注)エロはないけどオトナじゃないとわかりにくいかもしれません。
市立某が崎海浜公園は市内有数の自然スポットで、多くの市民が利用している大型の公園だ。
その割に公園管理事務所は人手不足で、実質的に40代の所長・30代の副所長・20代のヒラ所員つまるところ俺の3人だけで公園管理の切り盛りをしている。
おかげさまでこの仕事について早3年、それでも後輩ができなくて俺はいまだに電話番から抜け出せない。
「はい、某が崎海浜公園管理事務所です」
「あのね、おたく一体どんな管理をなさってるんですか?!」
開口一番頭ごなしに怒る相手。
俺がひどく苦手な、ご機嫌斜めらしいおばさんだ。面倒な電話になりそうだとさっさと誰かにまわすべく事務所を見回したが、あいにく事務所の掃除をしてくれているパートばあさんしかいない。
所長や副所長がいないときに限って、何でこんな電話が来るんだろう。
「ええと、どういうことでしょうか?」
仕方なく俺が聞き返すと、おばさんはキンキン声・早口・一方的の三連コンボで受話器の向こうでまくしたてた。
「ほらっ、あの、遊歩道沿いの海岸!あそこにとにかくアレが……とっちらかっているのよ!何とかしてくださいよ!
甥っ子や姪っ子を連れて散歩にもいけないわ!!」
「え? すみません。何が散らかっていると?」
「だから、アレよアレ!」
「アレ、じゃわかりませんよ。何が散らかっているんですか」
「……アレ、っていうか、ナニと言いましょうか……」
おばさんの声が少し小さくなった。何やら言いづらい物らしい。
以前に海岸の防砂林の中に大量に無修正のエロ本が捨てられていたことがあったが、そんなところだろうか。
「わかりました。遊歩道の海岸ですね。とりあえず見てきますから」
「そ、そうしてくださいます?! しっかり掃除してくださいねっ」
俺が下手に出た途端におばさんは元気を取り戻し、興奮したようにしゃべると電話を叩ききった。
パートのばあさんに留守をお願いして、職場の制服である灰青色の作業着をはおり、長靴を履いて揃いの前つば帽子をかぶると俺は管理事務所の外に様子見に出かけた。
言われた海岸までは事務所の建物から歩いて3分ほど。今日の天気はどんよりと曇っていて、海から吹いてくる風はかなり冷たかった。
そりゃもう秋よりも冬に近い時期だよな、と一人で納得しながら公園の小道を歩いていく。
「さてエロ本は……と」
遊歩道の終点から海岸線を見渡した。
波打ち際に沿って、さまざまな漂着物があるが際立って目立つものはない。一見いつもとさして変わらない光景のようだ。
「ひょっとして、たった1冊か2冊のエロ本で騒いでいるんじゃねーだろうな……」
不穏な予想を浮かべながら、舗装された遊歩道から砂利と砂が足元でザリザリと鳴る浜辺に飛び降りた。
そして水に濡れて色が変わっているところまで来て、俺は見つけるべきものを見つけた。
「コレは……」
それは風船によく似ていたが、風船にしてはやけに薄く細長いゴムの袋のようなものだった。色はファンシーなブルーで半透明。長さは10cmくらいだろうか。クシャと儚げに砂利の上でつぶれていた。
「いわゆるコンドームとかゴムとか避妊具とか……」
それも明らかに使用済みの風体だ。
使用後はきちんとティッシュにくるんでゴミ箱へ。
それ以前にこの寒い海岸でアオカンなのか、そうなのか。
沈黙のまま足元のブツを見ながら、脳内でココでナニをイタしたと思われる男に向ってツッコミを入れる俺の視野の隅に、またちらりと薄青い物が見えた。
視線を移して見れば、数歩先にも同様の薄くて小さい半透明の袋が落ちている。
「……2発目?」
さらにその先に目をやれば。
「…………乱交、ですか…?」
水際にそって、ずっと先までいくつもいくつも同じものが落ちていた。
こりゃー、おばちゃんは怒りますな。
俺だって怒りますよ。
俺が一体どれくらい“ご無沙汰”しているのかわかっているのか貴様ら!
俺は海辺で熱い抱擁をかわしたであろう見知らぬ無数のカップルに八つ当たりに近い憤りをおぼえて強く拳を握り締める。
冷静に考えれば明らかに不自然なシチュエーションだが、そのときの俺は訳わからずに切ないほどにせっぱつまった熱さに囚われていた。
晩秋の浜辺に縦横にゴム製の避妊具が散乱しているという非現実的な現実の光景が俺をトリップさせる。
ああ、そうだよ。
俺だってぶっちゃけた話、ヤリてぇんだよ!!
だけど、毎日ヤってもまだそそられる俺のハニーは「最近忙しい」だの「疲れている」だの「ヤリたい盛りの20代にはついていけない」だの言って俺のことかまってくれねぇし!
