陥 落


        夜の闇が灯した明かりさえも包み込んでしまうほど深く辺りを覆う。
        そんな錯覚に陥ったのは、開け放った窓から見える月が雲間に隠れたからだとホウアンは知った。
        大きく息をつき、時計を見る。明るくなるまであと数時間。
        「こんな時間でしたか…。」
        誰に言うでもなく零れた言葉は小さいものだったが、それでもなお静まりかえる辺りには響き渡った。
        粉と薬草にまみれた服を軽く手ではたき、ホウアンはまた現れ出た月に照らされながら庭を駆けると風呂へと向かう。
        睡眠が少なくとも、この薬草臭さに疲れが増すような気がして、ホウアンはとりあえず湯に浸かりたい気分でいっぱいだった。
        人家のない脱衣所へ入ると素早く着ているものを脱ぎ落とす。そして薄ぐらい明かりをたよりに足早に風呂場へと向かった。

        宵闇に白く湯気が上がる。めがねを外しているためぼんやりとしか見えないが、窓からは先ほどの月が良く見えた。
        軽く体に湯をかけるとまずは湯船へ向かい、温かい湯に浸かる。疲れがじんわり体から抜け出し、伴って溜息も大きく吐き出された。
        職業柄か、死と隣り合わせのため、この一瞬が『生きている』と感じられる。普段の激務はこの一瞬にある『生』を感じるためのものなのかもしれないと、ホウアンはふと思った。
        ほんのりと肌が赤みを帯びてきた頃、ホウアンは湯から上がり髪を洗う。絹のように素直に下へと伸びる髪に湯を流すと、いきなり後ろから声をかけられた。
        「こんな遅くに他の方がおられるとは思いませんでしたよ。」
        夜の静寂を震わせ、凛と張る声は正軍師シュウのものだった。
        近づく気配すら感じさせず、その男は後ろに立つとホウアンを見下げる。
        驚きの声は出さなかったが、ビクリと大きく揺れたホウアンの肩はまだ少し上下していた。
        「お…おどろきました……。」
        強張った表情からゆっくりといつもの笑顔に変えてホウアンがやんわり微笑む。
        だが、こわばりが依然とれぬままだ。驚かされたことも理由の一つだが、それ以上にホウアンはこの軍師が苦手なのだ。
        理知的で冷静だが威圧的な言葉。しかし、それと比例してなおあまりある才と力。
        今、同盟軍が勝ち進んでいるのはこの男がいるからだろうと、目の前で冷酷そうに笑う男を見ながらホウアンは思った。
        「この時間までお仕事ですか…?」
        ホウアンは聞いたあと、隣に座り乾いたように笑うシュウを見て後悔した。
        「仕事以外にこの時間まで起きているとしたら、他になにがありますかな?」
        思った通りの返答をされ、ホウアンは少し苦笑する。
        含んだ物言いはからかうようにも聞こえたがホウアンは聞き流した。
        「そうですよね…」
        消え入りそうな声の言葉を笑い声に変えるとホウアンはまたも微笑んだ。
        「ホウアンどのもお仕事ですかな?」
        少し間を置いてかけられた声に、ホウアンは答えず若く聡明な軍師を見つめる。
        少し憎く思い、そして憧れを抱いて…。
        「そんな目で男を見るものではない。」
        しばらくの沈黙。それを破ったのはシュウの思いもよらぬ言葉だった。
        呟かれた言葉を理解できず、ホウアンは目を瞬かせる。シュウがまたうっすらと笑った。
        「それともわかってやっているのですかな?」
        すごい勢いで肩を掴まれ、獲物を狩る猛禽のような目でホウアンを捉える。
        濡れたように光るシュウの目にホウアンが怯えの色を顔に浮かべた。
        「…シュウ…どの?」
        その表情を感じ取ったのか、シュウが力をこめホウアンを引き寄せる。
        一瞬の出来事にホウアンが悲鳴を上げたが体を反転させ後ろから力強く抱きしめられると、悲鳴すらおびえた喉に張り付いた。抗う力すらシュウの身体に飲みこまれる。
        体の熱さと比例して火を灯すようなシュウの熱い口付け。少し濡れた口唇がホウアンの首筋へと寄せられる。
        そのときに甘い声が知らずとホウアンの口から漏れた。
        「あなたはいつもそうだ。潤んだ目で…熱のこもった目で俺を見る…。」
        思いもよらない言葉にホウアンは『知らない』と叫びたかった。
        だが、強くシュウに花芯を握られたことでその叫びは息を吸い込む悲鳴となった。
        「少し、強くしすぎましたか?」
        平然と語られる口調はホウアンをなおも羞恥の底へ陥れた。
        汗を刷き、体を震えさせながらも、手を上下させられることによって呼吸が早まる。
        時折先端に軽く爪を立てられると体全体が大きく揺れた。
        「もうこんなに零れはじめてますよ。」
        羞恥を煽るかのようにシュウが花芯の先端から零れる露を指ですくうとホウアンの目の前へとかざす。
        顔を背け目を閉じても耳から入って来る濡れた音はホウアンの体をことさら熱くさせた。
        続けられる指淫で閉じることが出来なくなった口からは銀糸のように唾液が滴たる。
        ビクリビクリと波打つように身体が応えはじめた。
        「ア…アァ……」
        強弱をつけて擦られ、胸元に置かれた手で突起を摘ままれる。
        電気が走ったかのような衝撃にまたも露が溢れ出した。それがシュウの指を濡らす。
        「あなたは節操が無い…。」
        ホウアンの痴態を見て喉元を少し震わせながらシュウが笑った。
        その囁きはホウアンにとっては愛撫に等しく、色の含まれた溜息が零れた。
        うっすらと身体全体に汗が浮かぶと、淡い、咲いたばかりの睡蓮の花弁のような色にホウアンの身体が染まる。
        抗いの声も仕種も出ないほどホウアンを蕩けさせるとシュウは掬った露を後ろのすぼまりへと擦り付けた。
        「やっ!!やめ…!」
        言葉ほどに身体は拒絶せず、ホウアンの中へとシュウの指が入る。
        長くしなやかに動く指がホウアンをさらに責めたてる。
        内臓を押し上げられるような感覚に、ホウアンは時折えづくように胸を上下させた。
        すでに両の腕で自身を支えることもできなくなり、ホウアンはシュウに身体を預ける。だが、深く挑まれると逃げるように腰を引いた。
        「指だけでこのようになるとは…。罪深い人だ……。」
        感歎の声をあげ、シュウの指が増やされる。
        中で広げるように動かされると、濡れた音がまた大きく響いた。
        いやいやをするようにホウアンの頭が振られるが、零れるホウアンの声は悦び以外のなにものでもない。
        そして、ある一点をシュウの指がなぞった時、ひときわ甲高い声をあげてホウアンが果てた。
        断続的に続く恍惚は次第に暗い闇へと変わる。抱かれた腕が心地よいほど熱く、気だるさが体を覆い尽くしそのままホウアンを飲み込んだ。


