SNOW CRYSTAL 遥かなる天空から舞い降りる冬の使者 街を染めるその純白は すべてを魅了する 冬の魔法使い 「じゃあ、シグナルさん、お願いしますね」 「うん、財布は持ったし。いってきます」 玄関を跳びだしていこうとした少女に壁が…いや、巨大な青年がぶち当たった。少女の長兄<A-O ORATORIO>である。アイボリーのコートは冷却用であるがこの寒空には何ら不自然には映らない。少女は鼻を抑えて痛みを我慢している。 「大丈夫ですか? シグナルさん」 「う、うん。大丈夫…じゃあ、いってくるね」 防寒用にとカルマに着せられた水色のロングコートをひらめかしてシグナルはふたたび駆け出した。せっかく自分が戻ってきたというのにどこに行くのだろう。オラトリオはシグナルを追って一度くぐった門をまた出て行った。その様子を見ていたカルマがなんともいいがたい表情をしたのを知らずに…。 足早に追いかけるとシグナルは信号待ちをしていた。ポケットに手をつっこんで、道行く車を眺めている。オラトリオはそんなシグナルの背後から抱きついた。 「どこ行くんだよ、せっかくお兄様が戻ってきたってのに」 「わあっ」 突然のことにシグナルは声をあげた。その声に幾人かの通行人が振り返っていたが、大柄で男くさいオラトリオと女の子であるシグナルの構図はどう見たって若い恋人にしか見えなかったから、微笑ましさとやきもちを二人に投げかけて足早に去っていった。 「な、なんでっ…」 ここにいるのと言おうとしたが言葉にならない。久しぶりに、今日というこの日に帰ってきてくれたことがシグナルの心を満たした。本当はすごくうれしいのに面と向かってそれを言えないあたり、自分はまだまだ恋愛に関して疎いというか、未熟というか、とにかく的確な言葉を見つけられない。それに素直にうれしいというには、ただいまも一言もない。大体自分は―――おつかいの途中なのだ。 「だから、どこ行くんだよ」 「おつかいだよ、カルマ君に頼まれたんだ」 信号が変わってから二人は並んで歩き出した。道々シグナルが事情を話してくれた。 ――昼間、クリスが今日のために買い物にいった。が、その中に品切れでない品物があったのだ。ちょっと足を伸ばせばサルマートからは15分くらいのところに“スーパーさるや”があるのだが、荷物も多いし、天候も怪しくなってきたので一度戻ってきたのである。その報告を聞いたカルマがスーパーに問い合わせたところ、まだ在庫があるということなので今度はシグナルに行ってもらうことにした――ということだ。 「ふーん、それでか」 シグナルが話し終わるのと同時にスーパーについた。自動ドアがぷしゅーと音を立てて開く。大勢の人間を受け入れるために大きめに作ってあるドアも、大柄すぎるオラトリオはかがんでくぐらなければならない。それを見た女子高生あたりがきゃあきゃあいっていたが、オラトリオには聞こえていない。彼は今、目の前にいる妹であり、恋人であるシグナルしか眼中にない。偏光紫をなびかせて歩く姿はどう見たってかわいいのだ。シグナルは自分がどんなにかわいい容姿なのかあまり自覚がないようだからオラトリオはいつも心配していなくてはならない。 シグナルがそばにいた男性店員に話し掛けると、店員はわかったようですぐに案内してくれた。 「こちらでございますね」 シグナルは商品を確認してからレジでお金を支払い、荷物を受け取った。 「ありがとうございました」 レジのお姉さんの対応に軽く会釈をしてからシグナルは近くで待っていたオラトリオを促す。 「ねえねえ、今の子、かわいくなかった?」 「私知ってるわ、×丁目にある音井ロボット研究所のシグナルちゃんでしょ?」 「え? あの子ロボットだったの? でもかわいいから良し!」 「あんたねぇ…」 シグナルがレジにいらっしゃるお姉さま方の噂の的になっているとも知らずに二人は帰り道を急いだ。そんなに遅い時刻ではないが天気はますます悪くなってく暗くなっているし、みんなが待っているから。わしゃわしゃと音を立てるビニール袋はみんなの顔を思い出させた。 シグナルが守りたい…みんなの笑顔 信号を渡って角を曲がる。そのまままっすぐ行って、今度の角は右。そこから2、3軒目が帰るべき場所――音井ロボット研究所なのだ。 門柱を越えると中からにぎやかな声が聞こえてきた。信彦の笑い声、クリスの叫ぶ声、いろいろだった。 ドアを開けようとしてシグナルは手を止めた。何かためらうように手を上下にひらひらさせている。何をしているのかと思ったら、急に背後のオラトリオに向き直った。 「おかえり…オラトリオ、まだ言ってなかったね」 「…ただいま、シグナル」 買い物袋で片手がふさがっているシグナルの両頬を優しく包み込んで触れるだけのキスをする。寒いはずなのにここはほんのりと温かい。 