再び素敵な犬とワルツを



私、シグナル。19歳の女子大生。当然、一人暮らし。両親のそばを離れて暮らし始めてもうすぐ一年になる春先のこと。私は一匹の犬を拾った。
その犬の名前はオラトリオ――現在人気沸騰中の男性デュオ<ORACLE>のヴォーカルだった。
そんなこととは露知らぬ私はオラトリオを拾って一週間ほど面倒を見た。

それが縁になって今では秘密の恋をしている私とオラトリオ。
これはそんなある日のお話――



大学での講義を終えて家路に着く。今日は一日天気がよかった。干してきた洗濯物も乾いているといいな、と大きく期待しながらドアに鍵を挿して違和感に気がついた。
「あれ、おかしいな、鍵かけていったはずなのに…」
鍵が開いてる。お母さんが来てるのかな? でも連絡なかったしなぁ…なんて思ってる場合じゃない、泥棒だったらどうしよう…と、とりあえず確認しなくっちゃ、すぐ逃げられるようにあんまり奥に入らなきゃいいよね。あ、そうだ、なんか武器になりそうなもの…傘持っていこう。私はそーっとドアを開けてみた。傘を手に取り、玄関先を確認する。すると見慣れたようなそうでないような靴があった。お父さんものもにしては大きすぎるな。きちんとそろえられた靴、もしかして泥棒じゃない? 泥棒ってちゃんと靴脱ぐっけ? いや、もしかしたら綺麗好きな泥棒なのかも!
警察に連絡しようかと携帯を手にした瞬間、ほわっといい匂いがした。じゅーっと肉が焼けるような…あ、おいしそう。この匂いどこかで…
「よう、おかえり。台所借りてんぞ」
「おっ、オラトリオっ!」
私は急いでドアを閉めてから驚いた。オラトリオがこんなところに出入りしているのがばれたらスキャンダルになってしまう! なおかつ見知らぬ男の人を拾って、その人と恋人関係です、なんて実家の両親にばれたら怒られるどころじゃすまないよ〜。というわけでオラトリオがここにいることは関係者以外あまり知らないことなのだ。なんといっても自分の家なので、一応ドアチェーンをしてから上がった。台所を借りているといったオラトリオは夕飯の支度をしてくれていたらしい、火はもう止めてあったけれどフライパンの中身はパスタと見た。
「久しぶりだな〜。元気だったか?」
「う、うん」
私はこっくり頷いた。オラトリオはいつも前触れ無く訪れる。でもそんなときはマンションの前で捨て犬のように私を待っている事が多い。
「どうやって入ったの? 鍵かかってなかった?」
部屋に入っているなんてありえないはずなのに…。するとオラトリオは自分の胸ポケットからなにやら取り出して私に見せてくれた。銀色の鍵にキーホルダーがついている。もしかしてこれは…。
「ここの、予備の鍵?」
私の言葉にオラトリオはビンゴ♪ と笑った。
「そ。お前がくれたやつだよ。返しそびれてたからな」
そういえば…確かはじめて拾ったときに渡したっけ。もしここを出るようなことがあったらって。あのあといろいろあったからどさくさに紛れてたんだ! オラトリオも最近になって持ち物の中から見つけたらしい。
「もー、泥棒かと思っちゃったよ」
「ははっ、悪い悪い」
でもオラトリオは鍵を返すつもりは毛頭無いらしい。ご丁寧にキーホルダーがついているのがその証拠だ。しかも<ORACLE>のグッズでしょ、それ…。私が指摘するとオラトリオは悪びれずにこう返してきた。
「これ、ファンクラブ限定の非売品なんだぜ。せっかく作ったんだし使わなきゃ損だろ?」
「そりゃそうだけど…」
「お前の分もあるぜ♪」
そういってオラトリオはもう1個キーホルダーを出した。拒否する理由も無いので素直に受け取ると、オラトリオは嬉しそうに笑ってくれた。
「もう飯は出来てるけどどうする?」
「うーん、そうだなぁ、先に洗濯物取り込んじゃっていい?」
「じゃあその間に盛り付けちゃうわ」
「うん」
そうして私はベランダで洗濯物を取り込み、オラトリオはパスタを注ぎ分けている。ホワイトソースがおいしそうだな〜、カルボナーラかな。その横にちょこんとトマトが乗ったフレッシュサラダ、コンソメのさっぱりスープも嬉しい♪
嬉々としながら洗濯物を取り込んでふと気がついた。むしろこれが本題だ。
「オラトリオっ!!」
ベランダの窓を閉めながら呼びつけるとオラトリオはくるりと振り返った。
「なーにかな?」
「どうしてここにいるの? 仕事は?」
こう見えてもオラトリオは芸能人で、しかも有名なミュージシャンだ。この前拾ったときはスランプによる放浪中だった。オラトリオは一瞬ぎくりとして、何のことかごまかそうとしているのがわかった。私は再び問い掛ける。
「…仕事は?」
「…お、おふだよ…」
「オフ〜〜?」
本当にオフだろうか。確かにここに来たときはオフであることのほうが多い。全部が全部オフだ、と言い切れないところが少し哀しい。数回は寂しくなったからと仕事を抜け出して会いに来たことがあった。仕事の合間だとか、帰りだからというのなら会わないこともないけれど、仕事をほったらかしにしてきたのなら私は早々に追い返した。
『シグナルちゃ〜〜ん、お願いだからちゅーだけでもっ』
『…ちゅーしたら仕事に戻るのね?』
『戻る、戻りますっ!! だから別れるなんて言わないで〜〜\(゚ロ\)(/ロ゚)/』
こんなかんじ。だからオラトリオは必死だった。私はおもむろに携帯を手にし、とある番号にかけた。その間のオラトリオは当然『待て』の体勢で待っている。



