幸せになろう! 〜正しい男女交際の仕方〜




とある町並みの、とある朝の風景。この町に家族ぐるみでお付き合いしている家庭があった。
「ほら、ちびちゃん、はやく起きないとバスがきちゃうでしょ」
「ちびはいいからおめーも早くいけ、遅刻すんぞ!!」
「やだっ、もうこんな時間? いってきまーすっ!!」
音井さんちの末娘さんはこんなかんじで高校へ。

「いいか、放課後はまっすぐ帰ってくるのだぞ」
「解ってます、お兄様」
「あいつと会ってはいかんぞ」
「…はーい」
「お兄様、私今日の放課後は撮影ですから遅くなりますわ」
「うむ、わかった。終わったらくれぐれも気をつけてな。ひどく遅くなるようなら連絡をしろ」
「解りましたわ、では行ってまいります」
カシオペアさんちの娘さんたちはこんなかんじで同じく高校へ。


そしてクロスロード。音井さんちとカシオペアさんちはその区画の対角線上にあった。どちらも駅に向かおうとすると同じ道をとおる。したがって音井さんの末娘とカシオペアさんとこの娘さんたちはここで出会うこととなる。
「あ、おはようございます、シグナルさん」
「エララさん、エモーションさんにユーロパ、おはよう」
「おはようございます、<A−S>。まぁ、今日もなんて可愛らしい…リボンが曲がってますわ」
「すみません…」
胸元のリボンを直してもらいながらシグナルがにこっと笑う。彼女が音井さんとこの末娘だ。そしてリボンを直しているのがカシオペア家長女のエモーション。亜麻色の髪の乙女が次女のエララで、紺色のショートカットが愛らしいのが三女のユーロパだ。カシオペア家の娘さんたちは三つ子である。
制服が違うのは当然学校が違うからだ。ショートブレザーにチェックのスカート、胸元にリボンはエモーションとシグナル。ふたりは同じ学校の先輩と後輩に当たる。何の事はない、昨年シグナルが受験生だったときにエモーションが熱心に勧めたせいだ。シグナル自身もその高校には憧れていたので一生懸命勉強して、そして入学した。ブレザーに棒ネクタイはエララの、白いセーラー服はユーロパの学校のものだ。中学まで同じだった三人もそれぞれの目標に向かって高校は別に選んだ。
「あら、<A−S>ったらよくみたら髪も乱れてるじゃありませんか。いけませんわ、女の子がそんなことでは。学校に着いたらきちんと整えて差し上げましてよ」
「そんなに頭、変ですかぁ?」
シグナルが手櫛である程度整えようとする。寝癖くらいはきちんとみてきたはずなのに…。するとエララが微笑んで言う。
「そんなにひどくはありませんよ」
「のーんのんのんのん、<A−S>のように可愛い女の子はいつでもかわいらしくしておかなくてはいけません!! エララさんもユーロパさんもそうですよ!」
エモーションは朝っぱらからテンションが高い、シグナルのこととなると目の色を変えるくらいに。そんな喧騒(?)を眺めながらユーロパが溜め息をついた。
「…どしたの?」
「いやね、兄様がさぁ〜」
