風、薫りてゴールデンウィークの前に届いた手紙の事を思い出して、 ふと溜息。それを、カゲリにタイミング悪く見つかった。 「5月病には早いんじゃね?」 「そんなんじゃないんだけどね」 「恋の悩み…はまだ関係無いよなー」 「悪かったね。カゲリもでしょ?」 悩んでても仕方ないので軽口を叩いてみる。 ……そう言えば、カゲリに話そうと思って中途半端な まま終ってた事があったっけ。この件もそれ絡みだけど。 巻き込んじゃって、良い、のかな? 「カゲリ」 「んだよ、改まって」 「10日って、暇?」 「暇な方が良いんだろ?」 「京都に一緒に行って欲しいんだけど、何とかなる?」 「俺で大丈夫な話か?」 「カゲリに聞かせたい話になるだろうから」 一瞬(カゲリにしては)複雑な表情。そして、 「ゴールデンウィークじゃなくて良かった。割引券使え るもんな」 「ゴメンネ」 感謝します。ホント。 ぼくを呼び出したのは輪王寺さん。 『お渡ししたいものあり。ご足労ながら京都までお出で 下さいませ。粗末ながら一服差し上げたくも思いますので。 あやの』 そう書かれた桜色の手紙がぼくのマンションのポスト に舞い込んでいた。正直、戸惑ってしまう。 彼女とまともに話をした記憶って、全くない。京介や 深春が話をしている横に居た記憶はあるけど。だから、 どうしてって気持ちが物凄く強い。 そもそも彼女と京介との関わりって、確か門野さん 絡みなんだよね。実はそれも引っ掛かりの一つ。 門野さんが絡んでくるって事は、多分かおる母さんも 絡んでくる。指定の日取りだってぼくの本来の誕生日だ。 悪い事は起こらないだろうけど、穏やかな気持ちで居ら れるかどうか今一つ自信が無い。 カゲリには悪いけど、この際巻き込まれて『保険』に なって貰おう。予定を延長して藤君に会いに行っても良 いし。 「……何にやけてんの?」 「いや、付いて来て良かったな、と。何時あんな美人と 知り合ったんだよ」 「春に留守してた時にね、一寸」 「ああ」 「うん」 そして、二人とも無言になる。カゲリ、警戒しちゃった かな? 「今日って、さ」 言葉を選ぶ様に、静かに。 「カズミと、関係ある日か?」 「うん。そうなんだ」 「そっか」 「聞きたい?」 「カズミが話したければ」 掠め見る表情は、とても穏やか。 「誕生日なんだ」 「そっか」 「驚かないの?」 「驚いてもカズミはカズミだしな」 「ふぅん」 「かえって嬉しいくらいでさ」 「そう?」 「俺を頼りにしてくれてサンキュ、って感じ」 「……莫迦」 男二人で照れてもね…うーん。 「仲がお宜しいですのね」 「腐れ縁です」 輪王寺…じゃなかった、綾乃ちゃんの微笑にしっかり ユニゾン。自分達でも最近照れるのに、人から指摘され ると余計恥かしい。 「では、お話の本題に入りましょうか」 ぼく等が輪王寺家の門をくぐって通された部屋でまず やったのは、一服のお茶を飲む事だった。作法なんて気 にしなくて良い、とは言われたものの結構緊張する。 意外にもカゲリは臆する事無く流れる様に一服を嗜ん でいた。 「慣れてるの?」 「昔、一寸な」 一寸じゃ無いよね、この慣れ方は。 部屋の中にほんのりと漂う薫り。床の間の青磁の香炉 から、薄紫の煙が儚く漂っている。懐かしい様な静かな 空薫物の薫り。 「最初に、宜しいでしょうか?」 「何、綾乃ちゃん?」 彼女から前もって言われたんだよね。苗字じゃなくて 名前で、そして年下らしく呼んでって。だからそうして みている。 「蒼と呼ばれていたのは、薬師寺さんだったんですね」 「うん。通称ね」 「桜井様も門野のお爺様も、御自分達だけ判っていら っしゃるから」 静かに笑う。 「薬師寺さんをお呼びしたのには、その件もありまし たの」 そう言って、小さな蓋付きの壷を袱紗に乗せてぼくの 方に差し出す。 「門野のお爺様から申し付かって調合した薫物ですわ。 銘は『蒼』」 「ぼくの事、知ってたの?」 「お爺様から聞いたのは蒼と言う名前とほんの些細な 日常だけ。薬師寺の家の事はつい先日知りましたの」 嘘の無い瞳だと思う。 「静かな薫りだね」 「調合してから五年寝かせておりますわね…そう、薬 師寺さんが」 「綾乃ちゃんも、薬師寺さんは止めようよ」 なんだか変に照れるしさ。 「では。蒼さんが学校に入られたその翌月に調合して、 寝かせておりましたの。丁度良く薫りが練れた様ですわね」 「門野さん、どうするつもりだったんだろ?」 「蒼さんのお誕生日に、と言う事だったらしいんです の。でも、」 「でも?」 「私、自分で調合した薫物は自分でその方にお渡しする 事にしておりますから、お爺様に我儘を言いましたの」 「で、ぼくが京都に来る、と」 「実はもう一つお渡しするものが」 「綾乃ちゃんから?」 「ええ、そうですわ」 すっと、簾を上げた向こうに見える山に向かって指を 指す。 「あの山で、人の手を借りず育っていた茶の木を一株 見つけましたの。この香を寝かせる場所を探していた時 に」 「凄いなぁ」 「調べてみましたら、今年で丁度樹齢二十年らしくて」 それにぼくとどんな関係があるんだろ? 「その当時、その木からつんだ葉を煎茶と抹茶に仕立 てたのですが、風味が大変良かったので銘を付けてみま したの」 「何と言う銘?」 「澄香、と」 鹿威しの音がぼく等の気持ちを代弁する様に響いた。 「予知、してたの?」 「力も無いのにどうやってできると思われます?」 「綾乃ちゃんならやりそうだと思う」 「褒め言葉とお受けしますわ」 初めて年頃らしく微笑む。 「その木を、差し上げようと思いまして」 「いいの?」 「きっとそうする為の銘だったと思います。お手紙で も良かったのでしょうが、あえてこちらでお話したくな りましたの」 「有り難う」 「先程差し上げた一服は去年つんだ『澄香』を抹茶に 仕立てたものですわ。今度は煎茶にて差し上げますので」 静かに、風が薫っている。 「蒼さんは、正しく『澄香』のような方ですね」 呟きの様な、囁きがポツリ。 (2003.2.8) (2003.4.27加筆訂正) 《コメント》 |