小さき者たちへ




神はご自分に似せて人を作られた
人は自分に似せてロボットを作った
人に造られし 人ならざる者たちよ
我は父なり 我は母なり
――かくの如く強く、弱き、小さき者たちへ…



るんるん♪
鼻歌交じりに田舎道を歩く少女がひとり。偏光する紫の髪を揺らしながら歩いている彼女は人間ではない。彼女の名前は<A−S SIGNAL>、音井信之介の手になる最新型のHFRなのだ。白い顔にぱっちりした紫水晶の瞳がらんらんと輝き、見るものすべてを魅了する不思議な力を備えている。その瞳に映る未来の予感が多くの傷ついたロボットを救ってきた。そんな彼女に思いを寄せる者は少なくない。
ま、それはそれとして。今彼女はおつかいの帰り道なのである。林の小道を抜けたところにこの町唯一の交番があって、ころころした小さなロボットが一生懸命お掃除に励んでいるのだが、今はパトロールの時間なのか、誰もいない。無用心だとも思うが、この町に犯罪はないに等しいから、シグナルもあまり気にしていない。しばらく歩いていて、シグナルは木の下で泣いている女の子と、それを囲んで宥めているコロコロロボットに出会った。気になって声を掛けてみる。
「どうしたの?」
「あ、これはシグナルさん」
振り向いたのはへの3号――彼らもまた音井教授の手になるロボットたちで、世界最初のHFR<A−H HARMONY>の弟たち――だ。彼は困り顔ですっかりお友達になった美少女に助けを求める。
「この子が飼っている猫さんが木に登ったまま下りられなくなっているんです〜」
見上げる木の枝に確かに猫が乗っている。飼い猫らしく可愛い鈴とリボンをつけた真っ白な子猫だ。シグナルはなるほど、と納得した。女の子もロボットたちも木には登れないのだ。ともすればここは自分の出番ということになろう。シグナルは買い物袋をへの3号に預ける。
「へっちゃん、これお願いね」
「はい」
それからシグナルは泣いている女の子の前に行き、そっとしゃがみ込んだ。ぽんと軽く手を乗せると、女の子は泣くのをやめて顔を上げた。女の子は優しそうなお姉さんの登場にびっくりしたような顔を向ける。
「あの子猫は、あなたの?」
「うん…木に登ったまま、下りられなくなっちゃって…」
「そっか。じゃあ、お姉ちゃんが連れてきてあげる」
「ほんと!?」
女の子は期待満面にシグナルを見る。彼女はにっこり笑うと立ち上がってすっと上を見上げる。そのまま反動もなく枝に向かって飛び上がった。人間離れした跳躍に誰もが驚く。シグナルはこともなげに枝を掴み、その上に飛び乗る。子猫がびっくりして尻尾をピンと上げた。威嚇しているのだ。
「大丈夫だよ、何もしないから。さ、こっちにおいで」
ちっちと手を動かす。猫は依然威嚇したままだったが、やがておとなしく彼女のもとに歩んできた。おっかなびっくりシグナルに近づく。彼女は優しく笑ってその猫を抱きかかえた。下で歓声が上がっている。
「下りるから、ちょっと退いててね」
そういうと女の子とロボットたちがちょっと後ろに下がった。それを見届けてからシグナルは片腕に猫を抱いて飛び降りた。彼女の背後に広がったプリズム・パープルはまるで天使の羽根のように輝いている。音もなく着地すると女の子が満面の笑みで近づいてきた。
「はい」
シグナルがそっと差し出す猫はみゃおと泣いて、女の子の腕に落ち着く。
「ありがとう、お姉ちゃん。おまわりさんも」
「気をつけて帰るのよ」
「はーい」
女の子は嬉しそうに子猫を抱いて帰っていった。それからシグナルはへの3号から荷物を受け取って研究所への道を急いだ。