「コードがどうかしたの?」
「…アトランダムと会っちゃ駄目だって」
アトランダムとは現在司法浪人(2年目)の青年だ。プラチナブルーの髪に背が高い、ちょっと怖い感じのお兄さんだ。確か年齢はシグナルの長兄オラトリオと同じ25歳のはず。ユーロパとは8歳離れているけれどお似合いのカップルだと、シグナルたちは思っている。けれど兄コードはそう思わないらしい。
その原因はアトランダムの過去にあった。アトランダムは決して成績は悪くなかったが、人付き合いが苦手で、よく喧嘩をしていたのだが、それだけで不良のレッテルを貼られていたのだ。一時は本当にぐれてしまって悪さもしたけれどユーロパやシグナルの説得でまっとうな道に戻ってきた。今は法律という分野を見つけて頑張っているのだ。
「アトランダム、元気? 最近会ってないから」
「うん、元気よ。シグナルにも宜しくって言ってた」
「そう、よかったね」
シグナルは小さいころアトランダムによくいじめられていた。紫色の髪で、小さくて、けれど光を失わない水晶のような瞳がアトランダムは苦手だった。シグナルが同級生の妹だということがわかってからは、いじめられないかわりに相手にされなくなった。人懐っこいのが売り(?)のシグナルはしばらくショックだったけれど相手が進学するに連れてだんだん会う機会も減っていたのでそのうち気にしなくなっていたのだ。再会したのはほんの些細な出来事からで、そのときはシグナルも(彼女曰く)ちょっとだけ怖い目にあった。コードが間に合わなかったらそれこそ命さえ危ういといった状況だったのだ。
そんなことがあってもシグナルは気にしない。今は平気でアトランダムをお友達リストにのっけている。
「会ったら駄目だなんてまだそんなこといってるんだ、コードは」
「お兄様は心配してらっしゃるのよ」
「でもアトランダムはもう悪い人じゃないですよ、エモーションさん」
「だったら<A−S>、あなたが仲介して差し上げたら? <A−S>はお兄様の恋人なのだし」
「そうだわ、その手があった。ねえ、シグナル。お兄様に何とか言って〜〜」
「えっ、ええええっΣ( ̄□ ̄川)」
シグナルは困惑する。このメンバーのうち彼氏持ちはエモーション、ユーロパ、そしてシグナルの3人だ。エモーションはシグナルの従兄弟であるオラクル――こちらもオラトリオやアトランダムとは同級生――とお付き合いしている。こちらはコードも公認だ。そしてシグナルはコードとお付き合いしている。
「<A−S>の言うことならお兄様もきいて下さるのでは」
「そんなことないですよ〜。もう、エモーションさぁん、からかわないで下さいよ〜〜」
シグナルが真っ赤になって俯いた。そしてエモーションのテンションも臨界点だ。
「お兄様もずるいですわよね、他所様のおうちのお嬢様とお付き合いしておきながら自分のところは駄目だなんて」
「ねぇ、本当になんとかして〜」
「う〜ん、…あんまり期待しないでよ?」
女の子たちの朝は、こんな感じで幕を開けた。



