絶対に言うなや!!」
大泉はいつもの調子で畳み掛けるように捲し立ててきた。
今まで全く何もなかったかのような雰囲気が、もの凄く嬉しくて………俺は笑った。
もうずっと長いこと、笑っていなかった気がする。
ただおかしくて嬉しくて……俺は子供のように笑い続けた。
大泉も笑っていた。
だけどいつの間にか目を真っ赤にしている。
笑いながらぼろぼろと涙を零して俺にしがみついてくる。
「何よ大泉………また泣いてる………」
肩を震わす姿が切なくて、大泉の癖毛を何度も何度も撫でた。
…………本当にごめん、大泉。
俺が心底、馬鹿だった。
きっとお前だってもの凄く辛かったんだよな、やっぱり。
何を聞いたって俺ってば全く何も答えないで冷たい態度ばかりとってたもの。
あげくにマミを利用して目の前でいちゃついたりしてた。
最低だよな……俺。
本当に合わせる顔がないわ。
けど、まだお前がこんなにも好きでいてくれるなら………俺、もう二度と迷わないから。
何があっても信じるから。
だから………本当にごめん。
その日の夜は
きっと一生忘れない。
あの日の光景と同じく、きっと…………ずっと。
翌日、俺達が仲直りしたことを不思議がりつつも喜んでいるスタッフを後目に、俺は何事もなかったような顔をして車に乗り込んだ。
マミは大泉に何事かを話しかけて聞き出そうとしていたようだけど、それはアンタ無理ってもんでしょう。
大体同じ部屋で寝てたスタッフが解らないんだし、俺も大泉も口を割ってたまるかってんだ。
それにしても身体中がずきずきと痛い。
昨夜は長時間に渡ってとんでもない格好で拘束されてたし、何より身体中ひでえ事になっちゃってるもの。
いくら状況が状況だからってさ、こんなに馬鹿みたいにキスマークつけまくるヤツがどこにいんのよ!
手首には酷い痣がくっきり残っちゃってるし、あっちにもこっちにも数え切れないほどの内出血が身体中に散乱していて、お陰で今朝はせっかくの露天の朝風呂も諦めざるを得なかった。
一人淋しく部屋の内風呂でシャワーを浴びながら、鏡に映る狂乱の痕跡に正直腰が抜けそうになった。
暫くは襟元から見えないように服そうにも気を遣わないと本気でまずいわけだ。
時折俺は無言で大泉を責めていたが、そんな事は全く気にしていないらしい。というより眺めて喜んでいる。
なまら憎たらしいけど、でも少しだけ可愛いと思ってしまう。
我ながら重症だな。
まあいいや。
今回のことは全面的に俺が悪かった訳だし。これも愛情の印って事で我慢するか。
大泉はといえばすっかりくつろいで、俺の膝の上に余裕で頭を乗っけているのが実に幸せそうだ。
そんなところが憎めなくて俺はハイハイと言いなりのまま、洗い立てでぼさぼさの癖毛を撫でてやる。
膝の上に温かい重みが心地いい。
―――――いや、これは心地いいと言うより………水っぽい温かさが気持ち悪い………。
うつらうつらしていた俺は慌てて目を開けて膝の上を見る。
お気に入りのジーンズの上には大量の涎が垂れ流されていた。って、いくらなんでもこりゃあねーべ大泉!
無言で膝上の頭に拳骨を喰らわす。
何事かと目を覚ました大泉が、手の甲で涎を拭きながらもそもそと起き上がった。
「……ってーなー……しげ。お前何してくれんのよ…………」
寝惚け眼でじゅるっと涎を手で拭うローカルの大スター……結構シュールな絵だな。
「………大泉。お前もう膝枕禁止!」
俺は口をへの時にしたまま、慌ててティッシュで膝を拭いた。
ブツブツ文句を言って再び膝に舞い戻ろうとする頭を両手で必死で食い止め、何だかんだと大騒ぎしていたら、前の座席に座っていたマミが振り返って面白そうに見ていた。
「いやーようやくお二人らしくなりましたね。シゲさんも折角仲直りしたんだから、多少の涎くらい諦めて大泉さんに膝を貸してあげたらどうですか?」
その言葉にスタッフの一人も振り返る。
「そうだね。シゲちゃん諦めなよ。大泉くんは膝枕大好きなんだし。やっぱり被害者は君じゃないとね。」
………俺は何だ? 大泉の! 俺は専用の枕じゃねえぞお前等ぁッ!!
思わず喉まで出かかった言葉をごっくんと呑み込み、仕方なく妥協案を出してみる。
「大泉―――――肩、貸してやる。だから寝ろ!!」
大泉はぴたりと動きを止めて俺の顔をまじまじと見た。
そして一言。
「んー……やっぱりしげちゃんの膝枕がいい。」
結局帰り着くまでの大半の時間、俺は大泉の枕で在り続けた。
――――それはそれで結構幸せだから…………まあ、いいんだけどさ……………。
END
BACK HOME
お陰様で無事に花びら…シゲ視点が出来上がりました。
今まで辛抱強く待っていて下さった方々には本当に何とお詫びして良いやら。。。
今回移転ということでそれに合わせてアップさせて頂きました。
前回の花びら…をベースに書いたわりには何となく別の作品のような気がしないでもないです、ええ。
しかも無駄に長くて鬱陶しい内容になってしまった気もしますが。
読んで下さった皆様のお心に何かしらの感情が呼び起こせれば良いなあ…などと
おこがましくも思っております。
お粗末様で御座いました。。。