カーテンの揺れる午後 〜双子座の彼氏未満



「あんた恋愛ナメてない?」




「ねぇ、サガとカノンは双子だよね?」
ふわふわの巻き毛を指に巻きつけながら、その女性は尋ねてきた。
彼らが双子だというはもはや周知の事実だというのに彼女は一体何を言うのだろうと、彼らは顔を見合わせた。
「ああ、残念ながら双子なんだ…」
「残念ながらってなんだ」
兄の言葉に弟が突っ込む。すると向かいに座っているその女性はふーんと呟いた。
「それがどうかしたかい、アフロディーテ」
「うん、ちょっと気になったから」
「気になったって何が?」
アフロディーテと呼ばれたその女性はご自慢のお手製紅茶を飲んで一息入れた。
「いやね、双子って同じ人を好きになるって言うじゃない? 二人もそうなのかなーって思って」
サガが兄で、カノンが弟。
ふたりは自分の大事な人を思い浮かべてちょっと照れた。
「たぶん、違うと思う。双子だからってそこまで似たりはしない」
否定したのはサガだったが、カノンもこれには同意する。
自分は死んだってこのアフロディーテだけは相手にしないと心底思っているからだ。それに彼女とは全く違うタイプの少女がカノンの思う人なのだ。
もう一度その少女の笑顔を思い浮かべて、けれどそんなこととはおくびにも出さないカノンは静かに茶を飲んだ。
するとアフロディーテが頬杖をついて面白そうに言った。
「だけどふたりともロリコンだってところは一致してるよね?」
湯を足そうと席を立ちかけたサガはあやうくティーポットを落としそうになった。カノンは盛大に吹いた。
「やだ、汚い」
「お、おかしなことを言うからだ!」
「えー、だってさー。サガとはじめて寝たときは私まだ14だったよ? サガ、そのときいくつだっけ?」
彼はあうーといいかけた口で固まっている。
「ちょ、ちょうど19の春でした…」
それから数ヵ月後にサガは20になった。
当時で5歳の差というとあまり離れていないように思うが当時14歳の少女と、ということになればロリコンの称号を得てもなんら不思議でもない。
「このバカ兄はそこまで変態だったのか…」
「誰がバカ兄だ!! だいたいお前に変態呼ばわりされる筋合いはないぞ!!」
ティーポットを持つ手とは反対の手で、彼はテーブルを叩いた。
「壊さないでね、瞬から贈ってもらったウェッジウッドなんだから」
そういうとアフロディーテはサガの手からポットをもぎ取った。
瞬の名が出て、サガはにやりと笑う。
「お前、瞬がいくつだか分かっているのか? 13だぞ、13。お前はいくつだ? ん?」
ピタピタとケーキナイフを頬に当てるこの兄の憎っらたしいほどの笑顔が癪に障る。
「に、にじゅうはち…だ」
双子なんだから聞くなよ、とも思う。
「28。そうだ、28だ。瞬とは15も離れているじゃないか。お前は私の3倍はロリコンだ」
「ロリコンだっていうのは認めちゃうんだ」
アフロディーテの呟きが聞こえないほど、サガはこの弟をいじめるのに必死だ。
「私の3倍ロリコンなのだから私の3倍は変態だ」
「誰が変態だ!」
「どーでもいいんだけどさぁ」
サガのかわりに茶葉を変え、湯を足したアフロディーテがこの不毛な兄弟喧嘩にさりげなく終止符を打った。
彼女の鋭い瞳がカノンを捉える。
「カノン、あんた瞬に告白くらいしたの?」
「うっ…」
そういって唸っただけなのにアフロディーテははあっと盛大にため息をついた。
要するにまだ告白もしていないのだ、このヘタレた弟君は。
「15歳年下の女の子に告白もできないでただ妄想してるだけじゃそれこそ真性の変態ね」
アフロディーテの言葉はスカーレットニードルのように彼の心をえぐった。
「変態っていうか意気地なしと言うか」
兄の言葉がアンタレス。
カノンは何も言い返せずに双魚宮を後にした。
「あらら、泣かしちゃったかな」
「大丈夫だろう。あれくらい言ってやらないと。それにしてもアフロディーテ」
「なぁに?」
無邪気な恋人にサガは悪くなる顔色を隠さずに言った。
「魔宮薔薇(デモンローズ)で紅茶を作るのはやめなさいとあれほど言っただろう…」
「あらら、混ざってた?」
ごめんねー、と言いながら解毒剤をくれる。そんな女でも惚れたのは間違いなく自分。