放課後になってエモーションはモデルとして撮影に赴き、シグナルはようやく解放された。13歳年の離れた弟を保育園に迎えに行くまでだいぶ時間があったため、とある建物に向かった。そこは兄と従兄弟のオラクルが仕事をしているスタジオだ。オラクルの自宅でもある。
ぴーんぽーんとドアベルがなって、家主が出迎えてくれる。茶色の髪が優しいお兄さんで、オラトリオとは瓜二つだ。
「やあ、よく来たね」
「こんにちは、オラクル。お仕事中じゃなかった?」
「いや、今打ち合わせが終わったところだよ。…エモーションは?」
「今日は撮影だって。お手紙預かってるよ」
エモーションたちが持つ携帯電話の通信記録はコードにチェックされるため、こうしてシグナルが橋渡しをする。それはあんまりじゃ…というシグナルの言葉に最近は控えているらしい。何も言わないかわりにそれでも通話記録チェックは止めていないらしいが。可愛い封筒を渡すとオラクルはにっこり微笑んだ。
「いつも済まないね」
「ううん、たいしたことじゃないもん」
勝手知ったる他人の家だがシグナルはオラクルの案内に従う。入っていい部屋といけない部屋があるからだ。お決まりになっている応接室へ通されると長兄が難しい顔をして書類を睨んでいる。その向かいには紺色の髪の担当編集が座っている。三人はよく似ていたが、オラクルとオラトリオが従兄弟だということを除けばその担当編集さんがそっくりだということはとても不思議なことだ。当然、血縁関係はない。担当編集はシグナルの存在を目に止めるとオラトリオを無視してすっと歩み寄ってきた。俄かにその手を取り、優しく囁く。シグナルはこの人がどうも苦手でならない。
「シグナルさんじゃありませんか、お久しぶりです。どうですか、今度よかったらディナーでも」
「は、はぁ…」
「くおら、クオータ、俺の妹に手ぇだすんじゃね――っ!!」
オラトリオの突っ込みもどこ吹く風、さらに無視を決め込んでシグナルにずずいっと詰め寄る。
「次の締切日なんかどうでしょう?」
シグナルはあたふたとその手を放した。
「あ、あの…遠慮します」
「そうですか、それは残念。またの機会にしましょうね」
「はぁ…」
そんな機会なんてないわよ、と言いたいのを堪えつつ、シグナルはオラクルに供された椅子に座る。そしてはたと思いついた。
「ねえ、ちょっと聞いてもいいかな」
シグナルは打ち合わせが一段落したタイミングを狙う。よく似た顔の三人はいっせいに視線を向けた。
「なんだ?」
「何かな」
「何でもきいてください」
「あ、あのね、高校時代のアトランダムのこと…三人とも同級生よね、どんなだった?」
シグナルの上目遣いにみな弱い。三人はなんとなく顔を見合わせ、記憶の糸を辿ってみる。オラトリオにしてみれば可愛い妹を危険な目にあわせた憎い男でもある。思い出すのも癪に障るが妹の頼みとあってはそうそう無碍にも出来ない。最初に口を開いたのはオラクルだった。
「確かに私は同級生だったけどコースが違ったからよく知らないんだ、ごめんね」
「オラクルは美術進学コースだもんなぁ」
オラクルの職業はイラストレーターだ。美大に在学中からいろんな賞を掻っ攫い、若くして成功しているのだ。今はオラトリオと組んで雑誌に掲載している。イラストだけではなく写真も上手で、シグナルも何枚か撮ってもらったのを大事にしている。そこにクオータが思い出したように付け加えた。
「アトランダムは確か特別進学クラスでしたよね」
「そーお。何の偶然か、俺とこいつとアトランダムは同じコースだったんだよ。でも三人ともクラスは別だったし」
「でもアトランダムは有名でしたよ。成績もいつも10番以内にいましたし」
「へぇ…」
オラクルが入れてくれた紅茶をちょっとすすってその手に抱く。司法関係を目指しているくらいだし、ユーロパからもきいていたからそうかとは思っていたけれど実際に聞いてみると確かにそうなのだ。感心しているシグナルに兄はウインクしてみせる。まだ何かあるらしい。
「俺ほどじゃないけど見た目がいいからな、遠巻きに女の子がたくさんいたぜ〜」
「ほんと?」
オラトリオの女性関係はシグナルもよくわからない。わかっているのはいつも違う女の人と歩いていることだけだ。そーゆーのを女誑しって言うんだと、コードからきいたことがある。要するにオラトリオは女の人が好きなのだ。
「ほんとほんと。けどああいう性格だろ、特定の彼女ってのはいなかったな」
「私のクラスでもアトランダムに憧れてる子はいたなぁ」
オラクルがのほほんと微笑んでいる。名に負う経歴のほかにオラクルはあのコードからエモーションとの交際を許された強者でもあるのだ。神経があんまり小春日和だから忘れそうになるけれど。
「プライドが高くて自分がいちばんだと思ってるやつだったよ」
「そんなこと聞いてどうするんだい?」
オラクルはときどき核心をついてくる。シグナルはドキッとして顔を上げた。
「え? あ、いや、ちょっと知りたかったの。それだけ」
「ふーん…」
変に納得しているオラトリオが、妹をじっと見つめていた。