「おや、シグナルじゃないか」
ぽん、と肩を叩かれて振り向くと、よく知った顔がある。シグナルはにっこり笑って会釈した。
「あ、教授。お散歩ですか?」
彼は音井信之介。ロボット工学最高峰と謳われる彼こそ、シグナルをはじめとする『音井ブランド』の生みの親なのだ。シグナルにとって『父』と呼べる人である。外に出ているためか、いつもの白衣を脱いでいる。
「散歩がてら、郵便局にな。お前さんはおつかいかい?」
「はい、夕飯の材料を買いに」
「そうかい」
ふたりはにこりと笑った。その笑顔はどこか似ている。
それはありえることだ。シグナル、そしてその兄である<A−P PULSE>には自分の息子の顔を用いた。彼女は16歳当時の息子――正信がモデルなのだ。だから彼女の顔には信之介に似た部分がないとはいえないのだ。信之介はその顔の中にもうひとり見出すときがある。
――今は亡き彼の妻、詩織だ。
生きていれば55歳。賑やかな老後になったろうと思うとき、彼女がいないことを思い知らされる。詩織は18歳で自分のもとに嫁ぎ、20歳で正信を生み…そして30歳のときに研究所の爆発事故でなくなっているのだ。彼女は今、このトッカリタウンのはずれにある墓地に眠っている。そういえば、もうすぐ誕生日だったな。
教授は毎年亡き妻の誕生日に花を供えている。彼はなんとなく、シグナルを連れて行こうと考えていた。
「教授?」
黙ったままの信之介を気遣ってシグナルが声を掛ける。信之介ははっとしてシグナルを見つめた。
『どーしたの、信にーちゃん?』
そんな仕草さえダブって見えた。
「なんでもないよ、さ、みんな待っているじゃろうて」
シグナルを促すその背中は少し淋しそうだった。



「シグナル、準備はできたかい?」
「はい、教授」
ふわりとしたワンピースは、みのるが彼女のためにと用意してくれたものだ。信之介は今年の墓参りにはシグナルを連れて行くことにした。孫の信彦はもう紹介した。残っているのは末娘のシグナルだけなのだ。家族が増えるたびにこうして報告しているのだから、シグナルもその例に漏れない。ロボットだとわからないように人間のふりをして、シグナルは教授の横を歩いている。その手には詩織が好きだったというバラの花束が抱きかかえられている。
霊園につくと、教授はまっすぐに亡き妻の墓を目指した。シグナルはゆっくりついていく。人の死に触れた経験が少ない彼女はお墓が何となく苦手だ。昼間だから出たりしないよね、とも思う。教授のあとをおって歩く。教授の足が止まったところが目指す墓なのだろうか。
『音井詩織』
そこは確かにその人が眠る場所だった。信之介に促され、シグナルはバラの花を手向ける。手を合わせ、冥福を祈ると信之介が墓石に――詩織に話し掛ける。
「詩織、これがわしの新しい娘、シグナルじゃよ」
シグナルはそっと信之介を見た。彼は優しそうにも悲しそうにも見える顔で微笑んでいる。信之介がふっと顔を上げてシグナルを見た。挨拶しなさい、といっている。
「…詩織さん、はじめまして。シグナルです…教授に造っていただきました」
シグナルの声は優しかった。信之介はじっと彼女を見つめている。
「教授の娘です。これからも、ずっとずっと…」
これは信之介にも向けられた言葉だろうか。信彦の姉として、音井ブランドの末娘として、そして信之介の娘として。彼女の存在は音井家の中で欠かすことのできない存在なのだ。もちろん、誰一人として欠いてはならない。いつか避けられぬ『死』が誰かを連れ去るまでは…。
「シグナル…」
「はい?」
「お前はわしの自慢の娘じゃよ。もちろん、ラヴェンダーも、オラトリオも、パルスもわしの大事な子どもたちじゃ」
信之介はシグナルの手を取った。柔らかく温かい指先がどうしてもロボットだと思わせない。
「お前さんたちロボットにも、幸せになってほしいと思うよ」
「教授…」
シグナルはふわっと笑う。
「はい、教授。私は教授の娘です。教授に造っていただきましたから。これからもずっと、教授のおそばにいます」
「ありがとう、シグナル…」
ふたりはもう一度墓前に手を合わせる。ゆるりと立ち上がってまた来年と約束をする。
「さ、いこうか」
「はい…」
名残惜しそうに立ち去るふたりの背後にゆるりと風が流れた。その背中を見送る、亜麻色の髪の女性に気がついた者はいない。


