だから恋は不思議 ふたりの時間がようやく増えたら なぜなんだろう、気持ちは少しずれて 特別アブナイ気配はないけど そのかわりめくるめく絶頂感もないよね? 「あのさー、オラトリオ」 「あん?」 「これで15回目だけど…キスするの」 「…よく数えてたな」 薄い紫色に輝く恋人を腕に抱き、少し屈んでキスをする。音井家、昼下がりのリビングで幾度となく繰り返される口付けに辟易した恋人の訴えにオラトリオはただその肩を抱いて考えていた。 「…キス、いやか?」 「いやじゃないけど…なんかあったの?」 「んにゃ。別に…」 けど、なんだろう、この違和感。恋人は自分の腿にちょこんと手を乗せてじーっと見つめてくる。 「なあ」 「なに?」 「…キスさせて」 「…いいよ」 キスは嫌いじゃない、ほのかな温かさと気持ちを伝えあうこの行為はいつだってしていたい。 ――平和ボケ…かねぇ。 ここんとこ<ORACLE>への侵入者も出ないし、血沸き肉踊るような事件もない。恋人とゆっくり過ごす時間だけがある。 「ねえ、オラトリオ…」 「あん?」 「…退屈だね」 「…そーだなぁ」 昔は――恋人が生まれて間もなくは一緒にいられることだけ望んでいた。 世界初のMIRA製HFRである恋人――シグナルはその性能ゆえに、あるいは愛らしさ故にいろいろな事件に巻き込まれ、毎回やきもきしたほどなのに。思いが通じ合って、体を重ねるようになってからも次に会えるのはいつだと約束さえできないほど多忙な日々。 満足に会えなかったあのころはほんの僅かに触れ合うだけでよかった。 手を繋ぐ、見つめ合う、キスをする。そんな簡単なことでも満たされたのに。 「別に退屈しのぎにキスしてるわけじゃあねーんだけどねぇ…」 「お散歩でも行く?」 「…そーだな、気分転換でもしましょか」 風光明媚なトッカリタウンは小高い丘陵地であり、その地形独特の天候を持つ。季節は夏だが市街地に比べると断然涼しい。シンガポールの照りつけるような熱さとは違う、爽やかな風がふたりを柔かく掠めていく。新緑がきらきらと光を零し、蝉の声が短い命を謳歌するように自己を主張し続ける。 偏光する紫の髪を揺らしながら歩くシグナル。可愛い恋人はどこでどうしてたって可愛い。自分の気持ちが冷めてきたならキスしたいなんて思わない。 ひまわりが揺れる、ゆーらゆら。自分の気持ちもゆーらゆら。 シグナルと恋人同士になって、自分の中のいろんな感情に気づかされた。誰かを愛すること、愛したいと願うこと。その人のために生きていたいと思うこと、会いたいと思う人がそばにいること。その安らぎと至福、戸惑いと不安。 全部、シグナルが教えてくれた。 「そっか…」 シグナルに聞いてみればいい。 「なあ、シグナル」 道端の子犬と遊んでいたシグナルはゆっくりと振り向いた。子犬は飼い主に呼ばれててけてけと走り去ってく。 「…なあに?」 「ちょっとな、聞きたいことあんだけど」 「なに?」 ふたりは草の上に腰をおろした。 「なんかさー、最近つまんないよな。退屈っちゅーかなんちゅーか」 「うーん、それは私も思ってた。平和がいいっていうのは当たり前だけど」 それでもシグナルは家事を手伝ったり信彦の面倒を見たりして日々を暮らしているわけだが繰り返される日常に飽きてきたもの事実だ。最近はオラトリオがべったりなのでさらに拍車をかけている。 「でもドンパチやりたいわけじゃないんだよな」 「うん…」 「…なんか、こう、もやもやしてんだよな。なんていったらいいか…」 「マンネリ化してる?」 「そう、それ!」 ふたりの時間がようやく増えた。やっと恋人とゆっくり過ごせる時間ができた。でもできたらできたでどうしたらいいのかわからない。