「ユーロパに頼まれたんだろ」
ちびを拾った帰り道、オラトリオはそっと言った。シグナルはびっくりして大きな瞳をさらに見開く。
「何でわかったの?」
「おめーには師匠がいるのに今更別の男のこと気にすんのは変だと思ったのさ」
ちびはシグナルの腕の中ですやすやと眠っていた。今日も元気よく遊んでいたらしい、帰る時間にはぐっすりだ。それでも夕食の時間にはちゃんと起きて、夜寝る時間にはちゃんと眠る良い子である。夕飯の材料とシグナルのかばんを持って、オラトリオは歩いている。
「人の恋路もいいけどよ、ちゃーんと自分の確保しとかねぇとあとで泣いても知らねえぞ?」
「それ、どういう意味?」
「師匠だって男だし、結構もてるんだぞ。世のお嬢さん方が放っておかねえってこと」
「こっ、こーどはそんなひとじゃないもん」
「ひらがなになってんぞ…」
コードは20歳、大学の2年生だ。シグナルは16歳で今年の春、高校生になったばかりだ。自分の知らないところで何かあるかもしれない。覚悟していたことだけどやはり怖い。けれどそれがお互い様だということにシグナルは最近気がついたばかりだった。

「ただいま戻りました」
「遅かったな、迎えに出ようと思っていたところだが」
「女性スタッフの方に送っていただきましたの」
「そうか、ならいい」
ネオングリーンの髪がさらりと揺れる。桜色の兄はいつも自分たちのことを心配してくれる優しい人だ。けれど、もうすこし自分の幸せというものを考えてほしいと思うのも妹心というもの。エモーションはそんな兄の背中を眺めている。
「ところでユーロパを見なかったか、まだ戻ってきておらんのだ」
「まあ、ユーロパさんがですか? 私は車でしたのでお見かけしませんでしたわ」
「何をしておるんだ…」
「携帯は? 通じませんの?」
「電波が届かんのか、電源が入っておらんそうだ」
つまりは、通じていないということだ。そのせいでコードは先ほどから不機嫌極まりない。先に戻っていたエララも何度となく連絡を入れてみたが梨の飛礫だ。
「とりあえずメールは送っておきましたからそのうち連絡があると…」
「…駅まで行ってみるか」
そしてコードが出かける準備をしているときにタイミングよくユーロパが戻ってきたのだ。コードの足取りは速く、玄関に向かう。
「ただいま〜」
「遅かったな、何をしていた」
遅くなったときの定番科白。ユーロパは交わし方も心得ている。とりあえず謝ってしまうことだ。
「…ごめんなさい、お友達と話し込んでいてつい…」
「ずっと電話を入れていたのだぞ」
「…マナーモードにしてたから気がつきませんでした。ごめんなさい」
「あ…もうそれくらいにして、お夕飯にしましょう、お腹すいたでしょう、ユーロパさん」
「姉様たちにも心配させちゃって…」
そういって姉達はユーロパを迎えてやる。けれどコードはそうではなかった。
「…アトランダムと会っていたんじゃないだろうな」
ユーロパの動きが一瞬止まる。コードは見逃さなかった。
「アトランダムに会っていたんだな、そうだろう」
「……どうして会っちゃいけないの?! 確かにアトランダムは昔悪いこともしたけど今じゃちゃんと頑張ってるじゃない! 年齢のこと言うならエモーション姉様とオラクルだって!」
「ユーロパ」
「ユーロパさん、落ち着いて」
「もう知らないわ、兄様なんか大っ嫌いっ!!」
そういうとユーロパは玄関に逆戻り、そのまま家を飛び出してしまった。コードが慌てて後を追おうとするがそれよりはやくユーロパの姿はなかった。
 
