■薔薇色の未来■ |
サイドカーを貰ったのが嬉しくて堪らず、木場修を乗せてやろうと桜田門まで迎えに行ったのだが、昼間っから何をぬかすこの淡ら馬鹿がこちとら手前のような暇人じゃねぇんだ国家警察を就業時間中に遊びに誘いに来るとはどう云う了見だ愈愈(いよいよ)頭が膿んだかこの大馬鹿野郎などと、続けざまにまくし立てられて門前払いを食った。 大変不本意な扱いだが、よく考えたらこの華奢なサイドカーに、あの大きな立方体が収まるとも思えない。 猿か蚊蜻蛉ならすっぽり填るに違いないと思い、気を取り直してそのまま中野に向かった。 僕が行くと常時(いつも)千鶴さんは、いそいそと僕の好物ばかりを出してくれる。僕のことが好きなのだ。だから期待して古本屋に顔を出したが、生憎彼女は出かけているらしく、京極堂は仏頂面で白湯のような茶と、落雁を出してきた。 「この馬鹿本屋。僕が水気のない菓子が嫌いなのは知っているだろう。それなのに何故こんな物を出すのだ」 「とっとと帰ってくれと云う意味に決まっているでしょう。僕は忙しいんですよ」 忙しいと云うのは京極堂の口癖だ。本当に忙しかったことなど一度もない。 「来るなり帰れとはご挨拶だな。どう云う用事か聞くぐらいしても罰は当たらないだろう」 「聞かなくてもわかりますよ。三里先から馬鹿げた排気音が響いてきましたからね。どうせ木場の旦那に断られて、それなら僕か関口君をサイドカーに乗せようと思って来たんでしょう。僕は衆人の曝し者になるのは真っ平御免です。恥ならあんた一人でかいて下さい。絶対に乗りませんからね。ちなみに、関口君は今日は出版社の方に行っているから、留守です」 畳みかけるようにそう云うと、京極堂はまた手元の本に目を落として、僕を無視する体勢に入った。 全く腹の立つ男だ。何故僕のサイドカーに乗ることが、曝し者だとか恥だとか云う話になるのだ。感謝されこそすれ、罵られる謂われなどない。 しかしこうなると、京極堂は梃子でも動かない。無理に乗せても途中で飛び降りてしまうだろうし、怪我でもさせたら千鶴さんに申し訳ない。こんな男がどうなろうと知ったことではないが、ご婦人を悲しませるのは意に反する。 諦めて、不味い落雁を一口囓ると、白湯で無理に流し込んだ。 「ああ、つまらない。お前は本当につまらない男だ。しかしお前のような面白味の欠片もない男の所に、よく千鶴さんのような出来た嫁が来たものだな」 「悔しかったら、あんたも結婚したらいかがですか」 本から目を離さず、京極堂はぬけぬけとそう惚気た。 「それだけの家柄と容姿で、30過ぎて未だにろくな縁談がないのは、あんたの性格が破壊的すぎるからですよ。少しは温順しくしないと、このまま一生独身で終わることになりますよ」 「煩瑣い。余計なお世話だ馬鹿。嫁の来手がない訳じゃないぞ。此方から遠ざけているだけだ。僕はそのうち、木場修と結婚するからいいのだ」 「はあ!?」 露骨に呆れた顔をして、京極堂は本を膝の上に落とした。 「普通なら冗談だと思うところですが、あんたは判らないな。慥か帝大の法科ですよね? 男同士が結婚出来ないのは知っているでしょう。大学で習いませんでしたか」 「戦前はそうだったろう。でも戦後は違うぞ」 「何を根拠に云っているんですか。自分が法律だとか云い出すつもりじゃないでしょうね?」 「馬鹿にするな。法令全書ぐらい読んでいる。戦後六法も読んだが、男同士がイカンなどと、一言も書いてなかったぞ!」 「書いてあるんですよ。両性の合意のみってあったでしょう。両人の合意じゃないんですよ。自分の都合の善いように解釈しないで下さいよ。今の法律じゃ、同性の結婚は認められてないんですよ」 尤も、仮令両人の合意だったところで、旦那が承知するとも思えないんですがね……と、京極堂は余計な一言を付け加えた。 「ふうむ」 在学中は法令など丸ごと諳んじることも出来たが、今となっては一編も思い出せない。