闇の腕 月の飾



金の腕輪に彫られた模様は呪い
闇に染めた心を映し、体に反映させる
人はそれを魔具と呼んだのだが、その所在はいずれとも知れなかった



「クリフト〜」
「なんですか、王子」
「…疲れた」
まるで子供のような物言いにクリフトは小さく笑みを溢した。旅路は少し雲がかかっているくらいのほうがちょうどいいのだが、ここ数日は快晴が続いて気温も徐々に上がっている。体力を奪われた旅人が同じ町に何日も滞在するのも珍しくはない。
一行は次の町を目指して山をぐるりと迂回する道を取っていた。テンペからフレノールまでは山越えをするのが一番近道なのだがなんせ険しい山道なので、多少遠回りしてもそのほうが楽なのだ。
その最中にアリーナがまず脱落しつつある。
「わかりました。ブライ様も平気な顔をしておいでですがお疲れのようです。木陰で休むようにお声をかけてまいりましょう」
「頼むよ〜〜」
そう言うとアリーナはへろへろと手近な木の陰に座りこんだ。ちらと先のほうを見ればクリフトがブライに何やら話しかけている。ブライはクリフトの言う事なら素直に聞くのだが、それは彼女がブライを怒らせないように細心の注意を払って言葉を選んでいるからである。ブライはクリフトと共にアリーナのいる木陰にやってきた。
「おーお、若い者が先に休憩ですか」
「年寄りが無理するとあとでたたるよ、ブライ」
ばちっと飛び散った火花に目もくれず、クリフトは皮の水筒の栓を抜いた。そこで彼女はようやくあらと声をあげた。
「どうしたの、クリフト」
「水筒の水が余り残っていませんでした。どちらにしろ水の為に休むことになったのですね。近くの川で汲んでまいります」
クリフトは優雅な仕草で立ちあがると水を汲みに沢に下りていった。
「クリフトは疲れないのかな」
「何を言っているのやら、この馬鹿王子は。クリフト殿とてお疲れに決まっておりましょう」
そう言ってからふたりは黙り込んでしまった。休憩を受け入れ、水を汲みに行かせたのは他ならぬ自分たちなのである。だったらせめてこれ以上彼女を困らせないように喧嘩をやめることにした。


沢に下りたクリフトは足元に気を付けながら清らかな流れに手を浸した。切るような冷たさに一度は手を引いたのだが、ゆっくり浸すと彼女は気持ちよさそうに目を細めた。
清らかな水に触れることは浄化を意味する。魔法を使う彼女にとってそれは魔力を回復させる簡単な儀式でもあった。
クリフトは流れから手を抜くと、皮の水筒に水を入れ始めた。
次の町まで持つようにと、もうひとつの水筒にも水を入れようと浸したとき、背後から悲鳴が聞こえてきた。振りかえるとアリーナが足を踏み外してまっすぐにこっちに向かってきているのが見えた。
「アリーナ様!?」
彼女はとっさに水に沈めた水筒を持ちあげて地面に置くと、落ちてくるアリーナを受けとめようとした。が、よくみると落ちてくるのはアリーナではなかった。それでも助けない理由はないので、彼女はしっかりと落ちてきた人を受けとめた。
勢いよく落ちてきた割には、ふたりとも川に落ちることはなかった。
「大丈夫ですか?」
「あ、あの…」
見上げてきた顔にクリフトは本当に驚いた。着ているものこそ違っているが、顔の造作がアリーナにそっくりなのである。アリーナよりはわずかに肉付きのよい丸い頬をしているが、髪と目の色も同じだった。
「ありがとう、水を汲みにきて、落ちちゃって…」
「足をくじいてはいませんか?」
言われて少年は足首をぐりぐり動かしてみたが特に異常はなかった。
「大丈夫みたいです」
声は流石に違っていた。アリーナよりも高い。
その少年はメイと名乗った。3人で旅をしているのだという。急ぐ旅ではないのでのんびりと進んでいるのだが流石にこの暑さに仲間二人がばててしまい、水を汲みにきたのだという。
「まあ、私と一緒ですね」
「クリフトさんは、お城にお仕えしているのですか?」
「あら、どうして?」
「だって言葉遣いが」
指摘を受けて、クリフトははっと口元を抑えた。アリーナのお忍びの旅なので彼の素性がばれないように気をつけてはいたのだが自分の言葉遣いだけはそうそう改まるものではない。そもそも改める必要もないと感じていた。
クリフトは特に肯定するでもなく、それでいて否定もしなかった。
「ええ、似たようなものかしら」
「へぇ…」
メイが羨望のまなざしでクリフトを見つめた。
「クリフトー!! 大丈夫ー!?」
下での騒ぎを聞きつけたアリーナがこちらに向かって手を振っていた。
「アリーナ様、大丈夫です!」
クリフトは頭上の王子に応えようと手を振る。
「じゃあ。どこかでお会いできるといいわね」
クリフトは街道に戻るために坂を登っていった。その後ろ姿をメイは黙って見送った。
「クリフト、悲鳴が聞こえたけど」
「ええ、上から水を汲みに来た旅人が落ちて来られたのでお助けしたんです」
彼女が示す先に、水を汲んでいる旅人が見えた。自分と同じ年頃だろうか、その背中は大きくも小さくも見えた。が、そこにいる人が少年と青年の間にいることは分かる。
だからこそ。
「もう、クリフトは誰にでも優しいんだから」
そう言ってアリーナは彼女の腕を掴んで少し乱暴に引っ張った。
王子が些細なことでもやきもちを焼いている。それほど思われていると実感して、クリフトの胸は優しい温かさに満たされた。
「すみません、王子」
「…もう一個のほう、私が持つよ」
「…はい」
クリフトは素直に王子の申し出を受けた。
どこまでも自分に素直な人だから、愛した。そして全身全霊をかけて守りたいと思った。