今日という日のために早々に仕事を仕上げて日本に帰ってきたのだ 愛しいこの人と過ごすために しばらくみつめあっていた二人のあいだを白いものが舞った 「あ……」 見上げると ひとつ ふたつ 小さなものが降ってきた。 「雪だね」 「そうだな」 みんな待ってる、とシグナルは長兄を促して名残惜しそうに玄関の中に姿を消した。 「お帰りなさい、シグナルさん、寒くなかったですか?」 とオラトリオは完全無視状態のカルマ。普段から仲がいいとは決して言い切れない二人だが、シグナルが誕生してからはさらに険悪になった。この無垢で愛らしい少女が愛しくてたまらない青年HFRたちは今日もバトルの真っ最中なのだ。特にこの二人のは激しい。そんな事情を知ってか知らずか、当事者であるシグナル本人はオラトリオを選んだ。あまりの出来事にカルマが夜な夜なキッチンで『何であんな図体がでかいだけの男を…』と泣きながらナイフを研いでいるのはあまり知られていない。が、あきらめたわけではないカルマは天使のごとき顔でシグナルに接している。 「ううん、大丈夫。雪降ってきたけどね」 そうですか、と天使もかくやの笑顔で微笑むとシグナルから荷物を受け取り、彼にはわからないようにオラトリオを睨みつけた。そして何事もなかったかのようにキッチンに戻っていった。 これといってすることのなくなったシグナルはコートを置きに自室へ戻り、オラトリオはリビングにいった。中に入ると信彦がパルスやハーモニーたちとツリーを飾っていた。そこにシグナルも現れた。信彦がいちばん近い『姉』の顔を見つけると手伝ってとばかりに腕を引っ張った。こういうことは嫌いではないシグナルは拒否もせずに作業に加わった。『弟』の指示どおりに綿の雪や星を飾る。ハーモニーとフラッグが電球の飾りを持ってぐるーっと一周するときれいに簡単に飾ることができた。 いちばん上にいちばん大きな星を乗せ、電球のコンセントをつなぐと色とりどりに光った。これでツリーは完成だ。 「おや、きれいにできましたね」 そう言って入ってきたのは七面鳥の丸焼きを持ったカルマとそれを手伝っているクリスだった。料理を並べ終わるとパーティーが始まる……はずだった。 「シグナルく〜ん」 おっとりした声で呼んだのはみのるだった。なんだろうと思ってシグナルが近づいたのが…今になって思えば不運だったのかもしれない。シグナルをぐいと引っ張って連れて行ってしまった。 待つこと10分。 『みのる奥さ〜ん、私やっぱり…』 『大丈夫。ばっちりかわいいわよ』 『でもせめて…』 『なんで? いやなの?』 『いや、あの…その…』 ドアの向こうで何かを嫌がっているシグナルといつもの天然さで押しているみのるの声が聞こえた。何事かとリビングにいた一同が訝しがっていると、ドアが勢いよく開けられた。にこにこ顔のみのるがシグナルを引っ張り入れる。 一同注目――そして絶句。 入ってきたシグナルは定番のサンタルックだ。それだけならただのコスプレだ。しかし…シグナルはなぜかミニスカート版のサンタルックだったのだ。 こける者、笑う者、心中でとんでもないことを企んでほくそえむ者など反応はそれぞれだった。無言で座り込んで恥らう姿はオラトリオの理性を消滅させた。 「…かわいい! かわいすぎるぞっ!! 」 そう言ってシグナルに襲いかかろうとしたオラトリオの後頭部をわずかにはずし、彼のトレードマークとも言えるトルコ帽がカルマの放ったナイフによって壁に刺さったことで周囲は凍りつき、ただただ、笑うしかなかった。 かくして音井家のクリスマスパーティーが始まった。 おのおのがグラスを手に取り、高めに上げる。中には白い泡を放つ液体が注がれていた。信彦も一杯だけという条件でこれを手にしている。 「メリークリスマス!」 信之介の音頭にみんなも続きカチンと硬質な音を奏でる。ふと目をやると、窓の外は本格的な雪になっていた。 「見て、シグナル。雪だよ」 「ほら、エプシロン、雪よ」 「雪ねえ、正信さん」 「そうですねえ、みのるさん」 水蒸気を多量に含んだ空気が上昇冷却し、昇華して氷の結晶となる その結晶は様々な形をなし、ひとつとして同じ物は作らない 地上に降り立つ 冬の使者 やがては解けてまた天空に戻る 水の Reincarnation の ひとつの カタチ 「ホワイトクリスマスだな」 「ホワイトクリスマス?」 「雪が降っているクリスマスのことをいうんですよ。本当は映画の主題歌なんですが」 「ふーん」 さ、みなさん、料理が冷めますよ、というカルマの声に一同は再び席に戻る。 こうしてつつがなく(?)パーティーは幕を閉じた。 ようやくこのなんとなく恥ずかしいから解放される。 シグナルが喜び勇んで自室に戻るとなぜかそこにオラトリオがいた。 「なんだ、もう着替えちゃうのか? かわいいのになあ」 そう言ってシグナルの腰に手を這わせ、くるりとなでまわす。