本に関する記憶力だけは認めるので、京極堂がそうだと云うならそうなのだろう。両性などと、紛らわしい。 「しかし大丈夫だ! 親族に貴族院の議員がごろごろいるのだ。僕が云えば、法律などたちどころに改正だ!」 「貴族院は三年前に廃止になりましたよ。あんたの頭は、何時で止まっているんですか。第一、いくらあんたの馬鹿親戚があんたに甘くても、子爵議員の数だけじゃ法改正など無理だと思いますがね」 「子爵議員だけじゃないぞ。僕を何だと思っている。海軍の上級将校だぞ! 皇族の男子はすべからくみな海軍に入ることになっているのだ。皇族議員もみな僕の下僕だ」 「何てことを……。戦時中なら不敬罪で憲兵にしょっ引かれるところですよ」 「ははは! 馬鹿だな京極堂! 頭が止まっているのはお前の方じゃないか! 今は憲兵などいないし、不敬罪もないぞ!」 勝ち誇ったように云うと、京極堂は頭痛でもするみたいに、こめかみを押さえて頭を下げた。 普段から不摂生だから、議論の最中に頭痛など起こす体質になるのだ。そういえばこいつは学生時代、教師と論争をしていて、自分の話の長さに自分で貧血を起こしたこともあった。 「……わかりました。もう何も云いません。あんたの好きにして下さい……」 何やら酷く疲れた様子で、京極堂はそう云った。 僕は、こんな馬鹿本屋の許可などなくても、いつでも自分の好きにするのだ。まだそんなことも解らないとは、驚くべき間抜けだ。 「でも、何で旦那なんですかね……」 そこだけは不思議そうな様子で、京極堂は聞いてきた。 木場修と知り合った時には、もうこいつは結婚していたから、実はそれ程長いつきあいではない。あれは誤解を受けやすい男だし、一朝一夕で本屋ごときに木場修の善さが解らないのも仕方がないことなので、僕は鷹揚に答えてやった。 「うむ。お前はまだ木場修とつきあいが浅いから知らないと思うが、あれは見かけに似合わず、器用で面倒見が善く、世話好きなのだ。僕の世話をするのには、実にぴったりだ」 「世話係なら、和寅君がいるじゃないですか」 「あれは駄目だ! あることないこと、実家に告げ口するからな!」 その点、木場修は僕の実家が苦手だから、都合がいい。 「でもね、旦那は警視庁の刑事で、忙しいんですよ。あんたの世話なんかしている時間はないと思いますがね」 「だから、結婚するのは木場修が定年退職してからでいいのだ。僕は、刑事を辞めろなんて狭量なことは云わないぞ」 「それは、配偶者じゃなくて、茶飲み友達じゃないですか!」 何を怒ったのか、京極堂は拳を振り上げて、一度大きく音を立てて机を叩いた。 やがて、大袈裟なため息を吐くと、もう全く僕の相手をする気がなくなったのか、話しかけるのも許さない程の強力な結界を張って、読書に没頭し始めた。 60過ぎたからって、僕はすることはするつもりだが、京極にはそんな発想は微塵もないようだ。この枯れた男は、細君とだって最早終了しているのかも知れない。 なまじ結婚が早かっただけに、既にこの年で尽きているのだ。千鶴さんもまだ若く美しいのに、家庭内未亡人とは気の毒に。 うん、だが未亡人は好きだ。 僕は、上機嫌で一人ごちた。 折角だから、美しい未亡人が作った夕食をご馳走になって行こうと決めた。千鶴さんだって、こんな無愛想な亭主と二人で食べるより、僕と卓を囲む方が楽しいのに決まっている。 彼女が帰って来るまで退屈なので、寝て待とうと思って畳の上に横になると、凄く厭そうな視線と先程にいや増す深いため息の気配を感じたが、そんなものは些かも僕の安眠を疎外するものではない。 本屋が頁を繰る音だけが聞こえる静かな部屋で、僕はすぐさま眠りに落ちた。 (了) マジにエノキバになってますね…。前向きになるとそんな事態になりがちです。 うーんと…。60過ぎて初Hというのもビジュアル的にアレなので、もうちょっとなんとかなりませんか>自分。 いや、個人的にはジジイ萌えはアリなんですが。 |