もう一人ぼっちには戻れない




あなたの多面性が織りなす異空間――それはただ唯一の存在のみに捧げられた心
何十年もひとりでいたから――君と出会うために
もう、ひとりになるのはいやだ…



そんなときだったんだと思う。嫉妬、猜疑心、邪念――これまでそんなこと思ったこともなかった。すくなくとも、彼女――シグナルに対しては。いや、自覚しなかっただけで実は奥深くに根付いていたのかもしれないとも思う。いらいらして、落ち着かなくて、気がついたら思いのたけをぶちまけていて、そうしたら恋人は泣きながらいなくなっていた。
「コードのばかっ!!」
そういい残して走り去った彼女を追おうとしたときにはもう後の祭り。なす術なくコードは唯一電脳空間に住まう妹・エモーションを訊ねた。遊びに行ったら鉄砲玉と評判である妹の部屋の前に今日は珍しく行き先を記したメモが残っていた。
『本日は<ORACLE>におります』
<ORACLE>とは電脳空間でも屈指の情報管理機関で学術機関用特別ネットだ。Aナンバーズであるコードや彼の妹にとってそこは長く慣れ親しんだ場所でもある。
「あのひよっこが、手間をかけさせおって…」
 


「まぁ、お兄様がそんなことを…」
「私…どうしたらいいんでしょう…わかんなくなっちゃって…」
言いながら彼女の紫水晶の瞳はぽろぽろと真珠を零し始めた。柔らかな曲線の頬を伝い、膝に落ちる。隣に座っていたエモーションはシグナルの背中を優しく撫でてやる。
「可哀想な<A−S>…今回はお兄様のほうが悪いですわ」
エモーションがぷんと怒って軽く拳を握る。するとシグナルがふっと顔を上げて首を振った。
「違うんです、エモーションさん、私が悪いんです」
「まあ、なぜ? だって<A−S>は…」
「コードにそんなふうに思わせちゃったのは私です、だから私が悪いんです…」
健気なシグナルの物言いにエモーションはほろりと涙を零した。エモーションにとってシグナルは娘のように可愛がってきた存在だ、そしてコードは他ならぬ兄である。話を聞く限りではどうもコードのほうが悪いように思われるのだがそれでも彼女はコードをかばう。ふたりを繋ぐ強い絆に心打たれつつも、いや、だからこそそこまで思いつめたシグナルが哀れでならない。
「私、現実空間で起こっていることには間接的にしかタッチできませんの。でも<A−S>はあの方のために…」

話は数日前までさかのぼる。


シンガポールは赤道直下――とにかく風光明媚な都市で、そのなかにどどんと大きな――といっても小国家ほどはあろうか――研究機関があった。その名も世界に冠たるシンクタンクアトランダム。ロボット工学がメインテーマだがあらゆるジャンルの研究者や学生が集うさしずめ東洋のアカデメイアといった感覚だ。そしてそこに所属する科学者たちもその作品たちも超一流の名をほしいままにしている。Aナンバーズはそのなかの最たる結果である。<A−A  ATRANDOM>に始まり、現在は最新作<A−S SIGNAL>に至るまでの16体が起動している。そんな彼らあるいは彼女らは最近まで危機に瀕していた。
T・Aの前総帥であるDr.クエーサーが自らの製作した<A−Q>シリーズ…ことにクオータを使ってAナンバーズ殲滅を実行したのだ。幸いすべての目論みはシグナルたちの活躍によって事なきを得たが、肝心のシグナルはパルス曰く『げちょんげちょん』になって戻ってきてしまった。彼女の回復を願うみんなの手によってシグナルは奇跡的に回復した。そして元気になった彼女が早速取り組んだこと――それは一緒に連れてきた自分のコピー・クイックをはやくみんなになじませてあげることだった。彼の姉とも言うべきクイーンはシグナルの姉であるラヴェンダーがSPとしての特訓をつけている。クイックは信彦やエララがついていてくれる。でもクイックはこれまでずっと閉ざされた世界で生きてきた。出来そこない…ロボットが作ったがらくたの寄せ集め…クオータの言葉は無残極まりない。起動してからの時間がたぶん同じくらいだろうシグナルは自分のコピーだということもあってかクイックのことをひどく気にかけていた。
『この子は未熟なのだ』
クワイエットがそういっていたことがある。そう、クイックはなにもわからないんだよね、ロボット同士、人間同士、あるいは人間とロボットの付き合い方――。そのすべてがクイックにとっては未知の領域なのだ。まずは…先だって壊してしまった<A−N ニイハオ>のところに謝りに行かなくちゃならない。力試しだとか言って戦闘型であるシグナルを模したクイックが非戦闘型であるニイハオをぼこぼこにしてしまったという事件があったのだ。
「大丈夫よ、ニイハオちゃん、ちゃんと修理終わって元気になってるよ。ボディフレームがどこにいったかわかんなかった私だってちゃんと治ってるんだから」
「いや、そうじゃなくてさ…」
「? どうしたの?」
「…なんて言って謝ったらいいのかなって。俺、許してもらえるのかな…」
不安そうなクイックにシグナルはとても簡単なアドバイスをしてあげた。
「大丈夫よ、悪いことしたなって思ったらちゃんとごめんなさいって言えばいいのよ」
「…そんなのでいいの?」
「いいのよ。今度、私もついていってあげるからね」
「うん…」

