時は、闇。
                   現世も隠世も、人の知りえぬうちに斑に混じり、魑魅魍魎の跋扈する乱世。
                   神仏に見放された者の流言か、びょうびょうと流れる風説があった。
                  

                   “血に濡れた物の怪の前に、四匹の鬼が現われる

                    ―一匹目は赤き鬼、鋭き角に導かれ惑わされ物の怪は業苦を彷徨う
 
                    ―二匹目は青き鬼、白光りの刀に突かれ穿たれ物の怪は怨みに伏す

                    ―三匹目は白き鬼、長き爪に砕かれ潰され物の怪は哀の淵に悶える

                    ―四匹目は黒き鬼、闇に逃れた物の怪は黒雲に食まれて露と消える

                                               妖し殺しの鬼に敵う妖しはおらぬ”















                      
妖し殺し―黒鬼編―













                     じゃりじゃりと、石粒が草履の下で鳴っていた。
                     足の運びに一拍遅れて、ガチガチと帯に差した刀が揺れる。
                     静寂が耳を打つ中、息をしているのは自らが発するその音だけだった。
                     朝露に白くぼやけた町筋は、見慣れた姿からかけ離れ、黄泉路を歩いているような気にさせた。

                     早朝の町筋を歩いているのは、帯刀の男だった。
                     男と言っても、その見目は異形。
                     もしかしたら、雄と言うのが正しいのかも知れない。
                     露の中ですら鈍く光る頭髪は青銀で、錆びた浅葱色の着物から覗く肌は、苔が生えているように見えた。
                     何より、男の引き締まった胸となく腕となく散った小さな石片と、大きく尖った耳が、妖しを意識させる。
                     伏せた眼も石片が囲み、男の表情は伺えなかった。

                     柔らかく町に漂う朝霧は、人とは異なる肌に冷たく纏わり付く。
                     土の匂いも人に匂いもさせなまい朝の空気に、足元がふらつきそうだった。
                     道筋は真っ直ぐ続いているはずだったが、地面の感覚が白い靄に遠のいていく。
                     このまま露の消失もろとも、自分の存在も立ち消えるのではないかと腹底がヒヤリとして、
                     黒き鬼―・・ゼルガディスは、刀の柄を握り締めた。
                     人の血を吸い、妖しの血も吸ってきた、名も無い刀を。





                     朝露がそろそろと引いていって、日がうっすらと降りてくる頃、裏長屋のアメリアは
                     落ち着き無く室内を見回していた。
                     黄色くなっている畳の隅には白い布団が一組、いつでも敷ける状態で畳んである。
                     板壁に寄せられているのは小振りの文机で、あとは隣りに置かれた衝立。
                     この部屋の家具は、それで全てだ。
                     見回すまでもない狭い室内で、アメリアは黒髪をあっちにやりこっちにやりしながら、きょろきょろしていた。
                     心配げに唇に指をやって、土間の鍋に芋汁がたっぷり用意してあるのを確認し、薬壷を傍らに置き直す。
                     それで気が済んだのか、アメリアはやっと板間に膝を正した。
                      
                     戸口に立てられた障子が、白々と明るみを帯びてくる。
                     正座をしているアメリアの表情も、つられるように抑え切れない喜びに輝いてきた。
                     緩む頬をなんとか整え、うずうずするのか、膝に揃えた両手にギュッと力をいれている。
                     やがて、紺色の瞳が見つめるさき、障子に黒い影が落ちた。
                     「ゼルガディスさん、お帰りなさい!」
                     「あ、あぁ」
                     飛びつかんばかりの出迎えに、ゼルガディスは障子に手をかけたままで、固まる。
                     「怪我はなかったですか?」
                     アメリアが、なかなか上がってこないゼルガディスに痺れを切らし、土間に降りた。
                     怪我の有無を確かめようと、ペタペタと、アメリアの柔らかい手が異形の肌に触れていく。
                     頬に、腕に、肩に。
                     自然と、強張っていたゼルガディスの表情が、穏やかなものになっていった。
                     「大丈夫だ」
                     額から滑り落ちた手のひらを掴んで、幾らかぎこちなくもゼルガディスが微笑む。
                     それは夜の終わりを表していた。
                     「じゃ、ご飯にしますね!」
                     裏長屋の一番奥部屋。
                     戸口の障子に『正義』の墨文字が躍る家の朝は、いつもこうだった。
                     仕事を済ませたゼルガディスが帰宅するのは、朝日とともに。
                     家で待つアメリアは少し前に起床して、アメリアにとっての朝ご飯であり、ゼルガディスにとっての夕食を
                     共にするのだった。
                     パチンッと手を合わせたアメリアが、湯気を立てる芋汁の前で軽く頭を下げる。
                     合わせてゼルガディスも頭を傾け、碗を手に取った。
                     口内を通る熱い汁が、腹底に染みる。
                     とろりとした芋汁は、彼の指先まで生き返らせた。







