Background By“Shimakou's Junkroom”
むかし、むかし、四方をエメラルドの海に囲まれた島に、神もが羨む美貌を持った王妃様が住んでいた。
王妃様はしかし、金の髭をたくわえた王様もオリーブの芳香を漂わせた少年も、自らより美しいとは思えなかった。
あぁ、王妃様は、醜く捩れた角を持つ愚鈍な牡牛の前で白い両足を広げた。
瑞々しい王妃様の身体は花咲く大地に組み伏され、清らかであった腹には牡牛の精液がへばりつく。
あぁ、王妃様は、醜く捩れた角を持つ獣の赤子を白い両腕で抱いた。
金の髭をたくわえた王様は、二目と見れないおぞましい怪物の仔を盲の闇が蠢くラビュリントスに追いやった。
ながい、ながい時がたって、怪物の彷徨うラビュリントスに、神もが羨む美貌を持った少女がやってきた。
怪物は、少女が連れて来たオリーブの芳香を漂わせる王子様に、盲の眼を突かれて死んだ。
ミノタウロス
「ラブロスのプラント跡地を買い取るだなんてどうかしてるよ。」
運転席に身を滑り込ませ、車のドアを閉めるなり、アルフレッドは苛立たしげに言い切った。
「しかもミノス・シティのだなんてあのプラントは廃墟同然なのに。」
見もしないでキーを差し込み、荒っぽく回す。
線が細く、どちらかと言えば女性的な彼の容貌を惹き立てる長めの黒髪が、
険しく寄せられた眉根に落ちた。
「・・・おじい様は、何て?」
ブルンと震えた車の助手席には、アルフレッドの従兄弟にあたるアメリアが乗っている。
彼とよく似た従兄弟の少女は、とりわけゆっくり、言葉を区切って話した。
ハンドルを握ったアルフレッドが、悔しさにフロントガラスを睨みつける。
「“セイルーンは大きくなりすぎた、最早一己の意思で動いているのではないのだなんて―・・」
唇を歪ませ、白い歯を噛み締めて自らの祖父を批判しかけたところで、
アルフレッドは踏みかけていたアクセルから足を浮かせた。
「―・・ごめん、こんな所でする話じゃなかったよ。」
アメリアの指先が、胸前に回したシートベルトを縋るようにして撫でている。
アフルレッドの目線が自分の指先に向いていることに気づいて、アメリアは慌てて姿勢を正した。
「いえ、私だって近いうちに父さんの補助に入るんですから。勉強です!」
シートベルトを弄っていた指をぎゅっと握って、決意の拳を握る。
見慣れたアメリアの仕草に、ようやくアルフレッドの表情が和らいだ。
「帰ろうか。」
薄青い瞳を細めて、アルフレッドはハンドルに手を伸ばした。
「アル、ここで降ろしてください。」
道行も半ば、街角の交差点で停まったところで、アメリアが唐突に声をあげた。
「え?でも、まだスィ−フィド・シティまでは遠いよ?」
突然の申し出に、アルフレッドは目をパチパチと瞬かせている。
しかし、アメリアはすでに、カチリと自分のシートベルトを外しにかかっていた。
「いいんです。ちょっと、お買い物してきますから。」
「じゃぁ、僕も行くよ。」
車を路肩に付けたアルフレッドが、自分のシートベルトに手を伸ばす。
「駄目ですよ。アルは、これから父さん達と会議でしょう?」
聞き分けの無い子を諭す母親のような口調で、アメリアは悪戯っぽく目で笑った。
「私だって、午後からの定時会議くらいしってますから!」
「でも、君を一人で行かせるわけには・・」
「父さんの補助に入るのはもうすぐですなんですよ?