それで、その日はクイックとわかれた。南国の夕暮れはとても早く、日がどんどん沈んでいく。音井教授の研究棟へ戻ろうか、それとも家にもどろうか、考えているところにシグナルは薄紅の影を見つけた。それは彼女の恋人であるコードの現実空間の姿だった。本来は桜色の羽が夕日に染まって紅くなっている。
「コード♪」
「ん、シグナルか、何をしているんだ」
コードは差し伸べられたシグナルの腕に止まる。MIRA製である彼女の腕のガーターはオリハルコンもかくやの輝きを放っていた。コードもMIRAで作り直された、いわば同素体でもある。コードに問われ、シグナルはにこっと笑って答えた。
「うん、研究棟に行こうか家に戻ろうか迷ってるの。今日は信彦とは別行動にしちゃったから信彦はどっちにいるかなって」
「信彦なら家に戻るといっていたぞ」
「そうなんだ。ありがとう、コード」
ふわりと微笑むそのほおに、苦痛は見られない。つい先日までうまく動くことさえままならなかったシグナルがここまで回復していることに、コードはとても安心していた。そしてもう二度と離れることのないよう、失うことのないようにとその身、その心に互いを深く刻みこんで…。
「お前こんな時間まで何をしていたんだ」
「クイックと一緒だったの」
「ふん、ひよっこがひよっことな」
「もう、そんな言い方して」
「事実だろうが」
「むう…」
シグナルは小さくふくれて見せた。からかわれているんだと思っていてもひよっこ呼ばわりされるのはやっぱりいやなのだ。対等でありたいとは思うけれど今はコードに追いつくことで精いっぱい、だからふくれるしか出来ない。
「それで? クイックとかいうガキはどんな按配だ? 使い物になりそうか?」
「使い物? なんに使うの?」
「…Aナンバーズとしてやっていけそうかということだ」
「ああ、そういうことか。大丈夫だと思うよ」
「そうか。ま、お前がしっかり鍛えてやるんだな。ひよっこ同士、通じるところはあるだろう」
「もー、またそんなこと言う〜」
夕焼けの街は激しさをそっと忘れながら恋人たちを誘う。


