突然のにわか雨に遭遇した。店か民家か、とにかく雨宿りする場所を探さねばならない。東京は天気予報をちゃんと見てくればよかったと後悔するがもう遅い。
２人は近くの古いお店に入った。民芸品を取り扱っている店らしい。京風の小物がたくさん並んでいた。店番をしていた店主に雨宿りをしてもよいかと尋ねると快く承諾して、タオルと傘を貸してくれた。店主はえらい災難やったなぁと穏やかに笑った。温かいお茶までもらってなんだか申し訳ない気分になりながらも、他愛のない世間話をする。先ほどまで不機嫌そうだった京都は少し楽しそうだった。しかしそれをさえぎるようにジリリリと懐かしい黒電話が鳴った。電話を取った店主の表情はみるみる変化していった。そして火急の用で、すぐに出かけなければいけないという。孫が生まれるそうだ。今すぐにでも病院に駆けつけたいと嬉しそうに話していた。自然の流れで留守を預かることになった。とするとしばらくここにいなくてはいけない。東京はタイムロスを埋めるために携帯とスケジュール帳を開いて思案する。

京都は長椅子に腰かけていた。雨で濡れた長い髪がきれいに光った。風邪を引いてしまうから早く拭くなりなんなりした方がいいと東京は思う。大きなお世話だろうから言わない。絹のすれる音。京都は伏し目がちに、ふぅと小さくため息をついた。言葉少なく密な空間に息がつまりそうになる。

どうしやったんどす。小さくかすれた声が響いて、無意識に自分が伸ばしていた手を彼女が包み込むように握った。それはとても温かい。そこから幼いころの風景が流れ込んでくる。

「大切にしておくれやす。あと、絶対になくさんようになぁ、なくしたらあきまへん。東京はん、約束してくれますやろか」

何度も念を押しながら掌に何かを乗せてくれた、あの時の手に似ている。渡してくれたそれはなんだったのだろう。そうだ。綺麗な石だった。太陽に透かすと穏やかな海が浮かんで潮風のにおいがふわっと漂ってくるような石だった。いつもは少し怖いけれど美しくて優しい京都さんが、こんなに美しいものをくれた！なんと素晴らしい日であろうか！幼い自分はそれを彼女の好意と受け止めた。京都さんがもっと大好きになった。笑顔で顔をあげた。彼女はおっかない顔をしていた。いや違う今ならそれは違うとわかる。彼女は怒っていたわけではない。あれは笑っていたのだ。初めて見た京都さんの笑顔は、あの頃の自分にとってはとてつもなく恐ろしいものに映ったのだろう。

　思い出さなければよかった。こんなこと思い出さなければよかった。

東京の中で混濁した記憶がぐるぐると鬩いでいる。この雨のように気まぐれでよみがえった記憶がなにかを蝕んでいく。彼女は何も言わない。何も言ってくれない。京都の目に映っている自分はひどく動揺していた。しかし次にすべきことはわかっている。今度は私から渡す番であるということ、そう怖がらなくてもいい。怖がるのはむしろ彼女の方だ。もちろん無理に実行しなくてもいい、自分に選択権があるのだから。すうと撫ぜた彼女の頬はひどく冷たい。

