そうして君は笑うから 君の笑顔はいつだって眩しくて 曇らせないでほしいと思う でも あんまり眩しすぎて ときどき直視できなくなるよ うまく城を抜け出したアリーナ一行は城に程近いサランの町にやってきた。 「なーんか、ここって庭って感じだよなぁ」 「私は初めて来ましたよ、王子」 アリーナにとっては狩りの途中に寄る小さな城下町でもクリフトにとっては新鮮そのものだ。 故国サントハイムの領土はこの大陸全域である。アリーナたちはまだ城の周囲をちょろちょろしているに過ぎないのだが、城から一歩も出ずに育ったクリフトにとって城下の活気は新しい体験だ。 「ほっほっほ。クリフト殿は何でも新鮮に驚いてくださるから旅のし甲斐がありますなぁ」 「そんな、世間知らずなものですから足手纏いになりはしないかと」 恐縮するクリフトにブライは好々爺の風情だ。けれどアリーナにしてみればせっかくクリフトと二人で旅ができると思っていたところを邪魔されて面白くない。ので、ついつい皮肉が口を付く。 「…ブライのほうがよっぽど足手纏いだよ」 「何かおっしゃいましたかな?」 「いーや、なんにも」 アリーナはくるりとブライの視線から逃げた。 「ブライ様、旅の前にここで装備を整えましょう。薬草や聖水など、少ししか持ち合わせていませんので」 「おお、そうですな。今の装備では心許ないですし。王子、行きますぞ」 言うなりブライはアリーナの首根っこをふん捕まえた。 「痛いっ、首がしまるっ!!」 「ブライ様っ!!」 ずるずる引きづられるアリーナは猫の子のように騒ぎ立てていた。 自分のことを世間知らずだといったわりに、クリフトは買い物上手だった。少ない所持金の中からできるだけよい装備を選び、薬草と毒消し草を買い込み、残ったお金は宿代として取っておくのだと言った。 「さすがクリフト。やっぱり君についてきてもらってよかったよ」 「ほんに。王子のように無計画に突き進んではたまりませんからな」 両者の間にばちばちっと飛んだ火花にクリフトはあわててとりなした。 「お二人とも、こんなところで仲たがいなさっては困ります。これでは民を守ることはできませんよ?」 そういわれた二人はクリフトが言うのならと言い争うのをやめた。 この光景を見ていたサランの町の人々は後にこう語る――次代の王がアリーナ様なら、王妃はクリフト様だな、と。 「あれ? クリフト。君、装備は?」 アリーナは先ほど買った服や武器を装備しているときにクリフトが何もしていないことに気が付いた。 「私は今のままで十分ですから」 「十分たって…」 彼女の装備は布の服と棍棒だけである。アリーナとブライは十分すぎるほどの装備をしているというのに彼女だけが旅立ったときのままだ。 「お金…ないの?」 「いえ、ありますけど」 「だったらクリフトもちゃんと装備しなくちゃ。ね、ブライ」 アリーナの言葉にブライも頷いた。 「そうですぞ、クリフト殿。備えあれば憂いなしとも申しますぞ」 「そうですか? では…ちょっと買ってきます」 クリフトはぱたぱたと店主の元に走っていき、今着ている布の服を売って旅人の服を購入した。 旅人の服は布の服よりも生地がしっかりしている。 「お待たせしました。王子、ブライ様」 「じゃあ、行こうか」 「はい」 サランの町を出て、となりのテンペの村に向かう。途中で数体のモンスターに襲われたが、サランの町で武器や防具を備えておいたおかげで大した傷も負わずにたどり着くことができた。 「…やはり、闇の力がこんなところまで及んでいるんですね」 「クリフト?」 クリフトの指先が、死んだスライムにそっとふれた。 「スライムはもともと、そんなに好戦的な種族ではないはずなんです。