そしてやっとのことでフレノールの町につくと、なにやら騒がしいのでクリフトたちは半ば呆然としながら歩いていた。
「なにかあったんでしょうか」
「さあ…モンスターが暴れてる…っていうふうでもなさそうだね」
「ちょっと聞いてまいりますね」
そういってクリフトは足早に町人に近づいた。気さくなおばさんがクリフトを見て満面の笑みを浮かべている。
「あの、なにかあったんでしょうか」
「いえね、サントハイムの王子様がお忍びでいらしたっていうからさ。おっといけない。お忍びだもんね、しゃべっちゃいけないよねぇ」
おばさんはホホホと笑いながらそわそわとその場を立ち去った。
クリフトはおばさんに礼を向けながらもぽかんとした表情で戻ってき、あろうことかアリーナの頬を引っ張った。
「いひゃい、いひゃい、なにすんのさ、クリフト」
「ああ、いえ。王子はこちらにいらっしゃいますよねぇ?」
少しひりひりする頬を撫でながら、アリーナはクリフトを見つめた。
「どうかしたの?」
「いえ、サントハイムの王子がお忍びでいらっしゃっていると。我々より先に到着したサントハイムの王子が他にいるのかと思いまして」
「はぁ!?」
アリーナは現王と亡き王妃の間に生まれたたった一人の王子である。他に子供がいるとは聞いたこともない。
驚きを隠せないまま、一応本物の王子一行はフレノールの町に宿を取ることにした。
運良く3人部屋は空いていたので宿泊することは出来た。荷を下ろした一行はおなかも空いたので下の食堂に行こうと階下に降りていくと、すでに王子を囲んで騒がしくなっていた。
「お忍びじゃなかったのかな」
「お忍びなんで民と一緒の席に着いて同じ物を食べているんですよ。アリーナ様もそうでしょう?」
「…そうだった」
アリーナはぽりぽりと頭をかいたが、偽王子の登場にいい気持ちじゃないのは確かだ。
そういって隅のテーブルを陣取ったアリーナたちはこっそりと偽王子の観察をしている。最初に反応を見せたのはクリフトだったが、黙って食事を続けていた。
王子の名はメイという。お付きのじいやはカーン、侍女はノエルというらしい。
「クリフトのほうが美人だね」
「お付きの者はいくらでもごまかせますよ。それより、よく王子になりすましていられること」
そういったクリフトの言葉に侮蔑の色はなかった。むしろなにか微笑ましいとばかりに笑っている。
「クリフトはなにか知っているんじゃないの?」
アリーナはまじまじとクリフトを見つめたが彼女はただ笑っているだけだ。その笑顔に向かえば誰もが言葉を失ってしまう。なにかを言おうとしてもその言葉を忘れてしまうほど彼女の笑顔は一種の力を持っていた。
「あの、失礼ですがクリフト様は」
そこに凛と響く女性の声が聞こえた。3人はくるりとその女性のほうを向く。クリフトはそっと立ちあがった。
「クリフトは私ですが、なにか?」
女性はノエルと名乗る。そしてクリフトに対し膝を折った。王宮で見られる礼を取ったことにクリフトはなにも驚かなかった。
「我が王子がクリフト様とお話がしたいそうでございます。お部屋までご同行願います」
この言葉に色めき立ったのはアリーナだ。自分と同じ年頃だろう偽王子だ、クリフトに目をつけて夜伽に来いとは無礼千万、剣を持っていたならこの場でたたききってやりたいほどだ。だがアリーナの心中の怒りとは裏腹にクリフトはにっこり笑って良しなに、と答えた。
驚いたのはアリーナだ。
「ちょっと、クリフト!?」
「大丈夫です、アリーナ様。またのちほど」
そういうとクリフトはすっと一礼してノエルについていった。
アリーナはどっとテーブルに突っ伏した。ブライはその頭をツンツンつつく。
「振られましたかな? あちらの王子のほうが多少愛らしく見えますからな」
「煩いよ、ブライ…」
とはいえひどく心配なアリーナは目の前のパスタをくるくるっと平らげると口元のトマトソースもそこそこにクリフトの後を追ったのだった。



