ロストキャンディ



25/100 のどあめ
痛みの和らぎ。ドロップス=涙。
のどあめの半分は優しさでできています。
めぞんの新の中学生期と、その女友達。
学ランとセーラー服のイメージで。



――頭が痛い。
あたしは、ホームで電車を待ちながらそう思う。
ぐずぐずと鼻を鳴らし、涙をとめどもなく流しながら、その理由を考える。
寒いから。
泣いてるから。
不快な痛みの理由は、その2つに収束できるだろう。

じゃあそれを回避するために、何ができるか。
制服と、その下にはいたジャージを越えて染み入ってくる寒さはどうしようもない。自然は偉大で、それがもたらす恩恵も災難も、あたしたちは甘んじて受けるしかないのだ。
一方、あたしの感情から生まれる涙。これはあたし自身の問題だから、あたしがどうにか自分の感情に対処できればどうにかなるものだ。
けれど、それを止めることは、今のあたしにはひどく難しく思えた。

放課後の教室。
誰もいないそこで、楽しそうに笑う2人。
そしてキス。
それらは認めなければいけないことだと分かっているのに、学生カバンに未だ入ったままの手紙と一緒に、あたしの中でひどく宙ぶらりんだ。
あたしの涙が、冷たいホームに落ちていく。


――駄目だ。
自分の哀れさに酔うこともできず、あたしは袖で涙をぬぐって、ポケットティッシュで鼻をかんでカバンのポケットの中に入れる。
あいつのせいで泣くなんて、あたしに出来る訳がない。
権利がない……そして今更、だ。

今年の夏、あたしはこっぴどくあいつを振った。
よりによって、最低の冗談だね、という言葉を添えて。
犬みたいなあいつは、分かりやすく感情が出て、とっさに出たあいつの表情に、あたしは自分が最低だという事に気付かされてしまった。
良心の痛みに苦しむあたしに、あいつはいつも通りに接してきて、だからあたしは。


……だからあたしは、この恋心を持つ権利なんてない。
この気持ちが生まれたのは、あいつに対する罪悪感からだ。
――そう言い聞かせてたのは、誰なんだ。
新たな叱責が自分の中から生まれてきて、あたしはたまらず学生カバンを開け、手紙を手に取り、両端を持って反対方向に、

「美紀?」

後ろからかかった声に、そのまま再びカバンの中に突っ込む。
「……新」
ちら、と見れば、能天気な顔が見えて、あたしはそのまま前を向く。
「一人?」
「……他に誰かいるように見えんなら、頭か目の病院行った方がいいんじゃないの」
「はははっ」
ちらりと見たきり振り返らない、冷たいあたしの言葉にも新は笑って、あたしの横に並ぶ。


あたしは黒い学生カバンを抱えて、線路を見つめる。
カバンの中のひしゃげた手紙が、気になってしょうがない。
赤くなってるだろう目元も。
ぐずぐずの鼻も。


「風邪ひいた?」
「え」
反射的に顔を上げてそう返しながら、あたしが鼻をすすっている理由を奴が勘違いしたのだろうと気が付く。
再びうつむきながら、あたしは答える。
「うん。……ちょっと、だるい」
こいつの前では常になりすぎて、罪悪感さえ覚えない嘘を口にする。
でも、本当こいつがアホでよかったとも思う。
あたしの恋心にも気付かず、あたしの涙にも気付かず。

奴は嬉しそうな声で言う。
「ちょうど良かった。いいモンやるから、ちょっと手出して」
その言葉に眉を寄せながらも、あたしはカバンを抱えて手のひらを上にして、片手を差し出す。
ゴソゴソとバッグの中を探って、何かをつかんで、あたしの手のひらの上でぱっと放す。

ばらばらに落ちてくるそれは、色とりどりのキャンディーたち。
「のどあめ袋ごともらったんだけどさ、俺甘いの苦手だし、多分食いきれないしさぁ」
「あんたバカ?」
あたしはキャンディーを見つめながら言う。
今更、奴のしゃがれた声に、気付きながら。
「――何でだよ」
ふてくされた声の奴に、溜息をついて教えてやる。