それから数日、シグナルはクイックにつきっきりだった。謝りにいきたいとは思うのだけれどなかなか決心がつかないらしい。そのことがコードの不機嫌に拍車をかけた。声をかけても急いでいるからとつれないし、家に戻っていても疲れたらしくすぐに眠ってしまい、電脳空間にさえ降りてこない。そんなこんなでオラトリオに八つ当たりしても何の解決にもならない。
(あんのがきゃあ…)
最初のうちこそシグナルやエララがクイックをかばうから大目にみていたが流石のコードも限界にきているらしい。
「シグナルにかまってもらえないもんだから…」
「…何か言ったか?」
「いいえ、なーんにも」
オラトリオの小さな呟きのほうが的を射ているかもしれない。そんなときだ、シグナルが紫苑の光に包まれて電脳空間に降りてきたのだ。彼女の信号はそのままコードの邸に向かっているようだった。信号を捕らえたコードは慌てて邸に戻る。
「…コードはどうしたの」
「あわてて戻ってったけど…シグナルが降りてきてんだよ」
「へぇ…」
せっかく用意したお茶をどうしようかと、オラクルは迷っていた。が、そのお茶がすぐに必要になろうとは、今の彼には思いもよらなかっただろう。


「コードぉ、いるぅ?」
とてとてと廊下を歩きながらシグナルがコードを呼ぶ。けれどことりとも音がしない。コードはいないのだろうか。
「<ORACLE>にいけばよかったかなぁ…」
小首をかしげて考えてみて、くるりと振り返るとコードが立っている。どうやらいまここについたらしい。息を切らした様子はないが、CGがちらちら乱れているところをみると慌てて邸に戻ってきたらしい。シグナルはコードのCGが落ち着くのを待って声をかけた。
「あれ? やっぱり<ORACLE>だったの?」
「まあな。それよりどうした、今日はあのガキはいいのか」
「うん、今日はクイック、メンテナンスで一日かかるんだって」
「一日もか?」
「うん。ほら、クイックはその…クワイエットが作ったロボットだからね、エララさんやユーロパと違ってロボット工学の知識がどれくらいあるのかわからないでしょう、だから一度ちゃんと検査するんだってさ」
「ほう…」
そういってコードはシグナルが入れてくれたお茶をすすった。こうして彼女がそばにいるのはどれくらい久しぶりだろうか。
「シグナル」
「なあに?」
「…お前、あのガキから少し離れたらどうだ」
「…なんで?」
「甘やかすばかりが愛情ではないぞ、少しは自分のことは自分でやらせてだな。ロボットとしての自立を促し」
「わかってるよ、でもまだそれは早いと思うの。今はどうやってみんなになじむかが先だよ。そりゃ、稼働時間は私と似たり寄ったりだけど、私とはプログラムが違うのよ。私は家族とか兄弟とかそんな結びつきが当たり前だけどクイックはそうじゃないもん、だから」
「うるさいっ!! 俺様の言うとおりにしろっ!!」
まるで子どもの教育方針について言いあう父母のようだがこの際それは無視していただきたい。しーんと静まり返るコードの部屋で、シグナルはなにも言えずにただコードを見つめていた。そしてだんだん怒りが湧いてきた。これまでいろいろと不慣れな自分を導いてくれたコードだけれど、今度という今度はあまりな言い分に腹を立てずにはおかれない。
「な、なんでコードの言うこときかなくちゃいけないのっ!!」
「なんでとはなんだ、俺様に逆らうのか」
「逆らうとか逆らわないとかそういう問題じゃないでしょう? ほかのことならとにかくクイックのことでどうしてコードの言うこときかなきゃならないのか説明してよ、そうじゃないと私納得できない!!」
「理由などない、ただ言うことを聞いていればいいんだ」
どこまでも高飛車なコードはその言い分も高飛車だ、シグナルは握った拳をふるふると震わせている。
「〜〜〜コードのばかっ!!」