                     夜の町筋は、死人の臭いがする。
                     眼下では、連々と連なる長屋造りの商店が、暗闇の中で沈黙していた。
                     黒雲が星を隠し、空には半月だけが、ぽかりと残されている。
                     心細げに吹く風にのって、野犬の遠吠えが聞こえた。

                     カタッ  カタタ

                     人よりも抜きん出た耳が遠吠え以外の音を捉え、屋根の棟に腰を下ろしていたゼルガディスは立ち上がる。
                     音のするほうに向き直ったが、一尺ほどから先はぼんやりとした闇が覆っていた。
                   
                     カタッ  カタタタタタ

                     目を凝らすまでもなく、音の源はゼルガディスに向かってきている。
                     不規則な屋根瓦の振動が、その近さを伝えた。
                     ゼルガディスは、腰の刀を抜く。
                     片手で真横に刀身を構えると、白刃だけが一文字に浮き上がった。

                     カタタタタタタタタタタタタタッ

                     やがて、視界の先で何かが動いているのが見え始める。
                     自らの身丈よりも数倍高く花がっては、棟伝いに向かってきているそれは、小猿のようにも見えた。
                     しかし、背中を丸めたまま不自然に跳ね上がるその姿に、本能的な部分が警鐘を鳴らす。
                     垂直に高く飛び跳ねては、驚異的なスピードでゼルガディスに向かってきていた。

                     カタッ  ガタンッ
 
                     一際大きな音と共に、屋根瓦が揺れる。
                     水死体の饐えた臭いがゼルガディスの鼻先を突き、ソレはぬっと現われた。
                     緩んだ皮袋のような皮膚に、まばらに生えた黄色い髪がうねっている。
                     ニンマリと、顔を二分して裂ける口元は赤黒く爛れ、手足は猿に似ていた。
                     ゼルガディスが構えた白刃の向こうに、ギラギラと魚の腹のような眼が光る。
                     ―鬼婆
                     頭の中でそう判断を下すよりも速く、ゼルガディスの手は動いていた。
                     真横に構えた刀を、鬼婆の鼻頭へと目掛けて払い、頭部を切り離す。
                     こりりと、鼻の軟骨から斬れていく感触が、ゼルガディスの手元に伝わった。
                     そのまま払った刀を、鬼婆の残った身体を屋根に突き刺す―・・突き刺したはずだった。
                     ガチンッと硬い音が響いて、ゼルガディスの手が痺れる。
                     鬼婆の身体を突き刺したはずの刃先には、一枚の紙切れが突き刺されているだけだった。
                     驚き、目を見開いたゼルガディスの頭の中で、声が唸りだす。
                     『恨めしや、妖し殺しめ』
                     「っ!」
                     どこに消えたかも知れない、鬼婆のしゃがれた声色が、ゼルガディスを責めたてた。
                     『妖し殺しめ』
                     「どこだ!?」
                     ブンッと闇雲に払われた刀が鬼婆の姿を捉えるはずもなく、虚しく空を斬る。
                     妖し殺しが楽に死ねると思うな
                      俺はっ
                     妖し殺しが救われると思うな
                      俺はっ
                     妖し殺しは同族殺し
                      俺は、
                     妖し殺しが人になれると思うな
                      俺は、どこまで人間でいられる―・・?







