最強の両思い 〜彼と彼女の恋愛的領域再征服 藤の花はただ桜の君のためにだけに咲くのです 「いってきまーす!」 音井さんちの次女、シグナルは現在高校1年生である。膝丈のスカートに紺色のニーソックスが彼女をよりいっそう可愛らしく見せた。 シグナルは駅に向かうべく、角を左に曲がる。 今日は水曜日、大好きな彼と一緒に登校できる唯一の機会なのだ。紫苑色の鮮やかな髪を軽やかに翻しながら彼女はお目当ての集団を見つけた。 彼らはカシオペア家の住人で、一男三女の兄妹たちだ。ちなみに妹たちは三つ子の17歳、シグナルよりひとつ年上である。それぞれ制服が違うのは選んだ進路が異なるからだ。 長女のエモーションは既にモデルとして活躍していたが、成績もよかったため進学校に進んでいる。 次女のエララと三女のユーロパは看護課を持つ高校に通っていた。 シグナルはエモーションと同じ学校で先輩と後輩に当たる。 その女郎花のエモーションがシグナルを見つけて駆け寄ってきた。 「エース! んまああああエース! 今朝も可愛いですわぁ!」 「え、えもーしょんさん、くるしぃ……」 力いっぱい自分を抱きしめるエモーションの肩を叩きながら、シグナルはもふもふと動く。 「たあすけてぇ!」 「エレクトラ、いい加減にせんか」 半ば呆れ気味にため息をつきながら桜色の兄が妹の肩を叩くにいたり、彼女はやっと我に帰る。 シグナルは彼女の腕の中でぐったりしていた。 「あら、私としたことが。エースがあまりにも可愛らしかったのでつい……」 ほほほと笑いながらエモーションはシグナルを揺すった。息を吹き返したシグナルは目の前のエモーションにむうとむくれてみせる。 「もう、エモーションさんたらぁ」 「ごめんなさいね」 言いながら彼女はシグナルの襟や髪を直す。そんなエモーションの指先の柔和さはシグナルも大好きだ。 「はい、よろしいですわ」 「ありがとうございます」 そう言って微笑み、視界を反らすと桜色の彼が映る。 シグナルはほんのりと頬を染めた。 「コード、おはよう」 「ああ……」 ぶっきらぼうに見える彼はカシオペア家の長男、コード。現在はアトランダム工科大学に通う学生だ。 まだ20歳だというのにその貫禄はといえば並大抵ではない。彼より年上であるはずのオラトリオさえも彼には頭が上がらないのだ。 そんな不思議な貫禄の青年が、実はシグナルの彼氏なのである。 幼馴染だからその付き合いはシグナルが生まれてからずっとだが、恋人同士になってからの日数はまだ浅い。しかも方や大学生、方や高校生だから生活の時間にもズレがある。だからシグナルは毎朝こうやってカシオペア家の前まで赴くのだ。自宅の表と裏どうし、会おうと思えばすぐ会えるはずなのに、とは三女ユーロパの言葉である。 「毎朝よくやるわよね」 「いいじゃない、どうせ駅に行くためにはここ通るんだし」 「ここ、は通らないでしょ。私たちだってあっちの角まで行くんだから」 ユーロパは自分が立っている地面を指差した。 音井家を出て左に向かっていき、最初の角を左に曲がったらあとはまっすぐ行けば駅なのに、シグナルはわざわざもう一度曲がるのだ。 要するにシグナルはわざわざカシオペア家の門前まで出向いているのである。 「いいではありませんか、それだけエースはお兄様を思っているということなのです……」 エモーションがうっとりとあっちの世界にトリップしている間にコードは既にシグナルと一緒に歩き出していた。エララとユーロパも遅刻するまいと続く。 「エース……あら? あらら?」 誰もいなくなったところでエモーションはやっと我に帰り、慌てて一行の後を追いかけた。 これはカシオペア家長男・コードと音井家次女・シグナルとの、壮大な恋物語の序曲である。 「ほわぁ……」 昼休み、隣のクラスの女の子たちと合同でお弁当を囲んでいたシグナルはまだ同伴登校の余韻に浸っていた。 同じ剣道部に所属する呂望がシグナルの前に手を振っている。 「まーた夢の中に行っておるのう……」 「だって、幸せなんだもん……」 踝まである長い髪は三つ編みにされれば凶器、彼女が頭をぶんぶん振ればそれは鞭のように動いた。 