原則的に毎週末、健司は正弘の部屋に泊まりにくる。
逆がないのは、入社1年目の健司は本社から電車で1時間という不便極まりない独身寮を根城にしているからだ。
「うん、だって節約できるところはしたいじゃん」
ことあるごとに健司はそう言う。
確かにそれも正論ではあるが、正弘の場合は寮生活が性にあわず、貯金よりも自分のストレス軽減を重視して入社2年目からアパート暮らしをはじめた。
自炊生活も今年で早1年強。そんな正弘の半年分くらいの週末は、こうして健司と一緒にすごすのに費やされている計算になるだろうか。
さしたる用事がなければ、一緒に夕食を食べて、気ままに時間をすごして、電気を消したらセックスをして眠る。
盛り場にでかけて知らない男をクルージングする気合もなければノンケを口説く度胸もない、人畜無害なゲイ二人がたまたま出会って、たまたま同じ会社だったためにこんな生活が習慣と化してしまったのである。
それはもちろん互いに嫌いではないから成り立っている状況だが、互いを恋人というにはときめきが足りず、ヤリ友というには刺激が足りないというのが現状に対する二人の共通の認識で、正弘も健司ももはやこの繰り返される週末を惰性という言葉でしか説明できないと思っていた。
そしてまた、金曜日の夜がやってきた。
今週も健司は、正弘のワンルームのフローリングにぺったりと座り込み、膝をかかえて食い入るようにブラウン管を見つめている。
その隣ではだらけた姿勢で流行遅れのデカいビーズクッションにもたれかかって、ビールの缶を片手に正弘が座っている。
なんとなく、金曜日の深夜はこうして二人でテレビを見るのが恒例になっていた。
「ああ、やっぱりいいよねっ。マンゴー田中さんっ♪」
健司の熱い視線は、テレビの中で機敏なダンスを見せるむやみに恰幅のよい中年の男性……もっと端的に言えば“デブのオヤジ”に注がれている。
健司が毎週、正弘のテレビを独占してかかさず見ているこのバラエティー番組。
まあよくぞというくらいえりすぐりのデブ男が出演している謎の人気番組で、健司の一番のお気に入りは、ダンサーとしても活躍中の司会、マンゴー田中氏だ。同じくレギュラー司会をやっているお笑い芸人、ソンジャマタの岩塚も健司の好みのストライクゾーンにはいっているらしい。
そう、健司はいわゆる「デブ専」と言われる嗜好の持ち主だった。
そんな彼自身は俗に言う痩せの大食いで、食べても食べても正弘が呆れるくらい食べても太らないのだが。
ひょろりとした長身でテレビに向って乗り出すようになりながら毎週きゃいきゃいとはしゃいで出演する巨漢たちにコメントする健司は、番組が終わると決まって
「正弘がもうちょっと太っていたらなぁ」
と肥満のヒの字も見当たらない正弘のしっかり鍛えられた体躯を見ながらふーと溜息をつく。
普通の恋人なら、いくらタレント相手とはいえ臆面もなくハートの眼を向けるパートナーに嫉妬のひとつするのであろうが、正弘は健司に対しては何せ最初から情熱がだいぶ足りない。そのおかげで彼はデブ好き健司の勝手な言い分にもいたって冷静に応対してやれるのだった。
気持ちの上ではあまり盛り上がらないこんな二人だが、男同士のいいところなのか悪いところなのか、電気を消して一つのベッドにもぐりこむとまた微妙に状況が違う。
むしろ、二人がこんなふうに週末をすごすようになったのはコッチのほうが大きな理由だった。
「俺たち、体の相性は悪くないと思うんだ」
「うん、正弘がもうちょっと太ってたらもっと燃えるんだけどね」
「とかなんとか言いつつ、いつもお前のほうが熱心じゃん」
「そう?」
ヘンな見栄も照れもなく、お互いが気持ちいいようにヤれる。
とりたてて刺激的なことをするわけでもないが、気心しれたリラックス感と互いのツボを知り合うことで“アイの営み”はとりたててマンネリにもならず、二人は会えば必ずベッドをともにしていた。
そして、今日も。
「ああっ、抱いてっ。マンゴーさんっ」
「かわいくねーよ、お前」
毎回のことながら、色気もなにもないボケとツッコミのベッドトークから始まった健司と正弘の一戦は盛り上がりを見せることなく終わってしまった。
終わったというよりも、不発にて沈没というべきか。
「正弘、体調悪いの?」
さっきまで明るくふざけていた健司が眉を寄せて正弘に尋ねた。
いつもの正弘とそのムスコならそれなりに反応してくれるはずの健司のスペシャル技「後ろから前から♪」を激しくかましても、相手は全然勢いづいてくれなかった。
「今までなかった、よね。こんなこと」
どうしたんだ、といわんばかりに健司は正弘の股間でしょぼくれている軟体動物のようなイチモツをつついてみたが、それはピクリともしない。
