桐の花 桐の花を植えました いつかあなたに贈る為に あなたの健やかな成長を祈って 「コード」 可愛らしい少女の声がコードの耳に届いた。縁側に座っていたコードがちらと顔を上げると白いケープを纏った自身の相棒がにっこり笑って立っていた。 <A−S SIGNAL>――彼女こそコードが長年待ち望んだ存在である。 「どうした? シグナル」 「ほら、新しいお洋服にしてもらったでしょ? オラクルやエモーションさんにも見せてあげようと思って」 「そうか。まあ座れ」 「うん」 ひらひらとしたケープは後ろに長く、さきが燕尾服のように割れている。大きめに誂えた紺色の帽子が可愛らしい。 これまでシグナルは戦闘型として男の子のような格好をしていた。シグナルが女の子らしい格好をしたエララやユーロパを羨ましそうに眺めていたのに気がついたみのるが彼女の服を変えてあげるように信之介に話してくれたおかげで、シグナルは女の子らしい服を生まれて初めて手に入れた。最初に着ていた真っ赤なジャケットは彼女の弟・信彦の危機を救うために起こしたMIRAの変化によって少々デザインが変わった。次はリュケイオンから帰ってきたときのメンテナンスのとき。このときもまたジャケットだった。 「シグナルちゃんも女の子ですもの。可愛い格好がしたいわよね?」 そういうわけでシグナルはエモーションとみのるによって散々着せ替え人形になった挙句にようやく女の子らしい衣装に落ち着いたのだ。これを見た彼女の周囲の男たちはさらに可愛らしくなったシグナルに思いを募らせているわけだがいつまでたってもそれが無駄だと気がつかない。彼女の心は完全にお師匠様であるコードに傾いている。 「で、エレクトラには会えたか?」 「うん、ちょうどオラクルに来てたよ。可愛いっていってくれた」 「それはよかったな」 「うん」 シグナルがご機嫌で笑った。その笑顔は花のように可愛らしい。コードはシグナルの髪をそっと撫でた。シグナルはちょっと首をすくめ、でも子猫のようにそれを甘受した。 コードは厳しい。厳しくて強い。でもその強さの裏にたくさんの傷を負っていることをシグナルは知っている。ときどき寂しそうな顔をしているコードを見るのがとてもつらい。だから彼女は思う――自分といるときは淋しいなんて思わせないようにしたい、と。 初夏の庭先を彩っていた菖蒲や藤は枯れ落ちて、かわりに小さな花々が夏を謳歌するように咲き誇る。シグナルの目に小さな花をつける木が目に入った。けれど何の木だかわからない彼女はコードの袖をそっと引いた。 「ねえ、コード。あの木、何の木?」 白い指先が一本の木をさす。コードはそこに目線をやると何かを思い出したかのように立ち上がった。 「あれは桐の花だ。もう盛りは過ぎたな」 「桐?」 桐の木にすたすたと歩み寄っていくコードのあとを追う。ふたりはほとんど若葉になった木の下に立った。 「これはお前が生まれる前に植えたのだ」 「生まれる前?」 「ああ…」 鸚鵡返しにつぶやいたシグナルはコードと同じようにその花を見ていた。 彼女は起動する前――つまりは生まれる前――にとんでもない出会いを経験している。電脳空間最強のアタックプログラム『細雪』を持つコードがハッカーとともに音井教授の電脳空間を斬ってしまったのだ。それだけならまだしも、なんと生まれる前のシグナル――当時はまだ<A−S>と呼んでいた――がそこから出てしまい、コードと出会った。そして一人でコードに会いに行こうとして迷子になってエモーションに迷惑をかけたというのだ。もっともその一端はコードにあるわけだし、エモーションもシグナルを気に入ってちっとも迷惑がらなかった。 この事件はエモーションのなんでもないひとことから発覚したわけだが、これは電脳空間適応プログラムを持つメンバーだけの秘密となっている。シグナルは全く覚えていないので周囲の証言となるが、幼い頃のシグナルも相当可愛らしかったそうだ。 