「だーっ、頭を振るなというに!!」 がちっと頭を抑えられ、シグナルは抗議の声を上げる。 「望ちゃん痛いよー」 「おぬしが幸せいっぱいって顔をするから。これだから水曜日は」 「いいじゃないの、望ちゃん」 空銀色の髪の普賢がふふふと笑う。化学部の普賢は呂望の幼馴染だ。ちなみに呂望も普賢も彼氏持ちである。 呂望の腕を払い、シグナルは反論する。 「なによぅ、望ちゃんだってこの前天化君と自転車二人乗りしてたでしょ! すっごい笑顔で抱きついてたじゃん!」 シグナルの言葉に呂望がうっと言葉を詰めた。 「おぬしにだけは見られたくなかった……」 「えー、なになに?」 興味津々に身を乗り出してきた普賢にシグナルはにんまりと頬をゆがめた。 「公園で見たんだよ。天化君の自転車の後ろに乗ってさ、んでふたりで缶コーヒー飲んでた!」 「うああああああ」 「へぇ……」 やるねぇ、と普賢が呂望を肘でつついた。別にやましいことは何もしていないのだが、なんとなく恥ずかしくて呂望は俯いてしまう。 「で、何の話してたの?」 「ああ、そうじゃった」 シグナルの問いかけに呂望がぱっと顔をあげる。彼女だってちょっとだけ年下の恋人を大事に思っていることに変わりはない。 「実は中学で練習試合があるからな、見に来ないかといわれたんじゃ」 シグナルと呂望は同じ中学の出身だ。普賢だけが学区の関係で違う中学にいた。 「剣道部の練習試合って、いっつも今頃だったよね」 「そうだのう……」 懐かしそうに見上げた空、もう冬の気配をはらんでいた。 「ねぇ、普賢ちゃんも行く?」 「ありがとう、でもボク、その日用事があるんだ」 「あらら、残念」 そんなわけでシグナルと呂望は今度の日曜日に母校に向かう事になったのだった。 これが騒動の始まりだったのである。 中学の体育館にはすでに剣道部員たちがいて、稽古を始めていた。 そのうちのひとりがシグナルと呂望を見つけてわっと声を上げる。 「音井先輩と呂望先輩よ!!」 「うそ! うわ、本物だあ!!」 女子部員たちがぞろぞろとふたりの周囲に集まってくる。男子部員たちはその迫力に押されて遠巻きに見守るしかできなかったのだが、それでも天化と1年生の男子が恐れずに近づいてきた。 「師叔!」 「おお、天化! ちゃんと主将やっておるな!」 剣道着に袴を着けた天化が照れくさそうに笑う。このふたりが付き合っているのは周知の事実なので、周りからはにやけた笑いと歓声が飛ぶ。 「なんだ、シグナルも来たのか」 彼女のそばに近づいてきたのはシグナルよりも背の低い少年だった。彼女は引きつった笑みを浮かべつつ彼のこめかみを拳でぐりぐりと小突く。 「一応先輩なんだから、シグナル先輩って呼ぼうね、クイックぅ」 「痛いっ、痛いいっ!!」 笑顔なのに笑っていないシグナルの顔。でもシグナルの小脇に抱えられてのお仕置きならちょっとやられてみたいかもと、男子部員の一部でクイックを羨ましそうに見ている。 解放されたクイックは涙目のまま、乱れた髪を手で直していた。 そんなシグナルを恍惚と見つめている男の子がいた。クイックの同級生である。 一年生である彼はシグナルと入れ違いに入学したため、会うのはこれが初めてだった。 「な、なあクイック」 「なんだよ、小次郎」 いかにも剣道少年というような名前の彼に突付かれて、クイックは振り向いた。 「あれ、音井先輩だよな? 伝説の……」 「伝説って、卒業してまだそんなに経ってないだろう……」 シグナルと呂望は中学でも一二を争う剣姫として市内でも有名だった。その二人が今目の前にいる。小次郎の目がキラキラと輝いているのを見て、クイックはいやな予感がした。 「紹介して」 「やめとけよ」 素早いクイックの反応に小次郎は一瞬黙ったが、すぐに食ってかかった。 「なんでだよ!? ビビビってきたんだよ! これはもう運命なんだよ!」 「あいつ彼氏いるぞ?」 女子部員に囲まれてにこにこ笑っているシグナルには、説明不要問答無用の彼氏がいる。これも周知の事実だ。だがそれしきのことでは諦めないのが中学生だ。 