「もー、お醤油だけ買い忘れるなんて〜」
「オラトリオお兄さんも年ですから」
「…それ、ラヴェンダーの前で言っちゃ駄目よ」
「わかってますよ」
シグナルは片手にちびを抱っこして、片手にはスーパーの袋を持って歩いていた。時計の針はまだ八時をちょっとまわったばかり。音井家では出張がちな両親に代わってオラトリオが家事一切を仕切っている。シグナルが戻ってから少し遅い夕飯になる。今日の夕飯はお刺身がメインなのにあいにく醤油を切らしていた。オラトリオは手が放せず、いちばん上の姉であるラヴェンダーの帰宅時間は不明、次兄パルスは眠ったっきりとなるとお鉢は当然シグナルに回ってくる。ちびを連れて行ったのは彼の面倒を見る人がいないからで、お駄賃はそれぞれが好きなお菓子1個である。高校生にもなってお駄賃がお菓子…というものなんだか腑に落ちないがちびが喜んでいるのでまあよしとしよう。
「早くお菓子食べたいです〜」
「明日のおやつね。ご飯食べちゃったらもうお菓子食べない約束でしょ?」
「でもね、シグナルちゃん、お菓子が早く食べて〜〜って言ってるんですよ♪」
ちびは大のチョコレート好きだ、3歳児でありながらチョコにはうるさい。夕飯の後で隠れて大量のチョコを食べ、気分を悪くして病院に担ぎ込まれて以来、音井家ではイベント時を除いて夕食後のチョコは禁止事項に入っている。
「もー、ちびちゃんはぁ〜」
シグナルがちょっと呆れ気味に角を曲がる。そこで何かとぶつかった。
「きゃっ!」
「あっ、ごめんなさい…って、シグナル?」
「ユーロパぁ、どうしたの」
ぶつかってきたのが顔見知りで、シグナルはびっくりしている。八時といえばこの近辺ではコードがまだ戻らぬ妹たちを迎えにうろうろしている時間だ。ユーロパは家に戻ろうとしているわけではない、なぜならカシオペア家はユーロパが走ってきた方向なのだ。彼女はシグナルの顔をみていきなり涙ぐんだ。
「うっ…うわー――んっ、シグナルぅぅぅぅ〜」
「えっ、やだ、ちょっと、どうしたのよう〜〜」
「ユーロパちゃん、どっか痛いですか?」
いきなり泣き出したユーロパにちびも驚いている。こんなところじゃなんだからとシグナルはとりあえず音井家に連れて行くことにした。