解釈次第ではR15かもしれない

「おそろしかとよーもうあんなとこ行きたくないばいー」

福岡は机に顎を乗っけてへこんでいる。仕事で変なところに行ってきたと。最初は断りたかった、そのつもりだった、ばってん皆の手前断れなかったと。すごくすごく怖い思いをして無事帰還出来たのが奇跡だと。長崎は彼女らしいなぁと思いながらカステラを出すと、福岡は喜んで飛び起きた。きらきらと瞳が輝く。素直でわかりやすい。もぐもぐもぐと忙しそうに口を動かしていた。その間にどんどんと愚痴やらなにやらこぼす。長崎は律義にちゃんと聞いて、時々頷きもした。そんな恐ろしいとわかってるなら行かなければいいのに。触れなければいいのに。というかそこはホラースポットで有名なのだけれど。そんな怖いと福岡は知らないのだろうか、知らないのだろうな。教えたら泣き出しそうな勢いだったので長崎は教えないことにした。そうして鬱憤を全てぶちまけてすっきりしたのか、福岡は玉露茶をすすり一服ついた。幸せそうな表情をしている。一つ一つの動作が愉快だ。楽しい。ただ傍観しているのがちょうどいい、ずっと一緒にいると少し疲れる相手だと思う。まあ四六時中愉快な時間を満喫できるのは素敵なことなのかもしれない。いや素敵なことだ。幸せなことだ。自分にとってはどうかと尋ねられると、きっと、その。なんと答えればいいだろうか。

「………どうした長崎？」

かなりの至近距離に福岡の顔があった。くりくりと大きい瞳が長崎を見上げていた。たぶん無意識であろう押しつけられている胸に苦笑しつつ、長崎は福岡のほっぺを指でつつく。

「ほっぺにかすがついとるよ」
「ありゃ！」

長崎はティッシュで彼女の口の周りを拭いてやった。福岡は指についた甘い砂糖をぺろりと赤い舌で舐めとった。おいし、と小さく幸せそうに呟いた。

「もう絶対一人で行かんよ。とにかくもう、ほんと怖かったばい。忘れることにするー」
「福岡がずっとそん調子だとこっちまで調子狂うからね、こんで一件落着？」
「ん！いやーほんと迷惑かけた！ごめん長崎愛してるばい！…………でも皆で行けば怖くない気がするとよー………ねえ長崎どうおも」
「それはやめた方がいいよ」

なーんだ長崎も怖がりかーこのこのー！と、福岡は長崎の額をつんつんと指でつつく。ここは適当に否定をしつつ、彼女は色んな意味で恐ろしいが愉快で可愛いと再認識をした。

街は夢を見ている。
中華街から少し離れたビルから街を見下ろす。あちこちがきらきらと光っていてとても立派できれいだ。東京とあまり変わらないような気がする。でも少しでも比較するようなことを言うと、神奈川は結構気にするようなので静岡は黙っていた。せっかくの冬なのだから、本当は雪をかぶった建物を見たかった。ちょっと残念だがやっぱり夜景は綺麗だった。静岡はそのままぽけっと見とれていると「風邪ひくだろ」と神奈川は自分のコートを静岡の肩にかける。

「ありがとー」
「しずだけの体じゃないだろ、気をつけろよ」
「………その言いまわしはやめた方がいーよ、恥ずかしいだに」
「なんでだよ、本当のことじゃん」

神奈川は不満そうに眉を寄せる。はーだめだこりゃ。説明するのも恥ずかしい。再び夜景に視線を戻すと、つられて神奈川もそちらを向く。
どこか遠くを見ている横顔。どこを見ているのだろう。同じ夜景を見ているのだろうか。

「ん、なんだよ」
「今、カナちゃんがどっかに飛んでっちゃうような気がした」
「飛ぶ？………あ、もしかしてあの“飛ぶ”か？大丈夫だって。こんな都会、一流の都会にしずを置いてどっか走り回るなんて心配でできねーじゃん？」

そのまんまの意味だったんだけどなぁ。訂正するのが面倒で静岡はうんうんとうなずいて誤魔化した。あと都会を強調しすぎだと思う。否定はしないけれど。

「よし！一緒に走ればいいだろ！」
「えーまたどっかいくのー」

神奈川は強く手を引っ張りどこかへと連れていく。外に出て騒がしく楽しそうに町を走りぬけていく。
うん。どこでもついていくし、時々は自分から引っ張ることもする。面倒くさがり屋でもそれくらいはするよ。言わないけれど。これは暗黙の了解として今はもう少し夜の夢を見る。