CHANGE THE WORLD 例えばどうにかして君の中に入っていって その目から自分を覗いたら いろんなこと、ちょっとはわかるかも。 「だめだよ、カント! そっちは研究室でっ!!」 「にゃ〜〜」 浮世離れした世捨て猫カントを追いかけながら信彦は必死で廊下を走っていた。猫が研究室に入って機材やらデータやらを荒らしては一大事。経験があるだけに信彦は何とかカントを捕まえようとしていた。だから足元のケーブルに気がつかずに 「うわあっ!!」 派手な音を立てて転んでしまったのだ。幸い怪我はしなかったし、機材が崩れたりはしなかった。カントは信彦の声に振り向いて自分から戻ってきた。 「にゃ?」 信彦は心配そうに鳴くカントの頭をなでて、そっと抱き上げた。 「研究室には入っちゃいけないんだよ、わかったか?」 「にゃ」 わかったんだがわかってないんだか。それでもカントはにゃーと鳴く。信彦がほっと一息つくとカントがさっと手を上げる。握られているのは2本のケーブルだ。 「…なに? それ」 いやな予感がして信彦がそうっと顔を上げると…そこには2体のロボットが静かに座っていたのだった。 ひとりは自分の『姉』である<A-S SIGNAL>、もうひとりはAナンバーズの最古参<A-C CODE>だ。信彦も知っているが、このふたりは『恋人同士』としてお付き合いしている間柄なのである。今日も今日とて信彦が学校に行っているあいだに電脳空間とやらでデートしているに違いない。みれば二人のジャックポッドからケーブルが一本ずつ取れていた。 「うわ〜、まずいよね、これって…」 でもどっちがどっちに繋がっていたものやら。誰かに事情を話せば何とかなったかもしれないがあいにくと、見事に、こういうときに限って誰もいない。信彦は散々迷った挙句、青いケーブルをシグナルに、赤いケーブルをコードに繋いだ。理由は特にない。 「大丈夫…だよね」 一抹の不安を残しつつ、信彦は静かにその場を立ち去った。 さて。そのころ『弟』の苦悩を知らない『姉』は恋人とラブラブに昼下がりを過ごしていた。 学術研究機関専用閉鎖空間<ORACLE>内のホールに設置してあるソファに座っていたシグナルは、隣にいるコードに話し掛ける。 「えへ。コード」 「なんだ」 「呼んでみただけ」 「…そうか」 そう言われてコードはさして怒った様子もなく、静かに茶をすすった。 「シグナル」 「なあに?」 「なんでもない、呼んでみただけだ」 「…えへ」 シグナルは嬉しそうににっこり笑う。 そんな二人の様子に背中を向けていた青年がげんなりしながら振り向いた。 「あの〜、お二人さん…」 「なに?」 「なんだ?」 二人ほぼ同時に返事をされて青年はさらにげんなりとし、蜂蜜色の髪に手を入れる。 「お二人がラブラブなのはよーっっくわかりましたから。どっか他所でやってくれません?」 「えーっ、なんでぇ〜〜?」 と、反論したのはシグナルだ。 「あのなぁ、シグナルちゃん。おにーさんはお仕事してるの。わかるだろ?」 「だから邪魔しないで大人しくしてるじゃないの、オラトリオ」 このふたりは製作者が同じという意味で兄妹になる。この兄は単に妹が他の男といちゃついているのが気に入らないだけではない。シグナルは妹でありながら、オラトリオにとっては妹以上の存在なのだ。要するに一生の恋人としてお付き合いしてほしいのである。 けれど一足遅く、この可愛い妹には悪い虫…もとい、恋人ができてしまっていて、それがコードだというのだからなお悪い。さらに悪いことにシグナルのほうがコードにべた惚れなのだ。MIRAという同素体である上に融合もできる。電脳空間でも現実空間でもそれなりに強いコードに、戦闘型たるシグナルが惚れないはずはなかった。 だから必然的にこういうことになるわけで。 「そーゆー問題じゃないでしょ? こんなところでいちゃついてないでデートでもしてきなさい?」 「だってもう行ってきたもん。お土産持ってきたんだけど忙しそうだから待ってたの。ねぇ。コード?」 シグナルの言葉にコードが頷いた。 「こいつが律儀にオラクルには世話になっとるからと。俺様が世話したことのほうが多いくらいなのに。わかっとるのか、オラトリオ」 「へいへい。その節は大変お世話になりまして」 その節、とはどの節か。シグナルが知る限り、それはクオンタムによってハッキングされたときだけである。実はシグナルが生まれる前に1回と、クオンタムの事件以外にも2回ほどお世話になった。