電話が繋がると、相手の背後はやたらと騒がしかった。
「もしもし、聞こえてますかぁ?」
『ああ、聞こえてるよ、ごめんね、騒がしくて』
「なあ、どこにかけてんの?」
電話の相手が気になるのか、オラトリオは耳をそばだてて私にくっついている。
「黙って。あ、ごめんなさい、飼い犬がうるさくって」
私が告げると相手は大きく溜め息をついた。オラトリオはまだくっついてくる。私は仕方なくベランダに逃げた。ここならオラトリオは追ってこない、ここにくる時だっていつも変装してくる。なぜなら不用意に姿を見せるようなまねはしないからだ。
『またそこにいるんだね…』
「ええ、まあ…どうする?」
『悪いけど一晩預かっててくれるかな、明日朝一で迎えに行くから』
「いいの?」
『うん、あとは歌だけ歌ってもらえばいいようにしておくし、プロモーションもたくさん残しておくから』
「わかった。じゃあ明日」
『いつもいつもすまないね』
あとは簡単な社交辞令を重ねて電話を切った。中に入るとオラトリオはすぐに私の腕を掴んで引き寄せた。
「誰と話してたんだっ」
「誰だっていいでしょう、オラトリオには…関係あるか」
「なにぃ? 誰なんだよっ!」
「オラクルだよ。また仕事サボったんだって?」
「ぎくっΣ( ̄□ ̄川)」
オラトリオはとぼけて口笛を吹いた。仕事が嫌いだというわけではなさそうなんだけど――実際精力的にリリースしてるし。
「ごまかしても駄目だからね」
「…それでオラクルはなんて?」
「一晩預かっててって。明日みーっちりお仕事してもらうからって」
「ぬう、あいつめ…」
「あいつめ、じゃないでしょう!! またお仕事ほったらかして〜〜」
私が叱るとオラトリオは掴んでいた腕を放し、その場にしゅんと座り込んだ。あんまり可愛くない上目遣いで私を見つめてくる。
「だってよ〜、気分がのらねえんだもんよ、そんなときに歌ったって半端なだけだぜ?」
「だったら気分転換にすることあるでしょう!! わざわざここに来なくったって。大体なんで行き先言わないで出てくるのよっ!」
「小さい子どもじゃねんだぞ、いちいち言えるかっ」
「ああそう、私の言うことがきけないの」
「ああ、そんな、じょーおー様っ!!」
というわけで私はオラトリオに電話をさせて、それからご飯を食べた。パスタは少し伸びちゃってたけど、食べられないことはなかった。
「茹でたてがおいしいのに…くすん」
「私のせいじゃないもん♪」
寂しがりやの大型犬が作ってくれたご飯の味もさることながら、ふたりの食事はやっぱり楽しかった。

