ひめかたし 寒さに向かう晩秋から冬に咲くツバキ科の常緑小高木を山茶花という。椿に似た姿だけれども、たった一つ見分けるとすればそれは散り際の軽やかさだろう。椿は額ごと土に帰り、まるで人の首が落ちるようだといわれるのに対し、山茶花は一枚一枚風に乗る、優しい印象だ。けれど花は花、咲き誇ることこそ美しく、その優劣は競いこそすれど断じがたいものがある。 季節は冬に向かっていた。先日秋の庭にしたばかりだというのにもう衣替えをしなくてはならない。冬は冬で牡丹や椿、山茶花など白または真紅、そしてその中間である桃色の花が雪を彩るように咲き誇る。命はいついかなるときもその輝きを失わない。電脳空間の庭というものは実に簡単で、データだけを入れ替えればいい。いままでもずっとそうしてきた。もちろん、毎年おなじ庭にはしなかった。自分が眺めるだけなのでこれといって気を使わなかったのだ。けれど今年の夏から、ちょっとだけ事情が変わった。 「ねえ、これはどうする?」 「そうだな…この辺に植えておくか」 置きまどわせる白菊の花をちょこんと植えて、手をはたく。そのまま部屋に戻り、床の間に置いてある白磁の一輪挿しを竹細工のものに変え、真っ赤な山茶花を挿す。漆喰で塗られた床の間の壁に赤と緑、そしてそれを支える薄茶が鮮やかに映えた。 「うわぁ、綺麗。こういうものいいねぇ」 床の間に向かってちょこんと正座をし、柔らかな花弁を開く山茶花を見つめる瞳は秋の花の花弁、溢れるような髪は長く、夏に彷徨う蝶のようにその背中を彩る。微笑む顔は白磁の肌、その身を包む柔らかな曲線が、その人を女性だと教えてくれる。 少し高いところからそれを眺めている青年がひとり。縹藍の小袖に身を包み、柳のように細い体でしなやかに剣を使う。氷の冷気をまとう、けれど今は和んだ表情の琥珀色の瞳は優しげに少女の後ろ姿を見つめていた。 「はやいよねぇ。秋になったばっかりだと思ったのにもう冬になるんだもん」 「そうだな。俺様、冬は初めてだ」 「私もそうなんだぁ。なんか楽しみ♪」 ――『俺様』は<A−C CODE>。シンクタンク・アトランダムが製作したロボットの中でも最古参となる彼は電脳空間ではHFR、現実空間では鳥形となる。一方の『私』は<A−S SIGNAL>。彼女は最新型のAナンバーズで現在修行中の戦闘型HFRだ。このふたりはサポート機とメインロボット、という関係が基本コンセプトだが、さらにそれを越えてお師匠様とお弟子さん、そして恋人同士という関係でもあるのだ。同じ特殊金属MIRAで作られたふたりは同素体と言ってもいい。故にどこかで惹かれあうところがあってもおかしくはなかったわけだが、いつまでたってもそれを認めようとしないお方が約1名、現在も奮闘中である。それが誰かはまた別のお話。 「シンガポールって冬はないんだ」 「赤道直下だからな。それに俺様はお前ができるまで外に出たことはなかったし」 「そっか」 シグナルは素直に納得した。もともとコードはシグナルのサポート機として開発されたわけではなかった。彼の最初のメインロボットは<A−B BUNDLE>という。しかし彼は電脳とボディの安定を保ちきれずに崩壊、それは死者30名を越える大惨事を招いてしまった。体が消えてしまった後、彼も魂ともいうべきプログラムは漆黒の電脳空間を彷徨った。道を削る闇の衣が侵入者に道標を作った。バンドルは、コードにひかれてやってきただけだったのだ。もはや寄るべきボディも心も失ったバンドルを、コードは斬った。このまま――何も知らぬまま罪を重ねてしまうより…コードの手に握られていたのは『細雪』、これから彼の愛刀となるその剣の露となった。 今でもコードはなにかにつけて、今は亡き相棒のことを思い出しているらしい。ふと見せる切なげな表情が、シグナルの心を捉えてしまう。どんなに自分がそばにいても、忘れられるものではないらしい。彼女の知らない、コードの昔――幼いころ。 ほら、また。思い出してる。 冬になれば雪が降る。コードは…雪が嫌いかもしれない。 「どうした?」 「え? あ、なんでもない」 シグナルはコードから視線をはずすとそっと湯呑みを抱いた。