モンスターの中でも力がないほうだから集団で静かに暮らしているんです。なのにそんなスライムまで人を襲うだなんて…」 「…そうだね」 確かにクリフトの言うとおりだ。スライムはとても大人しいモンスターで人懐っこい者もいる。 幼いころ、アリーナは城の中に迷い込んだスライムの子供を保護したことがあった。 クリフトとふたりでこっそり飼っていたのをブライに見つかって、そのスライムは取り上げられてしまった。 でも、それはスライムがモンスターだったからではない。スライムは野生の生き物だから、野性に返すほうがいいのだと諭されて止む無く手放したのだ。 アリーナはクリフトのそばにしゃがみこんでそのスライムを見つめた。 もしかしたら、あのときのスライムの子供を殺してしまったかもしれない。 「…でも、理由はどうあれモンスターが人を襲っているのは確かなんだ。それは食い止めなきゃならない。もし影で操っている者がいるのならそいつを退治してモンスターたちを解放してやらなきゃ。こんなところで立ち止まっていても仕方がないよ」 「…そうですね。誰かがやらなければならないのなら、私たちが…」 この世界を元に戻すためなら、そして王子を守るためなら。 私はいくらでも血に染まろう。 クリフトはそっと十字を切った。 テンペの村に着いた一行はその陰鬱さに言葉を失った。 村にいるのは幼い子供と年寄りばかりである。アリーナとクリフトのような若者の姿が見えないのだ。 「おかしいな、うちの兵役はほんの2年ばかりで希望すれば残れるけど終わったら帰れるはずなのに」 商業が発展した村ではないが、農業が盛んで生活するのに十分なものは得られる。それに小さな子供がいるからこの村を捨てたとは考えにくい。 「何かあったんでしょうか、王子」 「かもしれないね、ちょっと聞いてみよう」 アリーナは通りかかった老人に話を聞いてみた。老人はにこりと笑いもせずにアリーナを見つめた。その目に生気はない。 ブライもクリフトも声を出すことができなかった。 「あ、あの…」 「ああ、旅のお方か。すまない、孫に似ておったでのう…」 そうして老人はようやく乾いた笑みを見せた。 「その、お孫さんは…と、言いますか、若い人がいないようですが出稼ぎか何かですか?」 アリーナの問いに老人はゆっくりと頭を振った。 「いいや、死んでしもうたんじゃ…」 「死んだって…病気か何か?」 「あれを見てごらん、旅の方」 アリーナは老人が指差すほうに顔を向けた。クリフトとブライもそのほうを見た。 そこにはたくさんの墓があった。新しい墓の前で初老の女性が泣き伏している。クリフトは祈りの形に手を組んで遠くからそっと祈った。 「この先に祠がありましてのう」 「祠?」 「そこに毎年お供え物をささげておりました…ところが今年から供え物に若い男女をよこせと言ってきまして…」 「そんなバカな! 人身御供だなんて…そんなこと…」 老人の言葉に反応したのはクリフトだった。口元を手で覆い、何かをつぶやいている。 「クリフト、どうしたの?」 「あの方が人身御供を命じられるだなんて…」 「あの方って、誰なの、クリフト」 アリーナは困惑する彼女の肩を掴んだ。クリフトははっとして顔を上げる。 「あ…あの方は…私の師です。テンペ村の教会に派遣されていらっしゃったと聞いていましたが…まさか…」 村の外にある祠は祭事用だったと言ってもいいと村人は言った。 「とにかく…わしの孫は人身御供に出されて…死にましたのじゃ…」 老人の声が涙でくぐもった。アリーナたちは声も出ずにただ立ち尽くすしかできなかった。 「…クリフト、ブライ」 アリーナはぎゅっとこぶしを握った。 