GREEN 〜素敵な恋は終わらない〜 目の覚めるような緑色の夏 きらきらと光る常緑樹の若葉は 木陰に眠るふたりをそっと見つめてる… 薩摩切子の藍色が涼を添える。その中に濃い茶色の麦茶が氷を浮かべて注がれている。長い紫の髪を揺らしながらシグナルはそれを大事に盆の上に乗せて縁側へむかった。このグラスは邸の主がお気に入りの品で、二つあるうちのひとつはシグナルにと、最近もらったものだ。ここに来なければ滅多に使うことのないものだけに彼女はそれをとても大事にしている。 「コード、お茶だよ」 「ああ、すまんな」 そこに置いてくれ、と言われてシグナルは素直に盆ごと縁側に置いた。からん、と氷のぶつかる音が涼しげだ。先ほどから風鈴の音も響いて夏ということを忘れてしまいそうになる。もっともここ電脳空間では寒暖も自由に操ることができるからどうということはないのだが。コード邸の庭は現在28度、少し暑いくらいだろうか、それでも湿気がなくて過ごし易い。こういうとき、ロボットであること、そして電脳空間には入れるということがありがたく思えてくる。現実空間では30度を越えるのは当たり前、日本は熱帯になったのかと思えるほど気温が上昇している。ちなみに九州・福岡ではつい先ごろ36度を記録した。人間の体温と変わらない。 シグナルはコードの横にちょこんと座って彼のすることを眺めていた。コードは今、夏の庭先をどうするか検討中なのだ。菖蒲や藤はとっくに枯れ落ちて、二人の思い出である桐の木も今は葉だけを残している。紫陽花の時期もすぎたし、朝顔はそこの鉢に植わっている。時期がすぎたものをこのまま残しておくのは見苦しいので少し配置を換えてみようかと考えているのだ。なんのことはない。プログラムを据えかえるだけで、別に今あるものを捨てようとか言うのではない。大事にとっておいて、また然るべき時に戻してやればいいのだ。電脳空間に育つ植物には土壌の性質は関係ない、ただ容量とプログラムの相性が逢えばそれでいい。コードはいくつか園芸関係のファイルを見ながらあれこれと思案している。シグナルはたくさんの花が珍しいのか、じっと画面をみてはいちいち感心して溜め息をついたり、声を上げたりしている。 今の時期は花が美しく開く。春の桜もよいが、夏もよい。春が命を芽吹くのなら夏は実りの秋に向かって育つ季節なのだ。 しばらくファイルを見ながら二人はあるページに目を止めた。そこには鮮やかな色で咲き誇るラッパ型の花がたくさん映し出されていた。百合よりも小さく、細い枝にたくさんの花を咲かせるその花にシグナルは興味を惹かれたらしい、熱心に花を見つめている。 「凌霄花か。いいものに目をつけたな」 「のうぜんかずら?」 百聞は一見に如かず。コードの細い指がそっと名前をなぞると、凌霄花の詳細なデータが現れた。凌霄花とは中国原産、落葉性のつる性木本だ。ラッパ型の濃いオレンジ色の花が特徴で、新しい枝の先端に数花が円錐状に集まった花をつける。日本には自生していないが、愛好家は多く、樹木や壁に絡ませて楽しむものだ。この凌霄花は種類が多く、100属以上、900種もの種類がある。品種改良が進んでいて、その数はさらに増えているかもしれない。 「へえ、たくさんあるんだねぇ」 ファイルの中には900種すべてが網羅してある。コードはぱらぱらと先に進めている。このあたりは南国を思わせるショッキングオレンジや赤といった明るい色が多く、和風のこの庭にはそぐわないような気がしたのだ。どうせ赤いのなら躑躅や椿などのほうがいい。シグナルもそう思っているから、黙ってコードのするままにしている。しばらく眺めていて、シグナルがあっと声を上げた。 「コード、今のいいんじゃない?」 「どれだ?」 シグナルの指摘にコードはさっと手を止めた。少し行き過ぎてしまったから戻らなくてはならない。彼女が見つけたものまでゆっくり戻ってやる。シグナルはお目当ての花が見つかるまでじーっとファイルを見つめていた。そしてあるページを自信たっぷりに指差す。そこには白あるいは桃色の花が可憐に咲いていた。ソケイノウゼンという、これも凌霄花の一種だ。花冠は白からピンク色、筒は濃桃色、巻きつき性の緑枝を出し絡みつく。 「これ、可愛いよね。ふわっとしてて」 言われてみればこのソケイノウゼンという花は他の凌霄花に比べてしっとりとした上品さというものを持っていた。ほとんどの蔓が元気のいいオレンジ色なのにこれは雪のように白く、それでいて花の中心は仲間であることを示すように赤い。コードの邸を囲む塀は象牙色だから同化して霞んでしまうこともない。鉢仕立て、行灯仕立てがよいとのことだが樹木に絡めても大丈夫だろう。 「ならこれにするか?」 「え? いいの?」 シグナルが少しびっくりしてお伺いを立てる。ここはコードの庭なのだ。あれがいい、これがいいといってもコードは参考程度に聞いただけだと思っていて、まさか本当に採用してもらえるなどとは思ってもいなかったのだ。不安そうに口もとに手を当てたシグナルにコードはふっと笑いかけた。