有田焼の湯呑みの中に今回注がれたものは茶ではない、白くにごった甘酒だ。ほのかな甘い香りが鼻孔をくすぐる。けれど美味しいはずの甘酒も、今は彼女の心を満たさない。だって、コードが笑ってくれないから。いつも表情豊かとは言い難いけれど、それでもただ黙っているだけ、というのがシグナルを悲しくさせている。生まれたての自分にはなにもできないのだろうか。 「…ナル、シグナル!」 ずっと考えていて、だから気がつかなかった。コードがすぐそばまで来ていて、自分を見つめていることに。何かに驚いているようだけど、視界が歪んでいてよくわからない。 「どうしたの、コード…」 声が掠れていることさえも。 「どうしたのではない、それはこっちのセリフだ」 コードの指が、そっと目尻を撫でる。撫でられてはじめて、シグナルは自分が泣いていたことに気がついたのだ。何で泣いているのかわからなくてきょとんとしていると、コードが溜め息をついた。 「何を泣くことがあるのだ、俺様はなにもしとらんだろうが」 そう、彼はシグナルの向かいに座って黙って甘酒を飲んでいただけだ、彼女を泣かすようなまねは何ひとつしていない。彼女を泣かせるのはもっぱらシグナルの兄である<A−O ORATORIO>であってコードではない。だからコードは目の前でいきなりぽろぽろと大粒の涙を零しはじめたシグナルをみて仰天した。 「何故泣く。言ってみろ、ん?」 「…わかんない。わかんないけど…急に寂しくなった」 「…何故?」 そっと肩を抱いてくれる腕は、こんなに温かくて優しいのに…。やっぱり私は、コードを支えてあげられないのかな……。そんなふうにマイナスの方向に考えてしまって、シグナルの瞳はまた新たな涙を生んだ。世界にひとつの悲しい真珠がぽたぽたとひざに落ちる。コードはさらに慌てた。 「お、おい…」 「ごめんなさい…でも……なんでかな、すごく寂しくて悲しい…」 それはきっと、自分がコードの役に立てないことと、そのことで泣き出してしまった自分がコードの慰められているのに、その理由もいえないでいるから? いつまでたっても自分はひよっこのままで…役立たずで、足手まといで、コードに助けられてばかり。 「…だめだよね。私じゃ……」 ぐずりながら何とか自分で涙を拭く。けれど笑うことが出来ない。涙で濡れた顔がそれを許してくれないのだ。せめて笑うことが出来たら、コードを安心させられるのに…。寄り添うことさえせずにいたシグナルを、コードはぎゅっと抱き寄せた。 「何がだめなんだ?」 「…私、コードのそばにいるだけじゃない。コードのために私ができることって…何もない」 「何を馬鹿な。そばにいられること、それ以上に大事なことはないぞ」 「だって! だって私…」 「シグナル」 少し強めの語調がシグナルの言葉を遮った。けれどコードは優しい眼差しで彼女を見つめていた。 「カシオペア博士の夫と子息が亡くなられた時…俺様はここにいた。この電脳空間にだ。けれど博士は現実空間におられる。博士を…力づけてやりたくても、ここからではどうしようもない。この腕も胸も貸してやることすら出来なかった」 カシオペア博士はコードにとって母親とも言うべき人だ。その母が家族を失った悲しみと論壇で攻撃される苦痛から…言葉でしか救ってやれなかったのだ。そしてバンドルも…どうすることも出来ずに、斬るしかなかった。 「…でも、コードが寂しそうにしてるのに、私は…腕も胸もここにあるのに…」 「シグナル…」 「バンドルの事だって…コード、時々思い出してるみたいで、寂しそうなのに…」 コードははっとした。バンドルを斬ったとき、最新ナンバーは<A−K KARMA>で、音井ブランドはまだ誰一人として生まれていなかったのだ。だからシグナルは全く知らないことだ。一度話して聞かせたことがあったが、そのときも彼女は一度もあったことのないバンドルのために泣いてくれたのだ。誰かのために泣き、そして笑う。紫の瞳は静かに静かに、誰かを見つめ、思い、そして光る真珠を生む。 確かにバンドルのことを思い出しているときがある。