「…祠に行かれるのですね」 「ああ、この村をほうってはおけないよ」 アリーナの瞳は不思議なほど力強く燃えていた。 その晩は村に泊めてもらうことにして、早朝出発することになった。 「とは言ったものの具体的にはどうしたらいいのかなぁ〜」 アリーナはベッドの上に寝そべって頬杖を付いた。正義感に燃えて祠の調査を買って出たのはいいものの何をしたものかとんと思いつかない。 「王子…あなたという方は」 ブライの拳骨がアリーナの頭頂部を直撃した。 「いでっ、何するんだ、ブライ〜」 「もう少し考えてからものを申されませ!」 「けど、このまま放ってもおけないじゃないか!」 アリーナはがばっと起き上がるとブライに食ってかかった。そんな二人を尻目に、クリフトは考え事をしている。 (きっと…モンスターの仕業だわ…) あの優しかった師が人身御供など強要するはずがない。そうなると師はもう生きてはいないだろう。 クリフトは少しきつく瞳を閉じた。 「クリフトー、ブライをとめてー」 「いいえ、問答無用ですぞ、クリフト殿!」 今の彼女には何も聞こえていない。 「クリフト…クリフトってば」 「は、はいっ! なんでしょう?」 クリフトは勢いよく立ち上がった。驚いたのはブライとアリーナのほうで、眼をぱちくりさせている。 「ク、クリフト?」 「あ…すみません、考え事をしていて。何か?」 ちょこんと小首をかしげる彼女にアリーナはうんにゃと首を振った。 「いや、明日に備えてもう休もうかと思ってさ」 「そうですね」 3人はそれぞれのベッドに荷物を置くと寝る準備をはじめた。ブライは早々に寝息を立て始めた。 「お疲れになったんですね、ブライ様」 クリフトはブライの上掛けをきちんとかけてあげた。それから彼女は豊かな藍色の髪を三つ編みにしている。細い指先が髪を結っていく様をアリーナは楽しそうに眺めていた。 「アリーナ様?」 クリフトはお気に入りだというリボンで髪を結んだ。見つめられているのに気がついてクリフトはアリーナに呼びかけてみた。 アリーナははっとしてそれからクリフトを抱きしめた。 「えっとね…本当は今すぐでも君を抱きたいんだよ」 「あ、アリーナ様…」 「でも、ブライもいるし、明日は大事な調査をしなくちゃならないから。だから我慢する」 「…わ、私はかまいませんが」 クリフトはさっと顔を赤らめ、うつむいた。彼女のかわいい仕草に決心が鈍りそうになる。 でもアリーナは自分を強く戒めた。 「ん〜〜、だめ。やっぱりだめ。君にも頑張ってもらわないといけないから。動けなくなったら困る」 「そ、そうですね」 アリーナの腕の中で、クリフトの体が熱くなっているのに気が付いた。 「…キスだけ。ね?」 「はい…」 見つめあいながらゆっくりと目を閉じる。二人をつなぐのは唇だけ。 翌朝、テンペの村で装備をもう一度整えてから3人は祠に向かって旅立った。 旅立ったという表現はいささか大げさかもしれない。祠は村から歩いて1時間程度のところにあった。 アリーナは祠の入り口を覗いてみた。所々に灯りがあって真っ暗というわけではないが鬱蒼としたいやな感じは否定できない。 「この中で何かが起こっているんだ…」 彼は背後の二人を振り返った。何も言わなくても分かっていると、二人は同時に頷いた。 「じゃあ、行くよ」 「はいっ!」 3人は祠に足を踏み入れた。 しばらく進んでいくと早速モンスターに出会った。アリーナは素手でモンスターをなぎ払う。クリフトはアリーナがかつて装備していた聖なるナイフを譲り受けて応戦している。ブライも必要に応じて呪文を駆使したが、まだ使える呪文が多くないので援護に回っている。 アリーナたちはモンスターを倒すと、少しずつ先に進んだ。 