『というわけでユーロパ、うちにいますから心配しないでってコードに伝えてください』
「ごめんなさい、シグナルさん。ユーロパがご迷惑をおかけして」
『いいんですよ、ご近所ですから。それじゃ』
「ありがとうございました」
カシオペアさんのお宅では散々探し回ったコードが一息ついているところだった。アトランダムにはエララが密かに連絡を取り、そっちに行ったら連絡をくれるように頼んでおいたので、今音井家にいるのだと繋いでおかなくてはならない。
「なに、シグナルのところにいるのか」
「お兄様、今ユーロパさんは興奮していますからもうすこし時間を置かれては」
エモーションがとりなすとエララも頷いた。
「シグナルさんのお宅にいるんですから心配しなくても大丈夫ですよ。きっと何かお話してくださいますよ」
エララの期待通りだった。ユーロパは音井家の面々に進められるままに夕食を取り、今夜は冷静に話も出来ないだろうからと一晩泊めてもらうことになった。シグナルのパジャマを借りて女の子同士で話をする。
「兄様ったらひどいにも程があるわ」
「理由も言ってくれないなんてあんまりだよね。アトランダムのお勉強の邪魔になるから控えたらどうだー、とか言ってくれないんでしょう?」
「そうなのよ、控えるんじゃなくて頭ごなしに駄目駄目駄目って。理由もないのに納得できない〜〜」
「うーん、そうだよね。私もね、オラトリオにコードと会うなって言われたことあるよ。でもそれってオラトリオが締め切り前で忙しいからって、ちゃんと理由があったしなぁ」
「そうでしょう、理由があったら納得するわ、兄様ったら頑固が服着て歩いてるようなものよ」
「ユーロパ、それ言い過ぎ…」
自分の兄を酷評するユーロパは言いすぎだとは思ったが、シグナルもあえて頷いた。エモーションとオラクルのときも、シグナルが仲介に入ってようやく交際を認めさせたほどだ。嫁に行くなどと言い出したらコードは卒倒してしまうかもしれない。極度のシスコンだが、コードは年長者としてそれなりに責任を感じているからこそ妹たちに厳しいのだ。それはわかるけれど恋愛くらいは自由にさせてほしいと思う。
「ほんと、シグナルには感心しちゃう」
「なんで?」
「だってあの兄様と対等にお付き合いしてるでしょう? あなたの言うことならなんでもほいほい聞くみたいだし」
言われて今度はシグナルがびっくりする。周囲から見るとコードがシグナルの言うことをきいているよう――ある種のかかあ天下――に見えるらしい。今朝方も同じことをエモーションに指摘されたが実はそうではない。コードがシグナルの言うことをきいているように見えるのはその裏でシグナルの並々ならぬ努力があるからだ。つまりシグナルがコードを説得する裏に、シグナルがコードの言うことを大人しくきいているから、という一種の交換条件があるのである。その事実を、ユーロパたちは知らないのだ。
「だからー、それは違うって。何でもほいほいきいてくれるわけじゃないよ」
「そうかなぁ、何かコツがあるの?」
「ないってば」
そんなことを話しながら夜は更けていく。シグナルの部屋に布団を運んでもらって寝る。ユーロパが布団で、シグナルがベッド。各々が横になって、ユーロパはさらに口を開いた。
「ねぇ、シグナル」
「なあに?」
「…コード兄様と付き合うのって大変じゃない?」
「ううん、そんなことないよ」
「なんで?」
「だってコードのこと好きだもん。そりゃ、高校と大学って離れてるから不安になるときもあるよ。大学には私の知らないコードがいるんだもん。でも私、コードのこと信頼してるし、好きだって気持ちに自信があるから。それは誰にも負けないつもり。あーゆー人だから大変だって思うこともあるけど、嬉しいほうが大きいから帳消しになっちゃうな♪」
ユーロパはシグナルを見上げた。その顔は楽しそうに笑っていた。
「…そう」
「ユーロパは?」
「え…」
「アトランダムのこと思う気持ち、誰にも負けないでしょ」
「うん…」
「なら大丈夫だよ。コードもきっと許してくれる」
おやすみ、と呟いて、それからシグナルはなにも言わなくなった。自分よりひとつ年下のシグナルが急に大人びてみえて、家を飛び出した自分がなんだか子どもみたいに思えてきた。
 


