アガパンサスの7月



告白の場所は新緑の木漏れ日
届いた思いを彩るように
そこに咲いてね、アガパンサス



「ほえ。なにこれ」
「なにって、お花だよ。わかるでしょ?」
「お花だってことくらいわかるよ」
恋人からの突然の贈り物にシグナルはきょとんとしていた。細い腕に抱かれているのは紫を基調とした花束だった。シグナルにはわからないが、その花束はアガパンサスを中心に瑠璃玉薊とデルフィニウム、それをさらに囲む形でカスミソウが構成されており、淡い水色のラッピングが施してある。
誕生日でもなんでもないのにこういうのもらっていいのかな?
そんなことを思いながらシグナルは花束を見つめていた。それでも物をもらった以上、礼を言わねばなるまい。シグナルは目の前でにこにこと微笑む恋人に最上の笑顔を向けた。
「…ありがとう、オラトリオ」
「どういたしまして」
恋人は男くさい顔でにっこり笑ってくれた。
シグナル――<A-S SIGNAL>は最新型のAナンバーズのロボットである。そして彼女の恋人もロボットで<A-O OR ATORIO>といい、シグナルの一番上の兄である。が、オラトリオには特殊な事情があるし、なによりロボット同士ということもあって兄妹でありながら恋人という関係がまかり通っている。
「でもなんで? 私誕生日じゃないよ?」
シグナルは小首をかしげる。お花をもらったことは確かに嬉しいが、理由がない。
オラトリオは微苦笑すると可愛い恋人をソファに座らせた。
「恋人のところに来るのに手ぶらじゃいけないでしょ?」
「そういうものなの?」
「そういうものなの。だから気にしないで受け取っていいんだぞ」
「ふーん…」
起動して日が浅いシグナルはこういった世間の機微に疎い。特に恋の駆け引きとなるとその疎さは脱力するほどに微笑ましい。16歳という年齢設定に中身が追いついていないためにクリスやエララといった同世代の女の子からこういうものだと聞かされては赤くなったり青くなったりしている。今もこのように恋人からレクチャーされ、そういうものかと納得している次第である。
オラトリオにしてみればシグナルのこういう一面は非常に新鮮なのだ。起動してから華々しい女性遍歴を重ねてきた彼だけに何をしても何を言ってもきょとんとするシグナルの反応はじれったくもあったが、いちいち可愛いと思ったものまた事実だ。
シグナルはじっと花束を見つめていた。紫色の花の名はおろか、込められた意味さえ知らずに。
「きれいな花だね」
「喜んでくれてお兄さんは嬉しいよ」
「うん、大事にするね」
よほど嬉しかったのだろうか、シグナルは花瓶には生けずにまだ大事そうに花束を抱いていた。
そんな彼女を眺めていたオラトリオが、一瞬こわばる。オラトリオの異変に気がついたシグナルはそっと顔を覗きこんだ。
「オラトリオ…?」
目を閉じ、額に手を当てるオラトリオ。彼はそのまますっと立ち上がった。そしてさっとシグナルを振り返る。青菫の瞳を細め、シグナルの偏光する紫の髪をそっと撫でた。
「…仕事だ」
シグナルははっと立ちあがる。
仕事の一言でシグナルにはわかった――オラトリオがこれから何をするのか。そして…。
リビングを出て行くオラトリオの後姿を見送る。そして慌てて追いかけた。
「オラトリオ!」
呼ばれても、彼は歩むのをやめなかった。それでもシグナルはかまわずに追いかける。研究室の前で追いつき、彼に言葉をかける。
「オラトリオ…気をつけて!」
研究室に入る前に、オラトリオは右手の親指を立てた。それだけ見て、シグナルはほっとした。
大丈夫…大丈夫。きっと…ううん、絶対大丈夫。



