夏祭り その日、コードはものすごくいらいらしていた。今日に限って揃いも揃って妹たちの帰りが遅いのである。モデルをしているエモーションは撮影のため、エララとユーロパは部活動で。それぞれにそれぞれの用事があるわけだし、きちんと伝えて出掛けていったわけだから怒るに怒れない。指先でとんとんとテーブルを叩きながらひとりぶつぶつ言っている。しかし物にあたったからといって妹たちの帰宅が早くなるわけではない。わかっていても落ち着かなくて。ドアベルが鳴ったときもものすごい顔で出てしまったほどなのだ。新聞の集金にきたお兄さんが一目散に逃げていったのは想像に難くないだろう。 そんなコードだから次のドアベルが鳴ったときも不機嫌を顔いっぱいに現して出て行ったのだ。 「誰だ?」 ドアチェーンをかけていないドアを開く。そこには浴衣姿の少女の姿があった。紫色の透き通るような髪をお団子に結い上げ、小さな花簪を挿している。後れ髪がさらりとうなじにかかり妙に色っぽく感じる。白地に紫や水色の杜若を染めた浴衣に、片手には団扇を、片手には巾着を持っていた。見知った顔の意外な姿に驚いたのはお互い様で、少女は僅かに引きながらそれでもにっこりと笑った。 「こんばんは、コード」 「シグナルか、そんな格好でどうした?」 立ち話もなんだからとコードが目線だけで招き入れた。シグナルは小さく頷くとドアの中に姿を消した。 「まずは第一段階クリアですわね」 「うまくいくでしょうか、お姉さま」 「大丈夫ですわv このエルにおまかせなさい!」 物陰からこっそりみていた影にふたりは気がつかなかった。 「ほう、今日は祭りだったか。もうそんな季節なのだな」 「そうだよ。これから一週間、参道に出店が出るんだよ」 グラスにからんと氷が揺れた。この町内では夏に近くの神社で祭りが行われることになっている。夏越祭といって茅で作った輪をくぐり、身を清めるのだ。参詣すると夏の間は病気をしないという言い伝えがあって今でも欠かすことのできない夏の行事である。とはいってもほとんどが出店目当てで、当然迷子が出るわけだから警察やPTAも借り出されることになる。しかし祭りはいくつになっても楽しいもので、シグナルは毎年きちんと参詣した後で参道を歩いていた。 「なんだ、お前は家族で行くんじゃなかったのか?」 コードが指摘すると、シグナルは顎に手を当ててう〜んと考え始めた。そのスタイルは彼女の兄によく似ている。同じ親から生まれたはずなのにどこをどう間違ったか、彼女と長兄は似ても似つかない。彼女のすぐ上の兄とは双子かと思えるほど似ているというのに、遺伝子とは恐ろしいものである。シグナルは小首をかしげて不信そうに口を開いた。 「なんかね、みんな忙しいんだって。だから今年はひとりで行ってこいってさ」 「じゃあ、それも自分で着たのか?」 「まさか。近所の人に着せてもらったの。今年も着るんでしょうって言われたから」 コードは苦笑してシグナルを見やった。不器用を越えて不器用なシグナルが自分で浴衣を着れるわけがない。そうこうしていると時計の針が6時半をさした。それと同時に白煙の花火があがる。祭りが始まったのだ。 「ねえ、コード」 「なんだ?」 「一緒に行こう?」 例年どおりパターン化したやりとりにふたりは笑いあった。少し待っていろ、とコードが部屋から出て行った。 「あ、姉さま、出てきましたわ」 「んまぁ、やっぱり並ぶといい感じv ですわぁ」 彼女らがうらやむほど、並んだ二人は仲睦まじく見えた。恋人とも兄妹とも取れる微妙な雰囲気がどこか麗しい。現れたコードは紺の蚊絣に献上博多の白い男帯を締めている。それが桜色の髪とよく似合っていた。コードが鍵をかけ、鉢の下に隠した。自分がいない間に戻ってくるだろう、妹たちのためである。 「行こうか」 「うん♪」 ふたりはゆっくりと歩きだした。 「追いますか? お姉さま」 「もちろん、最後まで見届けますわよ」 こちらのふたりもそろりそろりと歩きだした。こちらも浴衣姿である。緑色の瞳が彼女らを姉妹であると印象づける。勘のいい方ならもうお分かりだろう。そう、彼女らはコードの妹、エモーションとエララ――今回の祭りの仕掛け人である。 「いつまでたっても煮え切らないんですもの。こういう機会にびしっとしなくては、びしっと」 「コード兄様とシグナルさん、お似合いですものね」 そんな陰謀が渦巻いていることも知らない二人は神社に向かってゆるゆると歩いていた。 