迷作御伽草子・竹取物語




昔々のことでした。あるところに竹取の翁というおじいさんがいました。名前を音井信之介といいます。彼は若いころから手先が器用だったので様々な細工物などをして生計を立てていました。昔は都で仕事をしていたのですが、今ではそれを息子夫婦に譲って妻とともに山奥にこもっていました。ちなみに奥さんの名前は詩織といい、入り婿が当たり前のこの時代に、なんと彼のもとに押しかけて結婚したというすごい人です。信之介が山にこもると言い出したときも『私もついていくよ、信にいちゃん♪』と、止めるどころかちゃっかり荷物をまとめていたほどです。
さて、それはそれとして、ある日のことです。いつものように信之介は竹細工にする竹を取りに行こうと山に入っていきました。
「じゃあ、行ってくるからの」
「気をつけてねー」
底抜けに明るい声に送られて、信之介は籠を担いで竹林に向かいます。天をつくほどに伸びた竹は青々として、細工物にするには惜しいほどでした。それでも信之介は鉈を取り出し、一本一本、その恩恵を噛み締めるかのように丁寧に切っていきました。そのときです。林の奥で、なにかが光っているのがわかりました。誰かいるのかとも思いましたが、今はまだ昼間です、松明の灯りではないようです。なんだろうと思って、信之介はゆっくり光に近づいていきました。
するとどうでしょう、竹の根元あたりがぴかーと光っているではありませんか。信之介はびっくりして、おそるおそる手を触れたそのときです。
「すみませーん、そこにどなたかいらっしゃいますかぁ〜〜」
竹の中から女の子の声がします。信之介は思わず声をかけてしまいました。
「あ、ああ、おるよ」
すると中から返事が返ってきました。
「よかったぁ、すみませんけど、これ開けてもらえません?」
「これ…とは?」
竹をどうやって開けろというのでしょう。信之介が困っているとまた中から声がしました。
「上のほうをばさーっとやっちゃってください、今ならまだ大丈夫ですからぁ」
「そ、そうかね」
言われるままに信之介は光っている部分の上方を鉈で袈裟懸けに切りました。するとまた光が溢れて、中から小さな女の子が出てきました。三寸くらいですが、髪はとても長くて艶があり、光の加減で虹のように光る紫色です。大きな瞳は白い面にしっかりとはまっていて、その輝きは高価な紫水晶そのものです。信之介は言葉もなく、その少女を見つめていました。
「ありがとうございました。私はシグナルと言います」
「あ、そりゃご丁寧に。わしゃ、信之介というがの。お前さん、どうして竹の中に?」
信之介がそれはもう、正統派の質問をすると、シグナルは笑ってごまかしました。
「今はまだお話するわけにはいかないんですが…ちょっとだけ匿ってもらえませんか? 決してご迷惑にはなりませんから」
「匿う? お前さん、誰かに追われているのかね?」
「ええ、まぁ…」
どうしたものかと考え込んでいると、後ろのほうから声がしました。
「信にいちゃーーん、お弁当だよぉ〜〜」
詩織がお弁当を持って信之介のあとを追ってきたのです。信之介がシグナルを隠す間もなく、詩織の目に触れてしまいました。
「…信にいちゃん、それ…」
「あ、あのっ、これはな、詩織…」
信之介はどう言い訳しようかと必死で考えています。詩織はシグナルをじーっとみつめ、そして…
「いや〜ん、この子可愛い〜〜♪ ねえ、信にいちゃん、この子、うちの子にしようよ」
信之介の心配を他所に詩織は一方的にシグナルを自分の娘と決めてしまいました。
「まーくんに妹がほしいなぁってずっと思ってたんだけど、今からじゃ無理だし、生む手間が省けていいよねぇ」
「そ、そういう問題じゃないと思うぞ、詩織…」
「えー、そうかなぁ?? ま、細かいことは気にしない、気にしない」
どうにも気になる信之介はうきうきとしている詩織の姿に、何もいえなくなってしまいました。