女誑しで百戦錬磨のオラトリオなのに、これまでの多忙さがたたってしまった。 「どうしたらいいかわかんねぇ〜〜」 「…なんかしたいの?」 帰ってきたのは単純な一言だった。 ――なんかしたいの? 時間ができたら何かしたいことがあったのだろうか。会えない時間が多かったときは、会えるだけでよかった。別にしたいことなんてなかった。 「私はオラトリオと一緒にいられるだけで充分だけどな。退屈だけど、それもいいじゃない」 退屈なときは退屈さを謳歌しよう。いずれ退屈しなくなるかもしれない。 「シグナル…」 小さな一言ではっと開眼させてくれる。肩を抱けばそっと目を閉じてくれる。触れれば応えてくれる。 「これで19回目だよ」 「じゃあ記録作りますか」 と20回目。 また今日も君に教えられたね 「シグナル…」 「なに?」 「まだ数えてっか? キス」 「…もう無理だよぅ」 「だろうな」 肌を合わせながらのキスは回数を数えることさえどうでもよくなるほどの熱を孕む。絡むように侵入してくる舌に逆らうようにすれば追いかけられる。こういうのも嫌いじゃない。 「んっ…」 熱い情事のあとの一休み。シグナルの細い体を傍らに抱き、オラトリオはご満悦でキスの雨を降らせる。 「くすぐったい」 「そーゆーなって」 身を捩って逃げようとするけれど、シグナルも満更じゃないらしい。 「くすぐったいってば〜」 「あーっ、もう、可愛い!」 「ひゃあっ♪」 シグナルはがばっと抱きすくめられるもの、好き。軽く触れるだけのキスをして、オラトリオはじーっとシグナルを見つめた。 「…なあ」 「なに?」 「…もっかいしたい」 「…うん、私大丈夫だからいいよ」 そう言ってぎゅっと抱きしめてきたオラトリオの背中をぽんぽんと叩く。するとオラトリオはなんか違う、と顔をあげた。 「いや、そうじゃなくってさ」 「だから何? 今日のオラトリオ、なんか変だよ?」 「あー、いや、だからさ」 「だーかーらー、何? いい加減にしないと怒るよ」 むうと顔をゆがめたシグナルに、なんといったらいいものか。昼間と同様、こうして体を重ねる行為もだんだんマンネリ化してないか、と思ったなんて言えなくて。 「私のこと、嫌いになった?」 「そんなことは天地がひっくり返ってもありえねぇ」 「じゃあ何? 何が不満なのかいってくれなきゃわかんないよ」 「不満…ってなぁ〜」 あるとすれば。 「…俺のこと、好きか?」 「好きだよ」 嫌いなら、こんなことしない。 「俺も好きだよ」 「うん…」 何の違和感も持たずに頷いてくれる恋人が可愛いやら切ないやら。 「けどさ…なんつーかな。好きなんだけどこう…物足りないっていうか…」 「それ、昼間も言ってた」 「うん」 シグナルの指摘に頷かざるを得ない。するとシグナルはオラトリオの腕をするりと抜け出して身を起こした。偏光する紫の髪をかきあげ、首筋に空気を入れる。ともすれば絡まりそうな長い髪を手櫛で整えながら腰のあたりに抱きついて甘えるオラトリオをなでる。彼女の体は柔らかく温かい。 「私に飽きたんじゃないの?」 「んなわけねーだろ!!」 シグナルのあまりといえばあまりな言葉にオラトリオはがばっと起き上がる。その勢いにちょっとびっくりしながらもよしよしとなでてやる。まるで大型犬でもあやすようだがこれで落ち着いてしまうオラトリオだったりする。 自分の気持ちがわからなくてやきもきしてたオラトリオに、そろそろ教えてあげてもいいかな、なんて。 蜂蜜色の髪をなでてあげながら、シグナルははんなりと微笑んだ。 「じゃあ贅沢になったんだね」 「ぜーたく?」 「そ。私のことなんでも知っちゃったように思ってるんだよ。