『いい子に出会えたんだね、信にーちゃん…』




それから数日後の研究所内。
「きゃああああああああ!!」
防犯ブザーよろしく悲鳴が響く。何事かと思って外に出ないほうがいい、巻き込まれるのが目に見えている。それでも出て行くのは悲鳴の主に思いを寄せるものたちだけ。信之介はまたかと、眼鏡を拭きはじめた。
 
「うえ〜〜〜〜ん」
「どうした、シグナル」
紫のプリンセスラインのコートを身に纏う女性が泣きじゃくるシグナルを宥めている。その顔にはおおよそ愛想というものがないが、彼女はもともとこういう顔だ。
「あのね、ラヴェンダー、オラトリオがね、変なことするの〜」
「またか…」
ぼきぼき手を鳴らして準備運動に入る。その横にいたメタルバードがふわりと飛んできてシグナルの胸の中におさまった。
「何をされたのだ、シグナル」
「んとね、体に触られたの。胸はおっきいのにお尻は小さいなって…」
思い出すのも恥ずかしくて、シグナルの大きな瞳はまたじわりと潤み始めた。シグナルのお師匠様であり恋人でもあるメタルバード<A−C CODE>は湧き上がる怒りを抑えられない。ラヴェンダーの肩に止まり、標的を狙う。
「シグナルちゅわ〜〜〜〜ん、どーこっかな〜〜〜♪」
お間抜けにも明るい声が聞こえてくる。待ち人来たりてといった感じでラヴェンダーは仁王立ち、コードも肩を怒らせている。
「シグナルちゃ〜〜ん、おんや〜ここか…あ」
入ってきたのは先ほどシグナルにセクハラ行為を行った実の兄<A−O ORATORIO>だ。ひきつる喉の奥にたくさんの不安が渦巻いている。
「オラトリオ、貴様…」
コードの琥珀色の瞳が怒りに彩られる。
「また妹に痴漢行為を働いたそうではないか、お前ときたら反省のない」
「やだな〜、兄妹のスキンシップですよ」
笑ってごまかそうとするオラトリオにシグナルの非難めいた視線が向けられる。違うもん、あれはそんなんじゃないもん。そう訴えているのをコードは横目で確認する。
「ならば私が相手をしてやろう。姉弟のスキンシップとやらだ」
「師匠と弟子というものありだな」
最強タッグの誕生にオラトリオは一目散に逃げ出そうとする。それも一瞬はやい姉によって阻まれる。
「表へ出ろ」
「し、しぐなる!! 兄ちゃんが悪かった! 謝るから何とかしてくれ〜〜!!」
むぎゅと押さえつけられているオラトリオが少々哀れに見えたものか、シグナルの仏心をくすぐらんかのように許しを乞う。シグナルはラヴェンダーの服をくいっと引っ張るとオラトリオを見つめながらこう言った。
「手加減してあげてね」
『……フォローになってねぇぇぇΣ( ̄◇ ̄川)!!』
GOサインが出たところで美女とメタルバードはオラトリオを引きずって庭へと出た。
「たっ、助けてくれ〜、シグナル〜〜〜」
「五月蝿いぞ、オラトリオ」
断末魔の叫びが聞こえて、この一件は終わった。

「やれやれ、わしの子どもたちはどうしてああ騒がしいのかのう」
『いいじゃん、信にいちゃん。賑やかで楽しいよ』
聞こえてきた声に信之介ははっと振り向いた。今確かに声がした。いるはずのない人の声が…。
「空耳かの…」
そうひとりごちて、信之介はまた本へと目を落とした。




小さき者たちへ
親は子の幸せを祈り、子は親の幸せを祈る
人に造られし 人ならざる者たちよ
今は彼女に従い行け
遥かなる未来を指し示す機械救世主なり

小さき者たちへ…





≪終≫




≪最近どうも…≫
えーっとですね、今回の野望はですね、
@信之介&シグナルの父娘もの
Aラヴェ&シグナルの姉妹カップリング
Bシグナルに痴漢行為をするオラトリオ(哀れ)
でした。あんまり書かない詩織さんやへっちゃんを登場させることができて幸せでした♪ どうもコーシグだとオラトリオは不幸な役回りですがそれはまあ、宿命ということで…。 

 注: 文字用の領域がありません!

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