オラトリオがその事実を認めるとコードはふんぞり返る。 「少し休もうか。せっかくシグナルも来てくれてるんだし」 と声をかけたのは古風なローブに身を包んだ賢者、<ORACLE>の管理人であるオラクルだ。 「いいのかよ」 「いいよ。少し休んだほうが能率も上がるだろうしね」 のほほんと微笑むオラクルにシグナルもにっこり笑い返した。オラクルも、シグナルが好きなのだ。でもそれは友達の『好き』であって、恋人へのものではない。オラクルの、恋人への『好き』はコードの妹であるエモーションに向けられており、そのことはコードもしぶしぶながら了解しているのである。シグナルはてけてけとオラクルに歩み寄ると箱を取り出した。 「はいこれ。エモーションさんに教えてもらったケーキ屋さんのね、クッキーなの。クッキーもすごくおいしいんだって」 「へえ。それはありがとう。お茶入れようね」 「あ、私手伝うよ」 「じゃあ、手伝ってもらおうかな」 「うん」 そういって下がっていったふたりを見送ってオラトリオがそっとコードのそばによる。 「いいんですかい?」 「なにがだ」 「あのふたり、いっしょにしといて」 オラトリオがそういうとコードは鼻で笑い飛ばす。 「お前じゃあるまいし」 何を心配するというのだ、と言わんばかり。その理由は前述を参照していただきたい。 「あ、そうだ、オラクル」 「なんだい?」 「エモーションさんね、今カシオペア博士のお手伝いをしていて忙しいから来れないんだって。時間ができたら来るから心配しないでって言ってたよ」 エモーションはカシオペア家のハウスコンピュータとデータバンクの管理もしている。現実空間にその身を持たぬオラクルとエモーションはだからこそ仲がいいのかもしれない。そしてそのあいだを取り持ったシグナルはこうして伝言板代わりも務めてくれる。 「そうか。いつもありがとう、シグナル」 「どういたしまして」 そしてまた二人で笑いあう。優しい紅茶の香りがあたりをふんわりと満たしていた。 そのころの現実空間。 世捨て猫カントもようやくねぐらに帰ったころ、信彦は姉とその恋人の様子を見に再び事件の現場を訪れた。ふたりはまだ帰ってきていない。 「じゃあ、そろそろ帰ろうか、コード」 「そうだな」 「だからなにしにきたんだ、あんたら」 「楽しかったよ、また遊びにおいで」 シグナルが持ってきてくれたお土産をつまみに今日のデートの報告と、いつものシグナルの取り合いがひと段落着いたころに現実空間は夕暮れを迎える。今戻れば夕飯の時間には余裕を持って間に合うだろう。 「じゃあね、また来るねえ〜〜」 ほのぼのしたシグナルの声が紫の閃光と共に消えていく。 「見せつけてくれちゃって」 「いいじゃないか。仲がよくって」 電脳空間に残ったふたりは中断していた作業の続きに戻った。 だから、オラトリオは知らなかったのだ。 現実空間に戻った二人が違和感を覚えたのはそのときである。どーも、自分が最後に見た景色と違うような…。そう思ってあたりを見回したふたりは同時に叫んだ。 「きゃあああああああ!!」 「なんじゃこりゃああ!!」 その声を聞きつけた音井家の住人がばたばたと現場に向かう。いちばん最初にたどり着いたのはカルマだった。 「どうしました、二人とも」 入ってきたカルマに、シグナルはいきなり食ってかかった。 「なんじゃこりゃあ!! 俺様たちが電脳空間に行っているあいだに何があったっちゅーんじゃあ!!」 「し、シグナル…さん?」 いつもと様子が違うシグナルにカルマはたじたじだ。その横でコードが羽をばたばたさせている。 「うえ〜〜ん、カルマぁ〜〜」 「こ、コード?」 コードも様子が変だ、うまくバランスが取れないらしく、乗っかっていた機材から落っこちそうになってシグナルに抱きとめられている。 「「カルマっ!!」」 「な、なんでしょう?」 「「どーして私が/俺様がここにいる!!」 …早い話、ふたりは入れ替わってしまったのだ。 そこに事件の真相を知る信彦がやってきた。 「どーしたの、二人とも」 「うえ〜〜ん、信彦〜〜」 シグナルの腕の中で訴えるコードに、信彦も違和感を隠せない。 「もしかして…入れ替わっちゃった? やっぱり…」 「やっぱりってどういうことだ、信彦…」 シグナルの姿をしたコードが問うと、信彦は一部始終を話してくれた。 それでどうして入れ替わってしまったのかが納得できた。信彦が突っ込みなおしたケーブルが、逆だったのだ。