柔らかなぬくもりが辺りを満たし、草花の新しい芽がすっかり顔を出した頃。
桜の木もそれは見事に咲き誇り、薄紅の花を重そうに枝につけている。
はらはらと花びらの散る姿も美しく、純和風の家の広い敷地にいくつも立ち並ぶ様は、その家の雰囲気にも良く馴染んで壮観だった。
薄紅の雪が降りそそぎ積もりゆく様を一目見れば、誰でも感嘆をもらすものだろう。事実、先ほどからこの家の使用人などが足を運んでは、花びらを散らす桜に魅入っていた。
不自然にならない程度に整えられた広い庭。桜だけではなく梅や桃もあった。少し視線を下げれば芽吹いた草木。甘い香りが漂うなか、桜のトンネルをくぐるかのようにして歩む穏やかで大人びた雰囲気の少年がいた。
何か探しているのか、顔を左右へと忙しなく向けている。立ち並ぶ木々が邪魔で、なかなか向こうまで視界が利かなかった。
薄紅がけぶる中。やや白い顔を落ち着きなく巡らせていると、やがて視界の隅に何かが掠めた。
はっとしてそちらに目を向ければ、奥まったところに一際大きな桜の木。その根元にうずくまるようにして座る紅顔の幼い少女の姿が。
居なくなったことに気付いて探し始めてから大分時間がたっていた為に、少女が無事な様子で見つかったことに少年は安堵した。
こちらには気付いていないのか、視線を地面へ落としたままの少女へゆっくりと近づく。

「こんな良い場所があったんだ」
「……!」
「お前はかくれんぼが上手いね。なかなか見つけられなかったよ」
「にい、さま…」

こわごわと自分を見上げてくる、歳の離れた愛しい妹。
見つけてくれたことに対しての嬉しさと、見つかりたくなかったという不満、悪戯が見つかってしまったときの罰の悪い心情がない交ぜになって顔に表れている。
その頭や肩を桜の花弁が可愛らしく飾っているのを見て、彼は小さく笑いをもらした。
少女の前へしゃがみ、そっと手を伸ばして優しく払ってやる。

「さ、そろそろ帰ろう?あの2人も心配してる」
「……っ……」

勢いで頷きかけるも、直ぐに思いなおして彼女はかぶりを振った。

「……どうして?」
「……――――から」
「うん?」
「あの人たちが、こわがるから」

だから、いや。
短く、だがきっぱりと告げると少女はまた俯いてしまう。
そんな彼女の様子に、少年は複雑そうに瞳を細めた。

「そんなことは…」
「にいさま」

そんなことはないと、そう言おうとした少年を遮って少女は顔をあげた。
澄んだ瞳で、嘘は許さないとばかりに真っ直ぐ兄の眼を見る。

「こわいのは、この目?ちからがあるからいけないの?」
「……」

泣きそうに顔をゆがめて、自らを見上げ問うてくる幼子に、答える術を持たない少年は押し黙るしかなかった。
この子は、聡い。勘がよく神経が鋭いからこそ、人の心の機微を鋭敏に感じ取ってしまうのだろう。
望む望まないに関わらず与えられた力。それが幸か不幸かは、まだわからない。
答えない少年に、焦れたように少女は言葉を重ねる。

「――わたしが、イタンだから?」
「…!」

恐らく意味も分からずに言ったのだろう、舌たらずな口調で言われたそれ。どこかで誰かが声を低くして囁いたものを拾ったのか。
意味は分からずとも、好くない言葉だと分かって悲しげに眉根を寄せる少女。
それは幼い顔立ちにはあまりに不似合いで。
そんな表情をさせてしまった少年は、自らの不注意さと無力さをかみ締めてぎりりと拳を握った。
こんなかお、してほしくはないのに。この子にはいつだって笑顔でいて欲しいと、そう思うのに。自分はいつも願いとは裏腹に、辛い思いばかりさせてしまう。
気がつけば、強い眼差しで見つめてくる彼女の頭を柔く撫でていた。
撫でられた少女といえば、どこか戸惑った風情で。いきなりのことにどんな表情をすれば良いか分からなかったのか、不思議そうな顔で見上げていた。
そのあどけない表情に、愛しさがこみ上げてくる。大切にしたいと、改めて感じる。

「大丈夫だよ。お前が気にすることじゃない」
「ほんとうに?」
「ああ、心配しなくて良い。今度そんなことを言う奴がいたら、おれがこらしめてやるから」
「あぶないのはダメだからね!にいさまは、ビョウジャクなんでしょう?」

