■我ガ良キ友ヨ■ |
常常、人生を面白くするものは人間関係だと僕は思っている。特に、友人は大切だ。多彩な交友関係程、日常を鮮やかに彩ってくれるものはない。 その点において僕は、明らかに諸人より恵まれている。榎木津礼二郎。彼のような知己は、得ようと思って得られるものではない。 世が世ならお目通りもかなわぬセレブリティなのに、超が付く程の変人だ。その奇矯な処も、常人離れした思考も、美貌も、何もかもが魅力的だ。 まあ、一番の魅力は何と云っても、金を持っている処なんだけれども。 手土産を携えて神保町の事務所に顔を出すと、珍しいことに彼の私室が、かつて見たことのない程綺麗に片付いていた。 「うわっ、どうしたの、コレ!」 思わず感嘆の声を上げると、当の探偵はいたくご不満の様子で、子供のように頬を膨らませた。 「和寅がやったんだ。何処に何を片付けたか判らなくなるから、勝手に僕の部屋を弄るなと云ったのに」 「それは云いがかりで御座んすよねえ」 お茶を持ってきた寅吉君が、僕に同意を求めるように云った。 「御自分でなさったって、覚えちゃいないんですから。誰がやったって同じですよ。それなら、片付いている方が余程気持ちが好いじゃ御座いませんか」 正論だな。 僕が黙って頷いていると、探偵は恨みがましく凝乎と僕を見て、不機嫌極まりない顔でプイとそっぽを向いた。 「何をしに来たんだよ喜久ちゃん。僕の味方をしないなら、帰ってくれないか」 「まあまあ。そう云うなよ」 幼げな様子に苦笑し乍ら、僕は出されたお茶を貰おうと客用のソファに腰を下ろした。 「京極に頼まれていた本があって、入荷したからこないだ中野まで届けに行ったんだよ。顔を見がてらね」 僕の商売は物を売ることで、特に世間にあまり流通しない物が得意だ。特別なルートがあるから、稀覯本なんかも得意なんだけど、そう云う訳で京極堂とも若干の取引がある。勿論、それ以前に彼とは友人でもある訳なんだけど。 「それで?」 「珍しく、妹さんが居たんだよ」 「敦っちゃん?」 「そう。それで、少し世間話をしたら、彼女がエヅと修ッ公が、すっごく熱熱だって云ってたからさ」 「?」 そう云うと、探偵は少し奇妙な顔をした。 「敦っちゃんとは、こないだ道でばったり遭って、少し話をしただけだ。熱熱だなんて云われるようなことはしてないぞ?」 「またまた」 僕は大きく手を広げて、肩を聳やかした。この自覚のない処も、天然で大好きだ。 「散歩に連れて行って貰ったのが嬉しくて、修ッ公の周りをグルグル回って、引き綱が絡まりそうだったって云ってたよ?」 「引き綱なんか付いてないぞ。それに、僕が真っ直ぐ歩かないのは、今に始まった事じゃない」 引き綱は物の喩えだけれども、フラフラ歩いていたのは本当らしい。相変わらず落ち着きのない男だ。 「道端で接吻までしてたって?」 「ああ、あれは……」 そう云うと、初めて探偵は、少し照れたような顔をした。彼女が見ていたとは、夢にも思わなかったようだ。 「修ちゃんが、僕が何を着ても可愛いとか云うから……」 「うんうん、それで?」 「みんなそう云うって云ったら、冗談だと思ったのか笑い出しちゃって……。僕もつられて笑ったら、きっと笑い顔が可愛かったんだろうさ。こう……」 「おやおや! そいつはご馳走様!」 僕は満腹を示すために、わざと大袈裟な仕草で腹を叩いた。偶偶、腹鼓が実に善い音で鳴った。 「道端で……ってお話、中野の先生もお聞きだったんですか?」 苦いような笑みを浮かべて、寅吉君がそう聞いた。 「さぞお困りだったんじゃないですか?」 「京極は、厭〜な顔して、『どんな駄犬でも、あれだけ懐けば可愛いですよ』とか何とか、云ってたよ」 「ふん。あの男はね、自分が千鶴ちゃんと熱熱じゃないもんだから……駄犬って僕の事かー!!!」 「遅いよエヅ」 矢っ張り、彼は面白いなあ。 僕は嬉しくなって、至極上機嫌な顔になった。 「それで何なんだよ。わざわざ京極の不愉快な科白を聞かせに来たのか?」 「真逆。それだけ熱熱だったら、足りなくなってるんじゃないかと思って。追加持って来たよ」 そう云って、僕が紙袋から衛生サックの箱を出すと、エヅは眉を寄せて、また奇妙な顔をした。 「……要らない」 「使った方がいいよ?」 「そうじゃなくて……。あれ、前にもこんな会話したな」 エヅは思い出すように顔を天井に向けたが、どうせ覚えちゃいないと思う。 「とにかく、あんまり来ないんだ。事件があったら十日だろうが二週間だろうが、下宿にも帰らないんだから。僕に会いに来るどころじゃないよ」 「そりゃあ、難儀だねえ。エヅも淋しいだろう」 この甘えん坊には、そのペースは辛いだろうと思った。渋谷の駅前で来ない人を待っていれば、親切な人が色色と構ってくれるけれど、この事務所には書生と助手が居るだけだし。退屈凌ぎにもならないな。 「解っちゃいるんだけど。