 
 
「シグナルちゃん」
「……」
「シグナルちゃんてば〜〜」
「だめ。お仕事サボってきたときはキスだけの約束だから」
「そこをなんとか。ねぇねぇねぇ〜〜」
「駄目ったら駄目。お預けっ!」
今回ここに来たのは純粋に『寂しくなったから』だそうだ。私が頑なに拒否するとオラトリオはすりすりと擦り寄ってきた。
「そんなこと言わないで〜〜、おにーさんは他のおねえちゃんたちとはきっぱり別れてシグナルちゃん一筋なんだから〜〜」
オラトリオの女性問題について。インターネットで検索するとたくさん出てきた。オラクルにきいてみても溜め息とともに答えが返ってくる。けれどオラトリオの言うように最近はまったくといっていいほど聞かなくなった。それも私のおかげだとオラクルは言うけれど私にはよくわからない。
「それとお仕事サボるのとは全く無関係のように思われるけど?」
「サボりじゃないって〜、気分転換だってば♪」
なんだかんだと言い訳するのはいつものこと。なにを言ってもこの大型犬が諦めるはずはない。なぜか正座したままで私たちは向きあった。オラトリオも自然と背筋を正す。
「…明日ちゃんとお仕事するのね?」
「します。シグナルちゃんに誓って」
うーん、私に誓われても…あ、そうだそうだ。私はにっこり笑った。オラトリオもつられて笑い返す。
「…私ね、明日は創立記念日でお休みなの。だからオラトリオがちゃんと仕事するかどうか監視する」
私って頭いい。
「監視って…どうやって?」
「オラトリオについていく。オラクルもね、一度スタジオに遊びにおいでって言ってくれたし。いい機会だから」
私がそういうとオラトリオは苦虫を何匹もかみ殺しているようだった。
「そーいやー、なんでオラクルの携帯知ってんだ?」
「あれ、言わなかったっけ? この前オラトリオを迎えに来たときに交換したの。今じゃすっかりメル友だよ〜」
「メル友……あんにゃろ〜〜」
「で? 私はどうしたらいいのかな?」
本題から大きくはずれかけている。オラトリオは観念したらしく、私を連れてスタジオに行くと言った。私が頷いて了解するとオラトリオはやっと息をついた。そして瞳をきらきらと輝かせて迫ってくる。
「んじゃ、もーいーよな? ずーっと我慢してたんだから」
「…仕方ないな。おいで」
変なところで甘えん坊の大型犬は相好を崩して抱きついてくる。大きな腕と厚い胸板に包まれるたびにドキドキしてしまう…。今更嫌だなんていえない、おずおずと顔を上げると、オラトリオは優しく微笑んでいた。暁色の瞳がどこまでも私を射抜く。ぎゅっと力がこもる、本当は私も、こうしたかったのかな…。
「愛してる、シグナル…」
「オラトリオ…」
そっとキスして。お月様がみてるから……。



