人生僅か五十年、なんてぇ謡があったっけが、アタシもはや
七十。暮らす相手も変わってきたが、今の連中は一等気楽だな。
まったく、不器用で一生懸命でサ。
カララ…。
「お邪魔しまーす」
ハイヨ、いらっしゃい。この子も随分でかくなったねぇ。初め
て会った時にゃ涙堪えてカチコチだったんだよ。それがどうだい、
今の笑顔は。ひいふうみい…もう十年も経ったのかえ。此処でゴ
ロッチャラしてる若い衆二人(と言ったってそいつらも三十路だ
ヨ)が此処までこの子を育てたんだから、大したもんさね。
只ね、坊やからお褒めの言葉は戴くんだがこいつ等からはつい
ぞ…ああ、ひょろ長い別嬪さんからは頂戴したね。熊は貶すばか
りだが。
ひょろ長い…京介、って言ったっけね。こいつも初めて飯喰っ
た時はもうやばかった。人一人殺してきたか、みてぇにさ。そん
頃に比べればこれでもまだ人間並みだわな。箸遣いはいつまでも
下手だけどよ。
こいつとさっき言った熊…深春だね、二人で坊や、蒼を育てた
んだ。ああ、いい子に育ったよ。あんな二人が育てた割にねぇ。
でもさ、子供ってのはいつか旅に出ちまうんだね。見ていて楽
しいのは、でかくなるまでさ…。
蒼は、柱の傷を懐かしげに眺めていた。神代が父の教えを守っ
て無傷に保ってきたその柱に、あえて蒼の成長の証を刻み始めた
のは6、7年前になるか。それは神代がヴェネツィアに居る間に
も続けられた一つの儀式だった。
「でかくなったな」
しみじみと、神代が声を掛けた。
「先生?」
「ん?」
「帰ってきて、いいですか」
「いいですかも何も、此処はお前ん家だ。何なら嫁さん貰った
後も、此処に居ろ」
「…はい」
残暑厳しい縁側。淡々と、でも暖かな遣り取り。
いつでも帰っておいで。アタシもまだまだ働ける。ナニ、七十
年頑張ってきたんだ。もう三、四十年ばかしはやっていけるさ。
蒼。あんたはアタシが、この神代の家が育てた子だ。
…あんたの故郷は、此処だよ。