「そんなの関係ねぇ! 俺って男のよさを分からせれば済むことだろ!」 「あー、うん。でも無駄だと思うけどなぁ……」 そう言ってクイックは再びシグナルのところに小次郎を連れて行った。 「なぁ、シグナル……先輩」 「なあに?」 「こいつが、話したいって……」 クイックは隣にいた小次郎をシグナルに紹介した。小次郎はどこか興奮気味に頬を染めて彼女の前に立った。そして電光石火の早業でシグナルの手を掴むとこう言ってのけた。 「俺、武蔵川小次郎って言います! 付き合ってください!!」 「……へ?」 体育館を吹き抜ける、冷たい沈黙の風。 シグナルが答えを返せないまま、試合の時間を迎えていた。 その頃コードは地元の図書館でレポートを書いていた。 日曜日なので大学は休みだ。分厚い工学の本とにらめっこしながらなにやらレポート用紙に書き付けている。 そこに黒髪の男が近づいてきた。 「コードじゃないか、レポートか?」 呼ばれたコードがふと顔をあげると、そこにはシグナルによく似た男が立っていた。 「なんだ、パルスか。お前もか?」 「ああ、火曜日に提出でな。家にいるとちびが遊んでくれと煩いんでな……」 「なるほど」 コードは苦笑して、自分の前の席を示した。彼は勧められるままに腰掛ける。図書館なので会話はごく静かに交わしていた。 「シグナルは剣道部の試合を見にいったんだったな」 「それでちびと遊ぶのがいなくて」 「大変だな、お前も」 コードが笑いながら話すのを、パルスは珍しそうに見ていた。同じ大学だが学年もひとつ違うし、学部も違うので滅多に顔をあわせない。教養科目の講義で会う程度だ。 「あなたには負けると思う。よくあのシグナルと付き合っているな、と……」 「ああ、あれか」 ぺら、とページをめくる音が聞こえた。 「別に疲れはせんから」 「……そうか」 妹の幸せそうな笑顔は兄としてやっぱり嬉しくて。 そうしてしばらくページをめくっていると、ひとりの女の子が彼らに近づいてきた。 「あ、あのっ」 「ん?」 コードとパルスが揃って顔をあげる。女の子は亜麻色の髪がふわふわした、可愛らしい純真そうな娘だった。 彼女はもじもじしながら手にしていた手紙を差し出した。 「私っ、その……カシオペア先輩の事……これ、読んでくださいっ!!」 それだけ行って彼女は手紙をテーブルに叩きつけるようにして去っていった。流石のコードもあっけに取られ、ただ呆然とその後ろ姿を見送るしかできなかったという。 彼の手元には彼女の思いを綴ったであろう古式ゆかしいピンクの封筒が置かれていた。 「……これは、どうしたら」 自分には恋人がいると言う前に彼女はいなくなっていた。 「とりあえず、中を見たほうが相手の身元も分かると思うが」 「そうだな」 パルスはシグナルの兄である。その彼の前でこういう手紙を読むのも憚られるのだが、今は彼の助言に従う以外に道はなかった。 こんなかんじでそれぞれの日曜日が終わる。呂望とは駅前で別れたのだが、シグナルのそばにはクイックと小次郎が揃ってついてきている。彼らは偶然にも同じ方向なのだ。 キラキラと目を輝かせて歩く小次郎に、シグナルはおずおずと声をかけた。 「あのね、武蔵川くん」 「小次郎でいいです! 音井先輩!」 シグナルはもう何度目になるか分からないため息をついた。 「……私、彼氏いるからあなたとお付き合いは出来ないの」 さっきからはっきりと断っているのに彼はまだ諦めずにシグナルを口説いている。 「だから、その彼氏と別れて俺と」 「だめっ! 絶対別れないもん!」 コードとの別離なんて微塵も考えていないシグナルにとって彼の言葉は怒らせるだけなのだ。けれど彼は意にも介さず、にこにこと笑っている。その自信はどこから来るのだろう。 「音井先輩、怒った顔も可愛い……」 「クイック! なんとかして!」 シグナルは半ば八つ当たりするかのようにクイックに向かって声を荒げた。が、彼もなす術がないらしく、さっさと逃げ出していた。 「に、逃げたわね、クイックぅ〜〜」 「なあ、俺と付き合って、音井先輩!」 「お、お断りよ!! 