「うわあ、すごい人」 「はぐれるんじゃないぞ」 コードがシグナルの手を取って人ごみを掻き分けるように進んでゆく。いや、コードを見た人たちが迫力に圧されて道をあけているといったほうが正しいかも知れないが、コードはかまわず進んでゆく。茅の輪の前まで来ると氏子らしい人が数人ずつ輪をくぐらせていた。左に一回、右に一回、もう一度左にまわって、これを三回繰り返す。こうして邪気を払い、熱い夏を健やかに過ごす。最後は神殿に行って、お賽銭を上げる。これで神事はおしまい。後は楽しみにしている参道を残すのみである。 からんころんと涼やかな下駄の音と対称的に夜店の男たちが客寄せに忙しい。かき氷や綿菓子、鼈甲飴にとうもろこし、様々に並んでいる店をちらと覗きながらシグナルはご機嫌で歩いていた。 「思い出すな」 「なにを?」 「お前が小さいときのことをな」 4歳年の離れたふたりは幼馴染である。シグナルは小さい頃から年の離れた姉兄よりも、いや、コードと変わらない年のパルスよりもコードに懐いていた。コード、コードと追い回し、コードが逃げるそばから泣き出して、結局コードが面倒を見る。そんな日々もシグナルが中学に入ったあたりから変わり始めた。そのときコードはもう高校生だったから会う機会が少なくなっていたせいかもしれないし、なによりシグナルも女の子としての自覚(?)が芽生え始めていたのだろう。 そう、シグナルはコードをお兄ちゃんではなく、ひとりの男性としてみるようになっていたのだ。そのことにいち早く気がついたのは長兄オラトリオとエモーションだった。エモーションにとってコードは兄であり、シグナルは小さな頃から可愛がってきた妹同然の存在である。二人の仲を何とかして取り持ってやりたいと願いつつ、今日に至るのだ。 「覚えてる。私が迷子になったときだよね」 「ああ、聞き覚えのある声がするから何かと思ったらお前が道の隅でピーピー泣いていたな」 「オラトリオとはぐれちゃってさ。どうしようって泣いてたらコードがきてくれたんだよね。泣くなって言って一緒にオラトリオを探してくれたっけ」 思い出話に浸りながら、二人は同時に止まった。 「…かき氷でいいか?」 「うん」 コードがかき氷をふたつ注文すると威勢のいいおにいちゃんが機械にカップをセットした。 「なに、かけます?」 「お前はなんにする?」 「私、レモンがいい」 「なら、それを二つ」 とぷとぷと黄色い氷蜜をかけ、先が匙状になったストローをさす。お代を支払って二人はまた歩きだした。 「その話さ、まだ続きがあるんだよね」 「ん?」 「覚えてない?」 シグナルがいたずらっぽく笑ってコードを覗き込んだ。コードもようやく思い出したらしく、白磁の頬を僅かに染めてそっぽ向いた。シグナルは小さく笑って続けた。 「あんまりオラトリオが見つからないからさ、私また泣き出したんだよね。そしたらコードが『あんまり泣くと嫁にしてやらんぞ』って言ったんだよ。私ったら真に受けちゃって。泣くの我慢してたんだよ。あのときはコードのお嫁さんになるんだって決めてたんだから」 「…昔の話だ」 コードはそのまま裏道へ入っていった。人通りのまばらな小道の先に小さな公園がある。そこならゆっくり休めるだろう、一種の穴場だった。 かき氷は少し溶けていたが、これくらいのほうがかえって食べやすい。しゃりしゃりと僅かに固まった氷を砕きながら口に運ぶと、べっとりとした甘さが広がったが、夜店の氷蜜とは大抵こういうものである。甘いものはあまり得意ではないコードは適当にほぐしながら氷を弄んでいた。 「ん〜〜〜〜」 突然シグナルが唸りだした。理由はわかっている。かき氷特有のきーんがやってきたのだ。みればシグナルのかき氷は半分まで減っていた。 「ばかなやつだ、急いで食べるからだぞ」 「だって溶けちゃうも〜ん」 やれやれ。そんな感じで溜め息をつきながらコードはシグナルの顔をそっと覗き込んだ。 「大丈夫か?」 「ん、もう平気」 「そういうところは変わらんな」 コードが口元を僅かに歪ませて笑った。シグナルもえへへと笑う。半分水になった、もはやかき氷とは呼びにくい状態の液体を流し込む。ごみはきちんとごみ箱に放り込んだ。 夜空には街灯に負けない星だけが光っていた。夏の夜空を彩るのは神話に名高い牽牛星と織女星。さそり座の真っ赤な心臓は南の空に輝いているはずだが、あいにくここからは見えなかった。 「シグナル」 「なぁに?」 夜空を見上げていたシグナルがコードに向き直った瞬間。 唇に――柔らかいものを感じた。 