全部手に入れたって思ってるでしょ」 「…違うのか?」 呆けるオラトリオの鼻先を小さく弾いて。私はずっと、『このままの私』じゃないことを忘れてない? 「違うよ。私にはまだオラトリオに教えてないこと、あげてないものいっぱいあるよ? それ、ほしくない?」 「…欲しい」 「じゃあ探して。そしたらきっと退屈しなくなるから」 それはきっと、永遠に続く宝探し。 『私』はずっと『私』だけど、かわっていくんだよ。 変わらないのは君への思い けどその強さは大きさは、そしてときめく要素は ずっとずっと変わり続けてる――。 探して、そして見つけて 君だけの新しい『私』を 「…すっきりした?」 「ん〜〜、まだだな」 「まだ?」 「もっかいやったらすっきりするかも♪」 「…馬鹿」 こーゆーもの、好き。結局好き。 優しく抱きかかえて横たえる。いたずらっぽく笑う君も、やっぱり好き。 それからオラトリオは久々の海外出張で10日ほどシグナルのそばを離れた。 駅前に佇んでいるシグナルの姿が目に映る。日本は晴れだろうか、それとも雨だろうか。飛行機の中からずっと愛しい恋人の姿を思い描いて、ひとり心中でほくそえんでいる。 ――アイタイ。お前に会いたいよ、シグナル。 10日ぶりの君は少しだけ、ほんの少しだけ変わっているんだろうね。 成田についたら晴れだった。けれどトッカリタウンに向かうにしたがって天候が悪くなる。トッカリタウンはきっと雨。 恋人の待つ町までコンピューター制御のSLに乗って。窓を打つ雨は音もなく窓を濡らすだけ。 ゆっくりと止まり、ゆっくりと開くドア。ホームに降り立ち、はやる心を抑えつつ。 君は待ってくれているだろうか。 改札を抜けて出会う、柔かい紫苑の光――。 「…よう、久しぶり」 「10日ぶりだね、オラトリオ」 しとしとと降る雨は霧のように煙る。夏の雨にしては珍しい。 「…会いたかった」 「俺も」 抱きしめるぬくもりさえ、以前と違う。 ――ミツケタ。 「…愛してる」 新しい君を。 交わす口付けも、新しいときめきをもって。 「はい、傘」 「サンキュ。でも一本でよかったんだよ」 「なんで?」 「一緒に入りましょ?」 「…濡れるからやだ」 身長差がありすぎるから歩きにくい。このふたり、どうしても相合傘ができない。 「…可愛くねぇ」 「相合傘したいの?」 「したい…」 どこまでも駄々をこねるオラトリオにシグナルは知恵を絞る。そして…。 「ただいま〜」 「お帰りなさい…って、なにやってんですか?」 「相合傘〜♪」 玄関先でお使いから戻ったカルマとばったり出会った。カルマは怪訝そうな顔をしている。なぜって、オラトリオがシグナルをお姫様抱っこし、そのシグナルが傘を差しているという奇妙な状態に遭遇したからだ。 『バカップル…』 カルマの呟きも、今のふたりには馬耳東風。 このまんま笑顔を曇らせないように どんなときでも互いを照らしあえるように 君がいるだけでいいんだよね ふたりの時間がようやく増えたら なぜなんだろう気持ちは少しずれるけど 特別アブナイ気配はないけど めくるめく絶頂感だけは、いつも以上 だから恋は不思議 ≪終≫ ≪そんなこたぁございません≫ ひさしぶりにオラシグやってますけど。この話書こうって決めたときに友人に『オラシグ倦怠期なの?』って言われました。 Σ( ̄□ ̄川)はうっ? け、倦怠期!? そーかなー、倦怠期なのかな〜〜。そんなつもりじゃなかったんだけどな〜うーん(-_-;)。 あいかわらずのらぶらぶバカップルじゃないですか? 一応、それ目指してたので(笑)。 モチーフになったのはB'Z『SIGNAL』です(爆)。え? いつかやるんじゃないかと思ってたって? ご明察(笑)。 |