秘めた恋ほど周囲に伝わりやすく、それなのに当の本人には全く気づかれないという不思議さ。
まあカノンはギリシアで、瞬は日本で暮らしているのだからそうそう本人に伝わることもない。
老師が送ってくれた『先手必勝』と『風林火山』の掛け軸が空しい。
(ってゆーか誰だよ、現役引退して女と山に篭ったあのジジイに言ったのは…)
遠い白羊宮の住人がしたくしゃみなど聞こえるはずもない。
閑散とした双児宮の床に座り、ふうと息を吐いた。
壁にもたれかかり、じっと床を見つめる。冷たい石作りの床がまるで自分の心のようだった。
「瞬…」
細い少女の体に秘めた情熱的な小宇宙に惚れた。
あの一輝の妹とは信じられないほど可憐なその姿はまさにアンドロメダにふさわしいと思った。
誰も傷つけたくないと願う優しさ。大事な人が傷つけられればそれ以上傷つかぬようにと護る強さ。
それが瞬という少女だった。
戦いの場において感傷的になる彼女に苛々はしたものの、それが彼女の本質だと知れば今度は思わずにはいられなかった。
「好きだって言えればこんな苦労はしないよ、けど…」
だけど、勝ち目はないかもしれない。
先日瞬はアテナの親書を持ってこの聖域を訪れた。兄サガの教皇就任を要請するものだ。
そのときの瞬はアテナの使者にふさわしい、清らかでたおやかな、けれど凛とした姿で黄金聖闘士たちの前に現れた。
綺麗になったと思った。
ふと手を伸ばせば届いたのかもしれない、そう、日没までは。
まるで魂の奥から引き合うように、彼女はあの男の腕に飛び込んだ。
『…ここまで来てくれたんですか?』
『そなたの小宇宙を辿ってきた。そんなこと余には児戯に等しい』
聖域のはずれにある花畑で瞬を抱きしめていた黒衣の男にカノンは愕然とした。
いくらなんでもそれはないだろうと。
瞬を抱きしめていた男は冥王ハーデス、瞬を憑代に選んだ冥府の王。
「目の付け所は悪くない。瞬は可愛いし。けどよりによってハーデスはないだろ、ハーデスは」
カノンは腕を目に当てて天を仰いだ。
泣ければ楽になるかもしれなかったのに、泣けなかった。
ただ、思い浮かべるのは瞬の笑顔だけ。
「寝癖が超次元なのに…」
あんな男のどこがいいのだろうと、カノンはぼんやり考えていた。
多分、熱烈に思いを伝えたかどうかの差だということにまだ気づかない。



瞬は久しぶりにのんびりとした午後を過ごしていた。
城戸邸の別館は星矢たち5人のために用意された(城戸邸内では)小さな建物だ。
以前はメイドさんがいたのだが聖闘士との暮らしについていけませんといって辞めてしまい、それからは瞬と紫龍で家事の一切をまかなっている。多分、ソファの下を掃除しようとして片手で持ち上げたのがまずかった。
「いい天気ー」
星矢は星の子学園で小さい子供たちの面倒を見ている。氷河はお昼寝の真っ最中だし、兄一輝も何をしているのかは知らないけど今日は静かだ。紫龍は沙織とともに出かけていていない。
洗濯物がひらひらと風に舞うのを瞬は楽しそうに見つめていた。
こういう日は外においてあるテーブルにお気に入りのティーセットを持ち出して読書をするのが瞬の数少ない楽しみでもあった。
アフロディーテがくれたバラの紅茶をポットに入れ、蒸らす。
瞬は彼女に教わったゴールデンルールで紅茶を入れるとトレイに乗せて外に出た。
「こんなに静かだと、急に何か起こりそうな気がするよ…」
そんな冗談を言いながらテーブルにトレイを置く。カップに注がれる琥珀色の紅茶はバラの香り。
大き目のセーターにタイトなロングスカートの少女。
小春日和の昼下がりにほんのり幸せなティータイム。
「だけど本当に平和だなぁ…」
馥郁と香るバラの香りに瞬は本当に幸せそうに呟いた。
それからしばらくゆっくりと本を読んでいた。丁寧に読み進めていく。
数ページ読み進んだところで、瞬は栞を指してパタンと閉じた。
「そんなところにいないで、こっちに来ればいいのに…」
瞬は少しいじわるそうな顔をして少し大きな声で言った。
「見くびられたもんです。私だって聖闘士なんだから気配には気がつきますよ」
後ろの茂みががさっと動いた。
強大な黄金の小宇宙を隠し果せるはずもなく。
瞬はゆっくりと席を立って振り向いた。
「こんにちわ、カノン」
青年の長い金の髪が風にざわりと揺れた。



