たとえばこんな日常 あなたがいないと生きられない こんなにも 心は 育ちすぎて 嫉妬に狂いそうな自分でも愛してくれますか それは些細な出来事だった。 その日の夕方、シグナルは洗濯物を取り込んでいた。人間だけで5人もいるこの家は今では珍しい大家族。ロボットも入れると大変な数になる。 女の子だから、と言うわけではないが女主人のみのるやハウスキーパーのカルマが忙しいときは手の空いている者が家事を手伝うことになっている。 シグナルが取り込んでいたのは乾くのが遅かった厚手のものやシーツなど大きめの物だ、汚さないように気を使いながら一枚一枚丁寧に洗濯かごに入れている。その横をハーモニーがすいすい飛んで洗濯バサミを片付けている。それは専用の小さな箱にぽいぽい入れられていた。 「これでおっしまい」 ぽすっ、かこんと二人はほぼ同時に片付け終わる。かごを抱えて戻ろうとして、シグナルが庭先につながるガラス戸をあけたときだった。 ぴゅ――――――。と突風が吹いた。ハーモニーはかろうじて部屋に入っていたがシグナルは洗濯かごを抱えて、片腕で顔を覆った。 「きゃっ」 「シグナル、大丈夫?」 「う、うん、なんとか」 シグナルはなんとかかごを置いた。しかし、さっきの突風でごみでも入ったのだろう、目が開けられないでいる。 「うー、痛い…」 「なんだ、どうしたんだ?」 そこにパルスが現れた。黒尽くめの彼はシグナルのすぐ上の兄である。ハーモニーは真っ赤な瞳の青年にシグナルを託した。 「ボクじゃあ、わかんないし」 ハーモニーが事情を説明するとパルスはシグナルの頬に手を添えて少し上を向かせた。 「開けられるか?」 「だめ、ちょっとでもあけると痛いよ」 「じゃあ、少し強く目を閉じろ、そうやって涙を溜めるんだ」 ロボットの目の構造は人間のそれと酷似している。HFRが人間に似ているからということではなく、そうしたほうがはるかに効率がいいからだ。パルスのようにレーザーを埋め込んだ特殊な瞳はのぞいて、ほとんどのHFRは眼球の表面に薄い水の幕を張ることで傷やごみから守っている。パルスはそれを知っているから、シグナルにもそうさせたのだ。 「ゆっくり開けてみろ」 言われるままに目を開けると潤んだ瞳の向こうに次兄がいるのがわかった。だんだん像がはっきりしてくる。瞬きをすると、目は普通に開けられるようになった。 「あ、直った」 「よかったね」 「涙を溜めてごみを流すんだ。細かい埃は目を傷めるからな」 「うん、ありがとう、パルス」 「あ、ああ」 Aナンバーズのなかでも美少女の誉れ高いこの妹がにっこり笑って礼なんていうものだから、パルスは涼しい顔の下で戸惑っている。 もうひとり。戸惑っている……というか、目の前の現実を受け入れることのできない男がいた。先程仲睦まじくしていた二人の長兄オラトリオだ。 彼はドアの向こうで固まっていた。何故でしょう。 理由は簡単。電脳空間から戻ってきた彼は愛しい妹兼恋人のシグナルちゃんを探していたのだ。 庭先で声がしたので、リビングで待っていようとドアを開けたところで先程の光景を目にした。ちょうど、パルスがシグナルの目を見てやろうと顔を上げさせたときだった。 ここから先はオラトリオヴィジョンで見てみよう。 パルスはシグナルの頬に手を添えて少し上を向かせた。 「…いいか?」 「だめ、…よ」 「じゃあ、少し目を閉じろ」 パルスの求めに応じてシグナルはそのままゆっくりと目を閉じた。 そして… うわああ! それ以上言うんじゃねえ! そうですかあ? とにかく、オラトリオは果てしなく勘違いしていた。そして真っ白になっている。 (シグナル…おまえ、にーちゃんというものがありながらパルスと……。そりゃ、お前は誰にでも優しいし正義感も強いから頼まれたら嫌だって言えないだろうさ。でも…でも…浮気はいかんぞ、浮気は。にーちゃん悲しいぞぉ) ドアの前で固まったままの巨体を邪魔そうにクリスは通り過ぎていった。 いつものようにシグナルは夜遅くになってからオラトリオが使っている客間を訊ねた。「家庭内通い妻」状態になっているが、当の本人にその自覚はない。 コンコン。軽くノックすると中から不機嫌そうな返事が返ってきた。 どうしたんだろう? 不思議に思ったシグナルがドアを開けるとオラトリオが仁王立ちで立っていた。軽く驚いているシグナルの手が強引に引っ張られると、懐に飛び込んだかたちのシグナルは不自然な姿勢のまま口づけられた。 