翌朝も、ユーロパは音井家で朝食をいただいた。それから急いで家に戻って学校へ行く支度をしなければならない。家に戻るのに少しためらいがあったがシグナルがついてきてくれるというので、覚悟を決めた。シグナルは急いで支度をし、少し早めに家を出た。
「ごめんね、つき合わせちゃって」
「いいんだよ。それより間に合う?」
「大丈夫…だと思う。かばんとってくるだけだし」
ユーロパは笑っていた。笑っていたけど、目はそうじゃなかった。緊張しているのか、それとも怖がっているのか。カシオペア家の前まで来ると、自然と足が竦んでいるようだ。そんなユーロパにあわせて、シグナルは歩く。
「大丈夫よ、コードだって朝っぱらから怒鳴ったりしないよう」
「…そう…よね」
「…エララさん、呼んでこようか――コードと、顔合わせにくいなら…」
シグナルがそっとユーロパを覗き込んだ。ユーロパは少しためらいがちに彼女を見つめる。
「その必要はないぞ」
凛と通る氷の声が背後から聞こえた。シグナルはぱっと振り返る。桜色の髪が朝日を受けて煌くのを、シグナルは不思議そうにみていた。いつもなら無邪気に抱きつく彼女も、今朝ばかりは控えている。とてもそんな空気ではないからだ。
「コード…おはよう」
朝の挨拶はにっこり元気よく。妹同然に可愛がっているシグナルに視線をむけ、コードは頷いた。彼なりの挨拶の仕方だ。いきなり現れた兄にユーロパは挨拶も忘れて立ちすくんでいる。シグナルもかける言葉が見つからなかった。
「…昨晩は迷惑をかけたな、すまんかった」
「別に、気にしないで。私も…いろいろ話せたし」
「ユーロパ」
叱られる? あるいは、また言い合いになる? ユーロパは顔を上げなかった。悪いことをしたわけじゃないけれど、ただ兄の顔を素直に見られない気がした。
「コード…」
シグナルはそっと名を呼ぶ。コードは優しく微笑んで、彼女の偏光する紫の髪を撫でた。琥珀色の瞳が心配するなと告げている。
「学校に遅れるぞ、はやく荷物を取って来い」
「…兄様」
「帰ったら、ゆっくり話をしよう」
コードはゆっくりと妹の横を抜けて家に入った。ユーロパは不意に泣きたくなった。泣きたかったけど、泣かなかった。シグナルがよかったねと、微笑んでいてくれたからだ。
それからユーロパも家に入り、しばらくして三人揃って出てきた。
「おはようございます、エモーションさん、エララさん」
「おはようございます、<A−S>。今日も一段と可愛らしいこと♪」
「いつもと一緒ですよ」
とは言うけれど実は朝一でコードに会ったからご機嫌なのだ。
「昨日、私とエララさんでお兄様を説得しましたの。せめてお話だけでもって。ねぇ、エララさん」
話をふられてエララがゆるりと微笑む。
「ええ。ユーロパが可哀想ですもの」
「なんて言ったんですか?」
「あんまりひどいことをなさると<A−S>が泣きますわよって」
そのときの顔を見せてあげたかったと、エモーションが鈴ふる声で笑う。シグナルはかーっと真っ赤になった。コードにお願い事をする際シグナル自身は自覚がないが、たった一つ切札がある。それは瞳を大きく開き、上目遣いで目尻に涙をためておくことだ。この顔に、彼女を知る男連中は弱い。それはいつもクールに気取っている次兄やコードさえも例外ではないのだ。
「また人を出汁に使ったんですね…」
「いいじゃありませんか。これでまたひとつカップルが公認されましてよ」
シグナルはほーっと溜め息をついた。自覚なき月下氷人はまだまだ続きそうである。



それから数日後。今日はよく晴れた休日だ。
シグナルはお気に入りのワンピースでるん♪と歩いている。例によって例の家に向かっているのだ。
家の前まで来ると、明るい声とともにユーロパが出てきた。ユーロパはシグナルに気がついてにこっと笑った。
「おはよう、シグナル。今日はデートなの?」
「ユーロパこそ」
女の子同士、服装を見ればわかるというものだ。ユーロパも出かけるのだろう、長めのタイトスカートに濃い色合いのボレロを合わせている。おしゃれな彼女らしいスタイルだ。にこやかに笑っているところを見るとアトランダムとのデートらしい。あのあとすぐに『兄様から許してもらった』と嬉しそうに電話がかかってきたのだ。ちゃんと話せばコードもわかってくれる、簡単ことでも見逃すと難しい。
「ところでさ、いつも思ってることなんだけど」
「なあに?」
「シグナルってさ、結構スタイルいいのに服は大人しめだよね、なんで?」
「あー、それはね(ごにょごにょ)」
シグナルがそっと耳打ちすると、ユーロパはぷっと吹き出した。
「笑うことかな〜」
「ごめんなさい、そうじゃないのよ」
必要以上に肌をさらす格好をするとコードが怒る。シグナルはそういったのだ。
「やっぱりお嫁に行く前にあんまり肌見せるのよくないよね、日焼けしちゃうし」
違う。と思う。シグナルに露出度の高い格好をさせないのは目のやり場に困るのと、ほかの男の注目を集めてしまうためだと思う。けれどシグナル本人は気がついていない。コードが言う『嫁入り前の女の子がやたら肌を晒すな』という言葉のほうを信じきっているのだ。
可愛い。あまりに天然過ぎて、エモーションが猫かわいがりする気持ちが少しだけわかった。
「なんだ、来ていたのか」
「あ、コード」
穏やかな声にシグナルはにっこり笑う。コードも優しく微笑んでいた。
「みんなで、駅まで一緒にいこう」