「ひとつ。何であたしが鼻をつまらせてる、つまり鼻かぜと思われるのに、のどあめを渡すのか」
何て可愛らしげのない女だと、自分に思いながらも、言わずにはいられない。
「もうひとつ。どーせあんたがのどあめなんて気のきいたモン持ってるはずがないし、誰かにもらったモンでしょうが。風邪ひいたあんたを気づかった人の好意を、あたしに与えてんじゃないわよ」
見れなかった目を、真っ直ぐに見つめながら、あたしは怒り声で言う。
「そして最後」
最後はためらいながらも、つかえた気持ちを吐き出すために言う。

「そのひと彼女でしょ」
たとえ痛くても。
認めなきゃいけないから。
「放課後の教室なんて、ベタな所でキスしてんな」

バレバレだっつーの。
そう告げるあたしの言葉に、見る間に顔を赤くして、奴は座りこむ。
うわーうそー恥ずい死ぬー!なんて、悶えている奴を、あたしは笑って見下ろす。


「……あーらた」
あたしの呼び声に、泣きそうな声を上げる奴に、あたしは笑って言ってやる。
「初ちゅー?」
「……お初です……」
そう答えてうあぁぁぁぁ、と声を上げて再びうつむく。
そんな奴に、あたしは声を上げて笑う。
駄目だこいつ。
やっぱ面白い。



そして新は、今まで一緒に帰る時と変わらず、家まであたしを送って行った。
「どーも、ありがとね」
「いやいや。……じゃ、また明日な」
え。

「――新」
とっさに呼びとめてしまう。
けれど、何か用がある訳でもないから、こっちを見る奴の目に戸惑ってしまう。
「……のどあめ、も。ありがと」
とっさに出た声は変に途切れるし、少し弱い。

それがおかしいのか、奴は笑いを浮かべる。
――いつもと変わらないそれは、なんか他の人と違って獣じみてて、相変わらず気持ち悪い。


「美紀」
みのり。
あたしの名前を呼ぶ声が、やけに真剣で、耳に残る。
「俺、今幸せだよ」
それでも、その言葉の意味はその声からにじみ出てて、だから、

「……いきなり何言ってんの」
あたしは呆れた声で言ってしまう。
「ひでっ。……いや、何となくさ」
……何となく、ねぇ。
まああたしも奴の言いたいことは、何となく、分かった。
だから、大きな溜息をついて言ってやる。
「バーカ、のろけてんじゃないわよ」
それに奴はふてくされて。

「ま、いいや。じゃあ、本当またな」
「……じゃあね」
笑って言ってしまう。




そしてあたしはその後。
……食欲が失せることもなく。
……勉強に集中できない、ということもなく。
……読書に集中できないということもなく。


「……あたし、失恋したのよねぇ?」
ベッドの上の天井を見上げながら、自分の部屋で一人呟いてみる。
一回泣いて、気がすんだんだろうか。
あまりにもあっさりとした自分の心情に、ちょっと溜息をつきたくなる。

だから、思い出したくもない教室の光景を、思い出してみる。
気持ち悪い笑顔が、緊張した顔に変わる。
あの子の細い腕を、そっとつかんで。

――ずるいな。
それだけで、そう思ってしまう自分に。
……逃避か。
そう溜息をつく。


くそう。ずるいよ。ずるすぎるよ。
なんであたしじゃないんだろう。
なんでさっさと告白しなかったんだろう。
なんでさっさと気付かなかったんだろう。
なんで、認めなかったのだろう。


後悔はずるずると後から悔やむから後悔なのだと分かってていても、あたしの中からどうしようもない気持ちが湧き上がってくる。
その気持ちのまま、ベッドの上をごろごろごろごろ転がる。
ごろごろごろごろ、
「ん?」
腰の辺りを変な感触が触っていって、あたしは動きを止める。
そうしてそっちに目をやれば、可愛らしい包み紙に包まれた、奴がもらった、奴からもらったのどあめ。

「……入れたまんまだったっけ」
それを取って、さらにポケットの中から数個ののどあめを取る。

しかしその次にどうしようかと決めていた訳でもなく。
あたしは、手のひらの上でのどあめを持て余す。
……あむ。
口ん中に放りこむ。

そして大事に舐めて、そっと舐めて、その味を忘れないようにして。


がりっ!

容赦なく、噛み砕いた。









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