ダークブラックの細身のジーンズとオフホワイトのVネックシャツというラフな服装で瞬の前に現れたカノンはじっと彼女を見つめていた。
「いつ、こちらへ?」
「たった今。ギリシアからテレポーテイションして…」
空間移動など、黄金聖闘士には造作もないことだ。
けれど、それだけだ。恋愛に関しては黄金も青銅も関係ない。人の心だけはどうしようもないものだ。
心を壊すことは出来ても、恋という気持ちで心を繋ぐことなど、容易ではない。
微動だにしないカノンを見つめて、瞬は微笑をわずかに崩した。彼の表情にタダならぬものを感じたからだ。
「何かあったんですか?」
「いや、個人的な用で…」
「沙織さんに御用ですか?」
「いや…君に」
どこか歯切れの悪いカノンを不思議に思いながら瞬は彼の手をとった。
自分の手に触れている瞬の指がほんのり温かい。
小さな手なのにこの手は大事な何かを掴んだら離さない。
「…座ってください、お茶入れますから」
「あ、ああ…」
与えられた椅子はカノンには少し小さかった。長い脚をかなり投げ出す。
瞬はもう一脚ティーカップとソーサーを持ってきた。透明なポットの中で鮮やかな真紅が華麗に舞い踊る。
けれどカノンはそれよりも瞬の仕草に見惚れていた。
穏やかな笑みは絶やさぬまま、慣れた手つきで茶を入れてくれる。アフロディーテだって同じことをするのにどうして瞬にだけこんなに惹きつけられるんだろうとぼんやり考えたこともあった。
多分、その頃から好きだった。
「はい、どうぞ」
「すまない…」
亜麻色の髪を耳にかけるその仕草さえ、愛しくて。
「いい天気ですねー」
「あ、ああ…」
瞬は一口紅茶を含んで唇をぬらした。
「私に御用ってなんですか?」
カノンはさっきからごく僅かな単語でしかしゃべっていない自分に気がついた。
いつまでもこれでいいとは思わない。
「瞬、あのな…」
「はい、なんでしょう」
瞬は膝の上に手を置いてカノンの話を待っている。
ここで言わなければわざわざギリシアから何をしにきたのかわからない。
カノンは意を決した。
「瞬、俺は…君が好きだ」
「………」
イッター!! とカノンは思った。
瞬はなにを言われたのかイマイチ理解できなかったのかきょとんとしたままだ。長い沈黙の後、瞬はやっと頬を紅く染めた。
「あ、あの…」
「俺は君が好きだと言った」
「はぁ…」
瞬は軽く握った拳を口元に当てている。どうやら困惑しているようだ。
無理もない。瞬は冥王ハーデスから求婚されていて、今は結婚を前提に交際しているという。
そんな相手がいるのにこのタイミングで言うかフツー、というアフロディーテの声が聞こえてきそうだが、きっと言わないままでいるよりはマシだったと思う。
「…君にその…そういう相手がいるのは知っている。でも俺も君が好きだと言うことを知っていてほしいんだ…」
「…はい」
瞬は消え入りそうな声で答えてくれた。
ざわ、と風が木々を揺する。
瞬の心も同じようにざわめいているのだろうか。
まだ13歳、普通の少女に戻って間もない彼女に、これは酷な事だろうかと思案してみたとてもう遅い。
「…一つ聞きたい」
「なんですか?」
カノンはゆっくりと瞳を巡らせて、それから瞬を見た。とても視線を合わせられそうになく、明後日の方向を見ながら話す。
「どうして君は、ハーデスの求婚を受け入れたんだ?」
カノンの問いに瞬は少しだけなにかを思案した。彼女の中で答えをまとめているのだろう、少し上のほうを見ながらうーんと唸った。
「まだ、求婚自体を受け入れたわけじゃないんですけど…多分、初めてだったからだと思いますよ」
「初めて?」
瞬は穏やかに頷いた。
「男のひとから『好きだ』って言われたの、初めてだったんです…」
瞬がまた少しだけ頬を染める。両手で包んだカップから伝わる熱が何かを思い出させた。
「あのひとは…私をじっと見て、好きだって言うんです。それも一度じゃなくて何度も。恋なんてしたことなかったから…どうしたらいいのかわからなかったんですけど、あのひとの言ってくれる『好き』っていう言葉とか声とか、すごく気持ちよくて…」
「…あんなに超次元な寝癖なのに、か?」
「あれは寝癖じゃなくて地の髪型らしいですよ。それに私は男のひとを寝癖で判断したりしません」
カノンのツッコミに瞬は苦笑した。
確かにすごい髪型ではあるけれど、でも絹のように滑るあの髪は夜空をそのまま纏っているかのように美しい。
髪を梳いてあげれば王者の風格とでも言おうか、ゆったりとした表情さえ見せる。
たったそれだけのことでも、冥王との恋もまんざらではないなと思う。
恋を楽しむ少女に、カノンは最後の問いを投げかけた。
「俺にまだ…入り込む余地はあるのかな」
「それは…頑張ってみてくださいね。決めるのは…多分私ですから」
その微笑さえ、少女のものとは思えぬほど、大人びてはいるけれど。まだ瞬自身でどうしたらいいのかはわかっていないのだと思う。だから頑張れと言うほかないのだ。
神と、黄金聖闘士の両方に懸想された少女は相変わらずの微笑を続けていた。


