暗闇に薪のはぜる音が響いた。
あちらこちらから聞こえるそれは夜通し辺りを照らして燃え盛る。
大きな戦を前に静まりかえった同盟軍の陣営で聞こえる音はそれぐらいだった。
「ホウアン先生も休んでください…。お医者さまが倒れたら大変です。」
冗談めいて、だが、軍医の身体を心配してクラウスがそう言った。
優しい声で促されたホウアンは少し憔悴したその青年を見ると、言葉に甘えて腰を上げる。
だが、間を置かず隣に座る男に制された。
「ここにいろ。」
大きな声ではなかったが、強さのある口調でシュウはそう短く言う。
視線すら動かさずに、羊皮紙に書かれた地図を見ながら告げた正軍師に、ホウアンは怒りの色を浮かべてまた椅子へと座りなおした。
その二人を見ながら、クラウスは冷や汗を浮かべる。
明日の戦の会議に正直医者など必要ない。だが、軍師のテントにはいつもこの医者がいた。
普段は朧月のように淡い優しい雰囲気のするこの軍医も、戦を前にしてだからなのだろうか、今は刺々しくクラウスには映った。
とくに、この正軍師の前では…。
なんとも言えぬこの空気にクラウスはまた口の中にわきあがる唾を飲みこんだ。喉がひりつく…。
「明日、前線へと俺たちも移動しよう。長引かせるよりも一撃で潰した方が良いだろう。
」 しばらく黙っていたシュウはそう言うと、赤く×の印がついている部分を指で叩く。
苦虫を噛み潰したような表情で隣に座るホウアンもシュウの指先にある印を見つめた。
「わかりました。明日には魔法部隊も前線へと着くようです。布陣を整え、一気に攻めるのが、私もよろしいかと思われます。」
クラウスは軍師と軍医の顔を交互に見ながらそう言った。
その後、しばしの沈黙。また外から薪がはぜる音が聞こえた。
「よろしく頼む。」
シュウのその短い言葉を聞いたあと、クラウスは無言で頷くと席を立つ。だが軍医はまだここに残るようだった。
「ホウアンどのが、可愛いトウタが心配だと夜な夜な嘆かれるのでな。クラウス、明日で決めるぞ。」
からかうようにシュウはそう言うと、隣に座るホウアンは火が噴出したように顔を赤らめた。
「シュウどの!」
握った拳をホウアンは机に叩き付ける。シュウはにやけた顔を戻すわけでもなく笑っていた。
優しいホウアンが怒ったところなど見たこともなく、クラウスは頬を引きつらせて微笑むと、慌てて正軍師のテントを後にした。
なぜだか見てはいけないものを見てしまったように思え、後ろも振り返らずに一目散に自分のテントに戻る。
足早に自分のテントへ入ったとき、クラウスはやっと大きな溜息を一つ零した。
「なにをそんなつんけんしてるんだ。大の大人がみっともない。」
クラウスがいなくなり、また無言が続いたのを嫌ってか、シュウがホウアンに言った。
「私は医務の方のテントで休ませてもらいます。」
シュウの問いかけには答えず、ホウアンは腰を上げると睨むようにシュウを見た。
「まだ機嫌が悪いのか。」
ホウアンの腕を掴み、シュウがホウアンを抱き寄せる。
シュウの胸元へと飛びこんだとき、ホウアンの抗いが大きくなった。
「子供じみているのはあなたの方です!クラウスさんにまであんなこと言って!」
腕の中でのイヤイヤが激しくなる。仕方なしにシュウは腕を解くとホウアンを放した。
あっという間にホウアンはシュウのもとから逃げ出すと居住まいを正し、シュウに背を向ける。
そんなホウアンへとシュウは悪びれることもなく言葉をかけた。
「前線へ赴いているトウタが心配だと駄々をこねてるのは本当のことだろう。」
溜息混じりのその言葉の後にシュウは深く椅子へともたれる。その仕種がなんとも腹立たしくホウアンには映った。
「それに、前線へ行きたいと言い出したのはトウタからだ。俺が命令したわけじゃない。なんど言えばわかる。」
耳を塞ぎたい言葉なのは、それが真実だから。ホウアンはギュッとこぶしを握り、たたみかけるシュウを見ると眦をあげた。
「そんなことわかっています。私はそれを受け入れてトウタを送り出しました。あなたに言われるまでもありません。」