少年が冗談交じりに本音を言えば、少女は頬を膨らませた。病弱という言葉を何処かで聞いたのだろう、よく分からないで使う様はとても可愛らしく思えた。

「全く、どこでそんな言葉を覚えたんだ?…心配いらないよ、兄様はお前のためなら具合が悪いのだって治るんだからね」
「だって、かあさまがいってたもの。にいさまはビョウジャクだから、あまりうごきまわっちゃダメなんだって」
「…………」
「…………」
「ほら、動かなさすぎるのもどうかと「にいさま」
「……分かったよ、お前がそういうのなら気をつける」
「ぜったいよ?」

じい、と向けられる真剣な眼差し。
疑わしげな視線には、少年が浮かべていた笑みにやや苦いものが混じった。
心中で信用無いなぁ…と呟いて、少女の前に手を差し伸べる。

「ああ、約束する。…だからもう帰ろう?」
「……でも」
「お前は――おれが嫌い?」
「きらいじゃない!」
「だったら、帰ろう。おれを信じてくれるのなら」

一緒に行かなければ信じていないと見なす。そう告げるかのような言葉は、些か卑怯だったかもしれない。
それでも。
成長途中で柔らか味の残る、けれどやせて骨の浮き出た少年の手のひらの上、そっとあたたかな手が重ねられた。
ふっくらとやわらかく、あまりにも小さくて脆いその手。薄い皮膚は、爪を立てれば簡単につき破れそうだった。
―――ああ、そうだ。
守るべきものは、この手。すべすべと柔らかな手と、はにかんで笑う幸せそうな笑顔だ。
少年は瞑目する。
屈託も無く向けられる、惜しげも無い笑顔。それが何よりの信頼の証。
まだ小さな妹、その愛しい笑顔の為になら、ほんとうに何でもできると思った。
目を開けば、不思議そうに見上げる瞳と目が合う。
押さえきれない微笑を浮かべて、そっと手を引いて歩き出す。
向かう先は少年と少女の住まう家。例えどれほど嫌がろうとも、帰るべき場所はやはりあそこなのだ。
急ぎつつも、少女の負担とならないように急き立てるようなことはせずゆったりと歩を運ぶ。

「さ、急がないと。シィとミナが心配して待ってる」
「ほんとう?……どうしよう、おこってるかしら」
「どうかな。多分、怒られるとしてもおれ1人だろうね」
「どうして?にいさまは、わるくないのに」
「そうだな…お前に不安を感じさせちゃったことと、だまって飛び出してきたことに対してかな」
「! にいさま…!」
「あ、いや!だまって出てきたっていうか、勝手に出てきたっていうか」
「やっぱり出てきちゃだめだったんだ!」
「あー……」

容姿とは不釣合いに、まるで大人のように咎める妹と、気まずげに笑って目をそらす兄。
歳の離れたこの兄妹だが、その物言いは傍から見れば立場が逆のように思える。
手を繋いで、他愛も無い会話を続けながら穏やかに桜のアーチの下をくぐる。
やがて母屋に近づけば、遠くでこちらに大きく手を振る幼馴染2人の姿が見えただろう。兄妹は顔を見合わせて笑い、手を振り返した。



記憶の海から意識の浮上。
瞼を押し上げ仄明るい部屋の中をしばらく眺めていると、霞がかって鈍い意識がしだいに明瞭になってくる。
胸の奥がほんのりと暖かく、共に微かな痛みも伝えて心を苛む。
なつかしい、夢。
大切に優しく守られていたあの頃。
周囲の心無い言葉に胸を痛めながらも、2人であれば忘れられた。楽しくて、愛しくて。とても幸せだった。
けれど、今傍らには誰も居ない。ただひとりだ。
いつも傍にあった温もりも、自分を呼ぶ声も、大好きだった笑顔も。
なにも、ない。
甘く幸せに棘を刺す過去の記憶。
目覚めなければ良かったと思わせる喪失感。
あのときに戻れたら、と。
何度も何度もそう願った。
詮無いことだと知りながら幾度も、今までのことは全部夢で、目が覚めれば変わらずあの場所にいられるのではないかと莫迦な幻想を抱いて眠りに付いてきた。その度に同じ喪失感と後悔を得るのだ。
そして自嘲する。
全て今更だ。切欠はどうあれ、あのときに選んだのは確かに自分だというのに。
それなのに願わずにはいられない。
嗚呼、何て愚かなのだろう。

「……諦めの悪い」

吐いた息は、思いの外重く響いた。
閉め忘れたカーテンの向こうにふと目をやる。
白んできた空を見つめながら、こんな夢を見るのも随分と久しぶりだと思った。
今ではこんなことも少なくなってきたというのに。
何処だったか、街角で見かけた写真の所為だろうか。幸せそうに桜の木を見上げる家族の写真。
そんな些細な切欠で記憶が甦るなど、随分感傷的になったものだ。
もう一度眠る気にもなれず、ベッドを出る。
部屋の生ぬるい空気は確かに夏が近付いていることを教えてくるのに。
酷く、寒気がする。





(後味が悪い。梅は季節が早いんだけど見ないふり。桃はぎりぎりだ)

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