■幼馴染■ |
こう云うことは、何をもっても先ず御前様に一番にご報告すべきだとは思うんですが、事が事だけに私もどう申し上げていいやら、甚だ悩みましてですね、ハイ。それで、総一郎様にご相談申し上げている次第でして。 いいですか、落ち着いて聞いて下さいね。うちの先生と木場の旦那が、何と申しますか、その、いい仲になっちまいまして……。 は? 昔から仲は善かった? そう云う意味じゃ御座居ませんよ。相変わらず総一郎様も天然で。 そうじゃなくて、その……。男と女の間柄と申しますか……。いや、違いますね。先生も旦那も女じゃありませんし……。好いた腫れたの仲と申しますかね……。 は? 念友? そりゃまた、古い云い回しで御座居ますねえ。江戸時代じゃないんですから、今時そんな云い方も致しませんよ。 でもまあ、兎に角そう云うことなんで。お解り戴けましたかね? いえね、私はお二人を昔から存じてますが、いずれこう云うことになるだろうとは思っておりました。寧ろ、遅過ぎるぐらいで。 お二人は手を伸ばせば辛うじて届くぐらいの幅の小川を、向こうと此方で並んで歩いていたようなもので。 旦那は常時(いつも)、うちの先生が巫山戯て川に転げ落ちたりしないか、悪い人について行ったりしないか、何度も振り返ってお気にかけて下さっていたと思うんですよ。 真逆先生が、その小川を飛び越えて来るとは思ってらっしゃらなかったでしょうけどね。さぞ吃驚なすったことだと思いますよ。 並の男なら受け止め損ねて、土手の下にでも転げ落ちて共倒れになるところを、旦那は実に巧くやりなすった。私は、心から祝福しておりますんで。ええ、本心からそう思っておりますよ。 思うに、旦那はあのナントカって女優さんに刺された頃から、ご自分が長生きなさらないように考えてらっしゃったんじゃないでしょうかね。 だから、ご自分が居なくなった後に、先生が川に落ちないよう、ずっと手を引いてくれるような人を探していたんだと思います。まあ先生の方は別に、川に落ちて死ぬことなんか、何とも思っちゃいないとは思いますがね。 で、先生がああやって小川を飛び越えて来てしまったので、旦那が引き受けざるを得なくなった。ええ、もう、大変な重荷だと思います。責任があるから、おいそれと死ぬ訳にもいかなくなった。 善い事ですよ。旦那には、あれぐらいの重荷があった方がいい。見張っていないといつの間にか姿が消えているのは、寧ろ旦那の方なんじゃないかと、私は思うんですよ。 先生にとっても、旦那にとっても、一番善い結果になった。それは間違いないです。 先生ですか? ええ、まあ、相変わらずで御座居ますよ。 旦那がお忙しくて、神保町にも偶にしかお見えにならないんですが、いらっしゃった時にはお酒をお出しして、機嫌善くギターなんぞ鳴らしておりましてね。旦那もくつろいで、聴き惚れていらっしゃると云う具合で。 先生も粋な方ですから、そうしていると別嬪の小唄の師匠か何かのようでして。 私がまるで妾宅のようで御座んすねえと申し上げたら、何だか気に入ったみたいで、ビルヂングの周りに黒塀を立てて、見越しの松を植えるんだとか何とか……。まあ、ご冗談で御座居ますけど。 そういえば、先日もまた少し、お熱をお出しになって。また一時、見えなくおなりだったようですよ。ええ、すぐ恢復なさいましたけどね。 だけど、こんなことを繰り返して、だんだん視力も落ちていって、いずれ本当に見えなくなる時が来ると思うんです。 いえいえ、今すぐの話じゃ御座居ませんがね。その頃には旦那も定年退職になって、ずっと先生のお側に居て下さるでしょう。 そうしたら、此方のビルヂングも老朽化しているだろうから、土地だけ売って、田舎に小さな家でもお買いになればいい。旦那は何と云っても公務員だから、恩給や年金もあるだろうし、先生が贅沢さえ仰らなければ、生活の心配は要りません。 私もお近くに住んで、出来る限りお世話させて戴きますよ。それまでには私も、所帯を持って、独立させて戴くつもりではおりますが。 ただね、それをどうやって御前様にご説明しようかと。 御前様は進歩的なお考えの方ですが、それでも矢張りご自分のお子となると、話は別なんじゃ御座居ませんか。まして奥様は、お孫様のお顔をご覧になりたいでしょう。 は? 先日先生がご実家に? 急にお見えになって? 全部話して行かれたんですか? ええ、本当に!? ……いやいや、これはとんだ取り越し苦労で。総一郎様もお人が悪い。もっと早く仰って下さいよ。 流石先生で御座居ますね。時代の何歩も先を走っていらっしゃる。 先生は少し、早く生まれ過ぎたのかも知れませんね。時代が先生に追いついていませんや。 そう云えば、先生のお部屋……。相変わらず手のつけようのない程とっ散らかっているんですが、あれもきっと、もっと時代が進めば、何か脳の障害のように認定されるんじゃないですかね。今はまだ、単にだらしがないとか云われておりますけどね。もう一寸後に生まれていなすったら、ちゃんと病名がついたと思いますよ。ええ、あれはもう、病気なんじゃないかと私は思うんですけどね……。 は? もう話は済んだのかって? これはこれは、つい長話を……。失礼いたしました。 御前様にも奥様にも、宜しくお伝え下さいませ。此方の方は、ご心配には及びませんので。総一郎様も、宜しかったらお時間のある時にでも、神保町の方にお顔を出して下さいませ。 それではまた。御免下さいまし。 (了) 和寅君、総一郎さんに勝手に電話して長話の巻。というか、余計なお世話の巻。 脳の障害は、1980年代からADHD(注意欠陥多動性障害)と呼ばれるように。なんちゃって……。 |