体温





 『頑張ってこいよ! こっちでなまら目一杯、応援しててやっから!』
そう言ってシゲは精一杯の笑顔でを顔に浮かべて送り出した。そろそろ雪が降り出す頃のことだった。
NACSの斬り込み隊長・大泉が、ひょんな事からキー局の有名なドラマのレギュラー役が決まり、
戸惑いながら東京に向かおうとしていた時のことだ。
北海道から全国へと銘打たれた流れの中で、NACS自体も道外での露出が多くなってくる中、
まさに先頭切って走り続けている大泉はもっと忙しい。そんな背中を、シゲはいつも笑顔で押してやっていた。
飛行機で行ったり来たりを繰り返しながら、普段のレギュラーをこなしつつといった過密スケジュールの大泉は
常にボロボロの状態だ。
だがそんな姿を心配しつつも、とにかく大泉が全国的に知名度が上がっていくのを傍らで見ていられるのは、
ただ純粋に嬉しかった。
 学生時代、五月蝿くて可愛い後輩だと思っていた。
実は同い年で、しかも二浪していると解った瞬間……シゲの中で後輩としての大泉は消えていた。
NACSとして芝居をしていく中で平行してテレビに出始め、どんどん才能を発揮していく大泉はシゲにとって
いい刺激剤といっても良かった。
傍にいるだけで元気を貰える。
ずっとそんな気がして、逆に勇気づけられる事が多かった。
不思議なことに妬みなんて思いは一つも浮かばない。ただ、大泉が有名になっていくのが
自分のことのように嬉しくて……それを見ながら自分も頑張ろうと奮起出来る。
そしてそれはシゲの中で今も昔も決して少しも変わらない事実だった。


 年が明けてからも相変わらず大泉は忙しい。
そんな中、シゲは一人だけ仕事から離れて病院のベッドの上にいる。
今までその存在に気付いてはいても放置したままだった、喉のポリープを除去するためだ。
仕事の関係上この時期しか入院出来ないとはいえ、三が日を過ぎて皆が忙しく仕事をしだしても、
一人でベッドの上に縛り付けられているのはやはり心苦しくもあり、退屈でもあった。
時折津軽海峡を越えて届く大泉からのメールは、退屈しのぎに映画を見たり本を読んだりすることよりも、
シゲを楽しませていた。
それは大半がドラマの撮影現場からで、ちょっとした失敗談やスタッフ、共演者達との面白馬鹿話で占められていた。
きっと暇を持て余しているであろう恋人の元に、少しでも面白い内容を届けたい…そんな些細な思いやりがシゲの心を和ませる。
勿論時折馬鹿笑いしそうになって、必死で堪えなければならないシゲの苦労など知る由も無いだろうが。
 大泉のささやかな気遣いが、嬉しかった。
思えば手術の当日も手術の無事を心配するメールが飛び込んできていた。
離れていればこそ不安が募るのか、簡潔ではあるが本当にシゲを思う言葉が幾つも綴られていて、
見ているシゲが照れるほどに。
撮影中のドラマは第一話が放映の直前で、恐らく今が一番忙しい時期だというのに小さな時間を見つけては
何度もメールしてくる大泉を、心底可愛いと思った。
随分遠くに離れているにも関わらず、シゲにははっきりと自分の背後に大泉の温もりを感じとれる。
その長い腕ですっぽりと包み込んで、ぎゅっと抱き締めてくれているような…そんな温かい感覚にとらわれるうち、
いつしか澱のように自分の内に溜まっていたものが浄化されていくような気がしていた。