――忘れてはいけない。鎖に捕らわれていた少女はただの少女ではなかった事を。
彼女はアンドロメダ。エチオピアの王女様なのだ。
『決めるのは私ですから』はまさしく姫発言と言えよう。


「…お茶、入れ替えてきますね」
そう言って立ちあがり、カップを取ろうとカノンの横を通りすぎようとした瞬間。
まさに電光石火。
「好きだ…」
自分よりもかなり大きなカノンに抱きすくめられていた。
「カノン、私…」
「…ゆっくりでいい。俺も随分のんびりしてしまった」
戦場で感傷的になるなと言った自分なのに、とカノンは自省する。
目の前にいる想い人に、気持ちを伝えないでどうする。フラれたと自覚するまでは攻めて攻めて押して押して。
一人の女性を巡るこの恋は戦いのそれとよく似ている。
カノンは黙って瞬に口付けた。
それは柔らかく、温かく、ほんのりとバラの香りがした。
驚いた瞬はカノンの胸板を押し返そうとするが青年、しかも黄金聖闘士を相手にうまくいくはずもない。
(いっつも不意打ち…っ…)
冥王も、カノンも。
ようやく唇を離してくれたカノンは、照れ隠しなのか瞬の亜麻色の髪を優しく撫でた。
その大きな手は冥王のものとは違って骨ばった男らしい手、熱くて固い闘士の手。
「カノン…」
「…また来るよ」
それだけ言うと、彼の姿は消えた。
一人残された瞬は呆然と彼のいたところを見る。もう誰もいない、この冬の庭に自分だけが取り残されている。
瞬はへなへなと椅子に座りこんだ。
「ど・どうしよう…」
彼が帰ったあとで事の重大さが急に実感できてしまった。