そして舞台は再び<ORACLE>へ。
「こんにちは、オラクル様、オラトリオ様。お兄様はこちらではございませんの?」
入ってきたのはネオングリーンの髪が鮮やかな電影の令嬢<A−E EMOTION:Elemental Electro-Elektra>だ。彼女は世界初の女性的な感情を持ったロボットプログラムである。
「やあ、いらっしゃい。コードなら今さっき慌てて出て行ったよ」
「まあ、では入れ違いになってしまいましたのね」
「師匠に何か御用だったんですか?」
オラトリオがさっと勧める席につくと、エモーションはにっこり笑った。
「ええ、最近お兄様のご機嫌が悪いんですの。どうしたのかと思いまして」
「師匠の機嫌が悪いのはいつものことじゃないですかぁ、ま、今回はシグナルが絡んでるらしいっすけど」
「<A−S>がですか?」
エモーションが小首を傾げる。妹たちだけでなくシグナルさえも溺愛している――本人はそんなつもりはないらしいがバレバレで――コードだから無理もないだろう。サイドだけ長いネオングリーンの髪が床につきそうになったとき、オラクルがのほほんと声をかけた。
「ねえ、そのシグナルが来たんだけど…」
電脳空間対応プログラムを持つAナンバーズはノーチェックで入ってこれる。シグナルにはその資格があるし、オラクルだってシグナルを侵入者だとは思わない。いつもなら何も言わずに通してやるのに今回は少し様子が違った。オラクルの声にオラトリオが反応する。
「だけど…なんだよ、通してやりゃいいじゃん」
「…泣いてるみたいなんだけど」
「「はあ?」」
珍しくオラトリオとエモーションがハモる。玄関まで迎えに出てみると果たしてオラクルの言うとおり、シグナルが入り口のところで泣きながらしゃがみ込んでいた。オラクルがわざわざシグナルの来訪を教えたのはこのためだったのだ。
「う〜〜」
「どうしましたの、<A−S>」
「シグナルちゃん、どうした?」
二人が優しく問い掛けると、シグナルががばっとオラトリオに抱きついた。いつもはこんなことをしないシグナルだけにオラトリオも何が起こったのか現状を把握するのに少々時間がかかってしまったほどだ。
(なんか…柔らかい…)
理性なんか吹っ飛びかけているオラトリオは、それでもエモーションの手前そっとシグナルの肩を抱くに留めた。
「シグナルちゃん、いい子だから中でお話しよう。な?」
「うん…」
母親と兄に伴われ、シグナルの姿はそっと<ORACLE>に消えた。