年下に興味ないの!!」 そういうとシグナルは一目散に逃げ出した。敵前逃亡は趣味ではないが、この場合は仕方がない。 疾走するシグナルの髪が美しくなびくのを、小次郎は瞠目のまま見送る。 「……綺麗だなぁ」 恋する少年はそのまましばらく動けなかった。 翌日、やはりお昼休みにお弁当を持ち寄った呂望は昨日の出来事を普賢に話していた。シグナルはぐったりと項垂れている。 「んで、あのあとどうしたんじゃ?」 呂望は天化と一緒に帰っていたため、シグナルが後輩二人に連れられていったところまでしか知らない。 「どうもこうもないわよ、私彼氏いるからって言ったんだけどぜんぜん諦めてくれなくて」 「シグナルちゃんも大変だぁ」 言いながら普賢はお気に入りである紙パックの紅茶を啜っている。 「もういや、うちに帰りたくない……」 「なんで?」 普賢がそう問うとシグナルはまたため息をついた。なんかもう痛々しくてたまらない。 「なんか、駅前で待ってそうな気がするの……」 「最近の中学生は怖いのう」 パウチに入った桃味のこんにゃくゼリーを思いっきり吸い上げながら呂望は呟いた。そういう自分たちも去年の今頃はまだ中学生だったことは棚上げだ。 「あうー」 「彼氏さんに会わせればよくない? 実物を見れば諦めるかもよ?」 シグナルは普賢がくれたデザートのイチゴを咀嚼しながら瞠目した。 「……そっか。コードからつきまとうなって言ってもらえばいいか」 相手はまだ中学生だからちゃんと説得すれば分かってくれるはずだと、シグナルはその方向に賭けた。 「ありがとう、普賢ちゃん!」 「どういたしまして」 やっと元気になってくれたシグナルにほっとしながら、呂望は最後の一口をずずいっと吸い上げるのだった。 同時刻、コードも唸っていた。彼のとなりには教養学科の講義で一緒だったパルスもいる。 彼らは学食に到着すると空いている席を探して座った。 「どうしたんだ、コード」 「いや、昨日の手紙なんだがな」 そういうとコードはひらりと便箋を差し出した。ピンクのペンで書かれた文字に目がチカチカしたらしい、コードが眉間を押さえている。 「なにこれ」 そこにふらっと現れたのも黒髪の女。彼女はクイーン・クオンタム。パルスと瓜二つの19歳。胸元が見えそうな際どいラインの服装でもいやらしく見えないのは彼女がにかっと笑うからだろう。 クイーンはパルスの手から便箋を奪うと立ったままそれを読み始めた。 そして読み終わると笑いながらコードの向かいに座る。 「アンタに惚れてる女がいるとはねぇ」 「なんだそれは。シグナルが変人とでも?」 あまり口には出さないし、喧嘩ばっかりしているがパルスとて妹のシグナルは可愛いのだ。その妹をバカにされたようであまりいい気はしなかった。 それがクイーンにも分かったようで、彼女はひらひらと便箋を振った。 「アンタの妹は特別。だって普通、こんなに目つきが悪くて尊大で俺様主義なのとは付き合いたくないわよ。まあ、見た目はいいけどさぁ」 そういってクイーンは煙草を取り出そうとしたのだが、学内はどこもかしこも禁煙なのを思い出してしまいこんだ。第一彼女はまだ19歳なので煙草を吸ってはいけない。煙草は20歳からだ。 「で、なんでこんなもの後生大事に持ってんの?」 「昨日地元の図書館でもらったんだが、相手が名も言わずに立ち去ったので探しているんだ。突っ返そうと思ってな」 「ふーん……」 コードの言葉に、クイーンは便箋の末尾を見てあっと声を上げた。 「なんだ、知り合いか?」 パルスの声に項垂れていたコードがはっと声を上げる。 「武蔵川百合子って、知ってるわよ」 「なんだと!?」 がばっと立ち上がったコードにちょっと驚きながら、クイーンは頷いた。 「うちの『カワイイモノ同好会』の会員よ」 その見た目に反し、クイーンは可愛い物が大好きで、持っている小物もファンシーなものが多い。 なるほど、だったらこのかわいい便箋も頷けようというものだ。 「交際できないという事をはっきり言ったほうがいいからな」 紹介してくれるかというコードの問いに、クイーンは今日のランチで手を打った。 