「失礼いたします、メイ王子。クリフト様をお連れいたしました」
ノエルの後ろについていたクリフトは中から返って来た返事に確信を持った。そして開かれた扉に導かれるように入っていくと、メイがその場に立っていた。
クリフトはさっと最上級の礼を示す。ノエルが扉を閉めるとそこは不思議な空気に包まれた。
「お召しにより参上いたしました、メイ王子」
「…クリフトさん」
弱弱しい声に、クリフトはそっと顔を上げる。
「やはりあなただったのね」
クリフトの声が少し低く響いたのを、メイは敏感に感じ取っていた。
この偽王子はクリフトが道中の沢で出会ったあの旅人だったのだ。
「お願いですじゃ、クリフト殿とやら。我らの話を聞いてくだされ」
「はい、そのために伺ったのです」
一同がテーブルにつき、話が始まった。最初に話し出したのはカーンという老人だった。年のころはブライとさほど変わるまい。
「わしらはもともと旅芸人の一座におりましたのじゃ。ちょっとした寸劇や芸事などを披露いたしましてな」
クリフトは小さく頷いた。かつて城下にも旅芸人の一座がやってきたことがある。幼いある日、アリーナに引きずられるように連れて行かれたのだ。
『クリフト、早く行こうよ』
『アリーナ様、お勉強はよろしいので?』
『…………うん』
そのときのアリーナの返事はひどく頼りなかったのだが、彼の笑顔があまりにも眩しくて引き止めることが出来なかったのを覚えている。
クリフトはそんなことを思い出しながらカーンの言葉に耳を戻した。
「ある日、わしらはフレノールの北の草原を馬車で移動いておりましたのじゃ。そこへモンスターが現れて…」
「…襲われたのですか?」
これには全員が頷いた。そのとき馬車にいたノエルはメイの手をしっかりと握って荷物の中に隠れた。カーンは買い出しの為に他出していて助かった。
「あたりが静かになって出てみたら…みんな…座長も、姐さんも兄さんもみんな…血まみれで…っ…」
メイががたがたと震えているのがわかって、ノエルとクリフトが落ちつかせようとそっと背中を撫でた。
「生き残られたのは、あなたがただけなのですね?」
「…死んだ仲間を近くの教会まで連れていって葬りました。そして荷物をまとめてフレノールまでなんとか…」
仲間の血の匂いがこびり付いたままの服で旅を続けたのでまたいつ襲われるかもしれないと怯えながらの旅であった。
「事情はわかりましたが、それでなぜ王子の真似事など? メイさんは女の子ですよね?」
メイがしっかり頷いた。
「仲間を埋葬したらお金がなくなっちゃって、食うや食わずでここまで来たんです。思いついたのは私なんです」
と言ったのはノエル。彼女はテーブルに手をついてうつむいた。
「偶然、サントハイムの王子が旅に出ていることを知りました。旅芸人の私たちに王子の真似など容易なこと。どうせ誰も顔も知らない雲の上のお人ですもの。ばれはしないと…思いました」
生きる為に、と強く言われた気がした。
城の中でぬくぬくと育ってきたクリフトとアリーナ。共に民のためにありたいと常に勉学に勤しみ、鍛錬を重ねてきた。そしてこの世界の異変を知ったとき、自分たちは力なき民を守りたいのだと願って旅に出た。
被害に遭っているのが彼女たちばかりではないと知っている。知っているけれど、今は弱い自分たちではこの目に止まる人々しか――情けないけれど――助けられないということもわかっている。
「私に出来ることは、ひとつですね」
「クリフトさん…」
メイはいつしか流していた涙を拭った。
「人を騙すのはよくありませんけど乗りかかった船ですもの。但しこの町でだけですよ、メイ王子」
クリフトの笑顔に、一同がぱあっと明るくなる。彼女はこの秘密を共有してくれるというのだ。
「それでは私はこれで。私のご主人が心配して扉と一心同体ですから」
そういうとクリフトはゆっくりと扉を開いて部屋を出た。王子様の為にと設えられた部屋の扉は小さなホール上の部屋を挟んで二重になっていた。
そして一番外の扉を開くと、アリーナがバランスを崩して倒れこんできた。
「うわああああああっ!!」
「やっぱり、聞いていらしたのですね」
仰向けに転がったアリーナの左右に藍色の髪がさらりとかかる。
「あはは、ほとんど聞こえなかったけどね」
起き上がってぽりぽり頭をかくアリーナに、クリフトは苦笑するしか出来なかった。