<A-O ORATORIO>が情報処理専門の機体である、というのは間違いではない。しかし彼の存在を示すにはあまりに端的な表現ではある。
彼の本来の存在理由は<ORACLE>の守護者でありスペア、ということだ。
ネットホスト用超AIコンピューターであり、学術期間専用閉鎖空間である<ORACLE>を侵入者やウィルスから守ること、そしてオラクルが機能停止した場合、シフトチェンジされる。これがオラトリオの存在である。
シグナルはこの事実を聞かされたときのショックを今でも忘れない。まるで我がことのように涙がとめどなく流れた。
――可哀想だと思った。なんでオラトリオが、と思った。ほかの誰ならいいというわけでもなかったけれど、それでもなぜ、と。
通り一遍の防御プログラムを作ってもその上を行く侵入プログラムが作られれば意味をなさなくなる。そしてまた防御プログラムを作り、さらに侵入プログラムを…と、いたちごっこになってしまう。そこで防御しつつ、新しい侵入プログラムに対処するべき人工知能を持ったロボットの開発がなされた。
それが俺さ。
オラトリオはそういって自虐的な微笑を浮かべた。
――悔しい、と思った。この兄のためにしてやれることが、自分にどれだけあるのだろう。
初めて電脳空間に降りたときも、自分の姿は小さくなってしまい、結局足手まといになった。みんなは――ロボットみんなは初心者なのによくがんばったと言ってくれるけど、彼女自身は納得できなかった。
泣いて強くなれるわけじゃないけど、泣きたかった。
悔しくてこぼす涙をいつか強さにしたくて。

そんなときだった。この『恋』が始まったのは。
シグナルは与えられた自室でオラトリオを待った。みのるに花瓶を出してもらい、自分で生けた。
あのとき泣いていた自分を、たくさん仕事を抱えていて忙しいだろうにオラトリオは散歩に連れ出してくれた。
「オラトリオ…いいの? お仕事たくさんあるんでしょう?」
「何言ってるの、可愛いシグナルちゃんが泣いてるのに放っておけないでしょ?」
ちゃっとLサインを切ったオラトリオはいつもの彼だった。呪われた言葉を吐き、戸惑うことなく自分を傷つける彼はそこには微塵もいなかった。
――隠してる。
シグナルはそう思った。けれどそうしてオラトリオが自身を保っていることも悟った。そして、やはり自分がオラトリオのためにしてやれることが何一つとしてないことも知った。
シグナルは立ち止まった。そしてまたぽろぽろと声も立てずに涙をこぼした。
少し先を歩いていたオラトリオも立ち止まって振り返った。泣いている彼女を見ても、驚かなかった。そのかわりとても辛そうな顔をしたのに、シグナルは気がつかなかった。
次の瞬間、シグナルは近づいてきたオラトリオにすっぽりと抱きしめられていた。
シグナルは驚いて顔をあげた。そこでやっと苦しそうなオラトリオに気がつく。
「お、オラトリオ…」
「…俺のせいで泣いてんのか?」
「え…」
呟いたそのとき、オラトリオの唇がシグナルの目のふちに触れた。
抱きしめられていることと、瞼に口付けられたことでシグナルは真っ赤になった。でもそんなことより泣いていた理由を悟られたことにシグナルは驚いた。
「俺のせいなんだろ?」
「それは…」
重ねて問いかけられ、シグナルは口篭もる。目の前に広がるアイボリーが再びゆがみ始めた。
「悔しいの…」
「悔しい?」
「私…何もできないから…」
オラトリオの腕に抱きしめられて、シグナルはぽつりぽつりと告白した。
「みんな…みんな苦しんでるのに、私何もしてあげられないもん…それが悔しいの……」
アトランダムは長いことシールドされていた。コードはずっと独りだった。ユーロパは偽の記憶を植え付けられて恨まなくてもいい人を恨んだ。カルマはリュケイオンという重圧に耐え兼ねて暴走した。オラクルは電脳空間から出られない。パルスは戦闘型としての自分を求めて苦悩した。
そして、オラトリオは。
「…何を言ってやがるんだ。みんなおまえが助けたんじゃねえか」
「そんなことない…」
「いいや。おまえのおかげで救われてる」
アトランダムとユーロパは新しい道を見つけて二人で歩み始めた。コードは自分を相棒として迎えてくれて、一人ぼっちじゃなくなった。人を傷つけたカルマはようやく自分のあるべき道を見つけて戻り始めたばかり。オラクルは相変わらずだけど、まめに顔を出してあげると喜んでくれる。パルスは戦闘型として確立し、それでも兄弟の絆を知った。
それはすべてシグナルがなしたことだった。
彼女に自覚がないだけで、シグナルは確実にひとつひとつ、何かを変えていた。
オラトリオが一つ一つあげてくれる事象にシグナルは小さく頷いた。そして自分のしたことが誰かを助けたということに安心したのか、徐々に笑顔が戻る。
「なぁ、シグナルちゃん」
「なあに?」
「俺のことはさ、どうしようもないんだよ。<ORACLE>の守護者でスペアだってことは変えられねぇ」
「…うん」
シグナルは静かに頷いた。
「それをいやだとか、辛いとか言ってもしょうがないことも知っている」
「オラトリオ…」
オラトリオはわずかにシグナルを離すとその肩をつかんでじっと見つめた。紫水晶の瞳に真摯な男の顔が映る。
「だからな、シグナルちゃん。俺がちーっと落ちこんでるときに慰めてくんないかな」
「…そんなことで、いいの?」
オラトリオは黙って頷いた。それからシグナルは少し考えた。上目遣いでオラトリオを見る。
「で…どうしたらいい?」
「ん?」
「どうやって、慰めてあげたらいいの?」
「ああ、それはな」
オラトリオはシグナルに目を閉じるようにいう。彼女は言うとおりにした。
そして、唇に触れてきた温かいものを感じた。