だが、納得はいっていない…。まだ上がる息のなか、ホウアンの表情はそう告げた。
「トウタはもともと武人向きなのかもしれんな。」
何時の間にか椅子から立ちあがったのだろう、シュウがホウアンへと近寄り肩を抱いた。
逃げようと肩を揺すろうとしたが、なぜかホウアンはできない。
シュウの口唇が耳元へと近づいてきて愛撫のように囁く。
「武器を持たせたらさぞ…。」
シュウが言葉を繋げるのをホウアンはシュウを見つめることで制した。
お互いの瞳にお互いを映す。どちらも反らす事無く見つめあう。
「武人に向いているのはあなたです。傷つけることがお上手だ。」
ホウアンの精一杯の嫌味もシュウには効かないようだ。
薄い口唇を微かに開き溜息ながらに笑う。
なめらかなホウアンの顎をとると上向かせなおいっそう顔を近づけた。
「傷ついたお前ほど美しいものはない。」
そう言ったあと、噛みつくようにシュウはホウアンの喉元へ口付ける。
眩暈がするような痛みを伴う愛撫はホウアンの「嫌」という言葉ごとシュウの口唇へ飲みこまれた。
また外で薪がはぜる。
月が出ていない夜を照らすように火の粉が舞い、だが、闇は深くとばりを落した。
「あなたは私を強姦したのですよ。」
上がった息のもと、ホウアンはシュウに言った。
ホウアンを深く口の中へと迎え入れているシュウは、片方の眉だけ上げてホウアンを見ると先端を強く吸った。
「あっ!」
痛みに似た鋭い快感にホウアンの身体が痺れたように震えた。
「そっちも根に持ってるのか…。」
ホウアンの先走りの露なのか、自らの唾液なのか、口唇を滑らしながらシュウが笑う。
瞳の奥を探られるようにシュウに覗きこまれるとホウアンは今度は視線を反らせた。
「あれを忘れろと…おっしゃるのですか?」
寝台の上で一糸纏わぬ姿になっているのにホウアンはそう漏らす。
戦の前に執務室で無理矢理身体を割られたのが胸の奥に燻っているのだろう。
ホウアンが求めているのが「詫び」であることだとわかっているのだが、シュウは素直に詫びることもなく、顔には冷酷なまでの笑みを乗せている。
目の端にそれを捉え、ホウアンは頬を赤らめるほどに口唇を噛んだ。
「あなたが…わかりません。」
呟くように、傷ついたようにそうホウアンは言うと体を起こし寝台を降りようとした。
そこでまたも強い力で引き寄せられる。ホウアンは敷布に縫いとめられ、シュウの下に組み伏せられた。
素直な黒髪が寝台の上に広がると、艶やかに敷布の白さと対を成す。
泣き出しそうなホウアンの顔を見て、シュウはツキリと胸に棘が刺さるのを感じた。
シュウの顔から笑みが消える。
「俺のなにがわからない?」
目を合わそうとしないホウアンを見て、シュウはそう囁いた。追い詰めているのか、追い詰められているのか、もはや二人にはわからない。
「あなたほどならば、女性など飽く事無く抱けますでしょうに…。私なんかを力ずくで求めなくても…。それがわからないのですよ。」
言葉は流れるように平静であったが、ホウアンの真っ白な胸は大きく上下に喘いだ。
「あぁ、女を抱こうと思えば、どこでもいつでも抱ける女はいるさ。」
シュウの言葉は、シュウらしい冷たいものだった。
ホウアンの表情がクルクルと変わる。怒りから恐れヘ…そして悲しみへ…。
小雨に打ち付けられた窓のように止めど無く涙が頬を伝う。シュウに両腕を敷布へと縫いとめられているため隠すことも出来ないそれは、瞼を閉じれば散らばってホウアンの睫毛を濡らした。
「だが…お前しか抱きたくない。それがやっかいだ。」
シュウはそう言って笑うとホウアンの頬を流れる涙を口唇で掬う。ホウアンの涙は甘くシュウの口唇を潤した。
「まさか…。」
ホウアンは自嘲気味に笑う。シュウがいつもの冗談のように言っているのだと思ったが、強く抱きしめられ、小さく喘ぎ空を仰いだ。
「俺は言葉は巧みだが、真実を言う事に慣れてない…。」
自分よりも熱い体を押しつけられ、ホウアンはまた喘ぐ。シュウの言葉に、熱に、ホウアンの身体の裡から火が熾った。