「あれは…人?」 先頭を歩いていたアリーナが照らし出された影に反応した。 近寄って見てみるとそれは遺体であった。来ていた服はぼろぼろになっていたが明らかに神官の物であると分かった。 「クリフト…」 「はい…」 「辛いだろうけど、確認してもらえるかな」 「…はい」 アリーナはそっと身を引いてクリフトを通した。彼女はしゃがみこんで死体の持ち物を確かめた。クリフトの師である神官は5年前にテンペに赴任しているから長いこと会っていないことになる。だから服装では判断ができない。けれど持っていたロザリオが決定打となった。 ロザリオの裏に刻まれた名が、遺体の身元を克明にした。 「…間違いありません。テンペの教会の司祭様です…」 「そうか…」 「モンスターにやられたようです…わき腹…肋骨に噛み跡が…残って……」 クリフトの声が詰まった。泣くのを堪えているのだろうか、肩が小刻みに震えていた。 「クリフト…」 「大丈夫、です。ここで泣いても師はきっと喜ばないでしょう。むしろ進んで、敵を討ちます」 クリフトは目元をしっかり拭うとにこっと微笑んで見せた。その笑顔はとても痛々しいけれど彼女の言うとおりだ。 「…先に進もう」 アリーナは神官の遺体に祈りを捧げた。そしてロザリオを取るとクリフトに握らせた。 「君が持っていてあげなくちゃ」 「アリーナ様…」 クリフトは遺品となったロザリオをしっかりと握り締めた。そしてそれを首からかけた。 そして一行はついに祠の最奥へとたどり着いた。 薄暗いそこから、地を這うような低いうなり声が聞こえてくる。 「誰…だ」 「そこにおるのは誰だ…」 「サントハイムの王子、アリーナだ! お前たちこそ姿を見せろ!」 アリーナの声が石作りの祠に木霊した。すると祭壇だろう場所に不吉な影が現れた。アリーナはクリフトをかばうようにして身構えた。 「サントハイムの王子がわざわざこんなところまでお越しとは、どういうご用件でしょうか」 その姿にクリフトは困惑を隠せない。モンスターが今は亡き神官の姿で現れたからだ。 「お前の正体は割れているんだ、いつまでもそんな格好をしていないで正体を見せろ!」 アリーナは神官めがけて飛び込んだ。 「だあああああっ!!」 「アリーナ様っ!」 しかし、アリーナの拳が神官に届く前にその姿が掻き消えた。 「な、何っ!?」 「どこを狙っておられるのかな? 王子」 アリーナが振り向こうとした瞬間、神官が腕を大きく振った。拳がアリーナを簡単になぎ払う。彼の体はそのまま祭壇を転げ落ち、構えていたクリフトに激突した。 「うわあっ!」 「きゃあっ!!」 「王子! クリフト殿!!」 ブライは二人を助け起こす。幸い大きな怪我はなかったがアリーナは唇の端を切っている。 「くそっ…」 袖で口を拭い、アリーナは神官に睨みつけた。 「アリーナ様、お怪我は!?」 「たいしたことはないよ、クリフト、それより君は…」 「私も大丈夫です、しかし王子、気を引き締めていかないと…」 「ああ、これまでのモンスターとは段違いだな」 アリーナはクリフトとともに立ち上がる。 祭壇の上で神官の姿をとっていたものはみるみる元の姿を現した。正体はカメレオンマンだったのだ。同時に彼の周囲に暴れ狛犬が2匹現れた。 アリーナは思わず舌打ちした。 カメレオンマンは2匹の狛犬を撫でた。 「さあ、お前たち。王子とジジイは殺してもかまわない。けれど女は殺すな。後で楽しむんだからな」 そういって魔物はクリフトを品定めをするかのようないやらしい視線を向けた。 その様子にクリフトは身の毛がよだつのを感じた。けれどひるんでもいられない。そうならないためにもこの場は覚悟して戦わなくてはならない。 (師よ、私に力を…!) クリフトは聖なるナイフを構えた。 カメレオンマンは不敵に微笑むといきりたつ狛犬をけしかけた。 一匹はアリーナの腕に噛み付き、もう一匹はブライの喉元に噛み付こうとしている。 クリフトはアリーナが狛犬を突き飛ばしたのを横目で確認しながらブライを助けに走った。狛犬のわき腹に一撃を与えるとそのままブライから引き剥がした。 すると今度はクリフトの上に圧し掛かり、その肩口に噛み付いた。 クリフトは苦痛で空色の瞳を大きく見開いた。 「あっ…ああああああ!!」 「クリフト!!」 「クリフト殿!!」 一方の狛犬と対戦中のアリーナはクリフトを助けられない。かわりにブライがヒャドを唱えた。氷の刃が狛犬を切り刻み、ようやく狛犬はクリフトから離れた。彼女は肩を抑えて立ち上がる。 「クリフト殿、肩が…」 「大丈夫です、薬草を…」 ブライはすばやくそれを渡す。クリフトは大胆にもその場で薬草を噛み下した。するとみるみるうちに血が止まった。けれど傷は塞がらず、渇いた血がこびりついているに過ぎない。左肩をだらりと下げているが、彼女はそのまま再びナイフを構えた。 「ブライ様、私が狛犬を仕留めます、どうか援護を!」 「う、うむ。しかし…」 「ブライ様!」 有無を言わせぬクリフトの声にブライは頷くしかなかった。いつも城の中で神の名の下に静かに暮らしていたクリフトしか知らないブライにとって、今の彼女は別人のように見えた。 けれどブライは知らないのだ――彼女が王子を守るために何もかもを捨てたことを。 穏やかな暮らしも、神への信仰も、そしてその身の純潔さえも。 今の彼女には王子だけがすべてなのだ。 どんなに傷を負い、血で染まろうともそれが王子のためであるなら彼女は何だってできる。そんな強さをいつの間にか身につけていた。 狛犬が彼女目掛けて突進してくる。クリフトは身を低くして暴れ狂う狛犬の下に潜った。 「くっ…!」 彼女のナイフは狛犬の腹に突き立てられた。そのまま自分の2倍以上もある魔物をひっくり返し、その上に馬乗りになった。 狛犬はクリフトを退けようと暴れだす。けれどクリフトも振り落とされまいと懸命だ。 暴れ狛犬の鋭い爪が彼女の腕を裂いても、そのままずぶずぶとナイフを突きたて、腹を裂いた。 「ブライ様、アリーナ様を!!」 クリフトはそう叫ぶと突き立てていたナイフを引き抜いて、今度は狛犬の眉間につきたてた。 「クリフト!!」 「アリーナ様! 眉間を狙って!」 「眉間だね!」 クリフトは暴れ狛犬が動かなくなるまでナイフを深く刺し入れた。アリーナは力の限り狛犬の眉間を殴った。 やがて二匹の狛犬はぴくりとも動かなくなり、白い灰になって消えていった。眉間に刺さったままのナイフが渇いた音を立てて落ちた。 はあはあと荒い息をしながらクリフトは落ちたナイフを拾い上げた。 「さぁ、暴れ狛犬はいなくなったぞ、後はお前だけだ!」 「満身創痍のくせに何を言う。お前らなぞ取るに足らぬわ!」 カメレオンマンはアリーナに向かって持っていた杖で殴りかかってきた。 アリーナはそれを素手で受け止める。狛犬に噛まれた傷に杖が重く感じられた。薄皮が破れて血がうっすらと袖を染める。 彼は思わず腕を引いた。 「くっ…」 「お前は利き腕である右腕を噛まれているな、そんな腕で私に勝てると思っているのか!」 「…勝つさ、どんな腕になってもな」 クリフトはアリーナのそばにいて回復呪文を使っている。どんなに傷つけられても狛犬がいない以上、負ける要素はない。 アリーナはクリフトを見つめ、クリフトは力強く頷いた。 「ブライ!」 「はい、王子」 アリーナはブライに一言言いつけると後方に下がらせた。 