Silver 最後の闇に至るまで 私/俺は 命の人よ 君のものでいよう この白銀の世界で その日、<ORACLE>を重い空気が包んでいた。 T・Aが誇るHFRの中でも、最新型である<A-S SIGNAL>が意識不明の重体で戻ってきた。サポートに入っていたコードを強引に切り離してまで、Dr.クエーサーが暴発させたSIRIUSを制御しようとして我が身を犠牲にしたのだ。眩いまでにあたりを包んだ強烈な光が生み出す莫大なエネルギーをシグナルはまともに喰らった。周囲が白く消えてゆく中に残ったのは無残にも開いた穴と――機械となったシグナルの姿。 カルマとパルスがシグナルの体を見つけたとき、二人は言葉を失った。コードは意識を失いかけた。自分のボディも同じM IRAだ、それにシグナルとともに滅ぶのならそれもよかった―――なのに。少女らしい顔はそのままに、でも、ボディフレームはところどころなくなっていて、機械が剥き出しになっていて……正直、生きているとは思えなかった。人口筋肉剥き出しの手に安定したSIRIUSがしっかりと握られていた。 パルスがゆっくりとその指を開いた。青白く輝くそれは先ほどここ一帯を吹き飛ばさんほどのエネルギーを放っていたというのに、今は暴れつかれた子供のように大人しくしていた。そっと触れるくらいなら大丈夫だった。カルマがそれを耐久性の強い箱に入れた。シグナルのボディはしっかりと固定されてT・A本部に運ばれた。 これから、シグナルの修理が始まる。 ボディはロボット工学者達が、プログラムはロボット心理学者たちが総出でとりかかった。これに参加したAナンバーズは<A−E>をいただく三つ子の姉妹、長女エモーションはプログラムを、次女エララと三女ユーロパはMIRAが扱えることから修理に参加した。 オラクルはシグナルの設計図を出して修理室のコンピューターに送った。カウンターで、大男がひとり、組んだ手に秀でた額を乗せて黙っていた。 「俺の……俺のせいだ」 「オラトリオ?」 「俺が…こんなこと計画しなきゃ……あいつは…っ」 オラトリオの菫紫の瞳から銀の雫が落ちてカウンターを濡らした。体が小刻みに震えている。 「私も止めなかった、それを言うなら私だって……」 「……あいつが死んだら!! 俺は……」 沈痛な面持ちで拳を叩きつけて叫ぶ彼にオラクルは言葉もなく、ただ黙ってしまった。 『データを取り戻してほしいんだ』 『助けてくれ、Aナンバーズのみんな』 <ORACLE>を守るために、<ORACLE>のデータを守るために、シグナルを乗せ、カルマを騙し。 その結果データは戻ったけれど―― 危険がないわけではなかった。でも、行動を制限された自分たちにできることはシグナルたちをサポートすることだけ。それだけだった。シグナルならやってくれる、そう信じて…。それでも。 泣き崩れるオラトリオの襟首を誰かがすっとつかんだ。反動でオラトリオは立ち上がる。ぱっと視界に入ったのはコード、次はもう別のところだった。 「いい加減にせんかっ!!」 オラトリオの頬を力任せに殴ったコードの琥珀色の瞳は薄く潤んでいた――泣いていたのかもしれない。真っ赤なトルコ帽が仮想の重力にしたがって落ちた。 「師匠…」 赤くなった頬を押さえることなく、オラトリオは立ちすくんだ。オラクルも突然の出来事におろおろするばかり。 そんな二人を見やってコードがオラトリオを冷ややかに睨みすえた。 「おまえはシグナルの死を願っているのか!!」 「何を!! 俺はそんなこと!!」 弾かれたようにオラトリオは声を荒げた。誰か、恋人の死を願うだろうか。菫紫の瞳がきっとコードを睨む。その目にかすかに安堵の色を浮かべながら、コードの口から漏れた言葉は温かな叱咤激励だった。 「だったら信じてやらんか! あいつは今、必死に戦っているのだ、おまえが信じてやらないでどうするのだ!!」 オラクルも俯いてしまう。コードの言葉の方が、今は正しい。どんなに自分のしたことを後悔したって、シグナルが帰ってくるわけではないのだ。 時は移ろいゆけども決して戻りはせぬ。 