「で、彼女が竹から生まれた子で、僕の妹…ですか」
「そ。まーくんの妹♪」
「…母さん、僕ももう35歳なんですから、いい加減に『まーくん』はやめてもらえませんかね…」
「えー、なんでなんでぇ?」
まーくんは溜め息をつきました。詩織はなんで『まーくん』と呼んではいけないのかと考えています。妻と息子の間で信之介が口を開きました。
「詩織、正信ももう子どももおる大人じゃよ、いつまでも『まーくん』…は、子ども扱いしすぎじゃろうて」
「あ、そうか」
やっとわかってくれたらしく、詩織はぽんと手を打ち、正信はようやく解放されたように澄み切った笑顔をしていました。無邪気に笑う声が聞こえてきます。ひとりは信之介の孫であり正信の子どもでもある信彦です。今年11歳になりました。母親のみのるによく似たふっくらとした輪郭を持った子どもです。そしてもうひとりはシグナルです。最初三寸だった体は三日もしないうちに五尺三寸にまでなっていました。五尺三寸というとメートル法に直せば159センチほどです。ふたりはまるで実の姉弟であるかのように仲良く遊んでいました。微笑ましい光景です。
「んで、この荷物の山はなんなんです?」
「問題はそれなんじゃよ、正信」
信之介ははぁっと溜め息を漏らします。黒塗りの箱の中身は様々な贈り物でした。唐綾、錦、上等な木綿、米、酒、紙、炭、塩その他数え切れないほどです。しかもこれは全部シグナル宛てなのです。
どういうことかといいますとね、実は都のはずれの山奥にこの世のものとは思えない美少女が住んでいるって噂が都中に広まってしまったせいなのです。そんな美少女がいるのならということでたくさんの人たちが見物に訪れ、あわよくばシグナルを自分のものにしようと考えている輩もいるようです。連日のように贈り物が届き、音井家はもともと細工物だけでもかなりの収入があったのですが、この贈り物はゆうに五年分の蓄えに匹敵します。シグナルが音井家に来てからわずかに七日。彼女はたった七日で五年分を、僅かな笑顔だけで稼いでしまったのです。財産よりも家族が健康で幸せにいるほうがいいと思っている信之介夫婦はシグナルを見世物にする気はなく、求婚もことごとく断ってきました。
「しかし、どうにも引き下がらん方々がおってのう…どう、お断りしたものかと思ってな」
「本人はなんて言ってるんです?」
「どうしても結婚はせんと、一点張りじゃよ」
「ふうん、で、その理由は?」
「気に入った方がいないんじゃないかしらねえ」
「いえ、そういうんじゃないんです」
シグナルがそっと会話に加わってきました。
「いつまでも隠しておけませんから…正直にお話します」