町も一人で歩けないんじゃ、やっていけません。」
チッチッチッ分ってませんねぇ!と、アメリアが鼻先で人差し指を振る。
その仕草にアルフレッドが苦笑した隙を見計らって、
アメリアはするりと車から降りた。
車道脇の敷石に立ってにこりと笑うアメリアに、アルフレッドが
とうとうハンドルを握りなおす。
「帰る時には、連絡入れてよ。」
「分ってます!」
了承のサインにVの字にした右手を掲げるアメリアを確認して、
アルフレッドは年下の従兄弟に柔らかく片手を振った。
ブゥゥゥゥンッ
《貴方の最高のパートナーには最上の薬を―・・
ペット用薬品はラブロス・カンパニーのイカロスをどうぞ!》
見慣れたライトブルーのアルフレッドの車が、灰色のガスを唸らせて他の車に紛れていく。
途端、アメリアの身体は、ミノス・シティの耳慣れない騒音に飲み込まれた。
日に照らされて白く見えるミノスの目抜き通りは、
排気ガスで霞む車道ばかりが騒がしく、人の気配が余り無い。
営業中の札がかかるショーウィンドウから、TVコマーシャルの軽快な音が
寂しく流れ出ていた。
ブァァァンッ
一際大きな車体のトラックが通り過ぎて、アメリアの白いワンピースを揺らす。
《いつも貴方の傍に。頭痛薬パシパエはラブロス・カンパニーの製品です。》
なんとはなく、アルフレッドの車を目で追っていたアメリアは、
切り替わったコマーシャルの音声を背に歩き出した。
『ラブロスのプラント跡地を買い取るだなんてどうかしてるよ!』
先刻の、アルフレッドの言葉がアメリアの胸中で響く。
「どうかしてる・・よ・・」
彼の口調を真似て声に出すと、言葉以上に不穏な予感が胸に広がって、
アメリアは独りで眉根を寄せた。
エナメルの靴が、カツンと歩道を蹴る。
どうかしている―・・息巻く従兄弟の言葉に、アメリアは思い当たる部分があった。
最近、父親の周囲が騒がしい。
大きなプロジェクトが動いているわけでもなさそうなのに、フィリオネルは家に帰らない。
厳しく口を引き結んだ父親の姿が脳裏に浮んで、アメリアはきゅっと拳に力を込めた。
アメリア・ウィ・テスラ・セイルーン。
医薬品から食料品まで幅広い事業を営むセイルーン・ファクトリーの総取締役が、アメリアの父親である。
アメリアは若干15歳ながら、来年には補助役見習いとして経営に携わることが決まっていた。
とは言え、四つ年上のアルフレッドとは違い、ファクトリーの内情は今のアメリアには分らない。
どんな想いが胸を塞ごうが、それは予感の域を出なかった。
ブロロロァァァンッ
悔しさに唇を噛んだアメリアの横を、無表情な車が唸り過ぎていく。
濁ったガスが歩道にまで溢れて、伏せかけていた目を思い切り閉じた。
「わっ!?」
「きゃっ!!」
途端、アメリアの身体が何か暖かいモノに足を取られ、前方によろけて転がる。
そのまま歩道に突っ伏したアメリアは、慌てて足元を確認した。
歩道には、アメリアよりもずっと幼い少年が蹲っている。
どうやら、アメリアはこの少年に躓いたらしかった。
「ごっ、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
「アリーが・・」
「どこか痛くないですか!?」
「アリーがぁっ!うっ、うわぁーーーぁん!!」
「え?え?泣かないで下さい〜!!」
「アリーって、あなたの犬の名前だったんですか。」
アメリアの言葉に、歩道に蹲っていた少年がコクリと頷く。
鮮やかな緑の髪をした少年は、工場地区のミノスには珍しい裕福な家の子供のようだった。
そのくせ少年は、やけに乱暴な仕草で涙の伝う自分の頬を拭う。
「散歩、してたら、きゅうに走って・・・ここから」
まだ涙目の少年が指差したのは、金網のフェンスにぽかりと開いた穴だった。
小型犬ならば通り抜けてしまうかもしれないが、いくら小さいといえど少年が通り抜けるのには無理がある。
フェンス越しに敷地内を見渡したが、それらしき影は見当たらなかった。
代わりに、フェンスに貼られた一枚の黄色い看板が、アメリアの目に入る。
《関係者以外の立ち入りを禁ず。 ラブロス・カンパニー》
暗闇、ではなかったが、ほぼそれに近い。
ぼやっとした赤い光の中で、ガタガタという車体の振動音だけが響いていた。
時折、小石でも弾くのか車体が揺れる。
五人の人間が、この狭い空間の中で膝を突き合わせているはずだった。
ブツンッという通信音が、悲鳴のように際立って聞こえる。
『今、どのあたりですか?』
穏やかな若い男の声が、雑音を交えて流れてきた。
機器の隣りに座していた一人が、わざわざ帽子を取って声の主に礼を示す。
「今、ミノス・シティの入り口です。プラントまでは30分というところでしょう」
『そうですか』
帽子を脱いだ一人を除いて、他の四人は顔を伏せたまま、会話を聞いている様子も見せなかった。
『除去対象は、恐らく地下にあると思われます』
五人の足元には、整然と銃火器が並んでいる。
『くれぐれも、ご近所さんへの配慮は忘れないで下さいね』
テセウス運輸と車体に書かれたトラックが、ラブロスカンパニーのプラントに向かっていた。
(未UP)