信彦は青いケーブルをシグナルに、赤いケーブルをコードに繋いだ。が、本当はシグナルに赤を、コードに青を接続しなければならなかったのだ。 「と、とにかく戻らなくちゃ。このままじゃ何にもできないよ〜」 「まったくだ。で? 教授は?」 「それが、教授は出張にでてしまわれて…」 2・3日は戻ってこないという。責任を感じた信彦はエララを呼んでくれたが、彼女にも戻し方はわからないという。 「お兄様とシグナルさんはMIRAでできていますから拒絶反応が出なかったのが不幸中の幸いですわ」 彼女はそう言って音井家を辞した。 「しばらくこのままなんだ…」 「ごめん、二人とも…」 信彦がしゅんとしたのを、シグナルinコードが慰めてくれる。 「信彦が悪いんじゃないよ。カントを止めてくれなかったらもっとひどいことになってたかもしれないもん」 「しかし、誰か戻ってくるまで待っていたほうがよかったかもしれんな。現実空間に戻れんとわかったら外に連絡をつける方法はあったのだから」 「ごめん…」 信彦がもう一度謝るとコードinシグナルはふっと表情を緩ませた。 「まあ、こうなってしまったものは仕方がない。今度は気をつけることだ」 「うん…」 さて、ひと段落着いたところに運悪くやってきた青年がひとり。オラトリオだ。彼はいつものようにシグナルとのスキンシップ…要するにナンパを試みる。 「シグナルちゅわ〜ん♪」 そういって背後から抱きつこうとしたオラトリオの体が中を舞い、ぱたんと軽い音で床に降ろされる。 「シ、シグナルちゃん?」 オラトリオは呆然と、仰向けのままシグナルを見つめている。彼女は冷ややかにオラトリオを見下ろすと肩をぐりっと踏みつけた。 「奇襲に声をかける馬鹿がどこにおる」 「ど、どうしたの? シグナルちゃん…姉貴みたいになっちゃって…」 オラトリオが奇襲に声をかけるのはシグナルが「きゃーっ!!」と叫んで真っ赤になってじたじた暴れるのが可愛いからである。でも今日は違う。まるで長姉<A−L LAVENDER>が乗り移っているかのようだ。ぐりぐりと踏まれている肩の痛みなんてどうでもいい。 そこへ慌ててカルマとコードが駆けつける。カルマが顔を覆う間もあらばこそ。 「…遅かったみたいですね」 「コード、もう離してあげて」 自分(正しくはコード)に踏みつけられている長兄の姿にシグナルinコードはなんとなく哀れになって声をかけた。カルマに抱っこされているコードが優しく言うと、シグナルはふっと足を退ける。オラトリオにしてみれば不思議な光景には違いない。 カルマの腕の中からシグナルinコードはコードinシグナルをたしなめている。 「だめじゃないの、コード、オラトリオ踏んづけちゃ」 「しかしこいつがお前にちょっかいを出すからだな」 「あ、あのー…」 「「ん?」」 「どゆこと?」 ここに来てオラトリオはようやく状況を理解するにいたった。 教授が戻ってくるまで2・3日。コードとシグナルは入れ替わったまま過ごさなくてはならなかった。本来HFRになるはずだったコードはMIRAで改装されているためか、シグナルのボディにもすぐに慣れた。が、一方のシグナルは鳥になるなんて初めてのことなので平均的なバランスをとるのが難しいらしい、よちよち歩くくらいは何とかなるのだが高いところに登るとなると誰かに抱き上げてもらわなければならない。そういうわけでシグナルinコードはコードinシグナルの膝の上で静かにひなたぼっこをしている。 「あったかいねぇ〜」 「そうだな」 「…なんか、へんな感じ」 「それはそうだろう、俺様がお前で、お前が俺様なんだからな」 そよそよとそよぐ風にシグナルの髪が揺れる。穏やかな日の光を受けて偏光する紫の髪を指に絡ませ、首筋にふっと空気を入れる。 「…コードの視界ってこんな感じなんだね。ちょっと低いや」 「仕方なかろう、地面に降りたら小さいときのお前と変わらんだろうな」 「飛べたらもっとすごいんだろうなぁ」 「まあな」 ぴょんと膝から降りたシグナルはよちよちと庭を歩きまわる。 「お前の視界はこうか」 そう言ってコードも立ち上がった。シグナルの身長は160センチ、その眺望は安定した高さを持った世界を見渡す。 「コード…」 「なんだ」 つつかれて、初めてシグナルが足元にいたことに気がついて、コードはそっとシグナルを抱き上げた。 「私ね、自分ってどんなふうに見えるのかずっと考えてた」 「で、どうだった」 「…中身がコードだからよくわからなかった」 「そうか」 シグナルがそういうと、コードはからから笑い出す。 