そんな自分の体の一部に、正弘は悲しげな視線を送る。
「カラダって、正直なんだな」
そんなふうにボソリと言いながら、年齢的だけはまだ打ち止めには早いはずの男はベッドの上に体をおこした。つられるように健司も腕をたてて起き上がり、正弘の顔を見る。
「なにか、あった?」
「ん……」
視線をオノレの股間からずらして、正弘は健司に言った。
「小野塚専務が、会社やめちゃうって」
ささやくような小さな声だった。
ここしばらくの週末を一緒にすごしてきた健司も、彼のこんな声を聞いたことがなかったような気がした。
正弘といえばいつも無愛想な調子で、それでいて体育会系の大きな声だったはず。
なのに今、自分の傍らで呟かれている声はなんと弱弱しいことか。
「小野塚さん……小野塚さん……」
健司は何も言えずに、そっと正弘の幅広い肩に腕をまわした。
小野塚専務は二人の部署にもよく顔を出していた役員だった。ロマンスグレーの短髪がダンディな専務は、仕事の手際のよさと柔和な人柄で、広い意味で社内の誰にでも好かれていた。
それどころか正弘にいたっては、この小野塚専務にまったく別格の好意を持っていたらしい。
「奥さんも子どももいるのは知っていたけど……一緒に仕事できるだけで幸せだったのに」
今週限りで見納めだった専務の顔が脳裏をよぎる度、止めようにも勝手に溢れるばかりのひどく切ない気持ちに、正弘の体は号泣の前触れのように慄いた。
そんな同衾中の男に黙ったまま寄り添いながら、健司はだいぶ前のことを思い出す。
そういえば、互いの性癖を語り合ったとき、確かに正弘は話していた。
――― 俺はフケ専ってやつ? 小野塚専務なんて理想だよー。もろ好みなんだー。
そうそう。それで、小野塚専務のことになるとはしゃいでいたっけなぁ。
――― 聞いてくれよ!こんど専務のお供で出張!
襲っちゃったらどうしよう〜。
――― 今日、社食で小野塚さんとメシ食っちゃったよ、ラッキー!
そうだよ、初恋の女子高生かお前は、とかツッコんだんだよ。
「小野塚さーん……好きだったのに……」
あーあ、泣き出しちまった。
健司は、正弘の顔を抱き込んだ自分の胸元が濡れていくのを感じながら、ただくりかえしくりかえし正弘の硬く短い髪を指先で梳いてやった。
正弘の嗚咽が疲れたような寝息になるまで、ずっとずっと。
二人が目を覚ましたのは土曜日の昼近く。
泣きに泣いた正弘の顔はやけにはれぼったくなっていて、それが気持ち悪いのか泣き顔を見られたのが照れくさいのか、起きるなり正弘は顔を洗いに行った。
「きのうは、すまん」
トランクス一枚に首にタオルをぶらさげたスタイルで洗面所から戻ってきた正弘は、フローリングの上に正座して、まだベッドの上でごろごろしていた健司に言った。
「あんなこと、するつもりはなかったんだけど」
「いいよ。かまわない」
枕の上に顔を乗せて、視線だけ正弘に向けた健司が意外なほどの真顔で答える。
「悲しんでたところ悪いけどさ。初めて正弘にときめいた」
「……はぁ?」
思いがけない健司の言葉に、あっけにとられたように正弘が目を見開く。
「不思議だなぁ、ルックスはかなり俺の好みからハズれてるんだけどなぁ」
そこまで言って、健司は身軽にベッドから飛び起きると床に下りて、正座したままの正弘の首筋に細い腕をからめた。
「あのさぁ、俺、50年後には絶対正弘のシュミにジャストミートになっていると思うけどどうよ?」
「何だよ、それまで一緒にいろってか?」
一方的に迫られた男は、呆れたように言いながらすり寄せられた後輩の細腰を抱き寄せてみた。
こうやって腕の中に彼を閉じ込めるといつも、平熱37℃の健司の体は正弘には微熱を帯びているかのように温かく感じられる。
パンツ一丁の自分をじわりと温めるその熱に、正弘はそっと息をついた。
「あのな」
「うん」
もう一呼吸置いてから。
「言っておくけど、俺は絶対に太らないぞ」
「ええー。少しくらい歩み寄ろうって気はないのかよー」
「ない。キッパリ言わせてもらうが、それはない」
会話だけは普段とさして変わらぬ調子にしながらも、明るい部屋でこうして抱きしめあって、二人はやっと思い出す。
出会ってから幾つもの夜、幾つもの朝に。
自分自身も気づかぬままにそこにいる相手に甘えたり甘えられたりしてきたことを。
ずっとずっと求めてなんかいないフリを続けてきたけれど。
ふとその瞬間、冗談ばかり続ける声が途切れた。
「ねぇ」
「なぁ」
呼びかけたのはどちらが先だったか。
「あらためてつきあおうか」
誓うように二人の唇が重ねられると、日当たりのよい部屋は再び静かになった。
END
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