エルトナムの助手

「おはようございます。調子はどうですか?」
ラニの声に、オレは目を覚ました。
「ああ、大丈夫。ラニのおかげで今日も気分がいいみたいだ。」

…もしかしたら、自分は二度と目が覚めなかったのかもしれない。
最初に目を覚ましてみれば、目の前にはアメジストのように透き通った紫の髪と褐色の肌を持つ美少女が目の前にいた。
目を覚ます以前の記憶は全く思い出せない。
どうやらオレは難病に冒され冷凍保存されていたらしく、オレには家族もいなかった。
そんな身寄りのなかったオレを、彼女は友人として迎えてくれた。
今では彼女の家である由緒正しい学者の家系錬金術のエルトナムがオレの難病の治療と面倒を見てくれている。
ラニはエルトナムの後継者であるはずなのに、自分のような面倒な人間に嫌な顔一つせず話しかけ世話をしてくれ、それがオレにはとても嬉しかった。ラニの師であるシアリム・エルトナムもまた彼女の意思を尊重し、自分とラニの関わりを温かく見守ってくれていた。

どうしてラニが自分を助けてくれたのかオレには信じられない。
彼女が何故自分にここまでしてくれるのかよくわからないし、申し訳ないとすら感じる。
彼女の話によると、自分には全く記憶にないのだが、聖杯戦争という物騒なものに自分は参加し、そこでラニに出会いどうやら彼女を助けたらしい。
その聖杯戦争終了後、ラニは冷凍睡眠で保存されていたオレを探してくれて、エルトナムの知識を総動員して治療に当たってくれている。おかげで難病の完治はまだ先になりそうだが、今はラニと楽しく過ごしている。
自分はラニに命を救われこそすれ、彼女の命を救ったなどと大層なことを自分がしたとはとても思えないのだが、彼女と一緒にいられるなら、まんざらこの難病も悪くはないなと思える。
そういう訳で治療でお世話になりっぱなしでは申し訳ないので、オレは合間を見てラニの錬金術の手伝いをしている毎日だった。

「今日は、シオン・エルトナムがここに来られるのだそうです。その準備とお出迎えを一緒にお願いできますか?」
「シオン・エルトナムって…誰なんだい?」
「エルトナムの血族の方で吸血鬼化の治療の研究の為に当家を出奔された御方です。師がシオンと話をされた折に、あなたの難病について興味を持たれたのだそうです。」
「わかった。オレでよければ、いくらでも手伝うよ。」


夕日が沈み暑さが和らぎだした頃、ラニとオレそしてラニの師の3人で来客を出迎える為に玄関に出た。
客人らしき女性がそこにはいた。
ラニが挨拶をする。
「ごきげんよう、シオン・エルトナム。当家に戻られるのも久しぶりでしょう。ゆっくりと休息をおとりください。」
「ええ、本当になつかしい。吸血鬼化治療の研究のまとめを編纂する為にここにしばらく滞在したいと考えています。よろしく、ラニ。」
シオン・エルトナムは、ラニと同じ髪の色とそしてラニの師の鋭い目つきや雰囲気がよく似ている女性だった。
一通りの挨拶が済むと、シオンと呼ばれる女性は視線をラニから隣に移し…
「それと隣の彼は?」
「はい、師から話があったとは思いますが、私が聖杯戦争で命を助けてもらった友人です。」
「そう、彼があなたの友人ね。」

シオンはこちらを見ると、不吉な雰囲気で告げる。
「話には聞いていましたが、百聞は一見にしかずとはよく言ったものです。彼はこのエルトナムにはない素養の方のようですね。ラニ、これから彼に試したいことがあるので彼を少し借りてもいいでしょうか?研究中にわかったことを試してみようと思うので。」
その言葉にオレは嫌な予感がした…。
「シオン、……治療と仰るならば、彼の了承を得てからにして頂けないでしょうか?」
試すとくれば…研究実験に違いない。だがエルトナムに居候の身としては断れるはずがなかった。
ラニが断ってくれたら…と淡い期待を抱いたが、やっぱりというべきなのか、ラニは止めてはくれなかった。
先輩というべきシオンにラニが反対できるはずはないのだ。
今までの生活でエルトナムが論理・計算・知識のみに偏った考え方をすると薄々知っていたけれど、どうやら自分はこれからモルモット(実験動物)にされる運命らしい。

ラニに見送られ、シオンに引きずられながらオレは研究室に連れ込まれる。
「高速分割思考展開。あなたの病のあらゆる原因を分析し、これから試せる治療の全てを行います。エーテライトをあなたの神経に接続していますので、動けないとは思いますが…」
「シオンさ…。ちょっ、やめ…」
「このぐらいで根を上げてもらっては困ります。体を治したいのでしょう?」
シオンはオレにエーテライトという糸を何本も取り付け、動けなくしてから…何やら様々な変な魔術めいたものをオレの体に何度も試しているようだった。
電流のような衝撃が体を走るたびに、走馬灯のように今までの記憶が浮かんでは消えていく。といっても記憶にあるのは、このエルトナムでのラニとの生活しかなかった訳だが…。
「それにしても私が吸血鬼化治療の研究の旅で出会った遠野志貴のように、ラニにもあなたという想い人が見つかってよかった。」
「え、本当ですか?ラニがオレのことを…」
「え え、シアリムから聞いています。ラニが他人からの命令ではなく、自分からあなたの救命と世話という選択肢を選んだことに驚いていると。私もエルトナムにい るだけでは、人を想うことの素晴らしさはわからなかった。聖杯を手にすることは叶いませんでしたが、彼女がここを出て得たものは少なくない。久しぶりにラ ニの顔を見ましたが、以前私がラニを見た時とは明らかに違います。今の彼女の瞳には自分の意思の光が見える。その要素にあなたが介在することは否めませ ん。鈍感というべきなのか、あなたは気づかないようですが…」
今までつきあいが長くなりつつあるとはいえ正直な話、ラニのまるで機械のような感情の起伏のなさに、彼女が自分のことをどう想っているのかいまいち確信が得られなかったのだが、そんな最中でのこの言葉だ。思わず気持ちがたかぶる。
「あなたにはもっとしっかりラニのことを見てもらわなくては困ります。」
「あの、治療というか実験はそこまでにして…そろそろ」
「あなたは志貴に似ています。だからもう少し付き合ってもらいましょうか?」
どうやらこの人は志貴にしたかったことをオレにぶつけたかったようである。
悲鳴めいた自分の声ははたしてラニには届いたのだろうか?





                     続き      

聖杯戦争後のお話。 注意して欲しいのは、聖杯戦争後なので、男主に聖杯戦争中(それ以前も含めて)の記憶はありません。シオン・エルトナムはタイプムーン他作品の「メルブラ(MELTY BLOOD)」に出てくる人です。