きみ知るや、水底の口付けを…
まるで海の底にいるようだわ。
ふと目覚めて瞼を開け、ぼんやりと天井を見つめた大泉はふとそんな事を思った。
満月をほんの僅かに過ぎたやや下弦の月明かりと、時折下の道路を通り過ぎる車の明かりがカーテンの隙間から室内をうっすらと照らしだし、時折ゆらりと揺らめいてはまた静かな闇と影の空間を作りだしている。
その様子が海の底から夜空を眺めているような気分にしているようだった。
手探りで枕元の携帯を探しだし、ぼんやりと光るデジタル表示の文字を眺めてみればまだ深夜と言ってもいい時刻。
てっきりあれから数時間は経っているかと思っていたが、実際には小一時間と言ったところだ。
携帯をまた枕元に置き、視線をゆっくり自分の左側に移した。
闇と薄明かりの狭間に浮かび上がるシルエットに、思わず苦笑する。
そっと右手を伸ばしてくしゃくしゃになったタオルケットを掴み、小さく呟いた。
「……風邪ひくべや……」
元々寝相が悪いのは嫌と言うほど知っているが、寝付いてから一時間程度で掛けていたタオルケットも布団も全てはね除けて寒そうに膝を抱えて丸まっている姿は流石に予想外だった。
暗闇に目が慣れてきたのか先程よりもはっきりと形を為してきたシルエットを見遣りながら、上体をやや起こして布団も掛け直す。
向こうに比べればまだ暖かいとはいえ、やはり此方もそろそろ秋めいてきたようで朝晩などはかなり寒さを感じる。
肩までしっかりと掛け直して二、三度ぽんぽんと掌で叩いてみる。まるで母親にでもなったような気分だ。
「しげ…ぇ……」
聞こえるか聞こえないか位に小さな声でそっと呟いてみた。
シゲは睫毛を僅かに震わせただけで、起きるそぶりは見せない。ゆっくりとしたリズムで掛けられた布団を微かに上下させ、ひっそりと静まり返った室内に穏やかな息遣いだけを耳に届かせては闇に溶けていく。
上体をやや屈め、大泉はシゲの顔を覗き込んだ。
鼻先にかかる寝息がくすぐったい。
シゲはよく眠っているようだった。
ほんの少し前まで甘い声を奏でていた唇が目に止まり好奇心に駆られて人差し指で触れてみると、僅かに顔をしかめながら左手の甲で数回擦り、何事もなかったようにまた寝息を立てる。
今度は前髪を指先でそっと摘んだ。
夏場までは少し長めで明るい色調だった髪は短めにカットされ、かなり暗めの色に染め変えられている。
仕事柄、役に合わせて見た目を変える事が多いのだが、特に形から入る事で気持ちを切り換えていくタイプのこの男はいつも何もそこまで……と思うほど突っ走っては、やり過ぎてしまうことが多かった。
今回はいつもに比べれば驚くほどの変化はないが、それでもきめ細やかな白い肌は淡いブロンズのような色合いに変わり、短めの黒い髪と相まって見た目の印象をぐっと若々しいものに変えていた。
どこか少年のような幼さを感じさせる風貌ではあるが、長めの睫毛や綺麗な筋の通った鼻梁はやはり大泉の心を揺さぶるようなほのかな色気を醸し出している。
慈しみながら弄ぐったあの肌の熱さと耳を擽る甘やかな響きを思い出しながら、大泉は愛しそうに何度か髪を掻き上げる。
先程まで汗で額に張り付いていた前髪は、今はさらさらと指の間をすり抜けて落ちた。
もう少し身を屈めて額に唇を寄せ、小さな音を立てて口付ける。
眠るシゲは僅かな感触に眉間を寄せたが、やはり起きる様子は無かった。
満足げに口許に笑みを浮かべ、大泉は自分もまた布団の中に潜り込む。
ベッドから起こしていた為に少し冷えた身体がぶるっと震えた。
冷えた身体をシゲの方に向け、するりと手を伸ばして抱き締めると、先程まで冷えていたシゲの身体はもう既にふんわりと暖かい。
―――が、突然抱き締められたシゲは五月蝿そうに身を捩る。
無意識での仕草とは言えそんな様子に少し傷つきながらシゲの身体で暖を取った大泉は、暫くすると起こさぬように細心の注意を払いながら腕を身体から外した。
暑がりで寝相の悪いシゲは、きっとこのまま抱き締めて寝ればまた無意識に身を捩らせて大泉の腕はおろか布団からも脱出してしまうことが容易に想像出来たからだ。
だがやはり何となく寂しくて、大泉は枕の横に無造作に放り出されたシゲの掌に目を付ける。
静かに自分の右手を重ね合わせると、シゲの温もりがじんわりと掌に伝わってくる。
身体を重ねながら指を絡ませていた時には気が付かなかった温かさと掌の弾力が妙に愛おしくて、大泉はゆっくりと握り締めた。
自分のものよりやや小さめなその手の感触を確かめるように何度かきゅっと握り、その下に更に左手も滑り込ませて両手で包み込むように握り締めた。
何とも言えない幸せな気持ちになりながら、少しだけその手を持ち上げて唇を近付ける。
愛しい想いを込めてゆっくりと口付けてから、大泉は月明かりに照らされた幸せそうな寝顔を熱に浮かされたような瞳で見つめていた。
「誕生日………おめでとさん、しげ…………」
海の底のように揺らめく闇の中に、小さな小さな囁きがそっと吸い込まれて消える。
再び静まり返った室内には、やがて二つの寝息が微かに囁き合うように響いていた。
珍しく誕生日企画に着手(笑)
と言ってもあまり時間が無かったのでどうにか一時間弱で書き殴って
お茶を濁してしまった感、アリアリ。
ってなわけで微妙に意味不明なSSになっていますが
広いお心で見逃して頂けると
かなり嬉しい限りでゴザイマス。。。
* さあさあ、閉じましょう *