「なるほどね…」
「お兄様もあんまりですわ」
「俺なんかい〜〜〜っつもかまってもらえないのに」
「…ごめんね、オラトリオぉ」
オラトリオが何気なくこぼした一言でシグナルはさらに元気をなくし、オラトリオはそのせいでオラクルとエモーションに睨まれてしまう。要するに今回に喧嘩の原因はシグナルにかまってもらえないことにコードが腹を立てただけのことなのだ。もっと正確に言えばシグナルにだけ怒ったのである。クイックにかまっているのはシグナルだけではなくコードの妹であるエララもだ。けれど彼女はお咎めなしである。
シグナルはいつまでもくずくずと泣いている。そんな姿は彼女にふさわしくない。いつも元気いっぱいに笑って、泣くのならちょっとだけにしてほしいのに。エモーションはシグナルを宥めようと一生懸命に言葉を募り、オラトリオも可愛い妹のためにあれこれと世話を焼いている。
「俺のことはいいけどさ、どうするんだ、シグナルちゃん」
「……私がいけないの。コードを怒らせるようなことしたんだもん」
「そんなことはないよ、シグナルはなにもしてないじゃないか」
オラクルがそっと口をはさんだ。シグナルはきらきら光る紫色の瞳でオラクルを見つめた。
「…何もしてないから、コード、怒ってるんだもん……」
「要するにお兄様のわがままですわ。<A−S>が誰にでも優しいのは<A−S>が生まれ持った性格であって<A−S>そのものが悪いわけではありませんもの」
プリズムパープルの長い髪を優しく撫でてやりながらエモーションは彼女が再び起動したときのことを思い出していた。みんなを護るために自らを犠牲にしてSIRIUSが放つ光の中に飛び込んだのだときいている。そして目覚めたとき、自分がどうなっていたのかよりもみんなが無事であるかどうかを気にしていたくらいだ。そんなシグナルがクイックを気にかけていても仕方がないだろう、それが彼女らしさなのだから。
「でも、私…」
「どうしましたの?」
「コードが人一倍寂しがりやだって知ってたのに…」
シグナルの言葉にオラトリオが噴出しかけてやめた。ここで笑うことは更なる反感を買いかねないからだ。
コードの生い立ちと経歴には常に孤独がつきまとっていた。<A−C CODE>は本来<A−B BUNDLE>のサポート機として開発されたものであった。しかしバンドルは完成しなかった。<A−A>の開発に失敗していた科学者たちが無茶な夢を抱いて作ったバンドルはその消去にさえ失敗し、電脳空間でコードによって斬られた。コードはロボットプログラムとして完成していたためそのまま電脳空間での生活が許されていたのだ。妹たちが生まれ、カルマが出来て、オラクルが出来て、音井ブランドが出来て、Aナンバーズは徐々に増えていった。そしてコードが待ち望んだ永遠の相棒が生まれたのだ。バンドルを失って20年来、ずっとずっと待っていたパートナーこそが紫色の<A−S SIG NAL>その人なのだ。そんなコードだから二度と彼女を失うまいと必死になる。守って、そして自分が孤独から守ってもらえる、それがコードにとってシグナルなのだ。
「でも、コードのこと嫌いになったわけじゃなかったのに…」
シグナルの瞳がまたぽろぽろと涙をこぼす。健気なシグナルの言葉にエモーションがもらい泣きしている。
「なんて健気なんでしょう。わかりましたわ、こういうことはきちんとしないとあとでこじれて大変ですからお兄様とお話をいたしましょう。ね?」
「…コード、聞いてくれますか?」
「もちろんですわ。何が何でも、ひきずってでも連れてきましてよ」
エモーションがおまかせなさいとばかりに胸を叩く。そのときオラクルがピンときて上空を仰いだ。
「どうした?」
「コードが来たみたいだけど…」
「私が出ますわ。オラクル様、オラトリオ様、<A−S>をお願いいたします」
「おまかせください、エモーション嬢」
オラトリオが優雅に腰を折る。オラクルはシグナルの顔を拭いてやる。泣き濡れた顔は真っ赤で、それはそれで可愛いけれど冷静になるためにも一度泣くのをやめたほうがいいと思ったからだ。
「大丈夫だよ、仲直りしたいんだろう?」
「うん…」
オラクルの優しい声が、どこか遠くに聞こえていた。