瞬は台所に立って夕飯の用意をしていた。もうそろそろおなかをすかせた星矢が戻ってくるはずだ。
そして冥王な彼氏も日没とともに現れる。
ことこととカレーを煮ながら瞬はカノンのことを思い出していた。
ハーデスとカノン。恋人にするならどっち? というこの状況で選ぶのは確かに自分だ。
ただハーデスとは付き合い始めたばかりだし、カノンに関しては未知数だし。
「なんで頑張ってなんて言っちゃったんだろう、私…」
人を好きになるのに順番もなにも関係ないとは思う。頑張れば想いだって伝わるとは思う。
だけど、あんまり無責任だったかもしれない。
どちらかを選べば、必ず残された誰かを傷つけてしまうことになる。
あるいはどちらも選べずに、この身を滅ぼす事になるかもしれない。
「瞬! カレーが焦げてるぞ!! 瞬!!」
「…え? あっ、やだっ!!」
ぼーっとしていた瞬とカレー鍋の間に紫龍の手が伸びてきて火を止めてくれたのでカレーは大事に至らずに済んだ。
「大丈夫か、瞬」
「ありがとう、紫龍。ちょっと考え事してて…」
「考え事?」
紫龍はとなりでレタスをほぐしはじめた。彼の思慮深い瞳に瞬はぽつりぽつりと話し始めた。
「今日…男の人に好きだって言われたんです…」
「…あの冥王にじゃなくてか?」
瞬はそれが誰とは言わなかったのだが少し恥ずかしそうに頷いたので紫龍はなんとなくそれが誰なのかを察した。
(あいつ…誰かに蹴飛ばされてきたんじゃないだろうな)
ガラスの器にレタスを入れ、その上にたまねぎのスライスや貝割れ大根を乗せる。
そこに星矢が帰ってきた。
「ただいまー!!」
「お帰り、星矢。今日はあんまり汚さなかったね」
元気いっぱいの星矢はいつも子供たちとおおはしゃぎで遊びまわるので服は汚れていたり破れていたりする。
「だって瞬が怒るから」
「そんなに怒らないよ。さ、ご飯にするから手を洗って。今日は星矢の好きなカレーだよ」
「やったー! ゆで卵は?」
「もちろんあるよー」
やったー、と叫びながら星矢は手を洗いに行った。
この城戸邸別館において瞬の機嫌を損ねることはすぐに我が身に直結する。
それを、身を持って教えてくれたのは氷河だった。
その氷河はまだ昼寝から目覚めておらず、夕飯は食べないことも多いので無視。
兄一輝は先ほど沙織に呼ばれて本館のほうへ出向いたので今日の夕飯は3人だけだ。
おいしそうにカレーを食べる星矢はあっという間にお変わりを差し出した。
「おかわり」
「いいけど、もっとゆっくり食べなくちゃ」
「だっておいしいもん」
「星矢は嬉しいこと言ってくれるね」
だから好かれるんだと思う。
「ねぇ、星矢は好きな女の子とかいないの?」
「ふひなほんなのほ?」
レタスを口いっぱいに頬張っていた星矢の発音は不明瞭だった。もぎゅもぎゅと噛んで飲み込むと星矢はうーんと考え出した。
「美穂ちゃんのことも好きだし…魔鈴さんも…嫌いじゃない。シャイナさんも。沙織さんは…うん、沙織さんのことも、俺好きだ。いちばん好きなのは瞬かな。おいしいものいっぱい作ってくれるし、優しいし」
そういってにかっと笑った星矢に瞬は優しく微笑みかけた。
「そっか。好きな人がいっぱいいるっていいね」
それは瞬がほしかった答えではなかったけど、星矢の子供っぽさが彼女を少しだけ楽にした。
「紫龍はどうなの?」
「おおお、俺か?」
言われて紫龍が思い浮かべるのが誰なのか知っていても聞いてみたくて。
「俺には…うん、大事な人がいるよ」
自分のために祈ってくれる、幼い日をともにした黒髪の少女。今度会いにいこうと思う。
それから瞬はゆっくりと夕食を食べ、後片付けまでしてから部屋に戻った。



「いらしてたんですか」
部屋の中に黒衣の神。彼の前に鍵など通用しない。
冥王は瞬の部屋のソファに座ってじっとしていた。
「日が落ちたら来るという約束。余は一度も違えてはおらぬ。そなたの食事が終わるまで待っていた」
「それはそれは」
彼が訪れ始めて数週間。超次元に捩れた死の神はだんだんおりこうになっていく。
おりこうにはなっていくのだけど、それを盾にして甘えることも覚え始めた。
横に座った途端抱き寄せられ、口づけられる。
「こら、ハーデス」
「大人しく待っていたごほうびだ」
ぐっと顔が近づいてきたので観念した瞬だったが、いつまでも唇に触れる気配がない。
「…どうかしました?」
「…他の男の小宇宙を感じるぞ」
光差さぬ深海のような瞳が悲しそうに伏せられた。そして何を思ったのかふんふんと鼻を鳴らすようにして瞬の体を調べ始めた。
「仕方ないでしょう、この別館で暮らしてるのは、私以外はみんな男なんですよ?」
「ちがう。ペガサスたちのものではない…余の知らぬ男だな、これは」
瞬の胸元を嗅ぐようにしていたハーデスがふっと顔を上げた。
「…余はこんなにそなたを思っているのに、そなたは余を捨てて他の男に走るのか?」
「浮気なんかしてません。誓ってもいいですよ」
鮮やかな光を弾く瞬の瞳にハーデスは押し黙ってしまう。
「…余が好きか?」
「好きですよ」
ハーデスはにっこり笑って瞬を抱きしめた。
愛しているとは言われなかったのに。
「…ねぇ、ハーデス」
「なんだ?」
眸を閉じて、そっと告げてみる。
「もし…もしですよ。私のことを恋人として好きだっていう男の人が現れたらどうします?」
「殺す」
あっさり言ってのけた冥王様。現実になりそうで怖い。
「殺すって…」
「余は死の神だぞ、造作もないことだ。でも…」
「でも…なんです?」
ハーデスはそっと瞬の頬に手を添えた。
「そなたが悲しむことはしたくない。そういう男には正々堂々と立ち向かうこととする。余は負けないぞ」
「ハーデス…」
ぎゅっと握られた手、寄せられた唇を瞬は素直に受け入れた。
やっぱり男性陣に頑張ってもらうしか、この答えは見つからないような気がした。