                     ス!―・・・・ディス!―・・・ルガディス!
                     「ちょっと、ゼル!いい加減、起きなさいよっ!」
                     げしんっと、頭部に衝撃を受けて、ゼルガディスは目を覚まされた。
                     揚々とした昼の光が、起き抜けの目を刺す。
                     堪え切れずに狭めた視界に瑞々しく引き締まった太ももが見えたが、いらぬ傷を増やすだけだと、
                     ゼルガディスは口を引き締めた。
                     「このアタシがわざわざ来てやってんだから、さっさっと」
                     「起きている」
                     むくりと、寝床から起き上がる。
                     寝ていた彼の頭部をげしげしと蹴っていた女は、不機嫌そうな彼の地顔を見て足を下ろした。
                     畳に腰掛け、腕を組み、涼やかな目元で胡坐をかくゼルガディスを女が見やる。
                     「お前、店はいいのか?」
                     「ガウリィに任せてんのよ。だから早く帰りたいの」
                     人目をひく緋色がかった髪をかきあげて、女は口を尖らせた。
                     そんな表情をすると、きりりとした雰囲気が崩れて、飾らない少女の顔が覗く。
                     呉服屋を営むゆえか、彼女は実年齢よりも幾分か年上に見えていた。
                     千鳥格子の着物を方肌脱ぎ、下から石榴色の小袖を覗かせるという変わった着方をしているものだから、
                     緋色の髪と合わせて彼女は嫌が応にも目立つ。
                     「リナさん!どうしたんですか、こんな昼間に」
                     カタカタと音を立てて、アメリアが空になった洗濯桶を抱えて帰って来た。
                     リナの姿をみると、嬉しそうに隣りに腰かける。
                     「ちょっと、晩のことを聞きにね」
                     小さな長屋の一室は、三人いるだけで手狭になった。
                     「昨日は、表通りの酒屋さんに行ってたんですよね?」
                     アメリアの言葉に、ゼルガディスは目線を落として呟く。
                     「斬れなかった」
                     「え?」
                     アメリアが、驚いて目を丸くした。
                     その隣りで、リナは表情を険しくして話しの続きを促す。
                     「確かに、鬼婆の姿は酒屋の屋根上で確認した。
                      刀を構えて斬ったつもりだったが、刃先に残っていたのは札が一枚だけだ」
                     「やっぱりね」
                     軽く溜め息をついて、リナが帯に挟んでいた一枚の紙切れを取り出した。
                     「陰陽寮の陰陽頭(おんみょうのかみ)が、今はゼロスって奴だって知ってた?」
                     ヒラリとリナが掲げた紙切れには、濃い紫色の印がヘビのように這っている。
                     効力をなくすために、中心には穴が空けられていた。
                     「ゼルが見たのも、この札じゃない?」
                     紫の印を目で辿っていたゼルガディスが、こくりと頷く。
                     「式神の札、だな」
                     「そ。そのゼロスって、変わった奴みたいでね。
                      陰陽寮から陰陽頭を通して出されるお札というお札、印という印、ぜーんぶ紫色なのよ」
                     「ちょっと待ってください!
                      じゃ、酒屋さんを困らせていた妖しは、陰陽頭のゼロスさんって人が造った式神だったってことなんですか!?」
                     陰陽寮の陰陽師といえば、帝に仕える公的な陰陽師である。
                     道を外して、町外れに居を構える胡散臭い者達とは異なり、いわば正義の陰陽師であるはずだと
                     アメリアは語気を荒げた。
                     「俺が見た札は、その場で霧散している。証拠にはならんぞ。それに」
                     「それに、貴族でも何でもない酒屋に、わざわざ陰陽頭が式神なんて遣る理由がないのよねー」
                     ゼルガディスの言葉尻を受け取って、リナが軽い調子で続ける。
                     「誰か、他の人の仕業かも知れませんよ」
                     「そう思うのが妥当なんだけどね」
                     自分の髪をくるくると指先で弄びながら、リナは考え込んだ表情をみせた。
                     しかし、次の瞬間には髪を離して、すっくと立ち上がる。
                     「ま、今晩にでも行ってみれば分るわね!」
                     前を見据えるリナの横顔に、アメリアがつられて立ち上がった。
                     「行くんですか!?」
                     「今晩、カタつけなきゃね。四人で」
                     陽光に透けて燃えるように輝くリナの髪からも、自信に溢れた笑みが覗いていた。




                  

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