シグナルは身の毛がよだつのを感じて怒りと恥ずかしさで声も出なかった。が、拳は出た。まっすぐに軌道を描く攻撃をオラトリオは難なく受け止める。そこで勢いを失ったシグナルが胸に飛び込んでくる格好になる。そこをしっかり抱きとめて器用に抱えなおし、自分の膝の上に座らせた。 またからかわれた、とシグナルは何処か納得のいかない表情だった。そんなシグナルの偏光紫の髪が優しく撫でられる。こうされると落ち着いてしまう自分がなぜか不思議だった。長兄の紫色の視線に出会って、シグナルは少女らしく赤くなってうつむいてしまう。格好が格好だけにことさらかわいらしく映る。 (何でこんな男に…) とは思うのだけれど、自分はこの兄から離れらることはできない。さっきもそうだ。クリスマスに間に合うように恋人であるオラトリオは戻ってきてくれた。それはすごくうれしいのに素直に言葉に出せない。寄ると触ると喧嘩になってしまう。そして軍配はいつもオラトリオにあがる。わかっていてもついそうしてしまうのは恋人同士ならではのスキンシップであることを生まれて間もないこの少女はまだ知らない。 「シグナル」 呼びかけられておそるおそる顔を上げるとそこにはオラトリオの笑顔があった。シグナルにしかみせない最上級の笑顔。 オラトリオは膝の上に座ったままのシグナルの左手を取り、白魚のような指の一本を選んで指輪を通す。白銀のアームに小ぶりながらも上質のアメジストが上品な輝きを添える。 自分たちの瞳を思わせる紫水晶 それを贈ることは『いつも自分はそばにいる』という意味をこめている。 そしてそれは愛しい人の左手の薬指に煌く。 『あなたはずっと私のもの』 ここに輝くということはそういう意味も持つ。 「ふわぁ、きれい…」 「クリスマスプレゼントだ、大事にしろよ」 「うん、ありがとう、オラトリオ」 その指輪にこめられた意味など、まだわからないだろうシグナルは純粋に贈り物を喜んだ。うれしそうに指輪をかざすシグナルを見つめながら思いが募る。 本当は もっと一緒にいたい 本当は ずっと一緒にいたい しかし、それはかなわぬ我が身――<A-O ORATORIO>の宿命 生れ落ちたその日から 我が身は移し身 影となり そうやって生きる運命 永遠は 誓えそうにない だからこそ せめて この指輪に願いを託す 精一杯の祈りを込めて 『どうか どうか 俺を愛してください』と――――― 「あ、そうだ、私もオラトリオにプレゼント」 シグナルはするりと膝から降りるるのを見つけた。 「あのね、私クリスマスってはじめてなの。だから何をしていいのかわからなくて、プレゼントがいるだなんて知らなかったの。でもオラトリオに何かしてあげたいって思って…でね、目を閉じてほしいの」 頬を染めてしどろもどろに言うシグナルが何をするのかは大体察しがついたが、それでもオラトリオは目を閉じて彼女の出方を待った。 「絶対、目を開けちゃダメだからね」 「おうよ」 視界を遮られたオラトリオの頬にシグナルの手が添えられた。そしてそっと唇が近づいてくるのが分かった。 (やっぱり。定番なんだよな) 唇はほんの数秒触れていた。しかし次の瞬間にはオラトリオの顔は柔らかなシグナルの胸の中にあった。 「し、シグナル?」 「しゃべらないで。目を開けちゃダメ…恥ずかしいんだから…」 とくとくと聞こえてくるのはMIRAが体を循環する音。温かさ、それに柔らかさと相まって不思議と心地いい。 する、と体が離れる音がした。離れていく温かさを惜しみながらオラトリオはそっと息をついた。 「もう、いいよ」 目を開けると目の前には変わらないシグナルがいた。サンタクロースの衣装ではにかむ彼女をそっと抱き寄せ、こめかみに口づける。シグナルはきゅっと身を竦めた。 自分たちの気持ちは同じ お互いに愛している どんなに世界が変わっても かわらずに 生きてゆける 「…ありがとな、シグナル。最高だったぜ」 大切な想いとともに。 昨日までの想いは新たに生まれ変わる 心の Reincarnation オラトリオはシグナルの細い肩を抱き寄せた。 「愛してるぜ、シグナル」 「うん…」 言葉にかえて目を閉じる。柔らかい唇の感触、啄むような口づけの合間に囁かれる言葉に二人は酔いしれた。 窓の外は白い雪 Reincarnation すべてを純白に染め上げる 冬の魔法 メリークリスマス すべては愛しき人たちのために 寒いはずのクリスマスは こうして温かくなる ≪終≫ ≪あんなに言ってたのに…≫ イベント物は絶対やらないぞ! って言ってたのにネタに困ってやってしまいました、クリスマス物。 レジのお姉さんたちの会話は如月と友人Sさんの間で交わされたものです。ロボットでもかわいいならいいや。という趣旨の会話だったと記憶してます。不毛な私たち…。 |