――オラトリオが、キスしてる…。

テレビのドラマなんかで見たことがある。でもシグナルはキスしたことがなかった。彼女は驚いて目を開ける。
オラトリオにキスされていると自覚したシグナルは真っ赤になっている。けれどなんの抵抗もなく再び目を閉じた。
「シグナル」
シグナルはゆっくり目を開けてオラトリオを見つめた。
「…好きだよ、シグナル」
オラトリオはぎゅっとシグナルを抱きしめた。
「好き…?」
「…好きだよ。これから…恋人として俺のそばにいてほしい」
「恋人…」
その言葉はシグナルの中で不思議と優しく響いた。これまで『姉』として、『妹』として、あるいは『友達』として求められることはあったけれど『恋人』はなんだかとても特別な感じがする。
オラトリオは『妹』である自分を『恋人』として求めてきた。
「私は、オラトリオの妹だよ?」
「そうだな。でもロボットだし、そのへんを気にしないとしたら、どうだ?」
私の、気持ちは―――。
「…兄妹とか、そんなこと気にしないとしたら…私、オラトリオのこと…好きだよ、多分」
まだ、確信が持てない。だけど時間をかければきっと変わると思う。おずおずとオラトリオを見上げると、彼は優しく微笑んでいた。
「ありがとう」