「クリフトはこのまま私の回復に徹してくれ」 「はい、アリーナ様」 3人はそれぞれの役割を決めてカメレオンマンに向かっていく。けれど魔物は3人の役割を見抜いたのか、クリフトにばかり攻撃を仕掛け始めた。 王子の回復を担当する彼女さえ弱らせてしまえば自分に勝ち目があると、そう踏んだのだ。 持っている杖の先でクリフトを痛めつける。アリーナも彼女をかばって防戦一方だ。 (このままでは埒が明かないわ…) 小さなナイフで何とか攻撃をかわし続けるクリフトの脳裏にはある策が浮かんでいた。 こうすればきっと、この魔物を倒すことができるだろう――そう、自分の命を引き換えになっても。 クリフトは攻撃をかわしながらある瞬間を待っていた。 「これで終わりだ! 死ねえ!!」 カメレオンマンの杖の先端がアリーナめがけて突き刺さろうとしたとき、彼は突き飛ばされた。 「!!」 「な、なにぃ?」 アリーナは一瞬何が起こったのかわからなかった。ブライの悲鳴と、肉の音しか聞こえなかった。 そして理解できた状況はあまりにも壮絶だった。 クリフトの肩に、凶器の杖が深々と刺さっていた。しかも彼女はその杖を握ったまま離そうとしない。 か細いその体のどこにそんな力があるのか、彼女の顔は魔物への憤怒に燃えていた。 「くそっ、離せっ!!」 「いいえ、離さない…この杖が王子に危害を加える以上、離すわけにはいかない!」 クリフトの左の肩は鮮血に赤く染まっている。このまま出血が続けば死んでしまうかもしれない。 「クリフト!」 「王子、今です! 私が押さえている間に!!」 言われずとも、アリーナはカメレオンマンに一撃を食らわせた。クリフトに気をとられていた魔物はアリーナの強打を顔面に受けて吹っ飛んだ。 「ぐおおっ!」 そのまま背後の壁に叩きつけられ、瓦礫ごと崩れ落ちる。 それを見届けたアリーナはクリフトの元に走りよった。 「クリフト、なんて無茶を…」 「こうするしか相手の油断を誘えなかったんです…くっ…」 ゆっくりと杖を引き抜くと新しい血がどんどんあふれた。ブライが自身のマントを裂いて包帯代わりにしてくれたがそれもどんどん染まっていく。 「魔物は息絶えたのでしょうか…」 「いや、まだだ…」 あれくらいで死んだとは思わないが、今はクリフトの傷のほうが大事だ。残っていた薬草を彼女につぎ込んで、何とか一命は取り留めそうだ。 「すみません…」 「いや、君のおかげでやつに致命傷が与えられたよ。あと一撃で、止めを刺す」 アリーナは拳をぎゅっと握った。 「おのれ…おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれええええ!!」 最期の時を迎え、狂気に駆られるカメレオンマンの叫びが祠を揺さぶった。ぱらぱらと砂が落ちてくる。 「お前ら、誰一人として生かして帰さんぞ! 特に女! お前は嬲り殺しにして死んでからも辱めてやるからそう思え!」 「…させない」 魔物の言葉に、アリーナは静かにそういった。 「なんだと?」 「お前に、私の大事な仲間を誰一人としてやれない」 「ほざけ!!」 カメレオンマンは隠し持っていた短剣でアリーナを刺し殺そうと向かってきた。アリーナは真正面からそれを受け止めようと身構えた。 「ふんっ!!」 「そんな剣で私を倒せると思うな!」 剣を蹴り落とそうとしたとき、彼の目の前から魔物が消えた。 「何っ!?」 「どこを見ている! これで終わりだ!!」 「しまっ…!」 カメレオンマンが短剣を構えて突っ込んでくる。 ――殺られる! アリーナがそう覚悟した瞬間、彼の腕の中に暖かいものが飛び込んできた。アリーナは恐る恐る目を開ける。 その目に飛び込んできたのは藍色の髪。 