だからといって誰かと遊ぼうとすると目ざとく察知して俺にまで仕事を押し付けやがるし!
その割には俺がハラハラするくらい無防備に他の男に近づくし!
「ああっ、もう……」
ベタだと言われようともかまわず海に向って「バカヤロー」と叫ぼうとしたときだった。
「早川くん」
「へ?」
振り返ると、今さっきまで俺の妄想の中で色っぽい顔を晒していた人物がそこに立っていた。白昼夢も極まれりというわけではない、現実のその人が。
「新見さん」
「勤務時間中は、“副所長”って呼ぶように」
そう、俺のハニーはこの公園の副所長だ。上司といえど俺と同じ作業着に帽子に黒長靴姿。さらには俺と同じ男だということについては、もう他人様には気にしないでいただきたい。
「で、副所長、何故ここへ?」
「いや、見回りから帰ってきたところに若いお母さんから何だか海岸を掃除してくれって電話があったもんで」
細い指で30後半というには若作りで繊細な顔には武骨すぎる黒縁眼鏡の位置を直しながら、新見さんは俺の足元を一瞥して淡々と言った。
「……ちょっと一緒に歩いてみようか」
新見さんは少し笑って俺を見ると、波打ち際を事務所から遠ざかる方向へ歩き始めた。
俺も慌てて後を追い、並んで歩きはじめる。新見さんがしているように足元を眺めながら。
思わず繋ぎたくなってしまう手をあえてわざとらしいまでにふって歩いた。それだけでも勤務中にデートをしているような気分になってしまう、ああ純情可憐な俺。
しばらく黙って歩いてから、新見さんの足が止まった。
「ああ、これこれ」
そこにもあの鮮やかなライトブルーのものが落ちていたが、これまで見ていたつぶれた袋とはちょっと違った。ぷっくりとふくらんでいて、薄手のビニールで作った餃子のようにも見えた。
その傍らに新見さんがしゃがみこんだので、俺もしゃがみこんでさらに間近にそれを見る。
ビニールの餃子風船からは細い青いコードのようなものが数本、ずうっと海に向って伸びていて……ヒクヒクと動いていた。
「これって……」
「そう、クラゲ。カツオノエボシ。見たことなかった?」
新見さんの視線がクラゲから俺に向けられる。俺がいかような誤解をしていたのかお見通し、という表情だった。
「浜辺に大量に打ち上げられるときがあるんだよ」
「そうだったのか」
俺が思わず、ビーズを繋いだように細かいつなぎ目がわかる細い触手に指先を伸ばすと、新見さんがぐっと俺の手を握ってその動きを止めた。
「触っちゃダメ!クラゲは死んでいても触手の毒は生きているんだから」
そのまま、新見さんは俺の手を握っていた。
「カツオノエボシは別名電気クラゲというくらい刺されると痛いんだ。うっかり触れると後がひどい」
「そうでした……」
昔に研修でならった『危険な海の生き物』の話が多少頭に蘇る。それでも俺は手をひっこめないままでいた。
新見さんに触れてもらっているのが嬉しかった。
二人でクラゲを囲んでしゃがんだまま。顔も間近な新見さんがおかしそうに笑う。
「早川くんのことだから、使用済みのアレと勘違いしたんじゃないの?」
単刀直入・まったく図星。
だからと言って、この紛らわしいクラゲどものおかげで、俺は最近のつれない新見さんを思い出して身もだえまでしていたということをここで告白できるだろうか、いやできまい。
「ま、近頃の早川くんは欲求不満だったろうから、ね」
話を続ける新見さんの指の力がきゅ、と強くなった。
「クラゲがそんな風に見えても仕方ないのかな」
そのまま新見さんは俺の手を強く引き寄せて、乾いた掌に自分の唇に押し付けた。
ふわりと感じた甘い感触に、柄にもなくドギマギしてしまって気の利いた言葉を返せない俺に、新見さんはさらりと追い討ちをかける。
「今週末は泊まりに行くから。本物のゴム、用意しておいてね」
豪速直球ハートにストライクのささやきを残して新見さんはさっと立ち上がると、スタスタと何事もなかったかのように事務所の方へと戻り出した。
追いかけられずに、ぼーっとそのまっすぐな背中を見つめる俺。
はからずも、あの人のあの一言だけで俺は腰くだけになっていた。
新見さんの後姿が見えなくなってから、俺は波打ち際でまだ淋しくヒクついているカツオノエボシに視線を落とし、彼にすっかり骨抜きにされている自分に少しだけ鬱な気分になった。
その後、新見さんに大量のクラゲの始末を押し付けられたのは言うまでもない。
※ジェリィ・フィッシュ Jellyfish:クラゲのこと。
注2)googleなどを使って「カツオノエボシ」で検索されますと、実物の写真等が見つかります。
ご興味のある方はお試しください。
END
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