きらきら光る木漏れ日の中で、見つけた。
自分が為すべきこと、愛すべき人――気持ちのいい、時間。
いつかきっと、私だけのものになると信じて――。




レースのカーテンが風にゆれている。
オラトリオはまだ戻ってこない。
長引いているのだろうか、それとももう終わって、<ORACLE>でひと段落ついているのだろうか。
このまま待っていたほうがいいのか、それとも電脳空間までいって確認したほうがいいだろうか。
悩んでいるとドアをノックする音が聞こえた。
期待に胸を膨らませ返事をすると、ぬっと入ってきたのは待ち人。
「たでーま。シグナルちゃん」
「お帰りなさい。大丈夫だった?」
入室と当時に抱擁を求められたオラトリオは躊躇わずに小さな恋人を抱きしめた。この子はどんな思いで自分の帰りを待っていてくれたのか、それを思うだけで自然と腕に力がこもる。
「大丈夫だよ。シグナルちゃんががんばってって言ってくれたから」
「よかった」
えへへ、とシグナルは笑う。
それからふと、思い当たったようにベッドサイドに飾った花を見た。
「ねぇ、オラトリオ」
「ん?」
「この花の名前、教えて」
そういうとシグナルはオラトリオに促されるまま。オラトリオはベッドの脇に腰掛け、そのひざの上にシグナルを座らせた。白い手袋に包まれた指が花を指し、空いた片手はシグナルの背中に回され、彼女を支えている。
「この長いのがデルフィニウム。花言葉は“清明”」
「花言葉って、何?」
「わかりやすく言うと花からイメージされる言葉…かな? 自分で言えない気持ちを伝えてもらったりするんだ」
「ふーん、そうなんだ」
「で、この丸いのが瑠璃玉薊で、花言葉が“鋭敏”」
「うんうん」
薊の花はちくちくした針のような形をしている。鋭敏という言葉が似合う気がした。
「そしてこのラッパみたいな花がアガパンサス。紫君子蘭っていって、蘭の一種だな」
よくわからないけど、シグナルはオラトリオの説明を楽しそうに聞いていた。こうやって笑ってくれるオラトリオのほうが、好き。
シグナルはなんだか嬉しくなった。
「オラトリオ」
「なにかな?」
「私ね、そうやって笑ってるオラトリオが好きだよ」
そう言うとシグナルは伸び上がってオラトリオの頬に軽く口付けた。オラトリオは呆然とシグナルを見つめている。あんまり呆然としているので今度はシグナルが不安になった。
「あ…怒った?」
オラトリオがわなわなと震えたと思った一瞬、彼は喜色満面に愛しい恋人を抱きしめた。
「…〜〜〜なんつー、可愛いことをっ」
「うにゃぁぁ〜〜〜」
とたんにシグナルはオラトリオに抱きすくめられる。そしてご機嫌なオラトリオのキスを受ける――額に、瞼に、頬に。
「いやっ、くすぐったいっ」
それでもオラトリオはやめようとしない。むしろシグナルの細い腰を抱き寄せて幾度となく口付けている。
「やだっ…やめてぇ」
「…可愛い」
ようやくキスから解放されはしたものの、シグナルはなおもオラトリオの腕の中にいた。顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「そーゆーとこは…嫌い」
「どーゆーとこ?」
「い、いきなりキスするとこ…」
シグナルは未だにキスになれない。好きだからキスをする、それは嬉しいけどやっぱりちょっと恥ずかしい。
ぎゅっとしがみついているシグナルがますます可愛らしい。
「じゃあ、いきなりじゃなかったらいいんだな?」
「え…」
「シグナル」
シグナルはそっと顔を上げた。あの日のように真摯な瞳が自分を見つめている。そして気がついた――オラトリオが自分を呼び捨てにするときは真剣に何かを、自分を思っているときなんだと。
シグナルはゆっくり目を閉じた。
ちゅ、と軽い音がして後はそっと触れているだけ。少し角度を変えて触れ合うとぽやぽやした優しさに包まれる。
こーゆーところは、嫌いじゃない。
「ぷはぁ」
長いキスのあと、シグナルはわずかながらに乱れた呼吸を整えた。
「シグナルちゃん、息止めてなくてもいいんだぞ」
「え…そーなの?」
「そ」
またわからないことが一つ増えた、とシグナルは思った。でもきっとオラトリオが教えてくれる、とも思った。それとも自分での努力するべきかな、とも。
「練習したほうがいいのかな…」
シグナルの何気ない呟きにオラトリオは過剰とも思える反応を示す。
「練習って…キスのか?」
「うん」
悪気のない返事はさらにオラトリオを困惑させていることにシグナルは気がついていなかった。
「…誰と?」
「う〜ん、誰なら教えてくれるかな〜〜」
と真剣に考え始めるシグナルにオラトリオは苦悩する。ここまで天然だったとは…。
「シグナル…練習しなくていいからな?」
「そう?」
「キスをするのは、一番好きな人とだけなんだからな」
「あ、そっか」
たはは、と苦笑するオラトリオが、シグナルにはやっぱり不思議に映っていた。