翌朝。久しぶりにオラトリオお手製の朝食をいただいているとオラクルがやってきた。この人は<ORACLE>のギタリスト。茶色の髪と瞳が優しい印象を与える人だ。のんびりしているように見えて実は世界屈指のギタリストなのである。人は見かけに寄らない。うむ。
「おはよう、シグナル」
「オラクル、おはよう、早かったね。朝ご飯は?」
「いや、まだなんだ」
「よかったら食べてく? 私たちも今ご飯だから」
「いいの? 悪いね」
オラクルは(オラトリオと違って)遠慮というものを知っている。本当に朝食を食べていないらしく、お腹がすいたという顔をしてた。入ってきたオラクルを、オラトリオは邪魔そうに見つめていた。そして開口一番
「お前の分は作ってねえぞ」
これだ。お仕事仲間だろうに…。今回は脱走したオラトリオのほうが悪いので私はオラクルに味方する。
「今から作んなさい、材料はあるでしょう!」
「だってよ〜〜」
「だってもへちまもないのっ! 嫌ならいいのよ、ここ引き払って携帯の番号も変えてやるっ」
「ああっ、シグナルちゃんΣ( ̄□ ̄川)!! 悪かった、俺が悪かったからそれだけは〜〜」
「じゃあ作ってあげて♪ お・ね・が・い」
「は〜〜い」
オラトリオはふわふわと台所に立った。
「手抜きしないでちゃんと作るのよ」
「わかってるって」
じゅーと卵が焼ける匂いがする。私はオラクルに紅茶を入れてあげる。オラクルはぽかんと座っていた。
「どうかした?」
「いや、すごいなぁと思って」
「なにが?」
私が聞くとオラクルはにっこり笑ってオラトリオと私を交互に見た。
「あのオラトリオが大人しく言うこときくだなんて。不思議な人なんだね、シグナルは」
オラクルはそういってのほほんと笑っていた。確かにオラトリオは私の言うこと、聞くよね。『別れる』とか『嫌い』っていうとものすごく落ち込むし、反対に『好き』って言ってあげたり誉めたりするとものすごく喜ぶ。
「…なんだか犬をしつけてるみたいだけどね」
「そうかもね」
そういってオラクルと笑いあっているとオラトリオの低い声が響いてきた。 
「誰が犬だって?」
「お前だよ、オラトリオ」
「俺はシグナルの言うことしかきかねえの」
オラトリオは三人分の朝食が乗ったトレイをおき、テーブルに並べていく。トーストにスクランブルエッグ、それにサラダ。私ひとりの食事ならサラダはつかない。野菜を食べなきゃと思ってもなかなか手が回らないし、サラダを買うのもあんまり経済的じゃない。かと言って野菜そのものを丸ごと食べられるわけじゃなし。だから野菜を使いきれる数名での食事はありがたい。
「うわぁ、おいしそう。いただきます」
「どうぞ、食べて食べて♪」
オラトリオは私の横に座ってくっついて食べる。オラクルはオラトリオの作った食事を珍しそうにみている。
「どうしたの、食べないの?」
「毒なんかいれてねえぞ?」
「…入れたの?」
「だから入れてねえって」
私とオラトリオの漫才(?)を微笑ましそうに眺めながらオラクルはゆっくりとフォークを握る。あ、左利きなんだ。
「いや、お前が作ってるところ久しぶりに見たから…いただきます」
そういうとオラクルはちょっとずつ口に運んでいた。そして
「オラトリオ、おいしいよ」
と、微笑む。
「そっか。シグナルちゃんはどう?」
「うん、すごくおいしい」
「シグナルちゃんに喜んでもらえておにーさん、嬉しいっ♪」
オラトリオは嬉しそうに笑う。ふたりとも顔立ちは似てるけど笑顔はあんまり似てないな、と思った。



「ようこそ、<ORACLE>専用スタジオへ」
一歩脚を踏み入れるとそこは防音壁と機材に囲まれた芸術の館だった。私が通されたのは録音スタジオだったけど他にも撮影したりCGを作ったりする場所も併設しているらしい。そこはまた今度見せてやるとオラトリオは私をエスコートしてくれた。
「ほえー、これがスタジオ…」
機材の端を指でちょんとつつく。テレビでちょっと見たことがあるけど実物は初めて! ガラス張りの部屋の向こうには専用のマイクがあってあそこで録音するらしい。オラクルにせっつかれてオラトリオが中に入る。
「サボった分、ちゃんと働いてもらうからな」
『わかってるよ。今日は監視つきだかんな〜』
マイクを通して聞くオラトリオの声はテレビのそれと違ってまた新鮮だ。邪魔にならないようにオラクルの横にちょこんと座ってスタンバイするオラトリオをみてた。ふっと目が合って、お互いに微笑む。歌っている生のオラトリオを見るのも初めてだった。
『んで、どれからいく?』
「音だけは全部終わってるからどれからでもいいぞ」
するとオラトリオは一枚の楽譜を取った――『君を連れて』、新譜だ。
「じゃあ、始めるからね」
オラクルの手が機械を操作する。スタジオ内に綺麗な旋律がゆっくりと流れた。少し長めの前奏が終わり、オラトリオが歌う。