シグナルの回想。それは一月前のある日のこと。
『もーっ、コードなんて知らないっ!! こんな家、出てってやるぅ!!』
『ああ、勝手に出て行け、俺様はもう知らん!!』
『あとで後悔したって知らないんだからぁ! うえ〜〜〜〜〜ん』
シグナルはもともと月の世界の住人でした。そしてそこにはコードという夫がいたのです。コードの仕事は月光の源である桂の木を管理することでした。大恋愛の末に結婚したのに、忙しさにかまけてコードはちっとも家に戻ってきません。一人ぼっちで寝る夜は寂しくて、悲しくて、怖くてたまりませんでした。忙しいなら忙しいで手紙のひとつでも寄越せばいいのに、それさえもないのです。とうとう夫婦喧嘩に発展した挙句、シグナルはコードの妹であるエモーションと、その夫(シグナルにとっては義理の弟)であるオラクルが止めるもの聞かずに地球に降りてきてしまった、と、こういうわけなのです。
音井家の面々も唖然として言葉が出ませんでした。柔軟性とか、もうそんなことを言っている場合ではないのです。彼女は月世界の人間で、夫もいるから地球人とは結婚できない…ということです。しかしそんなことであの連中が納得するでしょうか。そうこういっている間に例の連中がやってきました。足音はひとつではありませんでした。
詩織はあわただしくシグナルの周囲に几帳を立てかけていきます。あっというまにシグナルは囲われてしまいました。
「ありゃりゃ、今日も間に合わなかったか」
「仕方ありませんよ、今まで噂にもならなかった深窓のご令嬢なんですから」
ひとりは象牙色の直衣をさらりと着こなしている大男、被っている烏帽子のせいで正確な身丈はわかりませんが、七尺はゆうにありそうです。彼は中納言のオラトリオと言います。宮中では在原業平・光源氏に並ぶ美男子…といわれていますが、実際のところは彼らと同じ、それ以上の色好みと言われているのです。狙った獲物をはずした事がありません。彼に女を寝取られたという男性は浮名の数と同じでしょう。
もうひとりはカルマといいます。彼は『新緑の中将』とあだ名を持つほど、深く美しい緑色の瞳を持っていました。その顔はとても美しく、どんな女性でも彼にはかなわないとまで言われているほどです。ちなみに正信とは幼馴染のような間柄です。
「ねぇ、あれ誰?」
几帳の中に隠れているシグナルに信彦が問い掛けました。するとシグナルは信彦だけを几帳の中に入れました。彼女にとって信彦は仲のよい友人であり、弟のような存在です。ゆえに中に入れてもなんとも思わないのです。しかしながらそれを目ざとく見ていたオラトリオは少年に小さな嫉妬さえしています。なんたって自分はまだ顔を拝んだこともないのです。しかし噂の美少女の前で失態を犯すほど、オラトリオの理性は失われていませんでした。
「えっとね、確か大きいほうがオラトリオで、金色の髪のほうがカルマだったかなぁ」
几帳越しなので彼女もうろ覚えなのです。
「あと三人、来るよ」
はたしてシグナルの予言どおりに残る三人がやってきました。うちふたりは黒装束です。
「えっとね、右から、パルスでしょ、アトランダムと…えーっと、誰だったかな」
「俺、葵祭りで見たことあるよ。確かクオータっていうひとだよね」
「あ、そうそう、クオータよ。忘れてたぁ」
てへへ、と笑うシグナルを、信彦は呆れたようにみていました。
「シグナル〜、自分に結婚申し込んでるひとくらい、ちゃんと覚えたほうがいいよ」
「そうかなぁ、だって誰とも結婚する気ないし」
「でも失礼だよ」
几帳のなかで話し込んでいるふたりにじっと視線が注がれていることに気がついていません。几帳はあくまで姿を隠すためのものであって防音効果まではないのです。したがって今この場で『クオータはシグナルにとって印象が薄い』ことが暴露されてしまったのです。オラトリオは勝ち誇ったように笑いましたが、相手にされていないのは誰もみな同じです。どんなに信之介が縁談を断っても五人は必死でシグナルを口説こうとするのです。シグナルは几帳の中にいるのをいいことに檜扇の影で欠伸さえしています。繰り返される求婚の言葉にいい加減飽きてきたのです。
突然、シグナルは思いつきました。(正直に言って)鬱陶しいこの五人をしばらく遠ざけておく方法を。彼女はぱちんと扇を鳴らして喧喧囂囂言いあう男たちを止めました。
「皆さんが私のことをそんなに思ってくださるのは嬉しいことです。だったら誠意を見せてくれませんか?」
「誠意…ですか?」
「ええ、これから私が指定する品物を持ってきていただきたいのです。いちばん最初に持ってきた方と結婚することにします」
シグナルは一人一人に条件を出しました。
オラトリオには『蓬莱の玉の枝』を。
カルマには『火鼠の皮衣』を。
パルスには『燕の子安貝』を。
アトランダムには『仏の御石の鉢』を。
クオータには『竜の首の玉』を。
どれもこれも実在しないと思われるものばかりでしたが、愛する少女のため、男たちは挨拶も忘れて我先にと駆け出していきました。
「シグナル、今言ったやつ、本当にあるの?」
信彦が期待満面にシグナルを見つめています。シグナルはけらけら笑いながら几帳を押しのけて出てきました。
「やだな、本当にあるわけないでしょ。そうやって無理難題いっとけばしばらくは来ないかなぁって思っただけ」
「なぁんだ、珍しいものが見れるかと思ったのに」
がっかりしている信彦の頭を、正信がぐりっとなでました。
「あはは、今目の前にいるシグナルだって相当珍しいと思うよ」
「そうよ、なんたって月から来たんだからぁ〜」
「そっか!」
明るい笑い声だけが、音井家に響いていました。



