White Love



いつか…いつかふたりでいきたいな
真っ白に染まった雪野原に
生まれてはじめての雪を見たくて…



「用意は出来たか、シグナル」
「うん、いいよ、悪いけど、コードは…」
「わかっている」
真っ白なトランクの中にメタルバードが静かに足を突っ込んだ。すっかり入り込んでしまうと、小さく頭を下げる。
「着いたらすぐに出せよ、ここはあまり居心地がよくないからな」
「うん、だから我慢しててね」
シグナルはすまなそうににこりと笑うとトランクの蓋を閉めた。そのままベッドの上に置いていた小さな旅行かばんを持って部屋を出る。紫色の長い髪を紺色のベレー帽の中に隠し、少し厚めのワンピースにブーツを履いて、足音を立てないようにそっと階段を降りた。静かに静かに廊下を抜けて玄関に。ドアもそおっと開けて外に出ると、そこでようやく息をついた。
「…はぁ、緊張したぁ」
「急げ、あまり時間がないぞ」
「うん」
トランクから響くコードの声にシグナルはよし、と気合を入れなおして、まだ夜も明けきらぬシンガポールの道を歩いていた。日が昇る前だからまだ涼しい。
これは一応、家出ということになる。書置きはしてきたけれど、誰にも言わないで黙って出て来てしまった。行き先は日本、トッカリタウン。
この逃避行のきっかけは数日前のふたりの話から。日本はもう、冬になっているだろうと<ORACLE>で見た雪の映像にふたりはじっと見入っていた。ずっと電脳空間にいたコードと、生まれて間もないシグナルはふたりでいっしょに雪を見たことがなかったのだ。けれどシンガポールに雪は降らない。なんとかして雪を見たいと思っても帰国の予定はない。それなら国外逃亡してしまえとオラトリオがからかったのを真に受けて、シグナルはコードを連れて日本に行くことにしたのだ。もちろんコードは止めた。国外逃亡は初めてではないけれど、たかが雪を見に行くくらいでわざわざ家出なんかせんでも…というのである。それでもシグナルは何とかして行きたいと熱心に訴えたため、コードは程なく折れた。コードも、雪は見たかった。この世界を知って、まだ見ていないものはたくさんある。それにシグナルひとりでは心許ない。自分もついていくことを条件に彼はシグナルの日本行きを許可したのだ。
空港についてから、シグナルはきょろきょろとあたりを見回した。尾行はいないみたいだ。日本に行く飛行機は…あっち! と掲示板を確認して意気揚揚と歩いていく。チケットを買うのも、出国も簡単だった。手荷物としてコードもOK。飛行機に乗って、いざ日本へ。
飛行機が飛び立ってしまうと、もう後戻りは出来ない。雲の上、機上の二人はひそひそと話し込んだ。そうしていないとトランクに話し掛ける変な人みたいに見えてしまうだろう。
「飛行機、飛んじゃったね」
「もう戻れんな」
「そうだね」
それから数時間で飛行機は日本のとある空港に降り立った。そこから電車を乗り継いでトッカリタウンを目指す。ローカル線になるにしたがって見慣れた風景が懐かしい。ゆっくりと冬化粧をする町並みはそれでも人の営みのせいか、けっして閑散として見えない。少し寒くなってきたような気がして、シグナルは旅行かばんからコートを引きずり出した。シンガポールでは必要がないからなかなか手に入らない。ので、パルスが日本から着てきたコートを黙って拝借したのだ。
トッカリタウンに着くともう、真っ白だった。
「コード、お疲れ様、もういいよ」
ここからなら、自分たちのことを知っている人のほうが多い。鳥形のコードがいても誰も驚かない。シグナルがトランクを開けてやると、コードがぬっと現れて羽ばたいた。久しぶりの光に目を細めながらシグナルが差し出した腕に止まる。白い息が寒さだけを感じさせた。
「…真っ白だね」
眼前に広がる一面の銀世界、二人はしばし、言葉もなく見つめていた。
「ああ、綺麗だな」
「研究所に行ってみようか、たぶん庭とか、積もったままだと思うよ」
「行ってみるか」
シグナルは空になったトランクと旅行かばんを抱え、コードは先頭にたって飛んでいく。行く道の端は白く盛り上がって、轍になっていた。転ばないように気をつけながらたどり着いた研究所は雪に覆われていた。しばらく誰もいなかったから当然と言えば当然なのだろう。それでもポーチから玄関に続く小道だけは雪が掻いてあって、きっとへっちゃんたちが小さな体で頑張ってくれたに違いない。それを思って、シグナルは小さく笑った。庭まで足を踏み入れると、足跡がくっきり残った。コードもゆっくりと足を踏み入れる。しかし思ったより雪が深く、コードはちょっと入り込んだだけで動けなくなってしまった。
「シ、シグナル…」
後方から聞こえる声はなんだか…? シグナルがふっと振り向いて視界にコードを捉え、慌てふためいた。コードは半分埋まってしまっている。