「だけどこのあと講義あるから、四限目終わってからね」 「ああ、俺様も四限目には講義があるから、それでいい」 話は決まったと、クイーンはコードを引っ張って行った。 「パルス、荷物見ててね」 「ああ……」 報酬のランチが学食のカツ丼でいいのかと思いながら、パルスはベージュ色の天井を見上げた。 大学によって違うが、アトランダム工科大学では四限目が終わるのは4時40分と決まっていた。 講義が予定通りに終わり、コードとパルスは待ち合わせの場所に向かっていた。 コードとその女の子をふたりにして、何かあってはいけないだろうと立ち会うことにしたのだ。 「分かってくれればいいがな……」 「最近はストーカーとか怖いもんね」 いつの間にか彼らの背後にはクイーンがいて、ケラケラ笑いながらついて来ていた。 「クイーン、そいつとは連絡が取れたんだろうな」 「もちろん。北門で待っててって言ったから、いると思うわよ」 それぞれが見目いいだけに三人連れ立って歩けば目立つことこの上ない。だが今はそんなこと気にしていられないと、少し足早に歩いている。 程なく北門につくと、昨日の女の子が立っていた。ふわふわした亜麻色の髪は夕焼けを受けて金色に煌いている。 「ゆりちゃーん」 「あ、クイーン……」 百合子は友達であるクイーンの姿を見止めて、笑みを浮かべた。が、その後ろにいるコードを見つけて息を呑む。気がついたかと、クイーンは微苦笑して見せた。 「実はね、あの人が話があるって」 「そう……」 彼女はもう、覚悟していたのかもしれない。 パルスとクイーンはふたりで話をと言い置いて、少し離れたところから二人を見守ることにした。 残されたコードは何から話そうと決めあぐねていたのだが、やがて意を決したかのようにポケットの中に丁寧に仕舞われていた手紙を取り出した。 「……これは、返そう」 「カシオペア先輩……」 コードは彼女の手に手紙を握らせた。受け取った彼女はそれをぎゅっと握り締める。 俯く彼女に追い討ちをかけるようで気が進まないが、それでも言うしかない。 コードはゆっくりと唇を開いた。 「……君の気持ちは、嬉しいと思う。好かれるのはいやじゃないが……だが、俺様にはもう決めた女がいるんだ」 「先輩……」 「すまない」 コードがぺこりと頭を下げると彼女は半分泣きながら首を振った。 「そんな、謝らないでください、先輩……私、この気持ちを伝えられただけで充分なんです……」 涙に滲んだ彼女の声が、夕日に溶けていく。 「私、カシオペア先輩と同じ高校で、剣道の試合とかずっと見に行ってました。先輩のこと好きなのにどうしても言えなくて、そのまま先輩は卒業。でも私、諦めきれなくてっ、一生懸命勉強して……この大学にっ」 「……そうだったのか」 「私は後輩の一人で部活とか一緒じゃなかったから覚えていらっしゃらないだろうけど、でも本当に好きでした。言えて良かったです。ありがとうございました」 沈む夕日に背を向けながら、彼女は涙を拭った。 近づいてきたクイーンに肩を抱かれたとたん、彼女は声を上げて泣き出した。 失恋の痛みがじわじわと彼女を襲う。 「……武蔵川さん」 名を呼ばれた彼女はふと顔をあげた。そこに、コードの手が差し出してあった。 「俺様だけが男じゃない。きっと君にふさわしい男がいるだろう……好いてくれて、ありがとう。友達でよければ、その……」 「……っ」 これが彼女に対するコードの最後の優しさだった。 百合子は迷わず濡れた手のままだったが彼の手を取った。 「……ありがとうございました」 綺麗な笑顔だと、そこにいた誰もが思った。 これでコードのほうはあっさりと片付いたのだが、まだ問題が残っている事をこのときの彼は知らなかった。 この四人でなんとなくお茶をし、帰路についていた頃、途中から乗ってきた女子高校生の集団と鉢合わせたのだ。 それは崑崙高校の剣道部員たちで、その中には当然シグナルもいる。 「あれ、パルスお兄ちゃん。コードもっ」 疲れていたはずなのに恋人の顔を見た途端元気になるシグナルに苦笑しつつ、コードは彼女の髪を撫でた。