Say Goodbye



「海に行きたい」

どちらかというと山派の僕が海によく行くようになったのは間違いなく彼の影響だ。
その彼は僕の要望を聞いて困ったように答えた。

「もう水母の時期だから……」
「別に泳がなくたっていいんだよ。今年はまだ試合と予備校ばかりでどこも行ってないから」

インターハイが終わって、僕は予備校に通う毎日だった。
部活の推薦ではなく普通に進学するつもりだったから、それなりに知識を詰め込まないといけない。
僕はすっかり燃え尽きていた。
三年前の夏が一番燃えた気がするけど。それをいうといつも彼は懐かしそうに笑った。
僕の我侭にも河村は困った目をしている。
だけど僕をみているその目がとても優しい色を帯びているのは自惚れじゃないはず。
僕の河村に返す視線もきっと同じ色を帯びている違いない。

なんでもないこの時間がとても愛しい。
もたれていた背をもっと深く河村に預けるとTシャツ越しの体温が伝わって、残暑が残るこの季節に熱くて堪らないはずなのに幸せだった。

「んーそうだなぁ……来週の水曜日は空いてる?」
「水曜日?」
「うん。その日なら定休日だし、海にいこうか?」
「本当に?」

河村の言葉に思わずガバッと上体を起こした。

夏の海は好きじゃなかった。いや、正しくは河村と行く夏の海は、だけど。
どうしても二人だけでいくとナンパ目的と間違えられて女性たちに声をかけられるし。
彼女たちと身体の違いを見せるけられるのも嫌だった。

高一の夏を過ぎた頃から僕の身体は少しずつ大人のそれへと変化していった。
自分の身体の成長を喜んでいいのか複雑だった。
テニスは大学に入っても続けるつもりだったから、鍛えられた成長した身体は不利になることはないから。
むしろテクニックで攻めるタイプの僕にとっては体格がよくなることで上昇の余地があるかもしれない。

だけど、僕には恋人がいた。
思いを寄せ合うその人は同性で、どちらかというとがっしりした男だった。
河村は男が好きなわけじゃないと思う。
骨ばった手足に何を思うだろう。
誘われたのは遊泳できなくなる時期の海だったからホッとした。
僕はそのとき、僕の成長を家族の次に喜んでいる男がすぐ隣にいることに気付かなかった。





最寄り駅から電車を乗り継いでついた海の海岸沿いを当てもなく進む。
この時期の海は人影も疎らで悲しげだ。
まぁ、それもそうだ。泳げない寂しい海には幸せな家族や恋人たちは似合わない。
だけど僕たちはその道をゆっくり歩いていた。

「来年は車でこようね。俺免許取るし」
「……そうだね。期待しているよ」

僕はある決意をしていた。
今日はそれを告げるためにこの海を舞台に選んだ。

「タカさん、こっち向いて」

ファインダー越しに大輪の花のような笑顔を見せられて。
照れたように頭を掻く仕草さえ愛しい。
すべて愛しいのに……

決心が鈍りそうになったけれど。
すぐに気を取り直し、シャッターを切った。







冷夏の影響か水母は少なく、この分なら足くらいは浸けられそうだ。
二人して顔を見合わせると、スニーカーを脱いでいく。
歩くたびに、足先から水飛沫が宙に舞って綺麗だ。
熱気のこもったキャンバス地から開放され、水と砂に沈む足の裏が気持ちよい。

「今日はいっぱい撮ったね」
「うん……」

辿り着いた先はテトラポットのある岬で、そこに二人して腰を下ろした。
陽が海に飲み込まれていく。
赤が青に交わる瞬間。
リミットが近づいている。

早く言わなくては……

見つめあっていた視線を波に向けて言う。

「タカさん、僕好きな子ができたんだ」

河村が息をのむのがわかった。






さよならはボクから。

仕掛けたのは僕。終わらせるのも僕の役目だ。
今ならまだ間に合うんだ。
これ以上進むともう後戻りはできないから。

「だから別れよう」

僕の台詞に河村からの返事はなかった。
河村は今どんな顔をしているんだろう。
傷ついた顔?それとも……ほっとした顔?
だけど僕には確認する勇気はなかった。
しばらくして震えた声で告げられる。

「そうだね、終わりにしようか。……今までありがとう、不二」

これで終わり。
あっけないラストだった。



好きな子ができたなんて嘘だ。
遊びで思いを告げたわけじゃない。
ただ……がむしゃらに手に入れればなんとかなると思っていたあの頃とは違い、気付かなかった現実に今更気付いただけだ。
ただ一旦手に入れたものを手放すのは難しかった。
惜しくて辛くて引き延ばした結果、より手放したくなくなった。

だけど……

僕といると河村は駄目になる。
自分はいいんだ。偏見や差別なんかは乗り越える自信があった。
だけど、河村の夢には必ず僕が邪魔になる。
僕は二人で居続けるよりも彼の夢を叶えたかった。
そのうち、他の誰かが、隣にいても不自然に思われない子が現れて彼の隣を独占するだろう。
きっとその頃には僕も彼を忘れているはずだ。

「さようなら、河村」

こうして僕は、僕の六年間を海に捨てた。

僕は泣かなかった。















仰げば尊しを歌い終わって僕たちは出て行く。
無事に希望する大学にも受かって僕は青学を旅立つ。
河村はそのまま本格的にお店を手伝うらしい。
親父さんは大学部くらいは……という話だったけれど、河村は早く一人前になりたかったみたいで。
英二はそのまま大学部に進学する。大石と乾は僕と同じく外に出ることになった。
それぞれ違う道を進むことになった僕らは
黄金ペアもここまでかと寂しい気持ちになった。
僕は彼らが大好きだったから。
二人で戦う彼らが好きだった。

英二や大石たちと。
桃に頼んで三年皆で。
デジカメでもよかったけれど僕はフィルムのほうが好きだったから。
僕が思い出を封じこめるために使ったのは古い銀塩のカメラだった。

懇意にしている町外れの写真館で現像室を借りることが出来た。
ちょうど卒業式のシーズンということもあり、そこの主は僕に留守を預け出ていった。
一枚一枚、現像していく。
薬品の匂いと暗室の黒幕に包まれた室内で作業するのはわりと好きだった。
卒業式の写真をみてそのうち懐かしく思うときがあるんだろうと感傷に浸ろうとしたそのとき――
透かしてみえたものは――

これは……っ!

卒業式で使った一本目のフィルムは使用途中のものだったようで、最初のほうは別のシーンだった。
連続して写るその人は――

あの夏の終わりのその画には、とても優しい目をしてこちらを見ている彼が写っていた。
最期はまた全員の集合写真で、その中の河村の視線は斜め横にいた――
その視線の先の対象者を考えて。

手放したものが大きすぎて
内側から込み上げてくるその感情に、身体が崩れそうになる。
本当は彼から別れを告げられる不安に勝てなかっただけなのかもしれない。

自分が強ければ乗り越えられた?
いっそ彼の夢を叩き潰せばよかった?
そして彼だけでなく廻りも巻き込んで……
想像して自分の醜さに笑い出しそうになる。

これでよかったんだ、これでよかったんだよ。

彼の僕を呼ぶ声も
あの優しくて力強い手も
合わせた温かい背も
戸惑いがちに与えてくれたあの温かい気持ちも

すべてを失ってしまったけれど……

彼はきっと夢を叶えるだろう。
そのときは笑って祝おう。

だから今はただ――

今度は泣けた。

こうして僕の恋は本当に終わりを迎えた。



さようなら、タカさん――



好きだよ……







(09/03/14)





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