夜。
 蛍光灯に照らされた白っぽい壁紙は青ざめても見える。
 5階下の道路からひっきりなしに聞こえてくる車が行きかう音以外は酷く静かな。
 夜。
 一人きりの部屋で、買ったばかりの小さなソファに沈み込んですごしている。
 そんな僕の掌の中で、小さく携帯電話が震えた。
 まるで、その一瞬だけ、小鳥のような命が吹き込まれたように。
 ディスプレイには『新着メッセージ』の表示。
 
 サトへ。
 東京の天気はよさそうだね。もう桜は咲き始めた?
 北海道はまだまだ寒いけれど、とりあえずがんばってる。
 今日は、取引先の人に美味しいラーメン屋につれていってもらった。
 いつか、一緒に行けたらいいけど。
 ヒロキ

 優しい言葉と無機質な字の羅列。
 君と会わなくなってからもう2ヵ月がたってしまった。
 半年の単身赴任。赴任先は北海道。
 距離も距離、時間に追われているのは僕も同じ。お互いのことを思えば思うほど、迂闊に電話もかけられやしない。
 一緒の会社に勤めている僕ら、夜中の電話がどんなに負担になるかはわかっているから。
 行きかうのは気持ちとささやかなメールの文字だけ。
 ソファに寝転がったまま、僕の右手の親指だけが動いて君へのメッセージを綴る。
 君はどんな表情をして、僕からのメールを読むのだろうか。
 
 ヒロキへ。
 まだそっちは寒そうだけど、元気でやっているみたいだな。
 桜は会社の前の木が、最初の一輪を咲かせた。
 おいしいラーメンかぁ、いいねぇ。
 餌に釣られて、ヘンな取引にハマるなよ。
 サトル
 
 わざとからかうような文面を打ち込みながら、あの瀟洒な眼鏡を曇らせて、うまそうにラーメンを啜っている君を想像してみた。
 照れくさそうに笑う顔。
 笑う君の顔は……
 湯気に霞むように、夢のようにぼんやりとしているような気がする。
 送信ボタンを押しながら、僕は電波が飛んでいくのを見送るように天井を眺めた。
 
 ねぇ、君が見えなくなっていくよ。
 君の気持ちが伝わってくるだけで。
 見るものも、聞くものも、触れるものもない。

 早く帰ってきてほしい。



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