「でも、男の子だったらそんな感じかなって、思った」 「男でも女でもそう変わらんだろう、のほほんとしたところは」 「もー、そういうこと言うかな〜〜」 むうとむくれるけれど、コードはそれっきりだ。 「俺様は、鳥の姿を直に見ることがないからな。こういうものかと改めて納得したぞ」 起動前に一度実物を見たことがあったが、そのときは動いていなかった。自分が入っていなかったから当然だろう。しかし今度はシグナルが中に入っているのではじめて『動いている鳥形ロボット』を見たのだ。 客観的に自分を見るならいろんな方法がある。が、入れ替わってしまうなどという、人間ではありえないような経験で客観的に見た自分の姿。シグナルはシグナルで、コードはコードでわかったことが、いろいろある。 例えば、抱きしめるときの相手の感覚。 例えば、見つめる瞳の色。 例えば、その後ろ姿。 そして。 これからどうすればいいのか…ってこと。 「とりあえず…」 「もとに戻らなくちゃね」 そっと寄り添う二人の姿は、いつもと変わらないように見えた。 朝になって目を覚ますと自分がいて驚いてしまうのも今日で終わり。 教授が出張から戻ってきたのだ。教授は早速ふたりをもとに戻してくれ、ついでに揃ってメンテナンスをしてくれた。 「よかったぁ。ちゃんと私だぁ」 「やれやれ…」 まるで長いこと引き離されていたかのように、シグナルはコードをぎゅっと抱きしめた。そして今度はふんわりと腕の力を緩める。コードになっていた間、その腕にいたシグナルはどういう抱き方がいいのか、密かに理解したのだった。 「もう大丈夫だとは思うがね、何か違和感があったらすぐに言うんじゃよ」 「はい、教授」 シグナルは素直に返事をするとコードを抱いて研究室を辞した。 学校から戻ってきた信彦はシグナルとコードがもとに戻っていることに安心したらしく、ほっと胸を撫で下ろした。 「でもさ、シグナル」 「なあに?」 「どうしてそんな難しい顔してんのさ」 「え? そう?」 そう言って彼女は鏡を見る。なぜか、目尻が上がっていて、心なしか眉間にしわが寄っている。 「何でだろう…戻んない…」 その間コードは無言。無理もない、目尻が上がって眉間にしわ、それは間違いなくコードのせいなのだから。 コードによる後遺症、それはもうひとつあった。 「シグナルちゃ〜ん、もとに戻ったんだって〜?」 中身が正真正銘のシグナルだときいたオラトリオは早速シグナルにスキンシップを試みるべく背後から近づいた。このとき彼はあくまで肩をぽんと叩こうとしただけだったのである。それなのに… 「きゃあああああ!!」 オラトリオの視界は床を見、そして背後にあったはずの壁を上下逆さまに見、そして今は呆然と天井を見ている。 「し、しぐなる…ちゃん?」 「あ、あれ? あれれーー?」 何が起こったのか、何をしたのかわからないシグナルも呆然と自分の手を見ている。 「もしかして…投げ飛ばしちゃった?」 「そーみたいだぞ、シグナルちゃん…」 たった一度だったが…コードが自分の中にいたときにオラトリオをぶん投げてしまっているのだ。それをMIRAがしっかりはっきりくっきり覚えてしまっているのである。つまり条件反射的にシグナルは『オラトリオが背後から近づいてきたらぶん投げる』ようになってしまったのだ。 「オラトリオ〜〜、大丈夫?」 「シグナルちゃん…」 「なあに? 研究室まで運んであげようか?」 「…踏んで」 「…はい?」 真面目に心配していたのが馬鹿らしい、とばかりにシグナルの声のトーンが下がる。 「どうしようか、コード。本気で研究室に連れてったほうがいいかな?」 「望みどおりに踏んでやったらどうだ」 「やだな〜、冗談ですって」 むっくり起き上がってちょほーと笑うオラトリオに不審の目を向けつつ、今回のとりかえばやはひと段落。 君の中に入っていってその目から自分を覗いたら いろんなこと、ちょっとはわかったかも。 例えば、君のぬくもり。 例えば、君がみているもの。 君の感じ方、捕らえ方 そして愛し方。 ≪終≫ ≪ネタはありがちなんですが≫ 今回はコーシグで、入れ替わったらどうなるだろう、というネタにチャレンジです。もう数少ないC×S書きとしましては、こんなネタでも書いてないとやっとれんのです!! マジで!! どーせ、俺っちは歯牙ないC×S書きさ。イバラ道だけどいいんだ、俺っち、一生懸命歩いていくから…。 |