「! クリフト!!」 抱きとめた彼女の背に短剣が刺さっている。重傷を負っていたクリフトがアリーナをかばって刺されたのだ。 「クリフト!!」 「おう…じ…」 ゆっくり微笑んで、それだけつぶやいて――クリフトの体は崩れ落ちた。 「クリフト! クリフト!!」 「ちっ、またしてもその女に邪魔されたか…」 魔物の言葉に、アリーナの中で何かが弾けた。彼はクリフトを抱き上げるとブライに預けて脈を取らせた。 「ブライ…クリフトは?」 「まだ息がありますじゃ」 「そう…」 アリーナはカメレオンマンに一瞥をくれてやった。 「何だ、その目は。そんなに私が憎いか?」 「…ああ。二度もクリフトを傷つけたお前が憎いよ。それ以上に…」 アリーナの体から、真っ白に燃えるオーラが迸る。 「二度もクリフトに助けられた、自分自身に嫌気が差す…」 そうつぶやいた瞬間、彼の体は空を切っていた。彼の動きは誰に目にも止まらなかったろう、渾身の力で魔物を打ち据える。 何度も何度も繰り出される拳に、魔物はなす術もない。 アリーナの瞳は憎き魔物を睨みすえたまま、その返り血を浴び続けた。 「これで終わりだ!!」 「バカな! 会心の一撃だと!? そんな力がどこに!!」 鋭い拳の一撃が魔物の腹にめり込んだ。アリーナの手が、そのまま腹をぶち抜いた。 「おのれ…王子ども…覚えておれ……我らは何度でもお前たちの前に立ちふさ…が…」 カメレオンマンは砕けていく自分の体が信じられないまま、断末魔とともに灰になった。 「…クリフトが力をくれたんだ。お前ごときは敵じゃない」 そう言い捨てて、アリーナは力尽きて眠るクリフトを抱き上げた。魔物の死と同時に彼女の背中の短剣も消える。 「終わったよ、クリフト…」 アリーナは血で染まった指先でクリフトの頬を撫でた。大量の出血で青白い彼女の頬に血がうっすらとにじんだ。 そのとき、3人の周囲を何かが取り囲んだ。 「くそっ! またモンスターか!?」 アリーナの目に映ったのは数人の人影だ。ぼんやりとしているが、みな微笑んでいた。するとブライがある男の影に目を留めた。 「おお、司祭殿ではないか」 ブライの声に人影の一人はにこりと笑った。アリーナはただ驚いてその白い一団を見つめた。 『そう、私はテンペの司祭。私たちはあなた方が来るのをずっと待っていた』 「どういうこと?」 アリーナの問いに、司祭は悲しそうに答えた。 『我々はここで魔物に襲われ、息絶えた者。この世に未練が残り魂をここに留めざるを得なかった』 そういうと司祭はクリフトに近づいた。 『クリフト…ありがとう。君のおかげで神の御許にいけそうだよ』 「司祭殿…」 『これからあなた方を待つ運命は容易なものではないでしょう。けれど神のご加護がいつまでもあなた方にありますよう…』 ふわりと揺れて、白い霊たちは消えた。 アリーナはクリフトをぎゅっと抱きしめた。まだ温かいその体に命の灯火は宿っている。 「ブライ、呪文を頼む」 「はい、アリーナ様」 アリーナはクリフトを抱きかかえるとそっと囁いた。3人の周囲を金色の光が囲む。 「――帰ろう、クリフト…」 明るい日のさす、君の瞳と同じ色の風が吹く大地に クリフトがゆっくり目を開けると見慣れない天井だった。 (ここは…?) 「気がついたかい、クリフト」 「アリーナ様…」 起き上がろうとしたクリフトを、アリーナはゆっくり制した。 「寝てていいよ。体力が本調子になるまであと2日はかかりそうだって」 「すみません、王子…」 アリーナは微苦笑すると立ち上がって部屋の窓を開けた。白いカーテンが風に揺れている。涼やかな風が部屋の中をすうっと抜けていった。 彼の腕には包帯が巻かれている。 