翼を探して お願い 背徳だなんて言わないで 一メートル先も見えないほどの土砂降りの中を少年と少女が駆けてくる。ふたりはせめて視界だけは保とうと腕をかざして雨を避けてはいるがそれもままならない。 仕方なく飛び込んだ軒先でふたりはようやく息をついた。 「ひっでぇ雨。こんなに降るなんて、天気予報で言ってたか?」 「通り雨にしてはひどいよねぇ……」 亜麻色の髪の少女は頬に貼りついた自分の髪を指先で丁寧に剥がす。栗色の髪の少年はまるで子犬のように頭を振って水滴を飛ばす。飛び散った雨がかかると、少女は抗議の声をあげた。 「もー、星矢ったらぁ……」 「あ、瞬。ごめん……」 少年が星矢で、少女が瞬。 ふたりは未だに降り止まぬ雨を見つめていた。 瞬がそっと星矢の頬にハンカチを当てる。 「瞬?」 「濡れちゃったね、星矢」 彼女のポケットに入っていたハンカチもこのひどい雨のせいでしっとりとしてはいたが、それでもないよりはましなのだろう。瞬はせめてもと、星矢の頬を拭った。 その優しい笑顔とハンカチの感触を星矢は幼い頃から忘れたことはなかった。 喧嘩して泥だらけになった自分の顔や足をふいてくれた幼馴染の女の子。綺麗なハンカチが汚れても星矢のためならといつも笑ってくれていた。 そんなことを懐かしく思い出しながら、だけどと星矢は瞬の手を止める。 「いいよ、瞬……」 「どうして?」 「だってそれ、瞬のハンカチじゃん。自分を拭けよ」 そう言って星矢は瞬の行為をやんわりと断って自分のポケットに手を入れる。 が、普段からハンカチなど持ち歩くはずもない彼のポケットにそれが入っているはずもなく、無駄に引っ張りまわしてみて瞬の失笑を買う。 「いいんだよ、星矢」 濡れたハンカチをぎゅっと絞る瞬の指先が水できらりと光った。 水に濡れた瞬はどこかキラキラと煌いて――瞬、という名がここまでぴったり来るのを星矢は初めて見たような気がした。 「星矢に風邪ひいてほしくないもん……」 「俺たち聖闘士なんだぜ? そう簡単に……はっくしゅん!!」 突然のくしゃみの驚きつつも、瞬はほら見なさいと星矢を拭き続けた。 「聖闘士だって生身の人間なの。怪我をすれば血だって流れるし、風邪だってひくの」 「だけどさー」 「じゃあ星矢はいったーい注射をしてもらって、にっがーいお薬が飲みたいんだ」 いったーいとにっがーいをいやに力強く言われて星矢はぐっと押し黙る。星矢は注射も薬も大嫌いだ。元来、じっとしていることが苦手な星矢は病院という環境も嫌いだ。 くすくす笑う瞬に少しむっとしながら星矢が負けじと言い返す。 「瞬だって、風邪引くじゃん……」 「だけど星矢ほど我侭は言わないよ?」 彼女の同腹の兄である一輝がやたら大袈裟に心配するだけだと瞬は笑ってみせた。 けれど星矢はそんな瞬を見て、急に不安になるときがある。 こうやって自分にために何かしてくれるのは嬉しいけれどどこかで瞬が犠牲になっているんじゃないのか、と。 幼い頃持っていたハンカチもそうだった。 瞬はそれをいつも大事そうに持っていたのに星矢の血と泥で汚してしまった。 彼女の守護星座を思えば、その優しさも自己犠牲もしかたがないのかもしれない。 だけどそれだけで終わってほしくないとペガサスの少年は思う。 「俺だって、瞬には風邪ひいてほしくない」 星矢はぎゅっと瞬を抱きしめた。 細くて、白くて、ちょっと力をこめただけで壊れてしまいそうな少女の体。 でも柔らかくて温かくて優しい匂いのする瞬の心。 お互い濡れたままなのもかまわずにそっとそっと抱きしめあって。 「星矢……また背が伸びたね」 「……そっか?」 