「へぇ、女の子なんだ…」
「はい。でも本当に王子にそっくりですね。初めてお会いした時は私もびっくりしました」
アリーナたちの部屋にはベッドがふたつしかない。そのかわり宿の女将さんは枕と毛布を一式持ってきてくれた。
「それで、クリフト殿はいかがなさるのかな?」
ブライの問いかけにクリフトは僅かに微笑んだ。
「はい、このまま黙っていようと思います。この町でだけ、ということですし。もし王子の名を騙って悪事を働くようでしたらそのときは容赦いたしません」
それはクリフトの言うとおりだ。もし王族の名を騙って悪事を働くのなら王宮として許してはならない。
この町を出れば知り合いがいるのでそこに落ち着くつもりなのだとメイたちは言った。
ならばそれまでのひととき『守られるだけの暮らし』もよいのではないかと思う。
自分も幼いころから両親や国王、亡王妃、そしてアリーナに守られた暮らしをしてきた。
両親が亡くなった時、城を出て行かなければならなくて、もしかしたら自分がメイと同じ目にあったかもしれない。だからむやみに彼女たちを責めることは出来なかった。
メイたちは宿代や食事の費用だけは出してもらってもそれ以上には絶対に手をつけないと約束してくれたのでクリフトもそれでよしとした。
「勝手に決めて申し訳ありません、王子」
アリーナは突然話をふられて困惑気味に返事をした。
「あ、ああ、うん。別にいいよ」
「そうですのう。クリフト殿の決定でよろしいでしょう」
クリフトには甘いブライは優しい笑顔でうんうんと頷いたが、アリーナにしてみれば不満だ。
「王子は私なんだけどね、ブライ」
「王子が何ですじゃ。わしの言うことなど聞いたこともございませんでしょうに」
早速仲違いを始めたアリーナとブライに苦笑するとクリフトは床に毛布を一枚敷きだした。
「何してるの、クリフト」
「寝床を作っているんです。王子とブライ様はどうかベッドでお休みください」
あくまで臣下として筋道を立てようとするクリフトにアリーナとブライは感心しつつ反発した。
「ダメだよ、女の子を床に寝かせるだなんて」
「そうですじゃ、クリフト殿こそベッドで休みなされ」
「しかし王子やブライ様を床に寝かせるわけには…」
「だったらふたりとひとりに別れればいいよ、ね?」
でもそれじゃあしかしと続く話し会いの末、ブライとアリーナが同じベッドで寝ることになった。
「なんでこんなジジィと…」
「文句を言わないでさっさとお休みなされい!」
「あの…私やっぱり床で」
「それはダメ!」
アリーナとブライの両方にたしなめられ、クリフトはしぶしぶ布団の中に戻った。
ブライは、なぜか機嫌がよさそうだ。
「どうしたの、ブライ」
「いえ、アリーナ王子がうんとお小さいころにはこうして一緒に寝ましたのじゃ」
王子の養育係として王命を受けたブライの腕の中で幼子だったアリーナはそのまま眠ってしまうことが多かったのだと、この老臣は目を細めていった。
「ブライ…」
「今じゃ憎らしいくらい大きゅうなられました。わしにはその若さが羨ましいですじゃ…」
どんなときもそばにいてくれたブライとクリフト。彼らがこの旅に同行してくれたのはとても心強かった。
「絶対、負けない。この世界をきっと守ってみせる…」
「王子になら出来ますじゃ。わしが育てたのですぞ」
ふふふ、と互いに笑って見せたのも束の間、夜の静寂を破る悲鳴が聞こえてきた。
3人同時に跳ね起きて明りを灯す。
「な、なんだ!?」
「メイ王子のお部屋からです!」
夜着のまままずアリーナが部屋を飛び出した。続いてクリフトが大剣をもって駆けつける。メイの部屋からはカーンとノエルが飛び出してきた。彼らはクリフトの顔を見るけると慌てて彼女の前に跪いた。クリフトも慌ててしゃがみこむ。
「どうしたんです、いったい何が…」
「メイがっ…攫われたんです・・・」
「メイ王子が!?」
アリーナが部屋に入り、手燭の灯りで周囲を見回す。乱暴に開けられた窓から冷たい風が入ってきて容赦なくカーテンを揺さぶっていた。
「ここから出て行ったのか…」
「アリーナ様、これを」
クリフトが縋るノエルを従えてベッドにおいてあった紙切れを差し出した。
そこにはインクの滲む文字がのたくっていた。