「きゃあっ! コード、しっかりして!!」
シグナルがよたよたと歩み寄る。彼女もうまく動けないのだ。何とかコードのところにたどり着くと、埋もれかけたコードを引っ張りあげた。
「大丈夫?」
「ああ、なんとかな」
シグナルはそのままコードを抱いて、座り込んだ。そしてゆっくりと庭に積もった雪を見た。光を受けて白く、あるいは銀色に輝くそれはシグナルの偏光する紫の髪のようにも見えた。
「…冷たいけど、綺麗だね」
「ああ…」
「この雪が解けたら、春になるんだね」
「雨か、雪か。構成原子は同じものだが気温が違うだけでこうも違うものなのだな」
空気中の水蒸気が細かい塵を包んで凍り、結晶を作る。それが雪だ。全く同じに見えるそれはどれひとつとして同じものはない。それはそこにいる誰もが同じ――決して同じ人はいないし、同じものはない。すべてがよく似た模造品でありながらすべてがオリジナルなのだ。
雪が降らない、天空が雪を作れなくなる頃、それは暖かな春の訪れ――電脳空間から冷気の青年を導いた、あの瞬間。それこそが、春。
すべての命が冬という厳しさに耐えるのは、そこに春を感じているから。
ずっと待っていた――自分にはなんと冬が長かったことか。いま自分を抱くこの腕を、ずっと待っていた。そして妹たち以外にこの腕に抱ける誰かを…コードはずっと、ずっと、あの闇の中で待ち続けた。
「私、雨も好き。コードがお散歩に行かないで私のそばにいてくれるから」
シグナルがぎゅっと、コードを抱きしめる。その腕も、胸も、すべてが彼女のものであり、自分のためだけに捧げられるもの。コードは変わらぬ表情ながら、それでも中で笑ってみせた。月草襲の恋人の姿が見えるようだ、シグナルも笑ってみせる。
「……きてよかった」
「ああ」
コードがくるりと方向を変え、互いに頬を寄せ合った。鳥形のコードとは、こうやってキスのかわりにする。とがった嘴がちょっと痛いけど、平気。
「…一緒に叱られてくれる?」
「…俺様も同罪だからな」
「そいつはよかった」
聞きなれた…でも今は聞きたくないようなドラマチックボイスが後方頭上で響いた。いや〜な予感がしておそるおそる振り返ると、声の主は自分に視線を合わせてしゃがみ、にーと笑っている。見間違えるはずもない、アイボリーのコートに、真っ赤なトルコ帽、ダーティーブロンドの色男と言えば…
「お、オラトリオっ?!」
「せぇかぁーい」
おどけてちゃっとLサインを作ってみせる。突然のことに逃げるのも忘れて固まったシグナルのかわりに、コードが鋭い視線を投げかけた。
「何故貴様がここにいる?」
先ほどまでシグナルにかけていた優しい声音が嘘かのように低く刺さる。けれどオラトリオは彼が妹とシグナルを溺愛し、それによってはころころと態度を変えるのを知っているので今更怖気づいたりしない。オラトリオはコードの問いを無視した。
「師匠たちこそなんでこんなとこにいるんすか?」
「「うっ…」」
ふたり同時に唸りをあげて、お互いを見つめた。先に口を開いたのはシグナル。
「コードは悪くないの、雪が見たいって言ってコードを無理に引っ張ってきたの。叱るなら私を叱って」
と、コードをかばうように抱きしめた。するとコードがその腕から反論する。
「違う、最初に見たいといったのは俺様で、シグナルはそのために俺様をつれてきてくれたのだ、悪いのは俺様だ」
とシグナルをかばう。私が、俺様がと互いをかばう姿はそれはそれは美しいが、そんなのはよそでやってくれとばかりにオラトリオは肩をすくめた。
「ま、ふたりとも国外逃亡ですから、教授からたっぷりお仕置きっすよ?」
「…う〜〜〜」
わかっているけど、言葉にされるといやなもの。シグナルは先ほどコードが無視された疑問を再び投げかけた。
「オラトリオはどうしてここにいるのよっ?!」
右手人差し指をオラトリオに向けて腕ごと上下に振る。彼女らしい、抗議の姿勢だ。
「ああ? 俺は日本で仕事してたの。偶然だけどな。教授から連絡もらったときはびっくりしたけどよ」
「じゃあ、なんでここだってわかったの?」
「お前、日本じゃここ以外はあんまり知らねえだろ?」
「む〜〜〜」
そのとおりなのでむくれてみせる。信彦とキャンプや温泉に行ったことはあったがそれ以外はこことシンガポールで過ごしている彼女にとって、日本はここトッカリタウンだけだ。それは現実空間で起動して間もないコードも同じことで。そういう条件で当てはめたら――といってもわかりすぎるほどにわかるのだが――逃避行先はここ以外にありえない。
「じゃあ、迎えに来たの?」
「そ。俺もシンガポールに帰るからな。拾ってきてくれだと」
そういうと、オラトリオは立ち上がって雪を払い、それからシグナルの手を取って立たせた。
「帰ろうぜ」
「うん…コード…」
「ああ、もう充分堪能した」
 