「私よく覚えてないや。それでどうして桐の木を植えたの?」 シグナルが小首をかしげる。桐の花がふわりと落ちてきたのを彼女は慌てて受け止めた。 「日本ではな、女の子が生まれると桐の木を植える風習があったそうだ。その子が成長して嫁に行く頃、この木で嫁入り道具を作る」 あったそうだ、と過去形なのは住宅事情の関係で桐を植えるような庭のある家がないせいだろう。また、嫁入り道具に箪笥を持たせることが少なくなっていることもあるかもしれない。そんな事情を知ってか知らずか、シグナルはただコードの説明を聞いていた。 木を見上げる紫色の瞳は手にした桐の花と同じ色。コードは黙ってシグナルを見つめた。 ほんの数回だけだったが、コードは生まれる前の彼女をここにつれてきたことがあった。いつものように教授の電脳空間からでてきたシグナルがコードに会いたいと駄々を捏ねたのだ。彼は何度も仕事があるんだ、お前のためだといったのだが彼女は頑として受け入れなかった。折角外に出られるようになったのだから遊びたいのだ。 「遊んでよ、お兄ちゃん」 そういって小袖の裾に縋る幼女を無下にもできず、かといってまた一人で外に出られても困るので扉を作った。外に放置してウィルスの餌食にさせるほどコードの根性は曲がっていない。未来のパートナーが遊んでくれとせがむのを、コードはすっと抱き上げて連れて帰ったのだ。 しばらく他愛もないことをして遊んでいたシグナルは遊びつかれたのか、コードの膝の上ですやすやと寝入ってしまった。あどけない寝顔にコードはようやく一息つくことができた。少女の空色の髪を撫でる。柔らかそうな頬は雪のように白く、小さな唇は桃の花のように美しい。閉じられた瞼の下には紫水晶を髣髴とさせる瞳が硬質な輝きを添えて未来を映す。育てばかなりの美人になるだろうとコードが柄にもないことを考えているとシグナルが目を覚ました。 「ん〜、ふああ」 「起きたか」 「うん」 膝の上で大人しくしていたシグナルがふっと顔を上げてコードを見た。 「なんだ?」 雷にも似た色の瞳でコードはシグナルを睨むように見下ろした。彼女は恐れもせずに笑ってみせる。コードが見かけほど怖くないことはわかっている。 「私ね、大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになる」 いきなり変なことを言い出した彼女にコードはたまらず笑い出した。 「そうか、俺様の嫁になるか」 「うん。だってお兄ちゃん優しいもん。だから待っててね」 「ああ、約束したぞ」 小さな小指に未来を約束すると、シグナルはにっこり笑った。 彼女はエモーションに送られて帰っていった。ひとりになったコードはあるデータを呼び出した。 それがこの桐の木だ。 今自分のとなりにたたずむのはあのとき未来を約束した少女。その姿は丸みを帯びてすっかり女性となっていた。コードの予想通りに彼女は美しく成長した。しかし中身は生まれたてのひよっこそのものでまだまだ手がかかる。けれどそれもまた楽しみで――美しい花を育てるのと似ている。 「じゃあ、これは私のために?」 「そういうことだ」 彼女はあの約束は覚えていないだろう、でも今シグナルは自分の恋人であり、なくてはならない存在となった。ロボットに婚姻関係は存在しないが、望めばいくらでも夫婦同様に暮らすことができる。 そうだ、あのとき約束した――いつか必ず結ばれようと。 その証にこの桐を植えたのだから 「これはお前のものだ、好きにしたらいい」 「どういうこと?」 「このままここに植えておくのもいい。嫁に行くのなら箪笥にしてもいいのだぞ」 コードの瞳が淋しそうにシグナルを捉える。シグナルは頭を振った。 「このままでいいよ。このままここに植えてあげて」 シグナルはそっとコードに寄り添った。 「切っちゃうなんてかわいそうだよ、それに…」 「それに?」 「私、コードが好き。