『王子の命が惜しければ黄金の腕輪を持って来い』

「黄金の腕輪?」
アリーナが無言で問うとクリフトも、ブライでさえも首を振った。古翁のブライでさえ知らない黄金の腕輪とは一体なんなのだろう。
「黄金の腕輪と言うからには…金で出来た腕輪なんでしょうね」
「そうだろうね…城に連絡して宝物庫から適当に見繕ってもらおうか」
「あの…それは多分この町の北にある遺跡にある宝物じゃないかと…」
おずおずと口を開いたのは宿屋の女将さんだった。騒ぎを聞きつけてこの場に来ていたのだ。
女将さんの話によるとかつてこの地域を支配していた王族の宝が北の遺跡に眠っているのだと言う。幾人もの学者や墓泥棒が挑戦したのだが誰一人遺物を持ちすことが出来ないまま今に至っているのだ。学者たちは仕方なくその場でスケッチを取り戻ってきたのだが墓泥棒たちは無理やり持ち出そうとして何人も命を落としている。その遺物の中でも極上の至宝と言われるのが『黄金の腕輪』なのだ。
女将は以前、ここを訪れた学者に話を聞いていた。
「その名の通り黄金で出来た腕輪だったそうです」
「そうですか…」
「その腕輪とメイ王子の命…か」
アリーナの決心は決まっていた。自業自得の偽者と言えばそれまでだがそれでも放ってはおけない。
「クリフト、ブライ」
「はい!」
「…行こう、北の遺跡へ」
「はい!!」
そうして部屋に戻ろうとした途中で、アリーナは不安と懐疑の入り混じった顔で自分を見つめている女将に気づいた。
「ああ…女将はもう気づいているんだね」
女将はゆっくり頷いた。
「私は王子のお顔を存じておりますので。本当にそっくりで…気づかなかったのは私の不徳のいたすところ…」
「いや、いいんだ。それより二人を頼む。彼らの宿代はあとで城に手紙を書くからそこから受け取って」
「行かれるのですか? 王子の名を騙った偽者なのですよ?」
アリーナの身繕いを手伝っていたクリフトの手が一瞬だけ止まった。
「ああ、行くよ。民のひとりも助けられないで王子をやっていちゃいけないんだ」
「…必ず戻ってまいります。私たちが王子だけでも…」
「クリフト!」
そっと嗜めるのはまた彼女がアリーナだけを生かそうとしているからだ。
「わかりました。ではせめて防具を。薬草もお持ちください」
宿屋の女将さんは道具屋の主人をたたき起こして持てるだけの薬草や聖水を持たせてくれた。
「御武運を。皆様揃ってのお戻りをお祈りしております」
「ありがとう」
暁の空を北へ。