「ん〜〜〜〜、ん〜〜〜〜〜」 じたばたしても大きな体格差がそれをかき消した。口づけはどんどん深くなっていく。シグナルの口角から銀の雫が流れ、オラトリオの舌がそれを拭ってまた唇に戻す。 「あ…ふ…」 ようやく解放された唇から漏れたのは艶かしい溜め息。アメジストの瞳はぼんやりとしている。 いつもなら、こんなに強引にキスされたってオラトリオが無言で抱きかかえてベッドに直行と相成るところなのだが、今夜は違った。 「話がある」 わけもわからぬままベッドサイドに座らされると、自分よりもはるかに大きい恋人が膝を突いて胸にすがりついてきた。 「なあ、シグナル、お前俺のこと嫌いか?」 「はあ?」 さらにわけのわからないことを言うオラトリオは捨てられた子犬の目でシグナルを見つめる。 「なに言い出すのよ、私がオラトリオのこと嫌いだったら、こうしてここには来ないよ」 「でも…おまえ、パルスと…」 「パルス? パルスがどうかした?」 最新型のシグナルに救われたのはオラトリオだけではない。妙なプログラムに洗脳されたパルス、リュケイオンという重責に押しつぶされて自分を見失いかけたカルマ、人を憎み復讐だけに生きてきたアトランダムとユーロパ、孤独な賢者オラクル、パートナーを斬らざるを得なかったコード。 彼女が出会ったすべての人やロボットは彼女の優しさが救ってきた。だからこそ、みんなはシグナルを愛する。 アトランダムとユーロパは別にしても、それ以外の面々はいつかシグナルが自分だけのものになるよう苦心している。今はオラトリオが恋人という地位についているが、あの連中が諦めるはずもない。この純粋な少女が自分の下から離れてしまう。オラトリオにはそれが怖かった。 しかし、困ったことにシグナル本人はそんなに思われているという自覚がない。彼女は迷うことなくオラトリオを選んでいた。言ったもん勝ちというやつで、シグナルに愛を告白したのはオラトリオがいちばん早かった。 だから知らなかった。それでなくとも、シグナルはみんなに優しいのだ。戦闘型だからけんかは大好き。でも人を憎んだり傷つけたりするのは大嫌いだ。しかも、普段はかなり天然ボケだからムードに流されやすい。キスを迫られれば、いやとも言えずに応じてしまうだろう。 シグナルが愛しい。それ以上にとても心配なのだ。 手に入れた光をみすみす手放したくはない。 「パルスと…キスしただろ…」 プライドのほとんどを捨ててオラトリオは消え入りそうな声で尋ねた。 その言葉にシグナルは噴き出さざるを得なかった。オラトリオの一連の行為はすべて誤解から派生している。 ぽんぽんと鈍い金色の髪を撫でて、シグナルはオラトリオの頭を抱きしめた。 「ばか、あれ、見てたんだ…」 「ああ」 「目にごみが入って、見てもらっただけだよ。それにしても…キスしてるなんて…」 シグナルはくすくす笑っている。シグナルの胸の中でオラトリオはしまった…という顔をした。角度からみてキスだと思い込んでいたのだ。在らぬ疑いをかけ、乱暴にキスまでした手前、合わせる顔がない…。 「ねえ、そんなふうに見える?」 「え?」 オラトリオの端正な頬をシグナルは優しく包み込んで上をむかせた。 「私って浮気性に見えるかって聞いてるの」 「そうは…思わねえけど…心配なんだ。お前は誰にでも優しいから」 「でも、愛してるのはオラトリオだけだよ。こうやって抱きしめるのも、キスをするのも…一緒に寝るのだってオラトリオだけなんだよ」 気づいてる? その微笑みはすべてを赦す天使の笑顔。愛されるものだけが見ることを赦された至高の光。 その栄誉はすべてオラトリオのもの。 自覚した今から始まる 新しい恋 「…ごめん」 「…逆にうれしいな。妬いてくれたんだ」 「…まあな」 決まり悪そうに顔をうずめる大きな恋人をシグナルはもう一度優しく抱きしめた。 あなたがいないと生きられない こんなにも 心は 育ちすぎて 嫉妬に狂いそうな自分でも愛してくれますか たとえば それが こんな日常でも 愛してくれますか その答えは あなたの胸一つなんです ≪終≫ ≪あとがき≫ いやあ、こんなに情けないオラトリオ書いてて…楽しかった。やきもちやきさんねえ(笑) 原案ではオラトリオがパルスに嫌がらせをするなんてものあったんですが、あんまり卑劣だったんでやめました。←なにやったんだ 如月! シグナルが愛されてればそれでいいのです(殴) |