けれどそれは、コードが今彼女と幸せに過ごしているからこそ懐かしくも悲しくも思い出せるものであり、彼女がいなければそれはただ、過去の記憶になってしまうだろう。シグナルという新しいパートナーを得てはじめて、自分はバンドルの死を乗り越えられたのかもしれないのだ。 「シグナル…」 コードは優しく呼びかけると、シグナルの手を取って立たせてやった。 「何処に行くの?」 「…花を捧げに」 多少ちぐはぐな答えでも、それだけでわかった。シグナルはコードに手を引かれ、庭に下りて裏の木戸から外に出た。 金色の格子が縦横無尽に闇を切り裂く。裂かれた闇は吠え、わずかに震えているように思えた。 「ここだ」 ここが、バンドルを斬った場所――最初に降った雪。シグナルは思わず、彼の手を握り締めていた。コードはなにも言わずに白菊の花を作る。 「ほら、シグナル」 「ん…」 受け取った菊を、虚空高く投げ上げる。コードはじっとそれを見つめていた。そよそよと風に乗る白菊は何処までも高く舞い、公共空間と上位空間の境目あたりで、雪のように儚く散った。 「…届いたかな」 「きっとな」 つないだ手が、離せない。ふたりはいつまでも、花が散ったあたりを眺めていた。 「シグナル」 「なあに?」 シグナルはコードのほうに向き直った。彼は正面を見たまま、言葉をつなぐ。 「俺様は、別に寂しくないぞ。そばに大勢いるからな」 「じゃあ、誰でもいいんだ」 私じゃなくても…これまで生まれてきた者でも、これから生まれてくるだろう者でも。シグナルはうつむいてしまう。すると突然、コードはつないでいた手をほどいて、シグナルの肩を抱き寄せた。 「誰でもいい。誰でもいいが…」 「…いいが?」 「お前が最高だ」 そしてぎゅっと抱きしめる。じーんと染みる温かさにシグナルの目頭がまた熱くなった。 「…また泣いているな」 「だって嬉しいんだもん」 「落ち着いたか」 「うん」 コードの手が、シグナルの顎を掬い上げた。これからなされることがわかって、シグナルは薄く目を閉じた。 重なる、唇。 触れるだけのそれはだんだん深くなる。 忘れてた。こうやって愛されること、求められること。 コードにとって、自分がいかに大切なものか。 戦うことを教えてくれた 愛することを教えてくれた 求めること、求め合うことも…… 「…愛している」 「…うん」 情けないけど、やっと整理がついたシグナルでは今はこれが精いっぱい。 「さ、戻ろう」 「うん」 促され、木戸を押そうとしたコードがはっと振り返る。シグナルも同じ方向をみていた。 「…聞こえたか?」 「うん、聞こえた」 それはふたりにしか聞こえなかったに違いない。このふたりでさえも、ロボットでありがなら空耳かと思ったほどだ。 「ありがとうって…」 「……」 コードはなにも言わなかった。言わなくてもいいだろう、そう思ったに違いない。 「ねぇ、コード」 「なんだ?」 「ずっと、そばにいてもいい?」 「『いてもいい』ではない。いろ、俺様のそばに」 甘やかな関白宣言にほろ酔い加減のシグナルは、コードの腕に抱かれて幸せそうに目を閉じた。 『ひめ』は『小さな』。 『かたし』は椿の古称。 山茶花は 古くは『ひめかたし』という。 小さな椿と称されたその花は冬にこそ命の美しさを見せつける。 そしてその名ゆえに――秘め難し。 その花を見るものすべての心を映してしまうのかもしれない。 そして巡りゆく季節の中に、君さえいればいい ――ひめかたしに捧げよう ≪終≫ ≪しっかりしろ! 私!!≫ …C×S♀で、『コードの庭・冬』です。ここまで来ると春も書かなくっちゃねぇ(夏と秋はあるから)。『コードの庭』シリーズ(シリーズだったのか…)はこれまでちょっとおちゃめな方向で書いてたんですが、こんなに真面目なのは…すみません、初めてです。 『バンドルに花を捧げるシグナル』と山茶花の古称を使ったネタはやりたいな〜、と以前から考えていたのですが、季節が巡るまで待ってました(笑)。だってそれまでオラシグ書いてたんだもん。バンドルっていったらやっぱコードでしょ?ってことで。 …大丈夫か、私!! しっかりしろ、私!! |