「あ、そういえば」
数日経ってももらった花は元気に咲いていた。オラトリオは監察官として仕事に赴き、日本を離れていた。
だからシグナルはアガパンサスの花言葉を聞きそびれていた。
知りたいけど、どうやって調べたらいいだろう―――そうだ、<ORACLE>にきいてみよう。
シグナルは自分の考えを誉めると電脳空間へと急いだ。
闇に落ちると声がする――自分を導く声が。
「やっほー☆オラクル」
「やぁ、シグナル。久しぶりだね」
ノイズ色に光るオラクルはオラトリオと同じ顔だという。でもオラクルのほうがおっとりしている分あんまり似てないと思う。
「あれ、今日は誰もいないの?」
「うん。シグナルが一番乗りだよ」
「そうなんだ」
シグナルはカウンターに向かって腰掛けた。
「あ、そうだ。ねぇオラクル」
「なんだい?」
オラクルはいつもにこにこと対応してくれる。
「あのね、花言葉がわかるのってある?」
「花言葉? あるけど」
「貸してくれる?」
<ORACLE>では閲覧可能なものしか見られない。シグナルはAナンバーズだからここに来るのはフリーパスだがデータの閲覧においてはそうはいかない。もっともシグナルにとってはオラクルからデータを借りるのでお伺いを立てているに過ぎないのだが。
オラクルが快諾して一冊の小さな本を取り出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、オラクル」
シグナルはにっこり本を受け取るとオラトリオがくれた花の名前を思い出した。不思議とはっきり思い出せる。
「えーっとぉ…アガパンサスっていってたっけ…」
五十音順に並んでいるのでアガパンサスはすぐにみつかった。
アガパンサスは南アフリカ原産のユリ科の花だ。花柄が長いために軽やかでデリケートに見える。
「花言葉は…あ」
花言葉は――“恋の訪れ”
ギリシア語の愛と花を結びつけて“アガパンサス”という。
自分たちのもとにそっと、でも鮮やかに確実に訪れていた恋。
オラトリオも嬉しかったのだ――誰も愛せないはずだった。その寂しさを紛らわすためにいろんな女性と交際もしてきた。でもやっと見つけた――自分だけの恋の花を。
きっと今、オラトリオは幸せになろうと努力している。自分の運命を知っているからこそ戦おうとするオラトリオはこの花に思いを託したんだ。
「オラトリオ…」
「呼んだ?」
背後から不意に抱きしめられ、シグナルはわたわたともがき出す。
「呼んでないよぅ〜〜」
「そっかー?」
それでも久しぶりの再会は嬉しかった。
「オラトリオ、重たいよ〜〜」
「そいつは失敬。隣いいかな?」
「うん」
シグナルはオラトリオが離れたのかなんとなく寂しかったけれどすぐ横に来てくれたのでどうでもよくなった。自他ともに認める長身の美青年に視線を送っている。シグナルに想いを寄せているオラクルにはそれがなんとなく癪に障った。
「何してるんだ?」
「あのね、花言葉を調べてたの…」
「花言葉?」
「アガパンサスだけ、聞き損ねたから」
言われてオラトリオはぽんと手を鳴らす。確かにあのときあまりにも天然すぎたシグナルにいろいろレクチャーしていて教えるのを忘れていたのだ。
「だから調べてたの」
「そっかー、えらいえらい」
「えへへー」
無邪気な笑顔はやっぱり可愛い。オラトリオもオラクルも見ていて幸せになる、と思った。
「せっかく来てくれたんだし、お茶を淹れてあげるよ」
「あ、手伝うよ」
そういって席を立つシグナルをオラトリオは不思議と黙って見送った。
「あ、なんか光源氏の気分…」
できれば、自分好みのシグナルに育ててみたい、と思わないでもない。しかしながらオラクルとふたり奥に消えたのは気になるもののつまらない嫉妬で彼女の経験を妨げてはいけない、と唯一残った理性は言った。
「オラトリオ、お待たせ〜♪」
レディグレイが優しく香り立つ。シグナルも自分のお茶を持ってもといた場所に戻る。
シグナルは嬉しそうに目を細めて紅茶を口にしている。じっと自分を見つめているオラトリオに気がついてシグナルは紅茶を手にしたまま尋ねた。
「どーしたの? 美味しくない? 今日は私が淹れたんだけど…」
そういうとオラトリオは大丈夫だよ、と笑ってくれる。
「なぁ、シグナルちゃん」
「なあに?」
「…素直に、可愛く育つんだぞ」
「…ほえ?」
オラトリオの言うことは時々難しい…シグナルは小首をかしげたままオラトリオが自分を撫でるのを甘受していた。