――この世界のどこに、君はいるの?
  ずっとずっと、探してた
  もう見つからないと諦めてたのに
  君はひょっこり現れて 俺をつれて行ってくれたね

  今度は俺が君を連れて
  どこにいこうか、この宇宙の果ての
  誰もいないところでふたりきり
   
  俺と、生きてくれませんか……


「よし、いいよ。リテイクなし! シグナルがいると完璧だね」
「気合入れたかんな〜、どうだった?」
「すごい…はじめて見たからなんか感動しちゃった。オラトリオってちゃんと歌手だったんだね」
私がそういうとオラクルは笑いを堪え、オラトリオはげんなりと肩を落とした。
「あれ? なんか変なこといった?」
「いいや、なんでもないよ」
「俺のイメージって…」
よくわかんないけどオラトリオががくーっとしてたからとりあえず『かっこよかったよ』とフォローしてあげた。するとさっきまで笑いたそうにしていたオラクルが私の肩をぽんと叩いた。
「そうだ、シグナルも何か歌ってみない? せっかくスタジオにきたんだし」
「え、でも私…」
<ORACLE>の前で歌えだなんてあんまりじゃない…。だけどオラトリオも乗り気になって勧めてくる。
「俺も聞いてみたいし。カラオケ行ってる感じで気楽に歌ってみろよ」
「うーん、じゃあ『子犬のワルツ』を…」
二人に強引に促されて私はひとりでスタジオに放り込まれた。ヘッドホンをつけ、マイクの位置を調整してみる。
「準備はいい? じゃあ流すよ」
そういうとオラクルは『子犬のワルツ』をカラオケヴァージョンで流してくれた。
「録音してんだろうな」
「当たり前だ」
このやりとりを知らないままに、私はカラオケにいる気分で歌ってた。違うところといえば歌詞がどこにも出ないことだ。けれど『子犬のワルツ』はちゃんと覚えたから見なくても歌える。本職の前で緊張したけど、別にデビューするわけじゃないんだし、カラオケ気分でって言われたし。明るいワルツのリズムに乗せて、私とオラトリオの出会いを歌う。春雨の振るなかで拾った子犬と、恋におちていくお話を。
「おい…」
「ああ…」
ガラスの向こうで真剣な目つきのふたり、どこか音程おかしかったかな、それとも歌詞間違えた? 本人たちの前でそれはまずいよね。歌い終わってスタジオから出る。私が出てきたのに、ふたりはまだ真剣に機材をいじっていた。オラトリオが先に気がついてにっこり笑ってくれたのでちょっとほっとした。
「あの…私なんかまずいことした?」
「なんで?」
「だってふたりとも怖い顔でこっち見てたから…」
私がそういうとふたりはようやく合点が行ったらしくなんでもないよと笑ってくれた。でも何かに驚いた様子は隠し切れてなかった。
「いや、別にそうじゃないんだけど…」
「お前さ、どっかで音楽勉強した?」
オラトリオの問いに私は首をふる。音楽なんて高校の授業以来何もしていない。
「そっか…」
オラトリオがぎゅっと私を抱きしめる。
「な、なぁに? 私何かしちゃった?」
「お前がデビューしてたら俺ら飯の食い上げだ…」
言ってることがよくわかんないよぅ…じたじたとオラトリオの腕から逃げようとするけれど逃げられたためしがない。おんぶおばけを背負ったままの私にオラクルは楽しそうにディスクを取り出した。
「聞いてみる?」
「やだっ、録音してたの?」
「オラトリオがどうしてもって言うから」
「お前だって残しときたいって言ったじゃんかよ」
そういうとオラクルはたった今焼いたばかりのCD−Rをセットした。
流れてくるメロディは『子犬のワルツ』だけど、歌っているのは私だからなんか違う感じ。こんなふうに聞く自分の声はテープで取ったのと違ってなんだか恥ずかしい。早く止めてほしかったけど二人がまた真剣に聞いているので口をはさめないでいた。ほんの5分かそこらの間、三人でじーっと私の歌を聴いていた。
「ひゃー、変な声〜。へたくそ〜〜」
「お前…マジで言ってる?」
「なんで?」
そのときオラクルから受けた説明はなんだか難しくてよくわかんなかったけど、とりあえず『私は歌がうまい』ということは理解できた。プロに誉めてもらうのはやっぱり嬉しいな。えへへ。
そのあとオラトリオは休憩しながら昨日サボった分を撮り終えた。夕飯もご馳走になってしまった。
「今度はブックレットの撮影においでよ」
「ブックレット?」
「CDに入ってる歌詞カードのことだよ」
もうすっかり暗くなっていて、でもひとりで帰れるって言ったのにオラトリオが駄目だって言ったからオラクルが運転する車で家まで送ってもらうことになった。このへんのやりとりはご想像におまかせします。いまさら言わなくてもいいよね。
「お邪魔してもいいの?」
「もちろん。オラトリオの監視もしてほしいし。君がいてくれたらスムーズに終わりそうだからね」
オラクルはそういって笑ってた。オラトリオがオラクルに何かしそうだったけど運転中でしかも私が乗っているからと寸でのところで押し留まっている。
「なんだよ、お前がシグナルを撮りたいだけだろうが」
オラトリオの突っ込みをオラクルはあっさり肯定した。
「そうだよ。この前のジャケットも評判いいし、またモデルになってほしいんだ。どう?」
「どうって…私なんかでいいの?」
「もちろんだよ。なんだかイメージが湧くんだ。ま、歌のモデルに君がいるからだろうけどね」
「オラクルっ!!」
今更言われなくても…オラトリオが私をイメージして作ってるのは知ってる。そのほうが本気で歌えるから、とも。
「認めたくないけど、お前は俺たちにとってのミューズになっちまったのさ」
俺のだったのに…と口の中で呟いているのがわかって、私はオラトリオの手をそっと握ってあげた。するとオラトリオはその手を一度どけて、改めて重ねてきた。
「…好きだぞ」
「うん」
そっと囁きあったのを、オラクルはバックミラー越しにみていた。…ごめんね。

