何時来てみても胡散臭い店構えだと思う。いっそ
タイガーバームガーデンの様な典型的東洋絢爛趣味
が現れるなら兎に角、目の前に存在しているのは古
典落語に出てきそうな『長屋』だ。祖国でもそれこ
そ博物館程度しか残ってはいないだろう。
『IRASSHAIMASE!』
着物を着たウェイトレスの不慣れな日本語の案内
に従い席につく。
「玉露のセットを。そうね、お菓子は大福にしま
しょう」
「畏まりました」
「ああ、それから」
「はい?」
「オーナー、いらっしゃるかしら?一応約束はし
ていたんですが」
「どちら様ですか?」
「ワタベです。アキエ・ワタベ」
暫くの間があった。
「アキエ!」
「ベス!お元気そうね?」
「まあ平均点と言った所ね。さあ、奥へ通って頂
戴。カズサもお待ちかねだから」
オーナー夫人に誘われ、事務所でお茶を飲む事に
なった。
「カズサ?入るわね」
彼女の呼びかけに、内側から答える声は無い。
「何時もの?」
「ええ、何時もの。でも貴女の訪問については愉
しみにしていたわ」
ドアノブはすんなりと廻った。
「カズサ!」
二人の呼びかけに背中越しに挙げられる右手。
【FakeBamboo】オーナー、カズサ=オ
バヤシは紺色の作務衣を纏い、微笑を浮かべながら
コンピュータを操っていた。
《いらっしゃい。生身で逢うのは随分久しいね?》
こちらに向けられたディスプレイの中に躍る文字
は、わざわざ皮肉に見える様な厭味なフォントに変
えられている。
《まあ、便りの無いのは元気な証拠と言うからね。
活躍の程は確りと追跡させて貰っているから》
「悪かったわね。面倒な時だけ押しかけて」
《悪くは無いさ》
随分優しい答え…と思ったのは甘かった。
《Give And Take.こっちも君の事を
観察材料にしていたからね。まあ、ゆっくりしてお
行き。昼寝の時間までは提供できんがね》
そしてこちらを向いて、ニヤリと笑う。
《それにしても》
日系3世にしては余りにも亜細亜的な微笑を浮か
べつつ、それでも疑念を隠せないという風に彼が文
字で問い掛ける。
《何故今になってこのレポートの補完を始めたの
かな?別に是は公的なものではないから、いざとな
れば君の手で隠匿しても構わないと言うのに》
手にしているのは1枚のCD−R.[Y−CASE]
と手書きされているのが見える。
「関係者から請求があったの」
《キョウスケ・サクライ…ではないね?先日もそ
う言う話は出なかったし》
「?知り合いだったの?」
《副業での顧客さ。キクタロウ・シモダ関係の資
料検索を依頼されてね。…下世話な質問だろうが、
君と彼、衝突しただろ?》
「判る?」
《このレポートに着手した頃…僕と知り合って間
も無くの頃の君だったらね》
「敵わないな…あの頃、必死だったから」
《でも君は強かったね。ちゃんと自分をコントロ
ール出来てる》
「貴方がいたから…」
《自分さえもコントロールできてないカウンセラ
ー擬がやったのはきっかけ作りだけ。まだ今ひとつ
自分を信用してないね?》
「この件に関してはね。依頼者が依頼者だから貴
方の力を借りたかったの」
《そうか。…彼からの依頼か》
《ええ、アンジュ・ミモリ、いいえ、カズミ・ヤ
クシジの依頼だったの》
晶江が躊躇ったのも無理からぬ所だった。彼女が
あの事件で演じたのは恣意的な解釈を押し付けるマ
スコミの1典型であったし、増してや彼女は香澄の
『罪』を立証して自らの安堵を得ようとしていたの
だから。
「だから、彼の方から連絡を貰えるなんて思わな
かったし、あんな風に言って貰えるなんて思ってな
かった」
《差し支えなければ、良いかな?》
笑いを含まない、柔らかな瞳で問い掛けられる。
「依頼自体は事務的なものよ。改めて自分の関わ
った事件の事を知りたくなったので、良ければあの
レポートの完全版を作成して欲しい、って」
《手紙でも添えてあったのかい?》
「いいえ、たった一言だけ」
《感動的な一言?》
「さあ…ありふれた一言だと思うわ」
そして鞄から1枚のカードを取り出して、カズサ
に手渡す。
《読んで構わないのかな?》
「日本語ですけど…大丈夫よね?」
《君が今まで目にしていたのが日本語で無ければ
怪しいがね》
確かにディスプレイに綴られていったのは日本語
だった。
やや丸みを帯びた、万年筆で書かれた短い文章。
『ぼくも二十歳になりました。記録していてくれ
て、有り難う御座いました』
テーブルに硝子の小杯が置かれる。
《…良い青年に、育ったようだね》
そして注がれる古酒。
《たまたま、彼の歳と同じ年月を経た酒が有った。
君の主義には反するだろうが、彼の将来を寿ぐと思
って呑みなさいよ》
晶江の膝に、暖かな涙が落ちた。