■ピロートーク■ |
まともな恋愛の経験が無く、安い娼婦しか知らぬ故か、俺にとって寝床の女は、大概が愛想の無いものだった。 これから三枚に卸される魚のように、寝そべり、宙を見たまま身動きもしない。顔つきは悲愴で、そうでなければ無関心だ。 悪場擦れになると態度も悪く、行為の最中ずっと煙草を吹かしている奴もいる。 偶にお喋りで、訊いてもいないのに身の上を語る女も居ないではないが、殆どが話もしない。名前を尋かれることさえ稀だ。彼女らは時間を売っているのであり、此方はそれを買っているだけだ。 素人の女は、恋人は、妻は、どんな様子なのか想像もつかない。 だが、いくら知らぬとは云え、これは違うのではないかと思う。礼二郎の作法は、無論安い娼婦のそれではないが、素人とも考えつかない。 何処で覚えてきたのか想像がつかぬでもないが、正直、俺は未だにあれの言動には、戸惑い、狼狽えることの方が多い。 最初に驚いたのは、とにかくよく喋ると云うことだ。 名前を呼んだり、甘いようなことを云うのはまだしも、行為の感想やら細かい要求やら、余計なことをあれの最中にずっと云っている。今する必要のない世間話や、昔の想い出話を始めることもある。 黙らせようと気を入れると、話は無茶苦茶になるし変に声が大きくなるので、逆に気が気ではない。 温順しく横になってなどいないし、抱きついてきたり触ってきたり、行為には熱心で積極的だ。世間の常識など何も知らない馬鹿のくせに、閨の手管だけはよく知っている。 一度本気で驚いて突き飛ばしたことがあったが、余程俺の周章ぶりが可笑しかったのか、腹を抱えて笑いやがった。俺を揶うのも面白いのだろう。 子供の頃の、楽しい遊びの延長なのだ。俺のことも好きなのだろうが、俺と遊ぶこと自体が好きなのだ。そう云えば昔、家の者が車で迎えに来る時、あれはまた次の遊ぶ約束をするまで、絶対に俺の手を離さなかったものだ。 その日は帰るなり寝室に引きずり込まれて、背広を脱ぐ間もなくベッドに押し倒された。 俺に馬乗りになったかと思うと、顔を両側から押さえて熱烈なキスをする。 俺が目を白黒させている間に、舌を入れてきて、抗議の声も出せなくされた。誓って、こいつとつき合うようになるまでは、こんな目に遭ったことはない。 別に厭な訳ではないのだが、驚くからそれなりの手順は踏んで欲しいものだ。気持ちの準備ってものもあるだろう。 やがて俺が怒り出したり、突き飛ばしたりしないと判ると、キスは啄むような、軽いものに変わった。 長い指が俺の頬から襟元、胸に滑り落ちてきて、襯衣の釦にかかった。キスをし乍ら外そうとしているようだが、あんなに器用にギターを弾くくせに、こう云うことは巧くない。子供みたいに、自分の服の釦すらまともにかけられないのだから、人のを外すのも苦手のようだ。 「自分でやるから」 そう云って胸を押し返すと、礼二郎は不満そうに鼻を鳴らした。 「なんだ、つまらない。自分で脱いだら面白くないじゃないか」 身を起こして、ベッドに並んで端座ると、俺はとりあえず背広を脱いで、椅子の背に避難させた。これ一着しかないのに、こいつの好きにさせていたら、何処にも出かけられなくなる。 「そうだ、『とらとらとら』で、負けた方が一枚ずつ脱いでいくってのはどうだ?」 何やら名案を思いついたように、礼二郎は目を輝かせて云った。 「いくぞ? せーの、とらとーら……」 「しねえよ、馬鹿」 俺は玉蜀黍みたいな頭を掴むと、有無を云わせずベッドに放り投げた。 「とらとらとら」と云うのは、礼二郎が好んでするじゃんけんのようなものだが、虎と槍と女の真似をして勝敗を決める。槍が加藤清正で、女が清正の母だそうだ。 