「うん、ちょっと前まで同じくらいだったのに……」 星矢の茶褐色の瞳がまっすぐに瞬を見つめた。彼女の闇色の瞳が少し下のほうにあるのに気がついてようやくその言葉を実感する。雨に濡れた髪に少し乱暴に手を突っ込んで引き寄せた。 「星矢……?」 「俺、瞬のこと好き。大好き……」 だから、言われなくてもそっと目を閉じた。 背伸びなんかしなくてもいいほど、今は小さな差だけれど、いつか星矢は雨後の竹の子のようににょきにょきと背も伸びて大人の体になるのだろう。そして瞬は姿こそそのままだろうが、心はどんどん淑女へと育っていくのだろう。 少年時代なんて、ほんの一瞬だから。 この口づけはそれより短い刹那だから。 姉弟だってちゃんとわかってるから。 ただ触れるだけのキスに瞬は少しはにかんだようにして星矢から顔を離した。 しかし体はしっかり抱きしめられていて、それ以上離れるのはムリだった。 行かないでと、星矢の唇が額に触れる。 「……俺とキスするの、いやか?」 「いやじゃないよ。私も星矢のこと好きだもん……でも」 「姉弟だってキスくらいするよ」 ふたりは微笑んで、こつんと額をくっつけあった。 瞬の肌が冷たいことに気がついた星矢がほんのりと小宇宙を燃やす。彼にしてみればほんのりかもしれないが、瞬にしてみればそれは大きな銀河に抱かれているように感じる。 ペガサスだけが持つ銀翼に守られているかのような、深い安心感。 「やっぱり、俺より瞬のほうが風邪引きそう。こんなに冷えて……」 「星矢がお子様体温なんだよ。いっつも熱いんだから……」 星矢の想いに応えるかのように、瞬も小宇宙を燃やす。 少女の小宇宙は薄紅色の銀河そのもので、ろうそくの炎のように穏やかに揺れている。 盛秋の夜空に手を繋ぐようかのように輝くペガサスとアンドロメダ。 隣り合うだけでなく、その星さえも共有する特別な星座たち。 神話の時代からずっとずっと一緒だった天馬と王女は刻を越えて今尚その絆を深く強く結んでいる。 星矢の小宇宙に瞬がうっとりと目を閉じた。 「あー……星矢の小宇宙、すっごくあったかい……」 「瞬のもすっごい気持ちいい……」 戦うためだけでなく、お互いを温め癒す小宇宙の燃やし方。 そばにいなくても今そこに君が生きているんだと感じることが出来る、闘士だけの絆。 星矢の蒼銀の小宇宙と瞬の薄紅色のそれが緩やかに燃え盛って交じり合う。 「俺、初めて瞬にキスしたときのこと思い出した……」 「私がいじめられてたときだっけ?」 瞬がくすくす笑いながら顔を上げた。 幼い頃、瞬はいじめの対象だった。数少ない女の子だったこともあったし、なにより兄の一輝がいなければなんにも出来ない弱虫泣き虫ちゃんときていたから、いじめるほうにしてみればすぐに反応して泣き出す瞬は絶好の的と言えた。 そんな瞬を庇っていたのはもちろん兄の一輝だったのだが、彼がいないときにはいつも星矢と紫龍がそばにいた。 その日はたまたま星矢だけが瞬のそばにいた。 星矢は瞬をお花畑のど真ん中に見つけると嬉しそうに走り寄った。が、それよりも早く瞬はいじめられっ子に囲まれてしまう。 瞬よりも年上で体も大きな男の子が寄って集って彼女の亜麻色の髪を引っ張り、蹴ったりしていた。 城戸邸に暮らす子供たちは全員が孤児だった。 ただ衣食住には不自由ない暮らしだったけれど、どこか寂しさも拭えなくて、こうして憂さ晴らしに弱いものいじめに走る連中も少なくはなかった。 瞬はあっと言う間に抵抗しながらも泣き出した。 