さて、シグナルの無理難題を何とかしようと思っている五人ですが、思うようにはいきません。特にアトランダムとパルスは探しにいくことすら出来ないのです。そう、実はふたりともれっきとした妻帯者だったのです。アトランダムにはユーロパが、そしてパルスにはクリスという北の方がいたのです。
ここで、パルスを見てみるにしましょう。
彼はまず手始めに邸から探してみることにしました。しかしなかなか見つかりません。
「なにやってんの、パルス」
「なんだ、クリスか」
「何だとは失礼ね、ここは私の邸でしょう?」
そう、この時代は入り婿が当たり前ですから、パルスはクリスに厄介になっている、と言うほうが正しいのです。
「知ってるわよ、子安貝探してるんでしょう?」
「ど、どうしてそれを…」
「女の情報網を舐めるんじゃないわよっ!!」
当時の女性はあまり出歩かないぶん、やたらと手紙を書き散らすようです。山奥に隠れている美少女の噂も彼女たちがばらまいたといってもいいでしょう。クリスはパルスが登っていた梯子を蹴飛ばしました。支えていた下人たちはクリスが登場してきたことで梯子から手を放し控えていたので、パルスは高いところから落っこちてしまいました。このときパルスの手には子安貝と思われるものが握られていましたが、それは子安貝ではなく、燕の古い糞だったのです。
「ふん、そうやって少しは反省するといいわ。あんたじゃなくったってこのクリスさんに通ってくれる男はたくさんいるわよっ!」
「く…クリスめ…」
したたかに腰を打ちつけたらしいパルスはそれでもなんとか立ち上がりました。このときパルスが言った『かいがない』という言葉は『張り合いがない』を意味する『甲斐がない』の語源となります。やむなく、パルスはシグナルを諦めることになりました。
パルスはこれですんだのでよかったほうでしょう。『仏の御石の鉢』を探すように言われたアトランダムは危うく自分が仏になるところだったのですから。恐ろしいので詳細は省かせていただきます。くわばらくわばら。
そして残る三人もあれこれと知恵を絞りますが難しいようです。偽物を作ってもいいのですが、正信以上に腕のいい細工師はいませんし、持っていってさんざん嫌味を言われるものいやです。なによりシグナルの(あるかどうかもわからない)信頼を失うことだけは避けなくてはなりません。