ずっとコードのそばにいる。だからこのままでいい」 僅かに頬を染めてシグナルはコードを見上げた。彼は静かに微笑んで彼女を抱き寄せた。柔らかな感触と温かさが心地よい。シグナルは桐の花を持ったままコードの背にそっと腕を回す。 言葉なんて要らない。思い出もいつか懐かしく思い出すだけ。 今ここにあなたがいてくれる それだけでいいから 「シグナル」 コードが彼女の頬に手を添えた。何をするのか理解した彼女はゆるりと目を閉じた。 交わされる口付けが泡沫の証となる。 「愛しているぞ、シグナル」 「…私もだよ、コード」 ふたりはもう一度抱きしめあった。 「私、コード以外に誰のお嫁さんにもならないからね」 そう言われたコードはいつものように余裕の表情を浮かべた。子ども子どもしたシグナルにあしらわれるほど自分は子どもではない。大人なコードは自信たっぷりにこう言い放つ。 「当たり前だ、お前は俺様のものだ」 つまりは自分以外にシグナルを嫁には出来ないとそう言いたいのである。大した自信にシグナルは一割ほど呆れ、九割ほど嬉しかった。喜色満面にコードに抱きついてみせると、コードはシグナルに押される形でバランスを崩し、そのまま後ろに倒れこんでしまった。 「どわっ!」 「きゃあっ!」 どさー、と倒れたコードの上にシグナルが乗っかっている。教育上、非常によろしくないが誰もみていないのでこの際よしとする。 「いったー、コード、大丈夫?」 「抱きつくなら力を加減しろ…」 「ごめんなさい…」 後頭部をさすりながらコードが上半身を起こす。シグナルもコードの脇に手をついて体を起こした。シグナルの手がコードの桜色の髪についたごみを払う。その手をそっと取るとシグナルは動きを止めた。 「まあ、こういうもの悪くはないかもしれんな」 「コード?」 そういうとコードはシグナルを抱き寄せてそのまま庭に寝そべった。シグナルは再び真っ赤になってわたわたと慌てる。 「こっこっ、ここここーど!」 「お返しだ。大人しくしていろ…」 コードがシグナルの唇を己のそれで塞ぎ、その腕を枕にシグナルを寝かせた。初夏の青い空がふたりの上に広がる。なんとなく落ち着かないシグナルはまだもじもじとしていたが慣れてくると悪いものではないらしい、コードの胸に静かに手を乗せた。どきどきと鼓動が伝わって何となく安心できる。 手に手を添えてそのままお庭でお昼寝しよう、そう決め込んだふたりはゆったりと互いの身を寄せ合った。 「どうした?」 「…いじわる」 彼女の視線がほんのすこしだけ非難がましく向けられる。 自分の気持ちは知っているはずなのにこうしていちいち確認を取る。『兄』と名乗るロボットはどうしてこうも意地悪なのかとシグナルは思い当たるだけの兄の顔を浮かべた。それは八つ当たり以外のなんでもないのだがあんまり幸せすぎてこのときの彼女の辞書からは抜け落ちていた。 「昼間っから大胆ですわね、<A−S>は」 「師匠に用事があってきたんすけどね、俺は…」 柱の影で一部始終を見守っていたふたりが出るタイミングを失ってそのまま柱の人となったことを穏やかに眠る恋人たちは知らないまま。 「約束だからね、お兄ちゃん」 「ああ、約束だ。お前を嫁にもらってやる」 「本当だよ、絶対だからね」 「ああ」 桐の花だけがふたりの未来を知っている。 ≪終≫ ≪どうした、私≫ あとがきでっす。男の子ヴァージョンだと書けないよね、この話。最近コード×シグ♀にすっかり萌えです。ダメ人間…。 なんでこんなに可愛いお話書きになってしまったんだ、私は!!(←自分で言うか?) そうか、今脳内が白モードなんだね…。(注:ノーマルモードのこと。対:黒モード)。 シグナルちゃんの服は15〜16巻でシグナルが着ていた服です。可愛かったのにね、あれ。 え? 何で思いついたかって? …花札。花札してたんです、私。…ごめんなさい、もうしません(花札しながらネタ考えるの)。 |