「ここがフレノールの遺跡…」
「宝物を持ち出そうとするものには容赦ない制裁を与えるという、裁きの宮…」
クリフトが遺跡に壁に彫られた文字を読んでいる。
「読めるの!?」
「え、ええ…」
驚くアリーナにクリフトは微笑んで答えたが、いちばん驚いていたのは彼女自身だ。こんな文字は見たこともなかったのにまるで心の奥から湧き上がるようにこの文字が読めたのだ。いや、読むというより感じると言ったほうがいいかもしれない。
そんなことを感じながらクリフトは女将さんがくれたメモを見た。
宿屋の女将さんは学者さんから聞いたという話を詳しく思い出してくれたのだが場所までは聞いていなかったのでここからは自力で探し出さなければならない。
「さ、行こうか」
「王子!!」
「えっ!?」
一歩踏み出したアリーナの足元がいきなりさらさらと崩れた。基礎が緩んで敷き詰められていたレンガが下がったらしい。
ガクンと揺れた体に驚いたのはアリーナに他ならない。
「ちょっ、いきなりなんて反則だっ!!」
「足元に気をつけてって言おうとしたんですけど…」
「まさに勇み足ですのう…」
アリーナはクリフトとブライの言葉にむっとしながらもゆっくり立ち上がって半ば八つ当たり気味にバンと足を踏み鳴らした。
すると今度は床全体が斜めに傾いた。
「へ?」
普通にたっていられないほどの傾斜に全員が為す術もなく駆け落ちていく。
「ぎゃー!!」
「こんのバカ王子!! 足元に気をつけなされとクリフト殿がゆーたばかりではありませんか!!」
杖でボカボカと殴りかかってくるブライの攻撃を避けながらアリーナはクリフトが止めに入ってくれるのを期待した。が、クリフトは動かない。
「クリフト〜〜」
「存じません。あんなに注意しましたのに…」
藍色の髪を靡かせて急斜面を駆け下りるクリフトは最早助けの女神ではなかった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜」
長かった斜面を降りても勢いがついているので止まらない。アリーナは壁に激突し、鼻を打った。
「くぅー」
「王子!! どいて下さい!!」
「へ!?」
遅れて降りてきたクリフトがアリーナにまっすぐ向かってきている。彼は鼻の痛みを我慢してクリフトを助けにきびすを返した。そして突っ込んでくる彼女をしっかりと抱きとめた。思いのほか勢いがついていたので少し後ろに下がったがそれでもクリフトは怪我ひとつしなかった。
「大丈夫…だね」
「はい、ありがとうございます…」
冒険の最中とはいえ久しぶりに感じた互いの温かさにふたりはほんの少し顔を赤らめた。
そこにぶぎゃんと何かが潰れる音がした。ブライだ。彼の高すぎる鼻が壁にぶつかって真っ赤になっていた。
「あ、忘れてた」
「大丈夫ですか、ブライ様、今ホイミを」
「いやいや、大丈夫じゃ。この程度でホイミをかけてもらうほど軟弱ではありませんぞ!」
その証拠にブライも鼻以外に傷は負わなかった。
それから一行は足場の悪さや罠に行く先を遮られながらもなんとか最深部まで進んだ。このての遺跡の付き物でモンスターの巣窟にもなっていたがそれらもなんとかなぎ払い、最深部までたどり着く。
一番奥の部屋に黄金の腕輪はあった。
純金で作られているらしい、金を打ち起こして模様を作っているようで中央に填められた黒曜石以外に宝飾はなかった。少し黒ずんではいるもののそんなことも気にならないほど美しく、それでいて禍々しかった。
「なんだか…」
「美しいのに、怖いですね」
アリーナがそっと腕輪を手に取る。盗賊の何人かは触れただけで死んだ者もいたという。それほどまでにこの遺跡から宝物を持ち出すのは至難だと言うことだ。ただここまでの道が困難だからこそ言われていたことなのだろうと思っていた。
アリーナは腕輪を持った。それは装備することも出来ないものだったが、しかし何も起こらなかった。
「変だねー、何か呪いが仕掛けてあるのかと思ったけど…」
「そうですのう、大抵のものは装備をした途端のろわれると言うパターンなのじゃがのう…」
ブライにも、何も起こらなかった。