男たちが躍起になっていたころ、月ではちょっとだけ事情が変わっていました。
「お兄様っ!! <A−S>が家出をしてもう、一月は経ちましたわよ!! 先の満月にどうして迎えに行かなかったのです!!」
「ふん、出て行くといって出て行ったのに何故俺様が迎えに行かなくてはならないのだ。馬鹿馬鹿しい」
さも他人事かのように振舞うコードは、表は縹藍、裏も縹藍を重ねた月草襲の直衣を着ています。桜色の髪はほっそりとしたうなじにかかり、けれどその優しい後ろ姿からは想像も出来ないほど凍りついた琥珀色の瞳をしています。月でも美少女の誉れ高かったシグナルを射止めた、まさにその人なのです。夫婦喧嘩は些細なことでしたが、売り言葉に買い言葉で家出されたのが相当こたえているようですが妹の手前、なんでもないふりをしているだけでしょう。よく見るとなんだかいつもの覇気がありません。着ているものも、いつもはシグナルがきちんと誂えたものなのに、今はうるさいようでいても世話を焼いてくれる彼女がいないせいでどことなくよれた感じです。妹であるエモーションはそんなところも見逃しません。
「意地を張るものいい加減になさいませ。<A−S>がいないからろくにご自分のこともお出来にならないのに」
「なにをいう、自分のことくらい自分でできるぞ!!」
「だったらどうしてこの私が毎日来て、お兄様のお世話をしているんですの?!」
「ぐっ…」
もはやぐうの音も出ないコードはエモーションに促されるままハーモニーを呼びました。シグナルがいなくなって早一月、コードは強がっていても流石に限界でしょう。ハーモニーはすぐにやってきました。
「やっほー、シグナルに逃げられたんだって?」
ぐりっとぎこちなく顔を上げて、琥珀色の瞳がハーモニーを睨みつけました。ハーモニーは慣れたものでびくともしないのです。
「言っとくけどシグナルが逃げたのはコードのせいで、ボクのせいじゃないからね♪」
「…言うな。わかっている」
「ハーモニーさんにお願いがあるんですの」
鮮やかに光る緑色の髪を揺らし、エモーションはハーモニーにむかって言いました。
「ハーモニーさんは三日月くらいでも下界に降りれますでしょう?」
「まあ、ちょっとでも月が出てればいいんだからね」
背中にある蝶のような羽をぱちんと合わせて、ハーモニーは笑います。ハーモニーは一尺くらいの小さな人で、僅かな月光でも下界である地球にいくことができるのです。しかしコードやエモーション、そして先ごろ家出したシグナルになると満月でなければ入り口が小さすぎて月と下界を行き来できないのです。
「そこで、ハーモニーさんにお手紙を届けてほしいんですの」
エモーションが差し出した手紙は先ほどコードの書かせておいたものです。
「あれ、シグナルってば地球に行っちゃったのぉ?」
「ええ、オラクル様に調べていただきましたの。倭の国、山城の国にある都のそばにいるそうですわ」
「ボクもついていけばよかったかなぁ〜」
「馬鹿なことを言ってないでさっさと行って来い、せっかくふわふわ飛べるんだろうが」
コードの機嫌は最高に悪いようです。ハーモニーは手紙を大事にしまうと、二人に挨拶をしてふわりと出ていきました。



そしてまた場面は地球へと移ります。
地球から眺める故郷は、夜空の弓張月――そう、愛しい人の眉に似ていると、古代の歌人が読んでいます。結婚したときは、コードとふたりで月から地球を眺めていました。青く光る宝石を天照らす太陽神の輝きに満ち欠けする姿を美しいと、眺めた夜を思い出します。
シグナルはひとりで、月を眺めていました。
(喧嘩なんかしなきゃよかった…)
コードが忙しかったのも知っています。きっと手紙を書く暇もなかったんだろうことも。帰ってきたらなんでもないように笑ってあげるつもりだったのに、寂しさと悲しさと怖さが一気に溢れ出して、泣いて、コードに怒鳴り散らして…それで喧嘩になって飛び出してしまった――押し寄せる後悔の念に、彼女の瞳が潤みます。
「シグナルちゃん…」
振り向くとそこに、詩織がいました。詩織はにっこり笑うと、シグナルの横に座りました。
「シグナルちゃんの故郷は、あそこなのよね」
見上げる先に月が浮かんでいます。シグナルは静かに頷きました。
「…私ねぇ、信兄ちゃんと喧嘩ってあんまりしたことないなぁ」
「…そうなんですか?」
「だって、私以外に信兄ちゃんのこと、誰が支えてあげるのよ。そりゃ、細工物に没頭してて、夜ひとりってこともたくさんあったけどね。けど信兄ちゃんは私のために働いてくれてるんだからって思ったら、寂しくなくなったの。ほんとだよ」 
「詩織さん…」
詩織はシグナルをぎゅっと抱きしめました。
「もう、わかってるんでしょう?」
自分があるべき場所、やるべきことを。
「…はい」
「よし、じゃあ、もう寝よう!」
「ああ、待ってぇ、シグナル〜」
寝所に下がっていこうとしたシグナルの耳に聞き覚えのある声が聞こえました。慌てて声の主を探します。
「あっ! ハーモニー!!」
「あっ! 可愛い!!」
驚く場所がちょっと違うように思いますがこの際無視しましょう。シグナルは結婚する前からハーモニーとは大の仲良しなのです。そのハーモニーがわざわざこの地球にきている可能性はひとつです。果たしてその予想通り、ハーモニーは人懐っこい笑みを浮かべると懐を探り出しました。
「コードから手紙を預かってきたよ。今返事もらえるかな。そしたらすぐに月に戻ってコードに伝えるけど」
「あ、ちょっと待って」
シグナルは手紙を受け取ると慌てて開きました。手紙には紫草が添えてあります。透けるような薄い紙に水草のような文字が流れていました。間違いなく、コード直筆のようです。
『俺様が悪かった。さっさと戻って来い』
あまりにも端的な言葉でしたがシグナルは目頭が熱くなって、こぼれそうになる涙を必死で堪えていました。いつだってコードは自分のことを思ってくれている、それが泣きたいほどよくわかったのです。彼女は丁寧に手紙をたたむと、ハーモニーに伝言を託しました。