「王子、その腕は…」 「ああ、これ。大したことないよ。今日包帯が取れるんだ。ブライも大した怪我してないし」 「よかった…」 そういって微笑んだ彼女に、アリーナは声を上げた。 「どうしてそうやって笑うんだ!?」 「ア、アリーナ様…」 「二度も私をかばって大怪我をして…君は死にかけたんだぞ! あの祠から戻ってきて、何日経っているのか知っているのか!?」 「…何日です?」 「3日だよ! 君は3日も生死の境を彷徨っていたんだぞ! それなのに…それなのに…」 それなのに、どうして他の人間を案じて、なんでもないと知って笑うんだ? どうして自分を大事にしないんだ? アリーナは怪我をしている右手で壁を殴った。びりびりと感じる痺れは彼女への思いの前に掻き消える。 「…サントハイムに戻るんだ」 「王子…」 「君を連れて行けない。どんなに君がついてくるといっても、私は君を追い返す。命令だ」 アリーナは、泣いていたのかも知れない。それを悟られないように彼女に背を向けた。 だから気づかなかったのだ――彼女がベッドから降りて、その背に縋る瞬間まで。 「アリーナ様…」 「な…クリフト! 起きちゃだめだ!! 君は怪我人なんだ!!」 アリーナはあわてて彼女を抱きとめた。けれど彼女は頑として動かない。 「先ほどの命令を撤回して下さるまで、ベッドには戻りません」 「クリフト…」 クリフトはにっこり笑った。まだしっかり立てないのだろう、足元が震えている。 「言ったはずです、私はアリーナ様の盾であり、剣であると。傷つくくらい当たり前です。私のすべては王子にお預けしました――身も心もすべて。お忘れですか?」 「……覚えてるよ、でも」 「でしたら、命令は撤回してください。私はいつ何時もアリーナ様とともにありたいのです…」 力強い空色の瞳がしっかりと王子を見据えた。 そうして君は笑うから――離せないよ 「…もう、無茶はしないでくれよ。君を死なせたくない」 「それは私も同じです、王子」 だからもう少し約束しよう。 「絶対死なない。約束だよ…」 「はい、アリーナ様…」 誓いの言霊を取り交わすように――さあ、口づけて。 数日後、すっかり回復したクリフトとともに、アリーナはテンペの村を去った。村はモンスターの脅威から解放され、にわかに活気付いた。 閉鎖していた道具屋も再開された。一行はここで薬草を買い揃え、次なる目的地へと旅立っていった。 「さあ、次はどこに行こうかな」 「ここからだと、フレノールが近いですね」 パピルスの地図を広げ、クリフトは北東を指差した。フレノールへは山脈をぐるりと迂回しなければならない。それでもここからは一番近いのだからしょうがない。 「よし、行ってみよう!」 アリーナは右拳を高々と上げて宣言するとそのまま走り出した。 「王子! お待ちください!!」 「ブライ様、急いで急いで」 クリフトはにっこり笑うと、ブライを気遣いつつ、アリーナの後を追った。 「待ってください、アリーナ様ぁ」 「早く早く」 穏やかな日の光に照らされてアリーナたちは今日も旅の空。 忘れないよ、約束したんだから。 私が君を守るんだって どんなに傷ついても そうして君は笑うから ――愛してるよ… ≪終≫ ≪こうして私は泣くのだから≫ えーっとですね、サランの町&テンペの村です。ちょっと関係ないエピソードまでちょいちょいと挟んじゃってますけどこれくらい遊んだっていーじゃん、と開き直ってみる。だって楽しいんだもん。うちのクリフトは一途すぎて、本当に書きやすいです。アリーナもようやくその激しい一途さを受け入れてくれたようだし。そのうち、このクリフトにファンがついたら…嬉しいな。いえ、本当に嬉しいですよ。 |