恋という鎖から彼女を解き放つペルセウスは誰か



瞬がハーデスの腕の中にいた頃、双魚宮には教皇サガとその恋人アフロディーテが食後のお茶を楽しんでいた。
「あ、お湯がなくなってしまったな。カノン、お前沸かして来い」
「何で俺が」
「教皇である私に黙って聖域を抜け出した罰だ」
「誰だよ、お前を教皇にしたの」
ぶつぶつ言いながら席を立ったカノンにアフロディーテお得意の突込みが刺さる。
「アテナの御下命でしょ。勅書もちゃんと下ったし。要請書を持ってきたのは瞬だったわよね」
「わかったらさっさと行って来い」
昔からサガは兄貴風をびゅーびゅー吹かせるやつだった、とカノンは諦めてキッチンに入った。ケトルに水を入れて火にかける。赤い炎が湯を沸かしている間、彼は瞬のことを思い出していた。
くるりと抱き込んで、口づけた。
「…柔らかかったな」
体も、唇も。
自分より幼くて、体も小さな少女。よく聖闘士なんかやってこれたなと思うくらい優しすぎる瞬。
けれどそれはずっとほしかったもの。
双子でありながら日の目を見ることが出来なかったもうひとりの双子座の黄金聖闘士。
「神になりそこなったのだから、せめて恋人くらいには…」
亜麻色の髪の乙女に懸想した冥王がいてももう構うまい、覚悟は出来た。
ケトルの細い口がしゅんしゅんと湯気を上げ始める。
「瞬瞬うるさいぞ! 女々しいやつめ!!」
「俺じゃない!!」
カノンはケトルの取っ手を素手で掴む。熱かったが我慢した。
「どこに湯がいるんだ、お前の頭か?」
「兄に熱湯をかけるというのか、このロリコンめが」
「兄なら兄らしいことをしたらどうだ、初代ロリコン」
カノンがテーブルの上に置いたケトルをとったアフロディーテはゆっくりとポットに移し変えた。
「喧嘩するなら外でやってくれる? ここは私んちなんだけど。終わったらサガ、ちゃんと帰ってきてね」
アフロディーテは睨みあう双子を容赦なく蹴りだした。
いくらサガが恋人といっても兄弟喧嘩に巻き込まれるのはごめんだ。
「瞬がくれたウェッジウッドだって何度言ったらわかるのよ」
そういってアフロディーテはそっとカップを持ち上げた。そしてその贈り主に向けるかのように微笑みかける。
「瞬も大変ね…」
カノンが聖域を抜け出した理由を、彼女はとうに見抜いていた。きっと日本にいる瞬のところに行ったのだ。そして何かしらのことをしてきたのだと容易に推測できる。
ことり、と小さな音を立てて置かれたカップを、アフロディーテの細い指が弄ぶ。
「困ったら何でも言ってね、瞬…」
胸に白い花束を抱くのが似合う、アンドロメダの聖闘士。
アフロディーテは彼女を妹のように愛していた。
愛と美の女神の名を冠する魚座の聖闘士は他人の色恋を面白そうに眺めているわけではない。
「そういう私も、サガとはいろいろあったんだけどね」
思い出に浸ろうとしたそのとき、外から聞こえてきた轟音がそれを遮った。
窓からひょっこり顔を出すと双魚宮と宝瓶宮の間の階段でギャラクシアンエクスプロージョンがぶつかり合っている。
おそらくちょっとでも心乱したほうが負けだ。
「ありゃ当分終わらないわね…先にお風呂入ってようっと」
いつの時代、どの世界でも男はバカだ。





恋はいつだってステキだけど
答えはどこにもないから一生懸命探さなくちゃ



カーテンが揺れる午後
同じように心揺れても
愛する人だけは、自分で決めたい






≪終≫




≪汚名返上名誉挽回≫
せっかくヘタレを返上できたのに今度はロリコンだってさ、カノンwwwww
まあ、なんだ。可憐な少女の顔をした最強姫の住まう城戸邸別館へようこそ、が真の副題です。
とりあえず頑張れ、カノン。

注: 文字用の領域がありません!

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