 
 
「あ、このへんでいいよ」
私が止めてくれるように言うとオラクルはすぐにとめてくれた。
「もっと近くまで送ってやるよ」
言外にもっと一緒にいたいと言っているのがわかって苦笑した。それは私だって一緒だけど…。
「なに言ってるの、こんなところでうろうろしてるとリポーターさんに見つかっちゃうよ」
「今更かまわねえよ」
「私が嫌なの。一般人なんだから。送ってくれてありがとう」
「またね」
もういちど御礼を重ねて私は車を降りた。オラトリオも慌てて降りてくる。
「5分くれ、5分で戻ってくる」
「5分だぞ」
そういってオラトリオは少し歩いたところに私を引きずり込んだ。
「な、何?」
「ここなら、みつかんねぇし」
オラトリオは、ぎゅっと私を抱きしめた。また…しばらく会えないからね。
――<ORACLE>の全国ライブツアーがはじまるから。『お前を置いて行きたくない』とさんざん駄々をこね、挙句『休学してついて来い』なんて言ってた。そんなの無理だって言ったら『じゃあライブツアーなんかしない』と言い出して、説得するのに3日を要したくらい。
「…寂しくなるな、お前に会えないのは」
「…それは、私だって」
好きな人に会えないのは、やっぱり嫌。しかも芸能人と一般人、すれ違うこともたくさんある。
「でも私、歌ってるオラトリオも好き。必ず見に行くから…」
「…頑張ってくるわ」
「うん…」
紫の瞳がゆっくり近づいてくる。大きな腕に抱かれて、熱い口づけを受ける。
「…気をつけてね。お土産期待してる」
「…ああ」
もう一度、軽めのキスをして、オラトリオは名残惜しそうに立ち去った。



