「関口君、最近原稿の進み具合はどうだ?」
思いがけず京極堂から仕事の話を振られたの
で、つい茶に咽てしまった。
「おやおや、落ち着きたまえ。もう歳が歳な
のだから」
「……お互い様というところだね。君が雨で
も降らしそうな振る舞いをした所為だよ」
「言い返す様になったなァ、最近」
何だかんだ言っても付き合いが優に半世紀を
超えている。お互い良く生きていたと感慨にふ
ける刹那もあるが、其のお陰で足元が消えて無
くなる様な感覚からはゆっくりとであるが遠ざ
かっている。
「君が表立って仕事の心配をしてくれるなぞ
珍しいからね。……ああ、最初の短編集の時、
面倒臭そうに編んでくれた収録順の感謝は今で
も忘れていないけれども」
「だからと言って、奇特にも版を重ねる毎に
丁寧にも僕への讃辞が記されているが……頼む
から削ってくれ。物見遊山の客が増えて困る」
「表其の一かい、其の弐かい?それとも副業
かい?」
「お陰さまで全部にだよ。冬彦と春彦が神主
の資格を取ってくれたからまだ手は空いている
が、書籍の方はまだまだ忙しいんだ」
言いつつ座卓越しに葉書を一枚滑らせて寄越
す。
「実はこう言うお誘いが来ていてね。気分転
換にどうかと思ったんだが」
文面としては至極事務的なものであった。曰
く、お探しの書籍見つかりました。但し、所有
者のたっての願いで直接お渡ししたいとの事。
当方の我儘ゆえ旅費の心配はご無用、との申し
出。物見遊山序でにお出で下さいませ、とある。
差出人は篠村美弥子。
「この篠村さんと言うのは、あの鳴釜の篠村
さんかい?」
「其の篠村さんだ。今は大阪の方で僕の同業
者をやっている。…そうか、仕事が快調な様な
ら物見遊山で憂さなど晴らさなくて良いか」
「僻みっぽいのは歳を喰った証拠だぞ。行こ
うじゃないか!大阪は行こう行こうと思いなが
ら中々足を運ぶ機会が無かったんだ」
「実は僕もだ。ならば決まりだね。日取りは
追って連絡…いや、今決めておくか。待って居
たまえ」
言うが早いか座卓の一隅のコンピュータを弄
りだした。メールを送信しているらしい。そし
て、先方からの返答も10分と経たずに来た。
そして明後日には車中の人となる手筈も整え、
私は辞する事にした。
「君がインターネットを遣っているとは露知
らなかった。何ならメールで知らせてくれても
良かったのに」
「其れを遣ると君は調子に乗って御無沙汰を
重ねそうだったからね。詰まらん顔でも見ない
よりは気が紛れるだろう」
「お互い様だ」
「お久し振りですわね、中禅寺さん。そちら
は失礼ですが、関口巽先生で御座いましょうか
?」
「如何にもですが。……貴女が篠村さん」
恐らく私が余り吃驚しなかったのは榎木津と
の交際があった所為だろう。実に何と言うか、
波乱万丈な人生を自分で乗り切って来た事が如
実に判る様な、其れで居て凛として美しい風貌
を持った女性である。
「榎木津さんは御元気で御座いましょうね?」
「矍鑠たるものです。今でも懲りずに若い連
中が見習として出入りしてますが、下手をする
と彼等より元気かも知れない」
「それにしても美弥子さん」
「何で御座いましょう」
「貴女に言う筋合いではないのだが…此れは
どう言う美意識なのでしょうね」
「一種の折衷たと思いますわ。只、此れは現
代に於ける普遍的な折衷意識でしょう。地域性
は一切関係ない」
「先に釘を刺されましたね」
苦笑する京極堂が立っているのは百度参りの
為に観世音菩薩を勧請した祠。無論百度参りの
礎もある。只面妖だったのは、其の祠の外観が
ミラーボールと見紛うかのような感じで設計さ
れていた事だ。私も一瞬、伝聞の「大阪光り物
愛好説」を連想してしまったほどだ。本来其の
ビルの中にある大規模な書店で待ち合わせる予
定だったのだが、京極堂の申し出で急遽変更し
たのである。
『改めて一日時間を取って来るとしよう。そ
うしないと堪能できない』
全く彼らしい。
さて、書籍の持ち主との待ち合わせにはまだ
少し時間があると言うので、三人して年寄りの
冷や水を試みる事にした。
「此処が、其の例の」
「本家でもこうだと聞いていますが」
「らしいですね。僕も実際には行っておりま
せんが、ネットで見た事はあります」
中野に本店があると言う漫画専門の古書店を
訪れてみた。篠村女史もお孫さんから話は聞く
が訪れたのは初めてらしい。
「客としてですか?」
「いいえ、店員として働いておりますの」
「あのお嬢さんですか?」
京極堂が眼差しを向けたのは店内に設えられ
た舞台。其の上では漫画の主人公に扮した妙齢
の女性が、漫画の主題歌をやや投げやりにカラ
オケで歌っていた。
「良くお判りで」
「どうにも凄い胎内潜りをしたものだ。此れ
も一種の『呪』だろうね。此処では現実も一種
の罪な訳だ」
確かに…売り場である三階入り口までは先ず
エスカレーターで上がり、更に階段で上がる。
店内装飾も意識的にそうしてあるのだろうが、
胎内潜りを連想した京極堂の感覚は正しいと思
う。
それにしても、乙女の感覚は何時の時代も凄
い。私の小説から良く此処まで違った発想を生
み出せるものだ。鴎外先生の御息女がものした
小説を読んだ時も新鮮な驚きがあったが。
「何を書いているのだね?」
「頼まれたエッセイの締め切りを忘れていて
ね。それで先日の旅行の顛末なぞ書こうか、と」
「其れはいいが、何故僕の家でコンピュータ
を叩いているのだ?」
世の中には得てしてこう言う事もあるのだよ、
京極堂。