この行為だけで、一緒にいた百合子は彼女がコードの恋人なのだと分かった。 「可愛い人ね」 「そうなのよねぇ。剣道も強いしね」 クイーンは友達を気遣うようにその背中をぽんぽんと叩いた。 「そうだ、あのね、コード。お願いがあるの」 「なんだ?」 「実はね……」 電車の騒音にも負けず話し始めたシグナル。コードは彼女も自分と同じような目に遭っていたかと頭を抱えたのだが、そこに百合子が割って入っていった。 「あの」 「はい?」 「今、小次郎って言いました?」 コードの後輩でクイーンの友達だと紹介された百合子は聞き慣れすぎた名に反応してため息をついた。 「あのバカ……」 「あの、ご存知なんですか?」 年上の女性である百合子に敬語で尋ねたシグナルに、彼女はこっくりと頷いて見せた。 「知ってるも何も、弟です。武蔵川小次郎……」 言われたクイーンとパルスがあっと声を上げた。 苗字が一緒だ。 途中の駅で一人降り、二人降りていき、残った部員はシグナルと呂望だけになった。 そして総勢六人になった一行は地元の駅で降りた。 改札を抜けてそれぞれ岐路に着こうとすると、駅前にひとりの少年が立っていた。 「うわあ……」 一同、やっぱりと声を上げる。シグナルは小次郎が百合子の弟だと分かってからはあまり悪し様には言わなかったのだが、それでもがっかりと肩を落とした。 が、恋する小次郎少年にはシグナルしか映っていないらしい。 「音井先輩! お帰りをお待ちしてました!」 「武蔵川くん……」 「小次郎でいいですってば」 そう言ってシグナルの手を取ろうとした小次郎の腕を、姉の百合子が掴んだ。 「アンタ何やってんの!?」 「姉ちゃん! 姉ちゃんこそ何やってんだ!?」 駅前留学ならぬ駅前喧嘩をはじめた武蔵川姉弟にどうしようかと悩む一同。呂望は帰ろうかどうしようかと迷っている。 「あのね、武蔵川くん。この人、私の彼氏なのっ!」 とりあえず諦めてもらおうとシグナルは小次郎の前にコードを差し出した。 小次郎とて若輩ながら剣を持つ身、コードから漂う只ならぬ気配に思わず怖気づきながらも、だからなんだと言い返した。 「な、なんだよっ、睨んだってダメだぞ! 俺だって音井先輩が好きなんだからなっ!!」 別に睨んでいるわけではないのだが、小次郎から見れば170センチのコードは普通にしていても睨んでいるように見えるのだ。それはパルスも同じで、少年は彼にも食ってかかっていた。 「なんだ!? お前も音井先輩狙いか?」 「いや、私はシグナルの兄だが」 「あ、お兄様で」 態度が明らかに違いすぎると、呂望は苦笑して見せた。 「ほらっ小次郎、帰るわよ!」 姉に引きずられるように連れて行かれそうになった小次郎は百合子の手を乱暴に払うとつかつかとコードに向かっていった。 「〜〜勝負しろっ!」 びしっと人差し指を突きつけ、叩きつけた挑戦状にコードは目を丸くした。 七つも年下の少年に挑まれようとは、見くびられたものであるとコードは苦笑した。 「俺様とか」 ちなみにコードは高校生の時、インターハイ個人戦で優勝したという経歴を持っている。そうとも知らず少年は無謀な勝負に挑んだ。 「音井先輩を賭けて勝負だ!」 「ちょっ……」 ちょっと待ってと言いかけたシグナルの肩を呂望はぽんと叩いて笑った。どうやら面白がっているようだ。 「良いではないか。剣と剣を交えた男の戦いに口出しは無用だぞ?」 「景品にされる身にもなってよ、望ちゃん……」 シグナルが困惑している間に二人の間であれよあれよという間に決戦の段取りが整っていく。 日時は今度の土曜日、場所は中学の剣道場だ。部活をやっているので開いているのだということで決められた。 「負けたほうがシグナルから手を引くんだな?」 「もちろんだ!」 「……いいだろう」 少年の挑戦を受けて立つ、コードがにやりと笑った。 「逃げんなよ!」 姉の百合子に頭を叩かれながら帰っていく小次郎に苦笑するコードとパルス。 当のシグナルといえば気が気ではないらしく、コードの腕を引っ張る。 「ちょっとコードぉ……」 「なんだ」 「……負けないでよ?」 