そのまま駅に向かう道を歩く。オラトリオを先頭に、とことことこ。
「お」
「? どうしたの?」
コードがふっと目で追ったものを、シグナルも追う。そして目を見張った。
「また降ってきたな」
「うん…」
宙に舞う白銀が三人を包む。積もった雪もいいけれど、こうやって舞う雪もいい。三人は立ち止まって天を仰いだ。穢れを知らぬ純白、刹那の命で、他の命を繋ぐ大いなる恵み。手のひらで解けてしまう、優しい結晶…。
「さ、シグナル」
「うん」
いつかまた、来たいね、雪が積もる頃に…。




書置きだけ残して、黙って日本に行ったこと。パスポートを持ち出したこと。パルスのコートを無断拝借した挙句に雪でびしょびしょにしてだめにしてしまったこと。全部ひっくるめて叱られたシグナルとコードに与えられた罰は、一ヶ月間、<ORACLE>で資料整理等の手伝いをすることだった。
「ねぇ、オラクル、これどこ?」
シグナルが赤いファイルを差し出す。オラクルはにっこり笑って背表紙の下の方を指した。
「ああ、これはね、この番号のところに置いてきて」
「ん、わかった」
「師匠、適当に置かないで下さいよ」
「…うるさい」
「うるさいってねぇ〜、師匠が勝手にシグナルと日本に行っちまうからいかんのでしょうが」
「ふん」
そういうとコードはまた適当にファイルを突っ込んだ。手伝っているのか八つ当たりなのか――100%後者だろうが――わかりやすい。電脳空間でのコードは縹藍の小袖に身を包んだ和風青年だ。背はシグナルよりも少し高い。
「ところでシグナル、楽しかったかい?」
「うん、とっても。ひとりで飛行機に乗るの初めてだったから緊張したぁ」
「あはは。そう、よかったね」
「オラクル〜、たきつけんなよ〜、そのたんびに迎えに行かせられたんじゃたまんねえぜ」
「何を言うか。先にたきつけたのは貴様だろう。お前の冗談を真に受けてこいつはだな…あとはお前が並べ替えておけ」
またファイルを適当に突っ込んだところで、<ORACLE>に光の令嬢が舞い込んできた。コードの妹のエモーションだ。
「ごきげんよう、皆々様。突然ですけれど、お兄様、<A−S>と大変楽しい旅行をなさったとか。このエルに、一部始終をお聞かせくださいませ♪」
らんらんと緑色の瞳を輝かせ、エモーションがコードにねだる。電脳空間でしか存在できない彼女にとってコードとシグナルの関係は非常に刺激的なニュースに他ならない。けれど自分の色恋のことをこまごまと話す気にならないコードはそっけなく返す。
「…話すことほどのことでもない、ただ雪見に行っただけだ」
「まぁ、つまらない仰りようですこと。いいですわ、一晩かけて<A−S>に聞きましてよ、さぁ、<A−S>♪ この母に、すべて報告する義務がありましてよ」
「そ、そうなんですか?」
エモーションがシグナルを連れてどこかへ消えようとするのをオラトリオとオラクルは黙ってみていた。シグナルをめぐるこの兄妹の小競り合いに首を突っ込んでも面白くも何ともないからだ。我関せずでそそくさと資料整理に戻る。
「あの…私どうしたら?」
「行かんでいい」
「この母の願いを聞いてくれないのですか?」
「ん〜〜〜〜」
恋人と母親の間に挟まって、シグナルはどうしようかと思案中。恋人を選ぶよりも難しかったに違いない。




この手を 離さないでね
ふたりの出会いは 奇跡なんかじゃないよ
見つめていて この愛を
――永遠に大切にするから



春を待つ君――<A−C CODE>へ…。



≪終≫





≪寒いの嫌い≫
暑いのも嫌い(←わがまま)。C×S♀で、国外逃亡してまで雪見に行こう!! という話です。いいのかなぁ〜。
なんかね〜、C×S♀はいつ書いても、エモーションが壊れてるような気がするのよね…。いや、壊してるのかも…(笑…えない)。
んもー、コードとシグナルがラブラブならどーでもいいや(←こらこらこらこら)

注: 文字用の領域がありません!

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