ぽんぽんと軽く頭を撫でてやる。 「他のはここには向かないだろう」 そういうとコードは立ち上がって歩きだした。適当な常緑樹を選び出し、先ほどのプログラムを呼び出す。コードの手の中に小さな種がころんと転がった。この中にソケイノウゼンのプログラムが詰まっている。コードはシグナルを招き寄せるとその種子を彼女に持たせた。両の手をお椀のようにして受け取る。小さな命を内蔵したものをそっと手にすると、コードの手がその上にそっと覆い被さった。 「何してるの?」 「発芽させている。プログラムを開封しているといったほうが的確かもしれんがな」 見てみろ、とコードが手を退ける。彼女はそっと手の中をのぞくと嬉しい驚きに満たされた。種がぱっくりと割れ、芽が飛び出している。それはやがて子葉を吹き、すくすくと伸びていく。 「そろそろ手を離してやれ」 コードに導かれて木の根元までやってくると、蔓がしゅるしゅるっと幹を這い上がった。すでにシグナルの手を離れた種は見えなくなっている。 目指す木の先端が絡みついてぐんぐん木を覆ってゆく。ひととおり木を覆って落ち着いたところに今度はぷくぷくと蕾がついた。やがてしっとりと開いてゆく桃色の花がシグナルの目に映る。彼女は声にならない感嘆の声を上げる。 「うわぁ…」 「見事なものだな」 これにはコードも目を見張る。花を落とした木に再び花が蘇ったかのように見えたからだ。艶やかな緑に淡い桃色が映える。 さわさわと軽く風に揺れる。踊る髪を風になびかせたままふたりはずっとその花をみていた。 結局今年の夏はシグナルが選んだ花ばかりを植えてしまった。 紫がかった透明感のある白い花を咲かせるレンゲショウマ、濃紺の花を咲かせるクリトリア・テルナテア、夏に可憐な白い花を誇るグラジオラスなど。妙に白もしくは紫の花が揃ってしまったが、それはそれでいい。自分で選んだ朝顔の鉢も『暁の流れ』と『青獅子』だ。前者は白斑入りの品種で藤色の大輪花、後者は太い白覆輪が入る桔梗咲きの青花品種である。この二つが咲くのを彼女はとても楽しみにしていた。 そっと簾を上げる。日陰になっているこの部屋は井草のいい香りが広がっていた。長い紫の流れを追うとあどけない寝顔に出会う。 一緒に庭の手入れをしたあと、彼女は疲れて眠っていた。お子様らしくお昼寝の時間かとコードは笑ったが彼女は怒るでなく、彼の胸になだれ込んでしまったがためにコードは珍しく紅潮してしまったのだ。子ども子どもと侮っていても外見は16歳という少女のもので柔らかい曲線がその身を包む。弾力のある豊かな胸が不意にあたっているもの気になって仕方がない。いくら恋人の前とはいえ若い娘さんが無防備に眠るのはどうかと思われた。しかしコードは大人であり、紳士でもあるので寝こみを襲うようなはしたない真似はしない。涼しいだろう部屋を選んでそこに彼女を寝かせやった。 小さな枕に、薄い掛け布団。ただ雰囲気で置いてある蚊取り線香。 今季節は確かに夏だ。 ふわり、ふわりとコードの手にある団扇がシグナルに風を送っている。彼女は満足そうに微笑んだままだ。きっといい夢でもみているのだろう。ふと、柔らかそうな唇が目に入る。コードはそっと団扇を置いて彼女に近づいた。そしてふわっと口づけた。 「ん…」 コードははっと彼女から離れる。まさか眠っているシグナルに口づけるなど…。目を閉じ、手で口元を覆ったままコードは一度部屋の外に出た。自分の中の『男』がそうさせたのだろうか、コードはぶんぶん頭を振って考えを押しのける。ひとつ短く息を吐くとすたすたと廊下を歩いていった。 その頃。 『コード…』 シグナルは起き上がってぼーっとしていた。実はコードが来たとき、彼女は浅い眠りにあったのだ。自分を扇いでくれているのも何となく知っていた。けれど気持ちよかったからそのまま甘受しようと決め込んでいたのだ。それが、幸か不幸か――おそらくは幸だろうが――寝ている間にコードにキスされてしまった。初めてではなかったが、まさかコードがそんなことをするなどと思っていなかったシグナルは目を開けることもできずにそのまま…。 「「どうしよう…」」 このあと絶対に顔を合わせなければならない。そのとき果たして自分は冷静でいられるだろうか。二人は(周囲に言わせれば)つまらない悩みを抱えて唸っていた。 未熟な旅は終わらない 夏はまだ始まったばかり 恋もまだはじまったばかり いつか『恋』が『愛』に変わるときまで 素敵な恋は終わらない 鮮やかなGREEN… ≪終≫ ≪躊躇うことなど≫ 如月はB'ZFANなのです。今回のモチーフはもちろんB'Zのアルバム『GREEN』より『STAY GREEN 〜未熟な旅はとまらない〜』です。このアルバムは流石に…良いです。いえ、本当に(笑)。あ、花の資料は『趣味の園芸』を参照いたしました。ほんと、ネタには事欠かないわね。作中でも出てきたソケイノウゼンは如月が大好きな花なのです。イメージと違うと言われますが、私、お花好きなんです…(ほっといてくれ)。 |