今は信じて待つしかないのだ。 オラトリオはその場に臥して祈る。愛しいあなたが元気に笑って帰って来ることを…。 そしてまた囁いてくれ――『愛している』と。 『俺をおいて逝かないでくれ』 心は 強くない あなたがいないと こんなにも脆い ふと、<ORACLE>に通信が舞い込んだ。それと同時にエモーションも飛び込んできた。CGがまだ出来上がらないうちから声を出している。 「皆様! エースが無事に目を覚ましましたわ! たった今、戻っていきましたのよ!!」 『みんなにも心配をかけたな、シグナルは今、再起動したぞ』 <ORACLE>を大きな喜びが包んだ。オラトリオはほっとしてその場に臥したまま泣いていた。その背中をエモーションがそっと撫でた。 「オラトリオ様、現実空間にお戻りなさいませ、エースもきっと待っていますわ」 「エモーション…」 「エモーションの言うとおりだ、オラトリオ、行って来い」 「……おう」 くいっと涙を拭いて、オラトリオは戻っていった。立ち上がる紫苑の柱を三人はそっと見送った。 「お兄様はよろしいんですの?」 「ふん、あとでいい」 今はただ、ひよっこたちの道を見守るのみ。 コードは淡々と茶を要求した。<ORACLE>にすがすがしい緑茶の香りが広がった。 オラトリオが現実空間に戻ってみると、ほとんどの面子は談話室にいた。シグナルはみんなにもみくちゃにされながら賛辞なりお叱りなりを受けていた。楽しそうに笑い、済まなそうに俯くその笑顔は変わらない。シグナルは本当に戻ってきたのだ。オラトリオが薄く微笑む。シグナルはドアの向こう側の気配にちょっと気がついて、さっと輪を抜けた。後は単なる座談会になった。 「オラトリオ♪」 「……よう」 顔を合わせるのは何日ぶりだろう、ふたりは心なしかはにかんだ。 「…ただいま」 「…お帰り、ご苦労さん」 交わす言葉の一つ一つが、今のオラトリオには重かった。何もなかったかのように微笑むシグナルの顔をまともに見られない。ちょっと中をのぞいてからオラトリオはシグナルに顔を向けずに話しかける。 「いいのか?」 「うん、なんか私そっちのけで昔話になってるし」 行こう、と繋がれた手の温かさに、オラトリオは少しだけ怯えた。 外はもう、夜の帳が下りかけていた。 「大丈夫なのか、体」 「うん、何ともないよ。経過は順調だって」 起動して数時間しかたっていないのにもう普通に動いている。シグナルに使われた最新のシステムのすごさを改めて実感させられた。 「ま、激しく動くなって言われてるけど」 自室のベッドに腰掛け、オラトリオはシグナルの肩を抱いていた。シグナルもうっとりとその胸の中に落ち着く。久方の温かさに思わず酔いながらも黒い影はオラトリオの心を確実に支配していた。 「……シグナル」 「なぁに?」 「おまえ……俺が憎くないか?」 「え?」 シグナルがはっとオラトリオを見た。彼は自嘲するようにシグナルの胸にうなだれた。すがるように抱きついてきたオラトリオに少し驚きながらもシグナルは困ったように髪をすいた。ダーティ・ブロンドはきらりと軽い光を弾いた。 「おまえを殺しかけたのは…俺だぞ?」 殺しかけた? ううん、私は自分で『死にかけた』んだ。自殺願望があったわけじゃない、でもあの時はそうするより他に手段がなかったんだ。誰のせいでもない、ましてやオラトリオのせいでもない。シグナルはオラトリオの頭を抱えたままそっと声をかけた。 「何でそんなこと言うの?」 「俺があんなこと計画しなかったらおまえが死に掛けることだって…」 「そんな、私は」 何か言い募ろうとしたシグナルの言葉をオラトリオが遮った。いつもの彼らしくない、弱々しい声が切なく響いた。 「……怖かったんだ、本当は。おまえが……いなくなるような気がして」 「オラトリオ…」 シグナルは少しだけ目を伏せた。 それは『告白』という名の『懺悔』――あるいは『苦痛』という名の『裁き』 おまえが殺しかけた、と。そう言って罵ってくれたならどんなに楽だろう。恋人を失う恐怖に比べたらそんな罵声の方がまだましだったかもしれない。