「俺様があんな小僧に負けるとでも思っているのか?」 自信たっぷりに微笑まれ、シグナルは思わず言葉を失った。彼の笑顔がキラキラしくて、また恋に落ちてしまいそうだ。 「コード……」 祈りの形に手を組んでコードを見つめるシグナルからは恋する乙女のオーラが溢れている。 「あ〜あ、あっつい暑い」 見せ付けられてはたまらないとクイーンが手扇でパタパタと自分を扇いでいた。 そして決戦の土曜日がやってきた。 恋人を巡る男同士の戦いと聞いて面白い事が大好きな校長と、顧問である教頭も顔を出している。 「コード、この防具で大丈夫?」 「ああ、問題ない」 コードの身支度を手伝うシグナルの手が不安に震えていた。コードは一度交わした約束は守る男だ、もし不覚を取って負けたならシグナルは彼の手を離れ、小次郎の彼女にならなくてはならない。 あんまり男の勝手が過ぎるといえば過ぎるのだが、時代劇が大好きなシグナルにはそれがズレていることだとは思わないようだ。 「コードぉ……」 「心配するな」 そういってコードは一度だけぎゅっとシグナルの手を握った。 一方の小次郎は姉に叩かれながらの身支度だ。 「カシオペア先輩は強いんだからね!」 「五月蝿いなぁ、大体姉貴がちゃんとあの男を落としてれば今頃俺は傷心の音井先輩とだな……ウフフフフ」 「ダメだわ、こいつ」 「なんだよ、姉貴だって俺が勝ったほうがいいだろうよ」 「そりゃそうだわ……って何言わせんのよ!!」 軽くトリップしかけた弟の頬を引っ張って正気に戻す姉、百合子。 確かに弟の言うとおりだけど。 「私はもういいの! さ、潔く負けてらっしゃい!」 「それが弟に言う言葉か!」 それだけ言い残し、コードと小次郎は道場の真ん中に立った。 審判には中立を保つべく、教頭の童虎がついた。副審には天化と呂望が対角線上に並んでいる。 「では、一本勝負だ」 互いに礼をし、竹刀を構える。 流石に全国制覇を経験しているコードはかつて剣鬼と称えられ恐れられただけのことはある。彼には一部の隙もなかった。 獅子は兎を倒すのにも全力を尽くす。 勝負は一瞬で決まった。 全く動こうとしなかったコードを隙だらけと判断した小次郎が面を狙って竹刀を振り上げた刹那。 ダンッと音を立てて踏み込まれたコードの一歩。 剣道場を支配した静寂。 コードの竹刀は鮮やかに小次郎の胴を払っていた。 「なっ……」 主審も副審もその見事な剣裁きに一瞬何が起こったのかわからなかった。が、すぐにコードの勝利を示すべく白い旗を揚げる。 途端、わあっと歓声が上がった。 だが誰もその場を動こうとしなかったのはまだ試合の終了を知らしめる礼をとっていなかったからだ。 真剣に立ちあった二人が元の場所に戻り、礼と頭を下げるにいたり、ようやく全員が動き出す。 「コードぉおおおお」 「負けるはずがないと言っただろう」 面を外し、胴衣を脱いだコードにシグナルは泣きながら抱きついた。まるで時代劇のワンシーンでも見ているかのようだ。 「こら、離れろ」 「やだ」 後輩たちが取り囲んでいる中で、コードはシグナルを引き剥がそうと必死だが、シグナルも離れまいと一生懸命だ。一部の女子部員が感動のあまりもらい泣きしているのをみて、コードはさらにぎょっとする。 「な、なんなんだ!?」 「うっ……なんかすごい感動しちゃって……」 「いいなぁ、羨ましいなあ、音井先輩……」 一人泣き出すと、感動しやすい女の子たちはあっという間にしくしくと泣き出した。 女の連帯感は怖いとコードは思った。 一方の小次郎といえば悔しさのあまり唇を噛み締めていた。こぼれそうになる涙は慌てて袖で拭う。 真剣勝負で負けたのだから、悔いはない。 そんな彼を出迎えたのはクイックと百合子だった。 「コードさんは強いって言っただろ?」 「……おう」 「もう諦めるのよね?」 「おう……」 小次郎はコードとシグナルをちらっと見た。仲睦まじそうに微笑む彼らの間に入る余地がないことを思い知る。それは百合子も同じだった。 「私たち、そろって失恋ね……」 「…………」 小次郎は何も言わなかった。