生まれたばかりの自分に生まれたばかりの恋。すべてがうまくいくとは思わないけどきっとうまくいく、そうなれるよう、努力しよう。
そして――あなたを支えられるようになりたい。

 

「恋の訪れ…か」
シグナルが帰ったあと、オラクルは彼女が見ていたページをそっと開いた。オラトリオは相棒の視線をさらっとかわすと椅子の上にふんぞり返った。
「言っとくけど俺は、正々堂々とシグナルちゃんに告白して、OKしてもらったんだからな」
「で、この花を贈った。と」
「そゆこと」
浮かれきったオラトリオは腹の立つくらい幸せそうな笑みを浮かべている。オラクルはふうとため息ひとつ、カウンターの上に書類を出した。
「でも仕事はいつもどおりだからな」
なんだか癪に障るのでいつもの倍はあるけれど、オラクルいわく『いつもどおり』。
「これでいつもどおりかよ!」
壁のようにそそり立ち、互いの姿を隠す書類にオラトリオは閉口する。明らかに八つ当たりだとわかってはいるがもはや何も言うまい。
「なんたって俺にはシグナルちゃんがついてるもんな♪」
「いいからさっさと仕事しろ」
片付けないと永遠にシグナルに会えない、オラトリオはそんな気がしてファイルをひとつ開いた。


「恋の訪れ…かぁ」
この小さな蘭の花は淡い紫色をしている。
帰り際にオラトリオが言っていた――この花は、私に似てるって。
「…小さくて、紫色ってことかな?」
シグナルはそっと花に触れた。
いつか枯れ落ちてしまうけど、この気持ちはずっと胸の中にある。
大事に、大事に育てていこう。
「オラトリオ、今何してるのかな…」
大切な恋人が大切な友人と一枚の書類をめぐって喧々囂々言いあっていることなど知らないシグナルは花を見つめて幸せそうに微笑んだ。





永遠の春に恋が訪れて、この花が咲きました。
大好きなあなたへ捧げます――アガパンサスを。








≪終≫






≪言葉に出来ない…≫
Σ( ̄■ ̄lll)うぐはぁ。Ot×S♀のなれそめ〜。タイトルはあんまり意味ないよね。7月とか銘打っておきながら7月関係ないし(笑)。
アガパンサスは本当に可愛い花なんで如月は好きなんですけど本当にシグナルみたいですよ、きれいな淡い紫だし。
うちのオラトリオは他人にはものすごく厳しいのにシグナルに絡むと馬鹿みたいなんですよね、なんでだろう…。シグナルがいつになく可愛くなってるし…。
いや…ほんと…なんか申し訳ない…(←何謝ってんのさ・笑)注: 文字用の領域がありません!

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