おまえのせいだと、悪し様に声を張り上げ、足蹴にしてくれたらどんなによかったことだろう。 「私はここにいるよ」 「でも…俺は…」 「困ったな」 シグナルがゆっくりとオラトリオを抱きしめた。少女の細い腕で抱ききれないくらいにオラトリオは大きい。それでもシグナルはしっかりと受け止めてくれる。ふと、添えられた手に導かれるようにオラトリオは顔を上げた。 そこにあるのは聖母? ――いや、どこまでも純粋に微笑むシグナル。 オラトリオは自分の何かが満たされ、癒されてゆくのを感じた。 「オラトリオはどうやったら笑ってくれるのかな」 オラトリオの目尻にたまった涙をそっと拭う指のほんのりとしたあたたかさに新しい涙がこぼれた。シグナルが困ったように薄く微笑んだ。 「私は自分の意思で行ったんだよ、オラトリオが封印を解いてくれなくたって自分で何とかしたかもしれないし……私自身が望んだことなんだよ、だから…」 「……シグナル…っ」 偽りのない言葉に何度癒されてきたことだろう、己が身を呪い、呪縛から解放してくれたのも あなた 今、罪に悩む自分を 許してくれたのも 他ならぬ あなた そして 「ここにいるよ」 永遠を誓ったのも――― これは『赦し』という『判決』 オラトリオはシグナルの体のことを忘れてゆっくりと覆い被さった。甘く深いキスから、耳元を熱く食んでから官能を刺激する。手はそのまま胸に伸び、アンダーの上から豊かな乳房を弄った。 「あ…」 「あ、やべ」 シグナルの唇から漏れた甘い吐息で、オラトリオははっと我に返った。修理が終わったばかりのシグナルを求めるほど自分は飢えていたのだろうか、それとも、安心したがゆえに求める気になったのだろうか。 ―――両方だろうな。 オラトリオが思わず口を塞いで赤くなっているのをみてシグナルは微笑んだ。やっと、オラトリオらしくなった。 「いいよ」 シグナルがふっと両腕を伸ばした。誘われるままにもう一度口づける。 「いいよ、オラトリオ……来て」 「……きつかったら言えよ」 「うん」 どうやったら君は 笑ってくれる? 答えは誰も知らない――でも。 あなただけが知っていたら それでいいのかもしれない 「……大丈夫か?」 「うん、平気」 久しぶりの交わりはとろけるようなキスで終わる。シグナルのほっそりした体を包み込んでオラトリオはタオルケットを着せ掛けた。 「ありがとう」 ふわっと笑ってみせるシグナルが、愛しくてたまらない。セーブしないと、また泣き出しそうだった。 「ねえ」 「なんだ?」 「歌って…」 あなたに捧げるのは 恋歌? 子守唄? どっちでもいいさ 結局 あなたに届けばそれでいい オラトリオの吟じた歌は深い口づけの、銀色の歌だった。 「なんて歌?」 「タイトルはねえんだ」 「そう…」 オラトリオの胸を枕にシグナルはうっとりと目を伏せた。体が少しだけ熱い。柔らかな髪は紫苑の光を放って薄く闇を彩った。指で梳くとさらさらと硬質な音を立てて流れた。変わらぬ香りに我を忘れそうになるのを堪え、オラトリオはそっとシグナルを抱きしめた。シグナルもゆっくり身を寄せる。 「シグナル」 「なぁに?」 「生きるのも一緒、死ぬときも…一緒だぜ」 「…そうだね、一緒だよ」 交わした口づけが『永遠の誓い』だと、気がついたかい? 生きよう、我の恋人よ そして愛しあおう 太陽は没してまた戻ることができる 最後の闇に至るまで 私/俺は 命の人よ 君のものでいよう この白銀の 光あふれる世界で ≪終≫ ≪うっひょー≫ どこが『Silver』なんだかわかんない…。 ほとんど勢いでやってます。だから何処かで見たようなフレーズやシチュエーションでも笑って許してやってくださいな。露骨にはやってないはずです。 オラトリオが歌ってるのはノートに走り書きしてあった古代ギリシアの恋愛詩だったと思う。引用はまずいかなーと思ってさりげなく書かなかったのですが(本当は面倒だったから)なんか気に入ってて、ふと思い出したかのように使った、と。 なんだ、いつものことじゃん(爆死)。 |