言えなかった。 ただ自分は負けたんだという事実だけが残った。 「コードさん」 少年の声にシグナルとコードはぱっとそちらに顔を向けた。彼の顔はほんの少し濡れていて、下唇を噛んでいた。 「……負けたよ。音井先輩はアンタに任せるよ」 「小次郎くん……」 するとコードはそっとシグナルを離し彼の前に手を差し伸べた。 「太刀筋は悪くない。鍛錬を重ねれば強くなれる」 「……ああ」 少年といえども男は男。コードと小次郎は互いの健闘を称えて握手を交わした。 この出来事はやがて伝説となって剣道部に代々語り継がれていくのだった。 が。 翌月、今度は呂望を追い掛け回した小次郎が天化に返り討ちにあうにいたり、また微妙な伝説が増えたことをここに明記しておく。 とりあえず、コードとシグナルはもとのまま。 いつものようにカシオペア家の前にコードを迎えに行き、一緒に駅に向かうところから二人のデートはスタートする。 コードの腕にぎゅっと抱きついて、離れろ離れないの大騒ぎ。 「あー、あれコードさんと音井先輩さ?」 「相変わらずのラブラブっぷりじゃのう……」 いつのまにか自分より背が高くなっている天化の腕にぶら下がる呂望は、実は小さな胸を気にしている。 シグナルのようにふわふわでぽよぽよしている、適度な大きさのものがあればこうやって抱きついても楽しいだろうにと思う。 じーっと天化を見上げると彼は空いていた片手で呂望の頭をよしよしと撫でた。 「……行こうか」 「うん!」 呂望もシグナルに負けずに天化との仲は睦まじい。 「シグナル、こら離れろって、歩きにくいだろうが!!」 「やだやだ、絶対離れないっ!」 「せめて腕から離れろ……手は繋いでやるから」 コードからの最低限の妥協案に、シグナルはしぶしぶ納得して腕から離れた。 「ほら……駅前までだからな」 「……うん!」 彼女の温かさを腕から手に変えても、心地いいことに変わりはなくて。 「ねぇ、コード」 「ん?」 手を繋ぎ、並んで歩いていたシグナルが可愛らしい笑顔でコードを見つめながら言った。 「この前の試合、かなり本気だったよね?」 この前の試合とは、コードと小次郎がシグナルを賭けて戦った先週の日曜日の出来事である。 コードは少し顔を背けて呟いた。 「……まあ、あんな小僧に虚仮にされるのが気に入らんかっただけだ。それに挑まれた以上引けんだろう」 「そっか」 シグナルはそれ以上は何も言わなかった。 彼の言っている事は半分くらいは本当だ。だけど自分のためとは言わないこともシグナルはちゃんと知っている。 シグナルは嬉しそうにコードの手をぎゅっと握る。 「こら、引っ付くな」 「いいじゃない……誰も見てないもん」 彼女の言葉にコードがふと立ち止まる。そしてシグナルをくるりと抱き込んで電光石火で柔らかい唇を食んだ。 「んっ……」 触れ合うだけのキスでも充分。シグナルはまだ16歳の高校生なんだという事実がコードの理性を働かせる。 だけど離れてしまうその瞬間まで慈しんで。 「コード……」 「誰も見ていないからな」 そういうとコードはシグナルの額にも軽く唇を押し当てた。 「ほら、行くぞ」 「う、うん……」 再び手を繋いで歩き出す。 紅葉が舞う道端、その先に何があるのだろう。 藤の花はただ桜の君のために 桜の花はただ藤咲く夏を待ち望んで 最強の両思い 思うのは大事な恋人のことだけ 恋愛的領域再征服――完了! ≪終≫ ≪ついに領土再征服完了≫ えー、リクエストをいただいていました、コーシグIFものです。それぞれに狙われるんだけど結局この二人の間には入れないよ、という感じでお願いされてた……と思う。 これでよろしいですかねぇとびくびくしてみますよガクブル(((((;゚A゚)))))ガクブル あ、あと出張キャラの補足 呂望、天化、普賢は『封神演義』から。童虎は『星矢』からの出張です。武蔵川姉弟はオリジナルで(これもリクエストにあったのです)。 あの、本当にこれでいいですか|д゚)? 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