ただ優しく触れるだけのそれがシグナルの頬を真っ赤に染め上げた。何が起こったのかわからないシグナルはしばらくぼーっとして、それからはっと我に返っておろおろと取り乱した。 「こ、ここここここ」 「鶏か、お前は」 「い、いきなりなにを…」 「俺様はいきなりだとは思っておらん」 コードの腕がゆったりとシグナルを包んだ。シグナルはさらに真っ赤になる。シグナルからは見えなかったがコードも同じように紅くなっていた。これまで触れることのなかったシグナルは緩やかな曲線をその身に纏っている。幼い頃の、泣くじゃくっては自分のあとをよちよちとついて来たシグナルはすっかり女性になっていた。これからまだまだ女らしくなるだろう、咲きかけの花に触れているコードも気が気ではないのが正直なところで。 「…お前が好きだ」 「コード…」 「…お前が好きだぞ」 それ以上の言葉は要らなかった。コードの腕に抱かれてシグナルは再びぼーっとして、コードの言葉を反芻していた。そして意を決したかのように口を開く。 「私も…」 「ん?」 「私も…好きだよ、コードのこと。今だってさ、コードのお嫁さんになりたいって……思ってる」 目を閉じ、身を硬くするシグナルを抱きしめる腕の力が強くなる。コードはシグナルの思いに応えるかのように愛しそうに彼女を抱きしめた。 「シグナル…」 柔らかく、呼びかける。シグナルがゆっくり顔を上げると優しい雷色の瞳と出会った。シグナルはゆるりとアメジストに輝く瞳を閉じた。 重なる唇は遠くて近い日を約束した。 「今年は大成功…ってことですかね」 「私、感動のあまり倒れそうですわ」 「よかったですわ、シグナルさんも、コード兄様も」 物陰で三人話しこんでいる。尾行していたエモーション、エララの姉妹にシグナルの長兄オラトリオが加わって『真夏の夜の夢作戦』は見事に成功した…かに見えた。 「お前ら、何をしている」 「ぎくぅ」 それは声に出しちゃいけませんってば。背中を逆立てながら三人がそおっと振り向くと怒りじわをいっぱいに浮かべたコードと、その背後で困ったようにコードの浴衣の袖を掴んで立っているシグナルが目に入った。 「コード兄様…」 「シグナル…」 「みんな…もしかして、見てたの?」 愛らしい瞳をうるうるさせながら問い掛けるシグナルに誰もがまずいと思いながら精いっぱいの言い訳を募る。 「違うんですのよ、<A−S>、これには深〜いわけが」 エモーションがわたわたと手を上下させる。 「妹のことが心配なのはお兄ちゃんとして当然だろ?」 オラトリオが悠然と構える。 「シグナルさんとコード兄様が仲よしになれたらいいなって思いましたの」 エララが困ったようににっこりと笑った。 「う〜〜〜〜」 シグナルがまっかになってぷるぷる震えだした。コードがよしよしと頭を撫でると、シグナルはふっと顔を上げた。 「おせっかいなやつらだ」 そういうとコードはシグナルの手を引いて歩きだした。三人がきょとんとそれを見送る。 「帰るぞ」 「…うん」 先に動いたのはエララだった。 「ああ、待ってください、お兄様」 からころとふたりを追う。 「ごめんなさい、シグナルさん。おふたりのことが心配だったのです」 「…もう気にしてませんよ、エララさん」 「よかった」 その様子を見ながら残った二人はほっと息をついた。 「ま、落ち着くところに落ち着いたんですかね」 「そういうことですわね」 エモーションも追って走り出した。涼やかに鈴振る声でしきりによかった、感動ですわとはしゃぎながら歩いている。僅かに苦笑を滲ませた溜め息をついて、オラトリオはその少し後ろを歩いた。 『シグナルがいちばん最初に結婚すんのかな』 何となく見上げた空にうっすらと天の川がかかっていた。 それから6年後。シグナルの大学卒業を待って教会の鐘が鳴らされることになるのだが、それはまだ少し未来のお話。 君と夏のあの日 約束したね お嫁さんにしてくれるって きっとだよ きっとだからね ――君と夏のあの日 ≪終≫ ≪もうなんとでも言って≫ もうなんとでも言ってくれ。コード×シグ♀だよ。仕事先で祭り関係の書類をみていたときに思いついて、仕事しているふりをして一生懸命プロット立ててました。課長、ごめんなさい…。『シグナルが…長男の嫁になる話』って書くとわけわかんないけど、あとがきにそう書くようにと某友人から指示がありまして。 あれだよな、シグナルがコードと結婚したらエモーションたちはシグナルを「お義姉様」と呼ぶんだろうか…( ̄_ ̄;;)。 |