<ORACLE>玄関前では兄と妹の舌戦が始まっていた。
「…シグナルは来ているか」
「ええ。かわいそうにちょうどこのあたりで泣いておりましてよ。なんでもお兄様にひどい仕打ちを受けたとか」
エモーションの髪がふわりと揺れてあたりを指差す。声が僅かに低くコードを責める。コードは小さくうめいてそれでも何とか先に進もうとする。
「何もしとらん。あいつが勝手に出て行っただけだ」
「まぁ、ひどいおっしゃりようで」
「なんだと?」
「お兄様のわがまま、その末の八つ当たりだと聞いておりましてよ」
「…シグナルがそういったのか」
「いいえ。でも<A−S>のお話を聞く限りではそうですわね。<A−S>は誰にでも優しい方、それはわかっていることではありませんか。それにお兄様に愛想をつかしたわけではありませんでしょう。<A−S>のことを大事に思っていらっしゃるのはわかりますけれど」
「だからこうして迎えにきとる」
エモーションの言葉を途中で切って、コードはずかずかと<ORACLE>に入り込んだ。
「……反省…してらっしゃるのかしら…」
遠ざかろうとする兄の背中を光の令嬢は程なく追いかけた。
<ORACLE>内に入り、螺旋階段を上ってホールにたどり着くと、よく似た二つの顔が迎えてくれた。そのふたりの間にシグナルが小さく座っている。
「ようやく師匠のお越しだぜ、シグナル」
「あ…」
オラトリオのコートの裾にシグナルはしがみついていた。できればこのまま離してほしくなく、掻っ攫ってしまおうかと思えるくらい、今のシグナルは不安定だった。
「ほら、ちゃんと話すことがあるんだろう? ちゃんといわねえとわかんねえぞ?」
「…め」 
「なんだ?」
「やっぱりだめっ!!」
みんなが見守るなか、シグナルは一目散に逃げた。流石戦闘型なだけあって足は速い。けれどここは電脳空間、しかも<ORACLE>は専用の閉鎖空間だ。彼女がどこに逃げ出そうとも<ORACLE>内ならば確実に見つけ出すことができる。
「まったく、手間のかかるガキだ」
「何をおっしゃいます!! 元はと言えばお兄様が<A−S>にっ!!」
「そーっすよ、師匠。あーみえてシグナルちゃんはデリケートですから優しく優しく。何なら今度レクチャーしましょか?」
オラトリオがへらんと笑う、その喉もとに細雪。冷たく光る剣先は図星か。オラトリオはホールドアップと両手を上げた。
「いたよ、この先の倉庫にいるみたいだね」
「なんでそんなとこ…」
<ORACLE>のなかでもデータが古くてあまり閲覧されないものを収めてあるエリアにシグナルは逃げ込んだらしい。オラクルが観音扉をあけるとぱあっと灯りがついた。
「俺様が行く」
「当然ですわ」
シグナルのこととなるとエモーションも負けてはいない。彼女のさりげない突っ込みにコードは舌打ちしながら進んでいった。途中で紫色の影を見る。コードが近づくたびにシグナルが移動しているらしいのがわかった。コードが止まれば影も止まる。コードが動けば影も動く。ならばその隙をつけばいい。コードは身じろぎせずにただたたずんでいた。その様子をじっと見詰めているシグナルの姿を、コードは一瞬で捉えた。
「見つけたぞ!」
「きゃっ」
「かくれんぼは終わりだ、来いっ!!」
「やだっ、やめてよ、離してよっ!!」
いやいやと頭を振ってシグナルが抵抗する。面倒だ、とコードは彼女を抱きかかえた。そしてそのまま光の柱となって消えていく。残された三人は呆然とその様子をみていた。やがてエモーションがはっと我に返った。
「逃げられましたわっ!! オラクル様、オラトリオ様、私様子をみてまいりますのでまた後ほどっ!!」
コードたちに続いてエモーションも光の柱となった。
「人騒がせだねぇ。犬も食わないってのに」
「あんなエモーション、はじめてみたよ…」
 


かこーんと。あくまでかこーんと鹿威しがなく。
コード邸の庭には色とりどりの花が今を盛りと咲き誇っているが、室内のふたりはどうしたものかと黙ったままだ。もう一度鹿威しが音を出してみたけれどあまり効果はないようだ。
「シグナル…」
先に口を開いたのはコードだ。シグナルはうにゅと視線だけ上げる。
「あー、その…なんだ。今回のことに関してはだな…俺様が悪かった。だから機嫌を直せ」
コードが素直(自称)に謝ってみせた。けれどシグナルは反応を示さない。かわりにまた大粒の涙をこぼし始めた。
「なんでコードが謝るのよ…」
「なんでって、俺様が怒鳴ったからお前は怒っているのだろう」
「違うもん…」
「だったら何を怒っているのだ? 言っておくがお前とガキの仲を疑ったわけではないからな」
半分くらいそうだったことはさておいて、コードはたまらずシグナルの顔を覗き込んだ。何を泣いているのか正直よくわからないからだ。
「違うの、コードのこと怒ってるんじゃないの」
「なに?」
「確かに最初はコードが分けわかんないことばっかりいうから頭に来たけど、何でコードがそんなこというのか考えてみたの」
「それで?」
「私…クイックにかまってばかりでコードに寂しい思いさせてたんじゃないかって思って…それでコード、怒ったんだって思ったの。そう思ったら今度は…そんなこと思わせてた自分に腹が立って…でもコードに馬鹿って言っちゃって……どうしたらいいのかわかんなくなっちゃって…」
ほら。この子はそういう子なんだ。誰よりも、誰か――自分以外の誰かに目を向ける。そして愛しいものなら守り、敵ならば戦う。けれどその相手に対してだって黒幕がいるならその黒幕に対して怒りを向ける。アトランダムのときも、クイーンのときもそうだった。
クイックに目を向けている間に、コードが寂しい思いをしていたことに気がついてやれなかった自分。そしてそれを示したコードをわかってやれなかった自分に対して向けた怒りのなかに、彼女は苦しんでいるのだ。
「シグナル…」
「…こんな私、嫌でしょ」
「何を言う。俺様が大人気なかった。もっと…お前に甘えればよかったのだな」
 