「やだあああ、痛いよおおおお、やめてよおおおおおお」 「へへっ、弱虫瞬ちゃんはお兄ちゃんがいなきゃなんにもできねえもんなぁ」 「ほら、お兄ちゃんって呼べよ、おにいちゃ〜んって」 泣くじゃくる瞬を前後左右に突き飛ばしながら、男の子たちは尚も瞬をからかい続けた。 それが星矢の導火線にあっという間に火をつける。 おそらくただ火のつき方が違うだけだろうが、いじめられていたのが瞬じゃなかったとしても突っかかったに違いない。 とにかく星矢は数人の男の子を相手に瞬を守りながら戦った。 そしてぼろぼろになりながらもなんとか勝った。 「チクショー! 覚えてろよ!!」 「へっ、おととい来やがれってんだ!!」 すりむいた鼻先を指でこすって少し痛い顔をしながら、星矢は瞬を振りかえった。 「大丈夫か、瞬……」 「星矢こそ……ごめんね、私のせいで……」 瞬の小さくて柔らかい手が星矢の顔の泥をそっと払った。そして肩から胸元も綺麗にしてくれる。 それが終わって、星矢の顔を見て、瞬はまた泣き出す。 「ごめんね、星矢……」 しくしく泣く瞬に星矢はちょっとむっとしながらも亜麻色の髪をくしゃくしゃに撫でた。 「泣くなよ瞬。お前がそうやってぴーぴー泣くから、あいつら、面白がるんだぜ!」 「でも……」 しゃくりあげるその顔は涙でぐしゃぐしゃだった。 「だから、泣くなって。俺が瞬を守ってやる。絶対絶対守るから、泣くな!」 ばんと両肩に手を置かれてビックリしたのか、瞬の涙がぴたっとやんだ。 「星矢……」 「俺、おまえのこと好きだけどその泣き顔は嫌いだ」 言いながら星矢は自分の親指で少し乱暴に瞬の涙を拭った。瞬は少し痛かったけど、星矢が泣くなというから我慢した。 「星矢……泣かなかったら、私のこと好きでいてくれる?」 「当たり前だろ!!」 「……えへへ、よかった」 ちょっとだけこぼれた涙は瞬が慌ててぬぐったので、星矢は見なかったことにした。 「俺、瞬のこと大好きだよ」 「私も星矢のこと大好き」 そしてこつんと額をぶつけ合って、どちらともなくそっと唇を触れ合わせた。 その行為の意味なんか知らずに。 「それからすぐだったね、離れ離れになったのは……」 「俺がギリシアで、瞬がアンドロメダ島」 「本当はデスクイーン島だったんだけどね……」 まだ七歳か八歳になったばかりの子供たちを、神に敬虔だった男の無慈悲な信仰心がばらばらに引き裂いて、殺した。 その男を父に持つ100人の子供たちは聖闘士になるべく世界各地に派遣されたのだ。 聖闘士として生き残った子供たちはたったの十人。星矢と瞬はそのうちのふたりで、瞬にいたっては数名いた女子の中でたったひとりの生き残りだった。 だが生き残ったとしても、待っていたのは過酷な戦場だった。 アテナ沙織を奉じて、星矢、瞬、紫龍、氷河、そして一輝の五人は常に最前線にあり、いつも死を覚悟して戦い続けてきた。 「星矢やみんながいたから、こうして戦い続けられたんだね……」 「それは俺だって同じさ。もうだめだと思っても、沙織さんや瞬や……みんなの声が聞こえて来たんだ……」 「うん……星矢は希望のペガサスだから」 ひどく降り続いていた雨が少しずつおさまってきた。 星矢と瞬は互いを抱きしめていた腕を解いて体を離す。 小宇宙を燃やしていたおかげか、髪も服もすっかり乾いていた。 「もう少し待ったら止むね……」 「走って帰れないかな」 「せっかちだねぇ。ほら、雲の流れも速いし、時間の問題だよ」 瞬が指差す先にほんのりと青空。 どこどこと星矢は瞬の指先を追う。確かにほんの少しだけ青い空が見えた。雲の色もだんだん薄い灰色になってくる。よかったと笑う反面、星矢は少しつまらなそうに言った。 