結局、そう大した指輪、買って遣れなかった
な。月給の三ヵ月分、とまでは行かないが俺に
しては随分張り込んだ。何しろ嫁さんになって
くれる人への捧げ物だ。
ま、形式は俺が婿入りするって事になってる
けどよ。其れは手続き上で其の方が八方丸く治
まるからだってだけの話。だってそうしないと
あの妙ちくりんで、其れでいて綺麗な家を、星
弥が守る事ができなかったから。
俺、旧姓工藤迅が巨椋星弥と晴れて正式に結
婚出来る、と認定されたのは二千年六月の事。
あの事件から丸々五年が過ぎようとしていた。
真理亜刀自、今だ健在であったが、最近は…
いや、あの事件以来憑物が落ちてより一層溌剌
とした感じがある、とは周囲の弁だ。
「迅さん」
「どうかしましたか、真理亜さん」
流石に人間の格ってぇものを肌から感じるの
かね。自然と敬語になれちまった。
「重荷では有りませんか?」
「彼女が、ですか?」
「それも有りますが」
彼女の心配している事は判る。誤解が晴れた
とは言え、『家』の重みは今だ巨椋の家に圧し
掛かっていると言える。
俺が敢えて婿と言う形を選択したのも、其の
辺の柵があるからだ。
「荷物ってのは、担ぎ手が多い程軽くなる、
って言いますからね」
目礼で確かめた上で、煙草に火を付ける。口
を滑らかにする為だ。
「其れに俺が誰の為に此処に居る事にしたの
かって、真理亜さん、判ってるでしょ?」
「判っておりますよ。…老人の愚痴が、出て
しまいましたかね」
「俺は、自由なあいつが好きなんです。あい
つが羽ばたく為だったら、この肩幅程、廉いも
んですよ」
「感謝します」
さて、もう一人、きちんと話をつけて置かな
きゃならん奴がいる、な。
あの坊や。…まあ、星弥に向けた感情が多分
恋愛じゃないだろうって事は判る。蒼には『若
気の至り』なんて、多分有り得ない。あれだけ
の修羅場を潜ってきたんだから。
あの事件中俺が演じた最大のヘマは、多分蒼
に思い出させちまった事だ。幾ら駆け引きの上
とは言え、遣るべきじゃなかった。蒼が本当に
健全だったから救われたものの、そうで無かっ
たら……俺の一生で償うなんて生易しいものじ
ゃなかっただろう。
本当はあいつのような奴こそ警官になるべき
なんだよな。自分が傷ついていた過去を自分で
整理した上で、他人を思いやれる奴が。
まあ、蒼の人生だしな。縛らないで置くさ。
碧沼の水面を爽やかな風が過ぎてゆく。華燭
の典まで、あと僅か。