…省みよ


「えっ?」
何かが聞こえた。そばにいるはずのアリーナとブライが遠くなる。


…省みよ

何を!?


…省みよ 見えざる知識の声より理解せよ

理解する? 何を!?



「クリフト!! クリフト!!」
「ん…アリーナ様?」
気がついたクリフトはアリーナに抱きかかえられていた。ブライも心配そうに覗き込んでいる。
「私…いったい…」
「いきなり倒れたんだよ。疲れているなら言ってくれないと…」
「そうですぞ、無理は禁物じゃ」
「すみません…」
疲れているわけではなかった。どこかに重篤な傷を負ったわけでもない。それなのに意識が遠くなった。
『省みよ、見えざる知識の声より理解せよ』
この言葉の意味がわからずに、クリフトは意識を失ったのだ。
クリフトはゆっくり起き上がるとアリーナたちと同じようにその腕輪に触れてみた。
途端、指先に激痛が走り、クリフトは腕輪を取り落とした。
「くっ…」
「クリフト! 大丈夫!?」
「はい、大丈夫です。アリーナ様、これは魔具です」
「魔具って…」
魔具とは呪いの道具であったり、古来の悪霊を閉じ込めたりした道具のことである。すでに乙女でないとはいえ聖職者見習いの地位にあったクリフトにはその知識があったし、魔法の聖水を使っていたから触れた途端に相反する力が彼女を襲ったのだ。
「ただひとつ疑問は…」
「疑問?」
落とした腕輪を拾ったアリーナが問いかける。
「ただの人間がこれをどうして欲しがるのか、ということです。これを欲しがるのは」
「魔道師…」
「この世界の闇を司る者…かもしれません」
「モンスターを操っている黒幕、か」
クリフトはゆっくり頷いた。
が、今はそれを話し合っている場合ではない。この遺跡に入ってからかなりの時間が経っているはずだ。ややもすればメイの命に関わるかもしれない。
王子ではない、女の子だとばれたら何をされるかも。
「急ごう。ブライ、えーっとなんだっけ、こういうところから出る呪文は…リ、リストラ?」
「リレミトですじゃ。ちったぁ魔法の勉強もなさいませ!」
「なさったはずなんですけどね」
クリフト、ときどき容赦ない。
「魔法は苦手なんだよ。とにかく脱出だ」
ブライが呪文を唱えると3人の周囲を銀の魔方陣が囲んだ。すうっと消えていく先は夕刻の風吹く大地である。



誘拐犯からの指定があった場所は町外れだった。
アリーナたちが黄金の腕輪を持って現れると誘拐犯たちはあっけなくメイを解放し、そのままキメラの翼を使っていずこかへ去っていった。
「メイ!!」
「うっ…うわ〜〜〜〜〜ん!!」
泣きながら駆け寄ってくるメイを抱きとめてやろうとアリーナが腕を広げかけた時、メイはその横を素通りして彼の後ろにいたクリフトに抱きついた。
「クリフトさん、私、私…」
「うんうん、怖かったでしょう。もう大丈夫よ」
泣きじゃくるメイをクリフトが優しく宥めている。アリーナはなんとなく拍子抜けして手をぷらぷらさせた。
それから気を取り直していろいろ考えてみる。
多分、彼らはどこか金持ちの娘でも誰でもよかったのだろう。人質の命と引き換えに黄金の腕輪さえ手に入ればよかったのだ。今回はたまたまサントハイムの王子を名乗るメイがターゲットになったに過ぎない。
そして彼らは一体どこへ消えたのだろう。
あの腕輪を誰に渡すのだろう。
考えても結果を導き出すための要素が少なすぎて、アリーナは考えるのをやめた。
とりあえずメイが無事ならそれでいいのだ。


