■本当にあった怖い話■ |
「一寸失礼しますよ」 そう云って、突然京極堂が木場の下宿へ上がり込んで来たので、木場はその場で固まった。 常時(いつも)の和服姿で、手には買い物かごをぶら下げている。その中からは、葱やら鳥の脚やらが、ちょこんと顔を出していた。 久しぶりの非番で、暢気に新聞の整理などしていた木場は、この世ならざる光景に、一瞬正気を失いそうになった。 「……何?」 辛うじて、それだけ尋くのが精一杯だ。 何故、自分の下宿に、京極堂が一人で、連絡もなく突然、食材などを持ってやって来るのか。あの書斎派で、出不精で、女房がいなければ急須の茶葉も替えないあの男が、わざわざ買い物をし、電車に乗り、此処まで歩いて。 めまぐるしく頭を働かせてみるが、思い当たる理由は何一つない。 「旦那、土鍋はありますかね」 「ど、どなべ?」 木場は、しゃくり上げるような変な声を出した。 「どなべって……?」 「何を云っているんです。土鍋と云えば、鍋料理に使う土鍋しかないじゃないですか。他にどんな土鍋があるって云うんです」 そう云って京極は、自分の持ってきた買い物かごを木場に見せた。 「今日は旦那と、鍋でも囲もうかと思って」 「鍋!?」 悲鳴をあげる木場には構わず、京極は勝手に水場へ行くと、棚を開けて土鍋を探し出した。 「あったあった。包丁は……。此処か」 京極は着てきた羽織を脱ぐと、買い物かごの底から白い割烹着を引っぱり出してきて、見る間に見事なおさんどん姿に変身した。 「お前が作るのか!?」 「いけませんか?」 素知らぬ顔で、京極は流し台に野菜を並べ、水洗いを始めた。 「これでも本格的なんですよ。千鶴子の実家のお得意でね。水菜と生麩と播州地鶏を使うんです。京野菜が東京じゃなかなか手に入らなくて……」 木場は、腰が抜けたようにその場に倒れ、ガタガタと震え始めた。 「京極が……俺の非番の日に俺の下宿に来て……割烹着で鍋の支度を……」 その場にうずくまり、自分に云い聞かせるようにつぶやく。 「……あり得ねえ……」 弾かれたように顔を上げ、やや大きな声で 「あり得ねえ!」 そして、突然立ち上がると窓に突進し、思いっきり開け放ち、目に入る凡ての景色に向かって、力の限り 「あり得ねえーーーーーーー!!!!!」 と、叫んだ。 「失礼な。僕が鍋の支度をして何がいけないんですか」 意外にも軽快な手さばきで支度を進めていた京極は、不機嫌な顔で木場に指示を出した。 「その新聞を片づけて、卓袱台を出して下さい。出したら箸と取り皿を用意して、ポン酢と一味を。暇だったら、旦那も紅葉おろしぐらい作って下さいよ」 「うわああああ!」 木場は獣のように叫ぶと、その場に平伏した。 「すまねえ! 俺が悪かった!」 「何の話ですか?」 「何だかわからねえが、俺が手前を怒らせるようなことをしたんだろう? そうだろう? いや、見当がつかなくて申し訳ねえが、本当にこの通り、謝るから許してくれ。何でもする。何でも手前の云うことを聞くから、この通り……!」 「違いますよ」 憮然とした顔で、京極堂は云った。 「自分が何をしたか解らないのに、とりあえず謝ると云う姿勢は感心しませんね。でも僕は、何も怒っちゃいませんよ。本当に、鍋を囲みに来ただけです」 下宿の貧相なコンロにかけた鍋からは、グツグツと湯気が立ち、美味そうな匂いが漂ってくる。 「さあ、もうすぐ出来ますから。早く三人分の取り皿を出して下さい」 「……三人?」 木場が頭を上げた途端、外からはた迷惑な程賑やかな、浮かれた足音が響いてきた。 「美味い! 流石に京都からわざわざ届けさせただけはあるな!」 榎木津は、上機嫌で鍋をかき回し、折角京極堂が綺麗に並べた具材を無茶苦茶にしてしまった。 「おい! かき回すなよ! 不味くなるだろうが!」 旺盛な食欲を見せる榎木津に、木場は憮然とした顔をしながらも、負けじと自分も箸を進めた。 「……全く、手前の仕業だったとはな……」 「だって」 忙しく箸を動かしながら、榎木津は云った。 「修ちゃんが、あんな女に死ぬのは怖いなんて云うからだ」 「嫌がらせかよ! ああ、慥かに今俺は、死ぬより怖いことがあるのを知ったよ……」 幼馴染み二人が漫才をしている横で、京極堂は黙黙と、マイペースで食事を楽しんでいる。平然とした様子が、何とも小憎らしい。 「おい、京極堂! 手前も手前だ! こんな奴のくだらねえ企画に乗るんじゃねえよ!」 「榎さんが、乗るなら京都から最高の食材を調達するって云うもんですから。こんな機会でもないと、手に入らない材料もあるし……。それに……」 ぼそりと、手元を見つめたまま呟く。 「……面白そうだったから」 無感動に云い放つ京極は、まだ、白い割烹着姿のままだった。 (了) 木場×京…、いや、むしろ京×木場…? 私が書くとなんでも木場受に。心は攻なのに…。 ちょっと未来の流行語(2002年頃)を叫ぶ旦那を書いてみたかったのでした。 死ぬのは怖いという話は、塗仏で旦那がお潤さんに云った台詞から。 |