それから10日くらいして、シグナルが月に帰る日がやってきました。信彦は帰ってほしくなくて、彼にしては珍しく駄々をこねていましたが周囲に説得されて見送ってあげることにしました。
「…また、会える?」
「うん。また来るよ。今度は遊びにね♪」
そういってふたりは笑いあいました。
「あ、そうだ。信彦、これ、約束の印にあげる」
そういうとシグナルは透明で丸い珠を取り出しました。この世のものとは思えないほどの透明感を持っています。それを手にした信彦はただただ言葉もありません。長く細工師をやっている信之介や正信も月世界の技術高度に驚いてしまいました。それ以前にこのような宝玉が採掘されるということも驚きです。
「月の石を磨いて珠にしたものなの。大事にしてね」
「へぇ、月の石…うん、ありがとう!」
「ちょーっと待ったあああ!!!」
楽しげに笑う二人の頭上になんかやな声が響きました。みると、シグナルに必死になって結婚を迫っていた五人組が来たのです。折角いい雰囲気だったのにぶち壊しです。
「地球外知的生命体でもいい!! どうか俺と結婚してくれっ!!」
「…諦めが悪いですねぇ」
カルマほか四人は流石に諦めたようでしたが、オラトリオだけはまだ食い下がります。
「…だからだめなんだってば」
「そこをなんとかっ! 一生大事にするし、生活だって保障する!!」
「そんなこと言われても…」
そのときです。はるか上空から眩しいほどの光が振り注ぎ、中からたくさんの天人が現れたのです。それはシグナルを迎えにやってきた月の住人たちです。唐車が二台、ゆっくりと降りてきました。天人が榻という台を車の前に置くと、中から男性がひとり、降りてきました。後ろの車からはこれもまた若い夫婦のような二人連れが降りてきます。
「…シグナル」
「……ごめんなさい、私…」
「話は月に帰ってからだ。…妻が世話になりました」
降りてきたのはシグナルの夫であるコードと、その妹夫婦であるオラクルとエモーションです。コードは音井家の面々には頭を下げましたが、なぜかそこに集まっている公達の集団が(直感的に)気に入らなくて、目もくれません。
「あの〜〜〜」
「…はい?」
オラトリオがおそるおそるシグナルに訊ねました。
「もしかして…旦那さんがいらっしゃる?」
「はい…だから結婚は出来ないと…」
「結婚?」
コードにぎらっと睨まれてオラトリオは引きました。直感的に、争ってもかなわないと思ったのでしょう、珍しくおとなしく引き下がりました。
「<A−S>、よかった。元気にしていたのですね」
「すみません、おふたりにも心配させてしまって…」
「いいんだよ。シグナルはいちばん年下だけど私たちにとっては義姉なんだから」
オラクル夫婦とも手を取り合って喜んでいます。

最後に、名残惜しそうに車に乗って、シグナルは天に帰っていきました。
「…コード…」
「なんだ?」
「その…怒ってるよね?」
「…いや。その…俺様も、だ。長いことほったらかしにして悪かったな」
シグナルの肩を、コードは優しく抱き寄せました。詩織さんに言われたとおり、私はずっとコードの支えになろう、そう思うのです。