ぽかぽかと暖かい休日の空は目の覚めるような蒼、遠くまで澄んでいて眩しいくらいだ。
「…ねえ、コード」
「なんだ?」
「ありがと。ユーロパと、アトランダムのこと」
「…お前が礼を言うことじゃないだろう」
「んー、でも気になってたから」
「そうか」
好きな人と並んで歩くことが、こんなに嬉しい。嬉しいから微笑んでしまう。コードはきっとユーロパのこの微笑みを守りたかったのかもしれない。だからこそユーロパが本気でアトランダムのことを思っているのか、それを確かめたかったんだと思う。だけどコードはそんなこと、口が裂けても言わないだろう。なんて責任感が強くて、不器用な人。素直じゃなくて、でもそこが可愛い人。
「なんだ、シグナル。俺様の顔に何かついているか?」
コードに問われて、シグナルはようやく彼を見つめていたことに気がついた。なんでもないと頭を振り、前を歩くユーロパの背中を見る。
「ねえ」
「なんだ」
「もしもね、オラトリオがさ、私と別れろって言ったらどうする?」
シグナルの問いに、コードは即答だ。
「どうもせん」
「なんで?」
「別れる理由がないだろう」
そして――強い人。そっと触れる指先が温かいことをずっとずっと覚えていよう。
「…別れたいのか?」
「そっ、そんなことないっ、私コードとずっと一緒にいたいっ!!」
コードがさっとシグナルの口を塞ぐ。駅前で人も多くなっているのだ、思わず声高になってしまったシグナルは少しだけ反省する。ユーロパは振り返らずに他人のふりを続けていた。女の友情はこんなときとても儚い。周囲の人は今時珍しい純情可憐な告白に温かい眼差しさえ向けている。なんとなく恥ずかしくなって、コードは道の隅っこにシグナルを引きずっていった。ユーロパの姿はすでにない。
「お前なあ〜」
「ごめんなさい…だって心配なんだもん」
「何が」
「だってオラトリオが脅すんだもん、コードは女の人にもてるって」
「そんな事を真に受けたのか」
「だって〜〜」
コードがふっと溜め息を漏らし、シグナルをぐりぐり撫でる。
「お前ひとりで手一杯だ。これ以上は手に負えん」
いくぞ、と言い残し、コードは歩いていく。反応の遅れたシグナルはそのあとをゆっくりついていく。



この人と一緒にいられてよかった――私は覚めやらぬ暖かさの中を歩いていくのだ、この人と。



――コードとシグナル、このカップルが正式に結ばれるのはこれから6年ほど先のことである。
 
 


≪終≫





≪愛しさと切なさと≫
肩こりと、パソコンの不調と――そんななかで書いてみました。なんだよ『不正処理』ってのは。私が一体何をした―――――っ!!(叫)
えーっと、GC12巻収録の外伝『ifシリーズその3』をシグナル女の子ヴァージョンでアレンジしてみました。シグナルが女の子だったらきっと話はスムーズに進んだに違いない、という私の妄想です。けどいちばんやりたかったのは『コードはシグナルで手一杯』っていうやつ! ほかにかまってる余裕なんかは(妹たちを除けば)ないってことですよ(笑)。何だかんだ言って結局コードは妹とシグナルには甘いってことです(笑)。
ばさっ、ばさっ(←コード兄様の羽音)
…逃げます。一目散に(どびゅーーーーん)注: 文字用の領域がありません!

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