それから一ヶ月が過ぎた。
<ORACLE>のライブツアーも絶好調で、観客動員数はまた記録になった。
私のところには<ORACLE>から荷物が届く。ライブで作ったグッズだとか、スタッフと撮った写真だとか、現地の名産品だとか。この前は福岡から明太子とお茶を送ってもらった。わーいわーい。今度は秋田のきりたんぽだ、わーいわーい。おうちで全国グルメ紀行♪ 恋人がミュージシャンてのも悪くないね、うん。
「さてと、そろそろ行くかな」
今日はライブツアーの最終日。約束どおり見に行くのだ。でも普通に見に行くんじゃなくてなんと楽屋にお邪魔していいってオラトリオが言ってきたのだ。だから少し早めに来てほしいとも。<ORACLE>が何かを企んでいることも知らずに私はのこのこと出かけていったのだった。

「そんな〜、聞いてないよぅ〜〜」
「だから今話してるだろ?」
「オラトリオっ!!」
ライブのラストに『子犬のワルツ』を歌う。それはいい、いいんだけど
「どうして私が出なきゃいけないのっ!」
「いやあ、そのほうが演出的に楽しいかと思って」
「ふえ〜〜ん、他に出来る人いるでしょう? それに他のステージはどうしてたのよっ!!」
「最終公演だけのおまけだもんよ、やってるわけねえじゃん」
「ぬぅぅぅ〜〜」
「時間がないんだよ、もうリハ始めるから」
「ちょっと、私やるなんて言ってない〜〜っ!!」
…抵抗空しく引きずられ、幕。

ざあああ…と雨の音、それからカクテル光線。ステージ中央、うなだれて座るオラトリオ。スポットライトを浴びて浮かぶ上がる大きな影。観客のざわめき…。
傘を持って、オラトリオのことろまで――歩く一歩がとても重い。
しーんと静まりかえる場内、視線が全部私に刺さるようで、痛い。
オラトリオはこんななかで、いつもいつも歌っていたんだ…。

――すごいね、ふたりは。

「…どうしたの、こんなことろで」
「あー、お嬢さん…」
「風邪引いちゃうよ?」
「行くところがないもんで」
「行き倒れ?」
「まあ、そんなかんじです…」
「ふーん…」
ここでくるりとターン。転んじゃ駄目よ、私!!
「よかったらうちにくる? 捨て犬さん」
「…よろこんで」
差し伸べた手を取って、オラトリオが立ち上がる。そしてオラクルが現れてギターを奏でる。
歌う、オラトリオ。演奏する、オラクル。
その日は、まるで夢みたいだった――。


『子犬のワルツ』はアンコールで予定されていた曲で、これでライブは終わる。
ライブに参加していたスタッフ全員の紹介があって、それから最後にオラトリオは、こともあろうに私を引きずり出したのだ!
「最後に、我ら<ORACLE>最愛の女神様に――」
そういってオラトリオは私の右に、オラクルは左に跪き、恭しく手の甲にキスをした!! きゃあああああ(>_<)
観客一同大盛り上がり。私は意識が遠くなって……。

気がついたら控え室だった。
「よかった、気がついた?」
「ここどこ?」
「控え室だよ。ごめんね、やりすぎちゃったみたいで」 
思い出してふつふつと怒りが湧き上がる。
「もー二度とライブ行かない…」
私がそう呟くとふたりがかりで宥めてきた。
「明日から大学にいけない〜〜」
「いいじゃん。大学辞めてお兄ちゃんのそばにいろよ」
「オラトリオっ!!」
「ふえ〜〜ん(*_*)」
「ああっ、泣かないで、シグナルちゃん\(゚ロ\)(/ロ゚)/」
「みゅ〜〜」
それからご飯を食べさせてもらったので落ち着いた。まだ怒っているには怒っているけどけど、結構楽しかったのも事実なので許してあげることにした。
 