 そして今、シゲの隣には大泉がいる。
血色の悪い黒ずんだ顔で、シゲの肩にもたれ掛かって眠っている。
大泉は先程新千歳に着いたばかりだった。
東京での撮影が少し休みに入ると、こうやって舞い戻ってきてはレギュラー番組のロケをこなすのが
ここ数ヶ月繰り返されている為、当然ながら殆ど休みといったものがない大泉の顔には、
明らかに疲れの色が濃く浮き出ていた。
 今日はおにぎりのロケで、少々遠隔地まで車で移動する事になっていた。
流石にスタッフもよく解っているのか早々に車内での撮影を済ませ、目的地までは大泉の休息時間に当ててくれている。
 「肩、いいよ……大泉。」
腕を組んで寝る態勢に入った大泉に、シゲは言葉少なに声をかける。
大泉はちらっとシゲ見てから、ほんの少しだけ口の端をあげて笑った。
他の誰にも気取られないくらい、小さな小さな笑顔で。
何も言わなくても、二人には解っていた。
シゲが大泉を気遣う心と、そんな心遣いに救われる気持ちを。
 左肩の上に慣れた重みがかかり、ふわふわに巻いた癖毛が頬の辺りをさわさわと擽る。
シゲの肩に頭をもたれかけてすぐに、大泉は小さな寝息を立て始めた。
瞑った瞼や目の下の隈が本当に凄いことになっている。
『疲れてんだよな………。』
シゲはしみじみそんな事を思いながら、自分の顔にかかる癖毛を指先で弄ぶようにそっと触った。
ついこの前、待望のドラマが放映された時は、シゲは思わず声を上げてガッツポーズをとってしまった。
長年一緒にやってきた、しかも最も自分に近しい人間が、東京の全国放送のドラマに出ている…それだけで感慨深いものがあり、
胸の奥から何かが溢れ出して、ついつい大きな声を出してしまっていた。
流石に手術直後だったので、かなり喉に負担がかかり、辛かった。
でも、叫ばずにはいられない。
ひしひしと込み上げてくるものに浸りながら、シゲは食い入るように自慢のテレビを見つめていたのだった。
勿論その後に書き込んだCUEダイアリーの内容に心配した大泉から諫める内容のメールが届き、
苦笑いを浮かべたりもしたのだが。
 そんな事を思い出しながら、大泉の髪を弄んでいると、助手席に座っていたスタッフから不意に声をかけられた。
「シゲちゃん、重いんじゃない? なんなら後ろに場所作る?」
大泉の頭がしっかりシゲの肩に乗っているのに気付き、シゲに負担がかかるのを気遣ってそっと声をかけてきたようだ。
シゲは寝入っている大泉を起こさないよう人差し指を自分の口許に当ててスタッフの言葉を遮ると、
そのまま静かに笑顔をつくり、更に手ぶりだけでその申し出を丁重に断る。
本音は重たいし邪魔くさいから鬱陶しいのだが、それにもまして自分が今、大泉に何かしてあげられるとしたら
こんな事しかないんだから…とも思う。
今はほんの少しでも大泉の役に立てればいい…そんな思いが心を占めていた。
第一最近あまり傍にいる機会が少ない今は、こんな小さな触れ合いでも無い限り、
ささやかな肌の温もりすら忘れてしまいそうで不安でもあった。
いたずらに頬を擽る髪をそっと撫でつけながら、シゲはこの小さな時間が自分だけに与えられた特権であることを
しみじみ噛みしめ、誰にも解らないくらいに小さく微笑んでいた。

 「……………」
そんな時不意に大泉の唇が動き、意味不明の言葉が途切れ途切れに綴られた。
『―――台詞?』
聞き取りづらい不明瞭な言葉が、繰り返し耳元で囁かれる。
きっと夢の中でも必死になって演技している最中なんだろう…。
今度ははっきりと口許に笑みを浮かべて、シゲは大泉の口許を見つめた。厚ぼったい唇に、
無精ひげが生えた長い顎。どう贔屓目に見てもいい男の部類ではない。
しかも時折瞼までがピクピクと動いて、白目がきょろりと覗く。大泉お得意の、目開きの寝顔になってしまっていた。
流石にこれは端から見たらホラー映画のゾンビか何かのようだ。
なぜまたこんな顔をして眠る男がこんなにも愛しいのか…シゲは少しばかり自問自答してしまう。
でも好きな気持ちに嘘偽りなど無くて、少しばかり苦笑しながら左手をそっと大泉の頭にやり、ゆっくりと髪を撫でた。
『……仕方ねえよ。気付いたら好きになってたんだからさ……』
先に好きだと言ってきたのは大泉。
勿論シゲもずっと憎からず思っていたのは確かだったが、その時の思いが恋愛感情だとは死んでも認めたくなかった。
だから想いを告げられてただ困惑するシゲに、大泉はかなり強引にぶつかり……その結果、今がある。
自分の中に潜んでいた想いをさらけ出そうとさせる大泉が、心底恨めしかった。
認めたくないものを白日の下に晒して掌に乗せ、目の前に差し出されているような気分に苛まれてしまっていた。
懸命に抗っても抗っても…抗いきれなくて、気が付けば今まで触れ合ってきたどんな人間よりも近しい存在になっていたのだった。
今はもう大泉無しの人生など想像もつかない。
いつまでも今のまま、お互い普通に隣にいられればいい……。