        ひんやりとした感触にゆっくりと目蓋をあける。
        宵闇の漆黒の闇はいつしか白白とあたりを照らす朝の光に変わっていた。
        「ホウアン先生が湯あたりされたと聞いて驚きましたよ!」
        冷たいタオルで顔をぬぐっていた少年がいつもの笑顔でホウアンへと笑いかけた。
        「湯あたり…?」
        目に痛いほどの光に何度か頭を振って上体を起こす。
        「えぇ、お風呂で倒れた先生をシュウ軍師がここまで連れてこられたとか…。」
        ふと出された名前に昨日のことが思い出された。じわりと噴出す汗にホウアンの両手が体を掻き抱く。
        「シュウ…どのが……」
        震える語尾はトウタの顔をしかめさせた。だが、すぐに表情を戻すとトウタは言った。
        「そろそろ見えられると思いますよ。先生が目覚められたら連絡をくれと言われてましたので、先ほど使いの人を出しました。」
        にっこりと笑うトウタの顔がホウアンにとっては悪魔のように見えた。
        喉を何度かあえがすとホウアンはだるい体を起こしその場から離れようと立ち上がる。
        「先生だめですってばっ!今日一日は安静ですよ!」
        小さな体で制される。しかし、それだけでもホウアンの体が傾ぐほどホウアンは体に力を入れることができなかった。
        「そのお体でどこへ行かれるのですかな。」
        力強い透き通った声に、冷水を浴びせられたかのようにホウアンが立ちすくむ。
        ゆっくりと声のしたほうを向くと、開けられた間口にスラリと立つ軍師がいた。
        冷酷そうな口唇にうっすらと微笑を乗せ、男は近づいてくる。
        ホウアンが小刻みに震え始めた。
        「トウタ、ホウアンどののために水を汲んできてくれるか?良い薬を持ってきたのでな。」
        トウタを見ずかけられた声にもトウタは元気よく返事をする。明らかな人払いだと、あの少年が気付くはずもない。
        トウタが出て行き、閉じられた扉がホウアンに重い枷となって絡みついた。
        「そんな目で男を見るものではないと昨夜教えたはずだが…。」
        高みからホウアンはシュウにあごを取られ上向かされる。
        「それともまた誘っているのですかな?」
        呪文のようなシュウの言葉。
        『罪深い』とまた繰り返された。
        そして猛禽の目がホウアンを絡みとりなおも体を動かせなくさせる。
        「もうあなたは私のものだ。」
        近づきながらシュウの口唇がそう言葉を発した。
        怯えなのかそれとも欲情なのか。ホウアンにはわからないが明らかに体が震える。
        内側から食い破られるような口付けは、甘くそして熱くホウアンをむさぼり尽くし始めた。

        陥落する…。堕ちていく。
        この男に。この獰猛な男に…。
        だが体が歓喜する。
        支配に。熱に。愛撫に。


        そして歓楽に、
        ホウアンは飲み込まれる。

         

         

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