「追い詰められてるのは俺のほうだ。」
シュウはホウアンの首筋へ顔をうずめ、ホウアンよりも大きな身体で力強く抱きしめた。
子供が母親に甘えるようなその仕種に、ホウアンの目が細められる。
シュウの張りのある黒髪を梳くとホウアンは溜息のようにこぼした。
「あなたの…その熱が真実なのですね。」
自分よりも大きな熱いその身体を抱き、ホウアンは囁く。
ホウアンが唯一感じられることができ、唯一不変のものであり、言葉よりも確かなもの。
確かにシュウの熱い体はいつもホウアンを包んでいた。
「許しましょう…あなたを。」
ホウアンはそう言うとシュウの髪を梳きながら、耳を甘く噛む。
「抱いてください…。不安を…感じることができないぐらい熱く…。」
聞こえるか、聞こえないかの小さな声で囁き、ホウアンがシュウを求める。
また一段とシュウの身体が熱を帯び、ホウアンを熾いた。
口付けは熱く、燃えるほどで、ホウアンはそのシュウの熱を嚥下した。
前日の雰囲気が嘘のように、二人を取り巻く風が変わっている。
そう感じたのは、透き通るように晴れ渡った空のせいであるのだろうか?
それとも、大きな戦を勝利したからであろうか?
クラウスは目の前に立つ軍師と軍医を見て首を傾げた。
前線の陣営にたどりつくと、後ろに控えていた魔法と弓矢の部隊も間を置かず集結し、同盟軍最大の軍となった。
決戦はあっという間に終わり、同盟軍の勝利のもと、新しい道を切り開いていった。
「ホウアン先生!」
皆が疲れた空気を漂わせている中で、切り裂くような張りのある元気な声が飛ぶ。
知らずクラウスが視線を流した先にはトウタの姿があった。
この間、城で会ったときとは違い、明らかに大人に成長した男の顔であった。
「トウタ!無事ですか?大事はありませんか?」
ホウアンが飛びこんできたトウタを抱きしめ、両手で身体をさすって痛みはないか、確かめて見る。
そんなホウアンをしかめっ面で見つめながらトウタが言った。
「怪我はしていませんよ。僕はあくまで医療部隊として行ったまでですから。」
だが、少し額にかすり傷を残したトウタが日に焼けた顔で笑う。つられたようにホウアンも少し痩せたその頬に笑みを乗せた。
「それは良かった。」
ホウアンの口から張り詰めた空気が吐き出され、また深くトウタを抱きしめる。
そこで、後ろに立つシュウとトウタの目が合った。
冷たく感じるシュウの眼差しにも臆せず、トウタはシュウを見上げる。
「良くやった、トウタ。」
誉める言葉としては、やや尖り気味な声でシュウが言う。
トウタは笑って受けとめるとシュウに返した。
「今回はたくさんのことを学べました。すべてシュウ軍師のおかげです。」
自分を挟んでの会話にホウアンがシュウとトウタの顔を交互に見やる。
微笑んでいるのはホウアンだけで、3人の周りを尖った空気が鋭く薙いだ。
クラウスはそこで視線を外す。
また昨日感じた空気を感じて、クラウスの喉を渋いものが上ってきた。
「なるほど、シュウ軍師とホウアンどのは…」
呟きは言葉になったのだろうか、クラウスの口の中だけで消えていったのかもしれない。
トウタとシュウの放つ尖った空気が遠く離れたここまで感じられ、目の前の3人の男の関係をクラウスは知る。
「なんとも…これまた…。」
呟いた言葉は風にのって、彼の男たちに届いてはいまいか。
クラウスは慌てて口を押さえて振り返った。
ホウアンがまだなにも気付かず微笑んでいる。その表情はいつも城で見かけるときの表情であった。
「いや、まことに見事な朧月。」
クラウスは月の出ていない夜空を見上げてボツリと呟いた。
ちょっぴりクラウスなんて登場させてみたりして。 シュウvsトウタな小説が書きたかったんです。 執務室のその後って感じですね。 ちょっとホウアン先生の誘い受けっぽくなったでしょうか(mm*)ポッ 薄味なのは自分でも良くわかっておりますが、もっと上手に書けたらなぁー。 と、いつも後悔の連続です(謎)。 |