のちにこの腕輪がアリーナたちにとって大きな災いとなることを今はまだ誰も知らなかった。




足元に、肉と噴出した血が転がる。
紅く染まった黄金の腕輪をほっそりした指で持ち上げて男はそれを腕に填めた。
「これが黄金の腕輪…」
滴る血がそのまま腕を流れても男はなんの意にも解さない。
転がっていたのはメイをさらい、黄金の腕輪を引き換えにした男たちだった。
その頭を踏みつけ、男がいっそう力を込めるともはや肉の塊と化した首はぐちゃりと嫌な音を立てて潰れた。
男はそれを静かに見ている。
「…足が汚れてしまったな」
ひとつ指を鳴らすと血塗られたその部屋と男の靴はあっという間に清められた。
男たちの死体はどこともわからぬ意空間を彷徨うのだ、人としての死を与えられぬままに。
ぎりっと噛んだ唇から、血の味がした。とがった耳の先まで真っ赤になるほどの怒りに震えながら男は窓の外を見る。
「いいんだ、もうすぐ世界は我々のものになる」
人を滅ぼしモンスターの世界をつくり、君臨する――愛しい愛しい彼女とともに。
そのためにこの腕輪が必要だったのだ。



省みよ――失われた古代の秘法を

見えざる知識の声より理解せよ


「あの女には聞こえただけのようだ」
男は窓の外に穏やかな景色を見る。




「ありがとうございました」
メイたちは自分たちが王子でなかったことを告白した。街の人たちは一瞬憤慨したのだが彼女らの身の上を聞かされてなんとなく黙ってしまったのだった。それに宿屋の女将さんもとりなしたし、止めにアリーナ本人が王家の紋章を示して王子を名乗ったためにメイたちはそれ以上は追求されなかった。
使った宿代と食事代はいつか返してくれればいい、ということで話は収まったのだ。
「あの…本当に王子様だったんですね」
「そうだよ」
アリーナはメイと並んで歩いていた。こうしてみると兄妹に見えるほどそっくりなのだ。
「私…あの…」
「この世界に平和を取り戻すよ。必ずね」
「頑張ってください、祈ることしか出来ませんけど…」
メイが呟く様にいうと、アリーナは彼女の髪を優しく撫でた。
「ありがとう、それだけで十分だよ」
アリーナが微笑みかけるとメイは薄く頬を染めた。王子のふりをしていた時と違って自然な笑顔になっている。
彼女らが留まるという町まで送り届けてから、また旅路に戻っていった。
「アリーナ様も、誰にでもお優しいですね」
「そんなことないよ、私はいつだってクリフトだけなんだから」
珍しく自分の隣を歩いているクリフトが突然そんなことを言い出したものだからアリーナは慌てて言った。
「あ、もしかしてメイにやきもち焼いてる?」
「そうですと言ったら、どうなさいますか?」
「こうする」
アリーナはクリフトの頬を優しく包むとそのままゆっくりと口づけた。
「好きだよ」
「はい」
それだけで、いい。この世界に君だけしかいないわけじゃないと知っていても、好きだという感情が君だけに向くものじゃないと知っていても。
でも愛したいのは君だけなんだ。
「行きましょう、アリーナ様」
「ああ、行こう」



君とどこまでも


月が穏やかに昇る夜の闇
確実に腕を伸ばして
一体何を掴む?






≪終≫




≪あとがき≫
やーっとフレノール編が終わりました。ちまちま書いていくのも大変ですねぇ。次回はさえずりの塔編です。
あの人たちもちょこっと出してみたし、まあいいんじゃないでしょうか。
クリフトのことがすっごく気になっちゃうアリーナって言うのを書いてて楽しかったです。もう少しクリフトのさりげない厳しさを書きたかったですが今回はメイに優しくしたので次回たっぷり行きたいと思います。

注: 文字用の領域がありません!

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