子供の頃にこんなじゃんけんをした記憶がないから、多分花柳界で覚えてきた遊びだろう。こいつの遊びは、花柳界だか宮中行事だか、庶民の俺には判断がつかないのだが。 「ちぇ」 面白くなさそうに口を尖らせたが、礼二郎は渋渋と俺から離れ、自分の服を脱ぎ始めた。 「……修ちゃん、本当はこう云うの嫌いなんだろう」 俯き乍ら、礼二郎は小さな声で云った。温順しくなったと思ったら、何を云い出すやら……。 「ああ?」 「本当は、まな板の上の鯉みたいに、目を瞑って凝乎としているようなのが好きなんだろう?」 「別に……」 「嘘でも本当でも、私は何も存じません、全部旦那様にお任せしますからお好きになさって、みたいなのがさ」 「違うよ」 そんなカマボコだのおトトだのが好きだったら、手前となんか寝ないよと云ったら、あれは少し奇妙な顔をして、それなら善いけどと云って、先に蒲団の中に潜った。 それは本当に本心で、決して嘘でも愛想でもないのだが、あれは信じたのかどうか……。 不思議なもので、以前はこれがどんな格好をしていようと気にならなかったのに、今はしどけない姿を見ると、気持ちが反応する。 蒲団から覗いた白い喉元や、薄く開いた唇に、迫り上がるような熱い欲を感じる。 そう云うつもりで悪場所へ行けば、初対面の女とも寝ることは出来るが、どんなに魔が差したとしても、家族や友人には妄想すら湧かぬ。 あれは大事な弟で、幼馴染みで、いくら綺麗な顔をしていようと、一番情欲からは遠い存在だと思っていたのに。今は姿や、ちょっとした仕草にも色を感じる。存在自体に、何か掻き立てられるものがある。 決して本質が変わった訳ではないのに、これはどう云うことなのだろうか。人と深い関わりを持つと云うことは、生半可ではないと云うことか……。 妙に気が急いてきて、俺は素早く服を脱ぎ捨てると、あれの横に潜り込んだ。 待ちかねたように長い腕が首に絡んできて、唇が寄せられた。身体も、唇も、重ねられる処は全て重ねて、抱きしめ、身を乗り上げる。 「ふう……」 接吻の合間に、溜息のような礼二郎の声が漏れた。 俺は、常時(いつも)のように手を伸ばして、ベッドの横の抽斗の取っ手を引いた。 何だか変な手応えがあり、抽斗はがたがたと音を立てて鳴った。何か引っかかっているらしい。 無理に引き抜くと、詰め込まれていた何かが、雪崩を起こして床に散らばった。 「…………」 「…………」 二人して、雪崩の行方を目で追った。 俺の見間違いでなければ、あれは……。 「……どうして、増えてるんだ?」 司から買ったサックには違いない。この間まで、抽斗の中には充分な空間と余裕があった。今は、一分の隙もなく詰まっている。どう見ても、倍に増えているのだが……。 「これは、その……」 何やら困った顔をして、礼二郎は云った。 「前のは、半年以内に使い切らないとゴムが劣化するって……。だ、だから新しいのを買って……」 こいつにしては歯切れの悪い云いようだ。何か後ろ暗いことがあるのか。 「まだ半年経ってねえよ。それに劣化って……。誰がそんなこと云った? 司か?」 「……うん」 「じゃあそりゃあ、嘘だ」 「早っ!」 礼二郎は衝撃を受けたようにそう叫ぶと、頭を抱えて身を丸めた。 「全然駄目じゃん、喜久ちゃん!」 また何か良からぬ入れ知恵をされたらしく、礼二郎は壁に向かってそんなことを云った。 劣化も何も、こんな風に箱から出して全部まとめて仕舞ったら、どれが古くてどれが新しいのか判らない。本当にこいつは、やることが粗忽だ。 「いくつ買ったんだよ」 「1グロス……」 「じゃあ全部で288!? 一生かかっても使い切れないぞ、それ!」 「ええー! 一生でそれだけしかしないの!? って云うか、半年は嘘でも、それは流石に劣化するぞ!」 