それから一年ほど経ったある日のこと。
「…信兄ちゃん、シグナルちゃんいなくなったから寂しいねぇ」
「…信彦の前で言うんじゃないぞ」
「うん…」
夜毎眺める月は細く太く姿を変えていきます。あの月のどこかに、わずかながらも育てた自分たちの娘がいるのです。両親の仕事の都合で祖父母のところに預けられた信彦は12歳になっていました。手のひらで転がす月の珠は光を通し、まるで月そのものであるかのように輝きを失いません。
「会いたいなぁ。シグナル…」
「会いにきたわよ、信彦♪」
ねっころがっていた信彦の顔の上に、紫の帯が落ちて来ました。言葉もなく、見上げてしまいます。
「…シグナル?」
「久しぶりね、大きくなった?」
「…シグナルだぁ!!」
信彦はシグナルにぎゅっと抱きつきました。彼女も優しく受け止めます。信彦の声を聞きつけて、信之介と詩織も飛んできました。
「シグナルじゃないかね」
「いやーん、ひさしぶりぃ♪」
再会を喜ぶ音井家の面々、そこに都合よく正信とみのるも戻ってきました。
「どうしたの? また家出?」
「いえ、今度は三人で遊びにきたんです」
「三人?」
シグナルの後ろにコードが立っていて、その腕に何か小さなものを抱いています。シグナルはそれを受け取ると、みんなに見せてあげました。
「うわぁ…」
その腕にはシグナルによく似た男の子が眠っていたのです。実はこの子、シグナルが家出から戻ってきてすぐにお腹の中にいることがわかったのです。そのときはまだ気がついていなかったのですが、よく考えると情緒不安定でちょっとしたことにひどく感情を表したのはそのためでしょう。しかも初産となれば誰もが不安でいっぱいでしょう。下界に降りていたのにお腹の子どもは元気で、戻ってから七月目に生まれたそうです。名前をミラといいました。
「やっぱり、お世話になった皆さんにも紹介しておこうと思って」
「どのくらいいるの?」
「次の満月まで」
シグナルがそういうと信彦は両手をあげて喜び、その声に驚いたミラが泣き出していまい、そこには優しい笑い声が満ちていました。信之介や信彦が危なげにミラを抱き上げ、詩織やみのるはミラを抱いて懐かしそうに我が子の幼い日々を思い出します。
「シグナル…」
「なあに?」
「いい人とめぐりあったな」
「うん♪」
ミラを抱いてくれる人たちの優しい温かさに触れながら、ふたりはそっと肩を寄せ合っていました。



月のお姫様の騒動話はこれでおしまい。





≪終≫



≪あとがき&ちょっと解説≫
▼TS版、C×S♀の『竹取物語』です。当然のように迷作劇場なので本来のストーリーとは大幅に変えたところもありますのでご容赦を。
▼さて、古典に詳しくない方のためにちょっと解説をいくつか。
※結婚形態は『入り婿』が基本で、女性からアプローチすることは滅多にありません(親からというのはありますが)。月でも同じ形態をとったはずなんですが、自分の家なのにシグナルは家出をした…ということです。コードは基本的にシグナルの世話になっているわけで、エモーションはオラクルを婿に迎えてるわけです。
※パルスに子安貝を採りに行かせたのはパルス役の声優さんが子安武人さんだったから、という安直な理由なので深く突っ込まないで下さい。アトランダムに『仏の御石の鉢』を採りに行かせたのは、それを知ったユーロパにぼこぼこにされて自分が『仏』になりかける、というのをやりたかったからです。ごめんなさい。
※コードたちが乗ってきた『唐車』は主に貴人専用の大型牛車です。榻(しじ)は降車時に使う台のことです。結構高級車だったとか。
※この時代は一応一夫多妻制ですが、某資料によると多夫一妻だった方もいらっしゃったとか。また、儒教の概念が確立していなかったので不倫なんかも多かったらしいです(笑)。でも、オラトリオみたいに女好きがいてくれると話に幅が出来ていいですなぁ(ファンの方ごめんなさい)
▼まあ、こんな感じですか。あとは細かいところはたくさんありますけど、ここはあの呪文♪ 『これは迷作御伽草子なんだ』と5回ほど唱えてくださいね♪注: 文字用の領域がありません!

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