時々、刑事なんか辞めちまえばいいのにと思うこともあるよ」 そう云うと、探偵は憂い顔で眉を顰めて、深い溜息をついた。 これは素直な気持ちだろうな。僕にまで愚痴を云うとは、相当だ。 「そりゃ困りますよ。旦那の恩給が、将来の唯一安定した収入なんですからね。旦那には定年まで、確乎り勤めて戴かないと」 茶菓子を運び乍ら、寅吉君はそんな事を云った。こっちも、かなり素直な気持ちだな……。 探偵は、不満そうに片眉を吊り上げて、寅吉君を見た。 「馬鹿を云うな。僕にだって安定した収入ぐらいある」 「家賃のこと?」 このビルに入っている店子のことかと思って訊くと、エヅは何だか、悪戯を思いついた悪餓鬼のような顔になった。 「解ってないな。これを見ろ」 そう云って指さした先は、視力を失った彼の片目だった。 薄い鳶色で、実に美しい。見えていないのが、信じられないくらいだ。 「これは、戦争中に照明弾にやられたんだ。それで障碍が残ったってことになるんだが、僕のようなのを、何て云うか知ってるか?」 「……傷痍軍人……?」 悪い予感がして、僕は腰を浮かしかけた。 「ま、まさか、軍人恩給を貰っているのか!?」 「当然の権利だろう?」 「ぜ……」 僕と寅吉君は、打ち合わせもしていないのに、一斉にエヅを指差して叫んだ。 「税金泥棒! 税金泥棒ー!!」 「おい! 和寅はともかく、喜久ちゃんまで云うことはないじゃないか!」 探偵は椅子から立ち上がると、酷く憤慨した様子で拳を振り上げた。 寅吉君は、怒った探偵に夕飯の買い物に追い出された。僕は追い出されはしないものの、そっぽを向かれてさっきから一言も口をきいてもらえない。 「なあ、エヅ……」 声をかけたが、探偵の顔は明後日の方を向いたままだ。余程気分を害したらしい。 「修ッ公に来て貰う、いい方法を教えてあげようか?」 そう云うと、不満げ乍らも、漸く目がこっちを向いた。 「……あるの?」 「まあね」 僕は反り返るようにそう云うと、大きく足を組み替えた。 徐(おもむろ)に、懐から煙草を出して、火を点ける。 「いくら忙しくて中中来ないとはいえ、あっちの方は、全然ない訳じゃないんだろう?」 「そりゃ……」 そう云うエヅの顔は、矢っ張りまだ不満そうだった。何やら二人の間には、幾らか温度差があるみたいだ。 「気持ち好いし、ぐっすり眠れるから、僕は修ちゃんとあれをするのが好きだけど……。修ちゃんは逆に、人と一緒に寝るのは慣れてないみたいで、あまり眠れないようなんだ。だから、時間があっても疲れている時は来ない。僕は、ただ一緒に眠るだけでも嬉しいのに、修ちゃんはそれが一番苦手なんだ」 なる程。それは芸者遊びに慣れた身と、安い金でチョンの間ぐらいの遊びしかしていない身の差だな。 だけど、そんなものは慣れだ。ずっと眠らずにいる訳にもいかないのだし、何度も繰り返していたらそのうち慣れる。あれが厭で避けている訳じゃないなら、幾らでもやりようがあると云うものだ。 「そんなのは、慣れりゃ平気だよう。幾らでも眠れるようになるよ」 「慣れる程来てないもの」 「だから、来るようになる方法を教えるよ」 そう云うと、漸くエヅは真っ直ぐこっちを見た。 「これなんだけどね」 衛生サックの箱を手に取って、僕はエヅに見せた。 「この前買ってもらった分ね。どれぐらい残ってる? あれ、半年以内に使い切らないと、ゴムが劣化して使い物にならなくなるって、修ッ公に云ってご覧」 「え、そうなの?」 「嘘だよ」 そう云うと、エヅは吃驚したように目を剥いた。大きな目が、零れ落ちそうになる。 「修ッ公はあれで案外吝嗇な処があるから、そう云えば一生懸命使ってくれるようになると思うよ?」 「…………」 僕が白白と云うと、エヅは信じられない物を見るような目で、僕を見た。そこまで驚く程の事じゃないと思うけどなあ……。 「喜久ちゃんって……よくそう云う事思い付くよね……」 「別に。普通だよう」 そう云うと、急に可笑しくなったのか、エヅは探偵の机に突っ伏して、笑い始めた。 「解った。云ってみる……」 笑い乍ら云うので、語尾が震えていた。何にせよ、機嫌が直って何よりだ。 涙を拭い乍ら、エヅは僕を見て云った。 「喜久ちゃんみたいな友達が居て、善かったよ。僕は運がいい」 「どういたしまして」 それは僕の科白だと思ったが、敢えて云わないでおいた。云わずもがな、いや、云わずが華ってとこかな。それは、エヅもきっと解っていると思うよ。 持って行った追加の1グロスは、結局お買い上げ戴いた。毎日使えば、一年保たない数なんだけどねえ……。どうなんだろう。毎日来られないなら、来た時に沢山使えばいいのに。 次に米兵から何時仕入れればいいのかと、僕はまだ笑い続けるエヅを見て、朦朧(ぼんやり)と今後のビジネスについて考えた。 (了) また下ネタですみません…。 エノさんが軍人恩給をもらっているかどうかは、まったくの私の捏造なので、もし違ったら削除か何かしようかと思ってます。 |