礼二郎は飛び起きると、怒った顔で俺の胸を叩いた。それから、乱暴に抽斗に手を入れて、サックを鷲掴みにする。 「いいよ、余るようだったら、僕が使うから!」 「待て。それは一寸待て!」 「煩瑣い!」 「いいから、一度待て!」 周章て礼二郎の手からサックを奪うと、俺は一つだけ手元に残して、残りは抽斗に戻した。 床に落ちた分も、簡単に拾うと元に戻した。膨れている礼二郎の頬を撫でて宥め、序でに、皓々とついていた部屋の電灯も消した。 「う、ん……」 再開して、もう一度その気になるのにかなり時間がかかったが、漸く身体を一つに繋げた。 礼二郎は珍しく口数が少なく、顔も物思わしげだった。まだ機嫌が悪いのかも知れない。 だが血の色が透けて見える頬は、上気して、触れると酷く熱く感じた。性の高揚は充分感じているようだ。 俺が奥に進めると、無言で確乎りと足を絡めてきて、身動きが取れない程になった。俺は仕方なく抜き差しは諦め、ただ深い処を揺らめかせるにとどめた。 「ん、ふ、……っ……」 その緩やかな動きに、礼二郎は苦しげでもない声を上げ、俺にしがみついてきた。 悪い夢を見た子供のように、俺の首に顔を埋めている。薄茶色の髪は汗を含んで、指で梳くとしっとりと絡まった。 形の良い頭を抱きかかえて、益益深く中を探ると、礼二郎は声にならない小さな悲鳴を上げて、二三度身体を震わせた。 背を爪で掻き毟られ、熱い痛みが走った。だが締め上げてくる刺激に、すぐに痛みも意識の上に散る。 「はあ、はあ、あっ……あ」 礼二郎は仰け反って貪るように息を吸い、大きく目を見開いた。 そのまま何かに耐えるように目を閉じると、それから声は止めどなくなった。 その声は何時になく甘く、可愛らしく、五感を揺さぶり、俺の頭の中を蕩かすようだった。 叫び出しそうな礼二郎の口に、折った指を差し入れて噛ませる。荒く息を吐き乍ら、礼二郎は薄く目を開いて、俺を見た。 「なあ……善いか?」 そう尋くと、あれは朦朧(ぼんやり)とした顔で、小さく頷いた。 指を吐き出して、掠れるような声で云う。 「善いよ……。凄く……。もう、このまま死んでもいいくらいだ……」 それがあまりに弱い声で、消え入りそうだったので、俺はしくしくと胸が痛んだ。 「手前は、あンまり、死ぬとかそう云うこと、云うな……」 口癖のようなもので、本当にそうは思っていないだろうと知ってはいたが、そう云わずにはいられない。 「死ぬとか云うな。俺は、死にたくない。俺は……」 俺は手前と、ずっと生きていたいと思っているんだから……。 そう云うと、あれは見えにくい何かを見るように、目を眇めた。 「恐がりだな。死ぬのが怖いのか?」 「怖いよ……」 「長生きがしたいのか?」 「よぼよぼになっても、手前が一緒に居ると善いと思ってるよ」 「じゃあ、仕方ない……」 苦しげだった顔に、緩やかな笑みが広がった。 子供の頃と変わらぬ、上機嫌で楽しげで、愛らしい笑顔だ。 「つき合ってやる……」 指が俺の頬を辿り、愛おしげに顔の形を確かめている。 灯りを消したこの薄暗闇の中では、あの弱い目は俺の顔を映してはいない。多分幼い頃から今までの、自分の顔でも見ていることだろう。 俺は瞼の上にそっと唇を落とし、見るのを止めさせた。無理に止めさせなくても、すぐに夢中になって何も見なくなることは、充分判ってはいたのだが。 (了) ピロートークって、最中じゃなくて事後のような気がしますが、そこはまあ大目に…。 「とらとらとら」も、本当は屏風の影に隠れて、かけ声が終わったらその格好をして飛び出してくるというもので、こんな風にお互いが見えていたら勝負になりませんが、その辺も大目に。 そろそろここの色のパターンも尽きてきました…。 |