もう、ひとりではないのだから。
あの夜に、そう知ったではないか。
どうしても君を失いたくないと、願った夜に――。

「どうもまだ、ひとりでいる癖が抜けんようだ」
「コード…」
「お前が、俺様を孤独から守ってくれているのを…忘れていたようだな」
コードの指先が、シグナルの目元を払った。
「すまなかった。シグナル…もう少し…お前に…」
「甘えて。そのために…いるんだから」

シグナルがにっこり笑う。コードもにっこり笑う。触れ合う唇は仲直りの印――。



「んで、仲直りしたと」
「よかったね」
オラクルはのほほんと微笑んだ。オラトリオはつまらなそうにカウンターに肘をつく。コードをシグナルが喧嘩をするたびに一喜一憂するのはいい加減にやめようと思いつつやめられないのはシグナルの柔らかい微笑みのせいだろう。それほどまでにこの幼い妹は誰かを魅了してやまないのだ。たとえ、彼女の恋心が誰かひとりにしか向けられていないのだとしても。
「でね、今日はコードも一緒についてきてくれるの」
「どこにいくんだい?」
「Dr.マリアとニイハオちゃんのところ。クイックがやっと決心してくれたみたいで」
じゃあねと笑ってシグナルは<ORACLE>を後にする。残されたふたりは顔を見合わせてなんとも複雑な表情をして、仕事に戻る。


闇の中からゆっくり目を開けると桜色が飛び込んできた。
コードだ。
シグナルはプラグを引き抜きながら微笑む。その間コードはじっと待っている。彼女の肩に止まって進むべき道をともに辿る。シンガポールの空は眩しいほどに澄み切った青、真っ白な雲がむくむくと成長を続けている。紫水晶の瞳は未来を見つめ、人とロボットの道を照らす。風になびく紫の髪は光を取り込む、輝かしい道標。
誘うのは、あなた――未来を誓った古桜の君
「いい天気だね」
「そうだな」
もうひとりじゃないんだと、彼女が教えてくれた。
シグナルの視線の先に数人の人影が映った。エララと信彦、それにクイックだ。クイックは緊張した面持ちで歩いてくるシグナルを見つめている。
大丈夫、もうひとりじゃないんだから。私が――みんながいるからね。
クイックの背中を軽く押してあげるだけ。あとはきっと大丈夫。
「大丈夫よ、何も心配しなくていいんだから」
 


そうだ、俺様はもうひとりじゃない
 

あなたの多面性が織りなす異空間――それはただ唯一の存在のみに捧げられた心
何十年もひとりでいたから――君と出会うために
もう、ひとりになるのはいやだ…


君と出会ってしまったから
もう一人ぼっちには戻れない




≪終≫




≪明日はきっと〜あとがきにかえて≫
TSのファイナルファンブック『PANDORA INHERITANCE』の発売を記念して書かせていただきました。それがこれです。
今回のモチーフは緒方恵美さんのアルバム『MO』より『もう独りぼっちには戻れない』です。コードの声優さんが彼女であることを受けてC×Sではモチーフにさせていただいております。この楽曲はコード〜って感じがしたんでいつか使いたいな、と思っておりました。
相変わらずC×S♀です。夫婦喧嘩というよりも娘の行動が気にかかるお父さんみたいになってしまいましたが…(・・ ;)。わかっちゃいるんだけど気になるんだよね〜〜って友人のMさんと話していたのがきっかけです。Mさん、いつもネタ提供ありがとう♪
じゃあ、こんなかんじで書き逃げします(脱走)……・・・・・・



 注: 文字用の領域がありません!

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