「え?ジュード、今何て…」 突然「ハリムを出ていく」というジュードの言葉を聞いて、ユウリィは目の前が真っ暗になったような気がした。 そんな彼女の様子には気付かないのか、ジュードは何でもないような口調でもう一度同じ言葉を繰り返している。 けれども、彼女の耳には彼の言っている内容が全く入ってこなかった。 あの出会いから3年。ジュードは16歳、ユウリィは18歳になっていた。 周囲からはそろそろ大人として扱われはじめ、将来についても真剣に考えていかなければならない時期だ。 しかし、共にハリムで暮らしてきたこの3年間で彼への仄かな恋情を温めていた彼女にとって、 これはまさに寝耳に水の話だった。 「この村が嫌になってしまったのですか…?」 だからジュードは出て行きたいのでしょうか…と、ユウリィは思った。 開拓村での生活は、表面上は穏やかでも日々活気に満ち溢れている。 けれども、ポートロザリアやギャラ・ボベーロといった人の多い街に比べて、 若者にとっての面白みに欠けている事は否定できない事実だ。 年若い彼が刺激を求めて街に出ていきたいと思うのも、無理からぬ事ではある…。 しかし、ジュードは彼女のそんな発想をあっさりと否定してみせた。 「そんな事ないよ、ユウリィ。僕は、今もこの村が大好きなんだ。ここが第二の故郷だって思うくらいに。 …でも僕、森林保護官になろうかなって思っててさ…」 「森林保護官、ですか…?」 ジュードの唐突な言葉に、彼女は首を傾げた。 場所柄、森に足を踏み入れる事は多々あったけれど、彼のこの発想は一体どこから出てきたものなのだろうか。 疑問がありありと浮かぶユウリィの顔を見て、ジュードは少し照れくさそうに言った。 「僕ももう16だし、この星の未来の為に何ができるのかなって思ったんだ…」 実父のハウザーに、ラムダをはじめとしたブリューナクの面々…命懸けで、自分達に未来を創ってくれた大人達。 そして、星の環境再生を願いつつも叶わずに亡くなっていった、母を含む研究者達。 「自分達には、彼らが遺してくれた未来を次の世代に繋いでいく義務がある」と、ジュードは強く思っている。 その為にはどうすればいいか…と考えていた矢先、彼はこの村の周辺で木材の不正な伐採や 野生生物の密漁が相次いでいる事を知った。 復興が加速している現在、こうした物資は各地で非常に高値で取引されているらしいが、 この状況が続けば森の資源は枯渇する。…密猟者達のやり口は、それ程悪質なものだった。 新たに発足した政府の権威がまだ世界中には及ばない今、 各村や町の有志で個別に対策に乗り出す事が求められている。 「アーチボルトさん達やシエルの皆に、色々教えてもらったけど… やっぱり、一度街で体系的に勉強した方がいいんじゃないかと思うんだ」 森林保護官になるのに必要な知識、例えば薬学や獣医学などは彼らの専門分野とはやや畑違いで、 彼らに教えてもらう事もできないから…と彼は言った。 「そうですか…」 揺るがない眼差し。彼の決意の強さが、そこにはっきりと現れていた。 (こういう時のジュードは、止めても無駄なんですよね…) 「行かないで下さい」と彼を引き止める言葉は呑みこみ、彼女が口にしたのは別の言葉だった。 「ジュード…必ず、帰ってきますよね?」 瞳を揺らすユウリィに、彼は「参ったなあ…」と心の中で呟いた。 彼女にこんな顔をして欲しくはないのに、よりにもよって「守る」と言った自分がさせてしまうなんて。 心の中で謝りながら、ジュードは彼女を安心させる為に努めて明るく言った。 「大丈夫だよ、ユウリィ。村を出ていくとはいっても、いずれはこの近くに戻ってこようと思ってるし…。 そういえばさ、ユウリィはやっぱり先生になるの?」 「えっ?」 予期せぬジュードの言葉。 話題の転換についていけず、彼女は一瞬ポカンとしてしまった。 けれどもジュードは、そんな彼女の様子には気付く事なく先を続ける。 「だってユウリィ、シエルの皆にも教わって、開拓の合間に一生懸命勉強してるじゃないか。 将来は、やっぱり先生になるんでしょ?」 「え、ええ…」 「そっか、ユウリィだったら絶対良い先生になれるよッ!皆に好かれる先生に…」 「…ありがとう、ジュード…」 彼にそう言われると、本当にそんな気がしてくるから不思議だ。 そもそも彼女が教師を志したきっかけは、目の前の彼の言葉だった。 「先生なんかが向いてるんじゃない?」と、まだ幼さを残していた3年前の彼の言葉が脳裏に蘇る。 あの時から随分遠くへ来たものだ…と実感し、 共に暮らしてきた彼が一時的とはいえ村を出ていってしまう事に、彼女は言い知れぬ寂しさを覚えた。 「ユウリィ…?」 俯いたまま彼のジャケットの袖を掴んだ彼女を見て、ジュードは首を傾げた。 (ユウリィ、どうしたんだろう?…別に、これっきり逢えなくなる訳じゃないのに…) そう正直に聞いたら、彼女はとうとう泣きだしそうに顔を歪めた。 それを見ても、彼は「何かマズイ事を言ってしまったのだろうか…」と慌てる事しかできない。 「…ジュードは、私に会わなくても別に構わないんですか…?」 自分よりも幾分背が高くなってしまったジュードを見上げて、まなじりに涙を溜める彼女。 久しく見なかったユウリィのこんな表情に、彼は大いに動揺していた。 本音を言えば、ジュードだってこの村を出ていくのは名残惜しい。 だからこそ、彼女には笑って送り出して欲しかったのに。 ジュードは今にも彼女の瞳から零れ落ちそうな涙を拭うと、思わず頬にそっとキスを贈った。 お願いだから泣かないで…という気持ちを込めて。 突然のキスにびっくりしたユウリィは、その場所を押さえて頬を赤らめた。 驚きのあまり、涙も止まってしまったようだ。 「ジュード…?」 (このキスは、一体どういう意味なんですか…?) 続く彼の言葉を、彼女はひたすら待ち続けた。 つられて顔を赤くしたジュードは、気まずくて彼女と目を合わせる事ができない。 仕方なく横を向いたまま、彼はぼそぼそと言葉を紡ぎだした。 「僕は必ずここに帰って来るから…だから、今のは約束ね。 お互い頑張ろう、ユウリィ…」 耳まで赤く染まったジュードを見て、ユウリィはくすりと笑った。 (そうですね…焦る必要は、ありませんよね…) 自分達は、まだこれからなのだ。 森林保護官になる為に街で勉強するジュードと、教師になる為にハリムで勉強する自分。 住む場所・行く道は違っても、この星の未来を想う気持ちは変わらない。 どこにいたってこの空は繋がっているのだから、きっとまた会える…そう信じたいと、彼女は思う。 笑顔を取り戻したユウリィを見てジュードも顔をほころばせ、 顔を見合わせたふたりは、どちらからともなくもう一度キスを交わした。 この1週間後、ジュードはハリムを発つ事になる。 「大人」になる為に、これから別々の場所で最初の一歩を踏み出すふたりだけれども、 この時はまだ、「子供」時代に別れを告げながらお互いの存在の大切さを胸に刻んでいた。