冷めない距離先生の家に行くと、封書を一通渡された。 『おめェ宛に来てた。ま、後は好きにしな』 先生の所に届いた、と言う事は高校入学以前のぼくを知っ ていて最近会っていない人、と言う事。高校入学以降のぼ くを知っていれば直でこのマンションに届くし（門野さん とかごく一部の例外を除いてね）、第一『蒼』宛にしてこ ない。 受け取って、吟味する。厚紙１枚が入ってる感じ…とす れば何かカード、だよね。封筒の質は厚手の和紙、かな？ 印刷用に処理してある。 裏側に有った、癖のある、それで居て流れる様な感じの 署名は<木谷青史>。 「奈々江、さん…」 十二年前の記憶が、不意に蘇った。 そしてぼくは、今あの洋館の前に立っている。十二年間 手入れをされてない、と思い込んでいたけど、そう見えて いただけ。植え込みや壁を観ると、年輪を感じこそすれ、 放置されて荒れ果てた感じは微塵も受けない。むしろあの 頃の荒れ方が嘘の様に愛しさを込めて手入れを受けていた としみじみ判る。 開け放たれた門をくぐり、玄関へ。ドアには小さなプレ ートが付けられていた。 【BLUE KNIGHT】…。 ノッカーを３回。そしてぼくは、招き入れられた。 給仕さんに導かれてテーブルに。あの頃、ピアノが置か れていたサンルーム風の部屋だ。今もピアノは置いてある。 でも、其れは硝子で作られたミニチュア。あのピアノじゃ 無い。 「暫らくお待ち下さい」 そして、彼が現れた。 「久しぶり、だね。元気だった？」 「ええ。あなたも？」 「それなりに。彼女が色々残してくれたからね」 青史さんは、照れを含んだ、落ち着いた微笑で応えた。 「いきなり、現住所に招待状を送ると言う事も考えたん だけどね」 「え、知ってましたっけ？」 「招待状を出す際にこちらで一度調べたんだ。事後承諾 で申し訳無い」 「そうだったんですか」 「でも、俺にとっての君はあの頃の印象が強かったから ね…それに、」 「それに？」 「ブルー共々同志に思えた、と言っちゃ自惚れかな？」 「……光栄、です」 思わぬ嬉しい一言だった。 「この場所では２年間の限定営業なんだ」 「どうしてですか？」 「地質調査の結果でね。不本意なんだけど、周囲に迷惑 はかけられないし」 「お店は続けるんですよね？」 「おふくろの故郷でね」 「そう、ですか…」 黙りこんだぼくに、悪戯っぽく微笑みかける。 「この家ごと引っ越して、営業するんだよ」 その一言にはっとなったぼくに、更にもう一言。 「この部屋にあのピアノが無いのは、一足先に引っ越し てるから。修理と調律を完璧にして、引越しの時にはまた この部屋に帰って来て貰うんだ」 「そうなんですか？！」 現金にも元気になるぼく。そして、ぼくを見て人の悪そ うな微笑を絶やさない青史さん。 「蒼…なんか全然成長してないんだなぁ…安心したと言 うか何と言うか」 「あ、ひどい！気にしてるんですよ、これでも」 「今夜枕にブルーと母さんが立ちそうだな。蒼の事を心 配して」 そして、ふっと息を吐く。 「あの時、呼べなくて御免」 「ううん。そんな」 「あれってさ、母さんの遺言だったんだ」 「奈々江さんの？だって…」 「最後の、１時間前だったかな。不意に、凛とした…元 気な母さんに戻ったんだ」 目尻に、微かに涙。 「『お葬式は要らない。形見分けも今となってはそんな に必要ないし、残すべきものを受け取ってくれる人は傍に 居てくれるし』って…微笑んでたんだよな…」 言葉に詰って、それでも、続ける。 「『蒼ちゃんには、あの紅茶碗２客を形見に送って…言 葉は…止めましょう。枷になってはいけないものね』って」 ほうと、一息。 「母さんが言葉を飲み込んだ以上、俺も余計な事は言い たくなかったから」 「そうだったんですか」 「だから、店の名前には俺の気持ちを込めさせて貰った」 「？」 「蒼の騎士…ブルーと、君だ」 「そんな」 「二人が居なければ、俺と母さんは今の様になれなかっ たんだ。これ程の礼は、良いだろう？」 そして、料理が運ばれてきた。 「蒼は初めてだったよな？母さんのレシピのスープは」 そのパンプキンスープは、余りにも優しい味だった。 (2003.1.4) 《コメント》 |