「帝役?」 俗物をなるべく己の視界から除こうという心がけなのか、彼女は常に伏し目である。しかし今はその目は大きく見開いていた。 「ああ、せやけど舞台の上ゆうても、あ、ううん。あかんなぁ。やっぱりあかん。うちには無理や、できひん」 「あ、いや、失礼なお願いだということは重々承知でした。忘れてください」 竹取物語の帝役やってもらえないでしょうか、なんて突然言われたら誰でも面食らう。 「へえ、力になれんですんまへん。ん、かぐやはんは東京はんがやる予定やったんやろか」 「や、やりませんよ。そもそもこれ結局白紙になったんです」 「なんやつまらんなぁ。最初からそう言っておくれやす」 ふうと京都は息を吐き、汗ばんだその髪をかきあげた。ちらりと見えたうなじが堪らなくそそって、こう、こちらに引き寄せてキスしたい気分になる。しかしそんな無礼な真似出来るだろうか。いや出来ない。いやいやいや、先ほどの出来事はノーカン。合意の上なのでノーカンですからねはい。 とにもかくにも尊くて憧れで久遠の人、それが京都さん。深夜、オレンジ色の灯りに照らされた京都さん。夜の雰囲気も相まって、彼女自身の気品ある輝きが本当に眩しい。 「葎はふにも年は経ぬる身の」 ああ帝様。私はつる草に囲まれた家で育った身分の身でございます、玉のように尊いお家のお方とは釣り合いません。はじめて帝と出会ったその日、かぐやの心情を詠んだ歌だった。 続きはなんだったろう。詰まってしまいふと京都と目が合うと、彼女はにこりと笑いかけた。そしその続き、下の句を鈴が鳴るような澄んだ声で詠んでくれた。声を長くして、音の調子を変えたりと本当に歌っているようだった。 「身分不相応の恋って燃えませんか?」 「苦労しますえ」 「そうですね。苦労しています。今でも私とあなたは釣り合わないと思います」 「それは嘘や。ほんまはそんなこと思っとらんやろ?」 「………まさか」 京都は少し不機嫌そうに顔をゆがめる。そんな顔も美しいなんて本当にこの人は完璧だ。完璧でそう簡単には壊れない美しさ、そして自分の不甲斐無いところや醜さといった欠点がそのまま返ってくる。なんて表現すればいのだろう。いまだに見つからない。何故か申し訳ない気持ちになる。 「東京はん」 京都がふっと胸に寄りかかってきて、細い腕が伸びて優しく頬のラインをなぞる。強くて宝石のような瞳に囚われて、痺れるような甘い甘い感覚が東京を襲う。 「もうすぐ東京はんは帰ってしまうんやろ、ああかいらしいかいらしい、うちのかぐやはん、どやったらずぅっとうちのとこにいてくれますやろか。その気にさせられるやろか。さっきからそんなことばかり」 京都の熱烈な言葉に今度は東京が面食らった。 「え、えっと、ああ、光栄ですけどかぐやはやめてくださいよ」 「東京はんの方がかぐやみたいや。なんや、ますますそう思えてきたんどす」 「そうですか。私は、京都さんが望むならいつまでも傍にいたいです」 「嬉しおす」 「でもすいません、もう帰らなくては」 唇に触れるだけのキスをする。そして、唇で首筋へ、さらに下へと少しづつ視線を下へと手を移動していく。ふと覗いた白い足。東京は目を瞑り、手をひっこめた。耳元で小さなため息が聞こえた。 「………惨めな気分や。東京はんは、ほんまに嫌な男」 恨みごとを聞きながら、それをしっかりと心に刻みながら、彼女の長い髪を指で梳く。しかし本当にもう行かなくてはいけないのだ。すいません、と一回だけ東京は謝る。気が遠くなるほど長い長い時間を経て、ようやく彼女を胸に抱けるようになったのにずっとこんな調子だ。心を通わせる時間はあまりにも短く足りない。 |