 ぼんやりとそんな事を思いながら、撫でる手の動きを止めて目を閉じる。
静かな寝息だけが車内を支配していた。どうやらドライバー以外は全員、長旅に備えて寝ているらしかった。
シゲもうとうとと睡魔に引き込まれそうになっていたが、不意に耳元から小さく名前を呼ばれて目を開けた。
大泉が肩にもたれ掛かったまま、話しかけてきていた。寝言かと思ったが、どうやら目を覚ましたらしい。
「……ん、何…もう起きちゃったの? まだ全然着かないから寝てなさいよ……」
片手で目を擦りながら話しかける。
大泉は肩に乗せていた頭をゆっくり起こし、横目でシゲを見た。
今まで左肩に感じていた温もりがふっと消えて、途端に寒さがじわりと襲ってくる。
いや、寒いのは物理的なことだけでは無いのかもしれない。
今の今までシゲを満たしていた「頼られている」事への充足感が突然かき消えてしまったのだから。
「……しげ………」
寝起きで重たい口調の大泉は更に続けてこう言った。
「お前……も少し、あっち行け。」
これは流石にシゲを打ちのめした。
よりにもよって出てきた言葉がぶっきらぼうな『あっち行け』。
たった今まで肩を貸していた者に対するお礼の言葉としては、随分な言い様だ。
流石にムッとして大泉の顔を睨め付けると、大泉も腫れぼったい目を重たそうに開いてシゲをちらりと見、
無言で顎をしゃくって奥の席に移動するよう促した。
渋々真ん中の座席から右奥の窓際に移動する。流石にむくれたまま口も聞かず、そっぽを向いて窓の外を眺めた。
外は吹雪いているようで、流れる景色はどこもかしこも雪に埋もれていた。
気が付けばワイパーの音がスタッフ達の寝息に混じって静かに車内に響いていた。
むしゃくしゃしたまま両手を頭の後ろで組んでふうっ…と溜息を吐いた途端、どさっと腿の上に何かが落ちてきた。
慌てて視線を膝の上にやる。
もじゃもじゃの癖毛が当然のようにそこに収まっていた。
「……何してんのよ……」
多少の抗議を込めた声で静かに聞くが返事は返ってこず、代わりに無言で大泉の右手がシゲの左脚の膝裏にするりと潜り込む。
驚くシゲをよそに、右手は左脚を抱えるように膝の間から出てきた。
「おい、大泉……」
言いかけてシゲは止めた。
自分の左膝を抱えるようにして再び寝息を立て始めた大泉の髪をゆっくりと右手で撫でながら、
再び小さな笑みを口許に浮かべる。
そのまま左手を大泉の肩の上に置いて、ゆっくり目を閉じた。
膝上に心地よい体温を感じながら………。





              NOVEL  HOME


2005年 4/25放映のおにぎりにて
『自分よりも大事』『もの凄く愛している』と公にバラされてしまった
姫サマをヒントに、いたずらで書いちゃいました。
背景用のイラストを描くのに手間取って遅くなっちゃいましたが…(汗)



ほんの少し前、一番王子が大変だったときの頃はこんな感じだったのかな〜?
なんて妄想を逞しくしてみた訳です。








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