《ご注文の品は以上だったと思うが、良かったかな?》
《ええ、これで差し支えないと思います。御足労かけまし
た》
《労ってくれるのは嬉しいが、実際僕は肉体を駆使して資
料を集めた訳ではない。実働の殆どは家内が代理をしてく
れたからね。僕が実際行ったのはネット世界での折衝及び
資料の収集・編纂に過ぎない》
ディスプレイの中で交わされているのは日本語の『対話』。
但し、京介が話している相手は日本国内にはいない。ロサ
ンジェルスで生業として日本風の喫茶店を営んでいる。名
をカズサ=オバヤシという。
日系3世。日本名を漢字で顕わせば『痩せ蛙』の句の俳人
と同じになる、というのは単なる遊びかそれとも含みか。
《時に、》
他愛も無い社交辞令の後打ち出された言葉は、不意にカズ
サの背筋を凍らせた。と言っても、相手に悪意があった訳
ではない。
《キワム・マツウラと言うカウンセラー、ご存知ですか?》
《ああ、知っているよ》
カズサの指は、自身が愕く程に冷静に相槌を打ち返してい
た。
知っている、と言う所では無い。
キワムとは共に心理療法を学んだし、議論を戦わせた事も
ある。将来的に共同でクリニックを構えたいとまで思った
程だ。
然し、カズサの中の第六感がその申し出を押し留めていた。
『キワムは危険』だと、告げていた。
『その予感をこう言う風に確認するとはね…』
カズサがその情報を入手したのは顧客の一人であるタカク
ニ・モンノのメールからだった。もっとも其れまでに情報
を入手しなかった訳ではない。根拠の無い噂話程度の『悪
評』だったら当の昔に入手していた。
カズサ自身、キワムの『被験体』にされて今尚心理的な傷
は癒えていない。
然し、良くしたものでネット社会の発達がカズサの心理的
リハビリ及び社会復帰の後押しをしてくれた。
『まあ、こうして【会話】が出来るだけでもいいか』
齎された福音に、改めて感謝して呟く事も暫し、だ。
《彼に何か答え難い問いかけをされたのかな?》
《あれを問いかけと言うのならば。カウンセラーとして
相談に乗って貰えますか?》
《断る》
暫しの沈黙の後、言葉は続けられた。
《僕は君の『友人』だと自惚れて居たんだが?友人として
相談に乗る、と言うのではいけないか?》
《……照れませんか?》
《照れるね。で、どうする?》
《では『友人』の貴方にお聞きします。彼と僕とは、似て
いますか?》
《否》
《即答ですね》
《察する所其れがキワムの問いか。だとしたら彼は僕の知
らない所で議論屋の修行でも積んだらしいな。本業を忘れ
て》
我知らず言葉が刺々しくなる。『友人として』等と言った
のはこの為でもある。職業として冷静にキワムの事を語れ
る程、時間が経ったと言う訳ではない。
《職業的な観点から見たとしても否だ。キワムがそう言っ
たのは、キョウスケを自分の側に取り込みたかったが故に
過ぎない。寧ろキョウスケを自分の延長部分としか認識し
ていなかったんだろうな》
《辛辣過ぎませんか?》
《彼が周囲を傷つけた行動に比べたら優しいものだと自負
できるがね》
そこで一呼吸置いて、言葉は続く。
《少なくとも、君には被保護者との絆を作る事が出来た。
其れが総ての回答だと思う》
《ああ。知って、いましたよね》
《ヤクシジ・ケースについてはね。その件だけでも彼と君
との違いは明白だと思う。答えとしてはこれで良いかな?》
《ええ、有り難う》
文字は、心なしか安堵している様だった。