次の日。
「昨日の<ORACLE>のライブ、すごかったよ〜」
「ヘ、へえ…」
しまった、私の友達にお金があったら全国追っかけていくのに…ってバイトしてるくらいの<ORACLE>狂ともいうべきファンがいたっけ。当然昨日のライブも来てたよね。どきどきしながら話の続きを聞いた。
「ラストがね、『子犬のワルツ』だったんだけど、よかったぁ(´д`)。女の子が出てきてオラトリオを拾うのよ〜、しかもその子、挨拶にまで出てきて、二人からキスされてんの〜〜」
「そ、そうなんだ…すごい演出だね」
「そうなの。しかもオラトリオに抱きかかえられて退場したのよ、羨ましい〜〜(>_<)」
だっ、抱きかかえられてっ!? あんな大勢のまえで抱きかかえたのっ!? そんなこといわなかったじゃない〜〜!!
「どうしたの、シグ〜」
「あっ、いや、なんでもない…」
まさか、まさかまさか『それは私です』なんて恥ずかしくて言えない…。
「ライブのDVDが出たら絶対買おうっと」
でぃーぶいでぃΣ( ̄□ ̄川)?! しまった、<ORACLE>はライブのDVD、出してたっけ!?
あ…あああああ…あああああああ〜〜〜〜。

 

憤然として家に戻るとまた鍵が開いていた。
「オラトリオっ!!」
「よう、お帰り…って、どったの?」
「どったのじゃないっ!! もー、ばかばかばかばかっ!!」
「だからなんなんだよ」
「昨日のあれ、DVDに収録するんじゃないでしょうね?」
「あれを入れないでどうすんだよ」
「だめだめだめだめ、ぜーったいだめっ!!」
「なんでぇ? よく撮れてるじゃん♪」
そういうとオラトリオはテレビを指差す。ビデオをまわして、昨日のライブをみているじゃないの。しかも『子犬のワルツ』を!!
「綺麗だろ? オラクルも喜んでたぜ〜」
愕然と座り込んだ私を抱きすくめ、オラトリオはほお擦りする。抵抗も忘れて、私はしくしく泣き出した。
「な、何で泣くんだ( ̄□ ̄川)」
「もーやだぁ〜、お外歩けない〜〜、お嫁にいけない〜〜(;_;)」
オラトリオは私が泣いているわけがようやく解ったらしく、ぽんぽんと軽く頭をなでてくれた。
「大丈夫だって、お前だってわかんないようにデジタル処理するから」
「…本当?」
「ほんとほんと。万が一ばれたって大丈夫♪」
「どーして?」
「お兄ちゃんが責任を持ってお嫁さんにしてあげるから。な?」
そういうとオラトリオはぎゅっと私を抱きしめ、目尻にたまった涙を吸う。


もーどーでもいいや。
そう思った瞬間から、私の一生は決まったも同然だった。

 

今夜再び、素敵な犬にワルツを踊らされる…。





≪終≫




≪仕事は人生に味をつける塩である≫
それがどーした(笑)。このお話は『素敵な犬とワルツを』の続きになってますのでそっちを読んでないとどういう経緯でオラトリオとシグナルが恋人同士なのかわからないですので、まだの方は合わせてお読みくださいね(ぅおい)
オラトリオを振り回すシグナルもいいけど、やっぱりシグナルはオラトリオに振り回されてなくっちゃ、というわけで(どういうわけだか)、本来は続き物なんてあんまり書かない私が書いてしまいました。いいんだろうか、これで。
もーどーでもいいや。弓でも鉄砲でも持ってこいっちゅーんじゃ(←嘘。如月は弱い生き物なのでそっとしておいてください)

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