「あー、でももう少し降っててもよかったなー」 「なんで?」 「だってさ、雨宿りっておっきな相合傘してるみたいじゃん」 そう言ってへへっと笑う星矢に瞬もつられて笑顔をこぼした。 「そうだね、じゃあもう少し相合傘してよっか」 瞬がふわりと星矢に寄りそう。 13歳の少年と少女が並んでいるその風景はどこか初々しく、そして危うくて。 子供っぽい星矢と、どこか大人びた瞬と。 どちらが持つ危うさなのかは分からないけれど、それも今だけのこと。 雨が霧雨に変わっても、ふたりはそこを動こうとはしなかった。 「行かないの? 星矢」 「瞬こそ」 「もう少し。きっと虹が見えるよ」 瞬はいつも微笑を絶やさない。星矢は虹と聞いて興奮したかのように声を上げる。 「どこどこ? どこに見えんの!?」 「雨が上がって雲が引いたら……あのビルの谷間くらいかな」 コンクリートに囲まれたほんの少しだけの空。虹は切り取られたバームクーヘンのようにしか見えないと言われた星矢はなんだと今度はがっかりした。 星矢は喜怒哀楽がはっきりしていて、表情がくるくる変わって面白い。 「でも、なんで虹が出るってわかんの?」 「ああ。それは経験と勘。アンドロメダ島は飲み水もろくになくってさ、雨が降ると先生やジュネさんとバケツやら盥やらを持って外に出たの。雨水は貴重なんだよ。そのおかげかな、お天気の事も大体分かるの」 この通り雨だけは予想外だったと、瞬は笑う。 星矢は言葉をなくした。 自分が修業に出たギリシア聖域は聖闘士の発祥地として訓練こそ厳しかったがそれでも衣食住には不自由しなかった。近所のロドリオ村には小さいながらも商店が並んでいたし、観光客もそこそこいたから寂しくはなかった。 だけど瞬はたった3人で過酷な島の環境を生き抜いた。 そして日本で再会した時、瞬は別れたときのまま大きくなっていた。けれど、身につけていた小宇宙はいじめられて泣いていた彼女を忘れさせるほど大きくて強かった。 今でも何かあると瞬は涙をこぼすけれど。 星矢がじっと自分を見つめているのに気がついて、瞬はふと顔をあげる。 「星矢? どうかした?」 瞬の声に星矢ははっと我に帰る。ほんのちょっとだけ年上の異母姉の横顔は本当に綺麗だった。 だけど星矢は綺麗だと思うだけだ。 やがて雨は完全にやんだ。上空を流れる雲も少しずつ取れて星矢が大好きな青空を取り戻す。 「おおー、晴れた晴れたー」 「ふふふ。ほら、虹だよ、あそこに出てる」 「まじまじ!?」 星矢はさっき瞬は教えてくれた囲われた空を見た。 瞬の言ったとおり、切り取られた虹が雨上がりの空にぽっかり浮かんでいる。 残念ながらこの通りをどこまで行っても虹を全部見るのは無理のようだ。 「瞬、俺全部見たい」 「無理だよ、どこまで行ってもずーっとビルだよ。ビルがなくなるところまで行ってる間に虹が消えちゃう」 「んー……」 だけどどうしても虹が全部みたい星矢は少し考えて、そして何か思いついたかのように瞬の手を取った。 「行こうぜ、瞬!!」 「行くってどこ……きゃあっ!」 星矢に引っ張られるように瞬は走り出した。 少年の顔はキラキラとまぶしい希望に満ちている。 「なに企んでるの、星矢っ!?」 「へへっ、ビルの屋上なら虹が全部見れると思ってさ。一番高いやつにしよっ!」 そういうと星矢は瞬をひょいと放る。少女の軽い体はあっさりと飛んでいった。 「きゃああっ!!」 思わずスカートの裾を押さえて、体の方向を変える。そんな瞬の視界にまっすぐ向かってくる星矢の顔が見えた。 「星矢っ……!」 瞬が伸ばした細い手を星矢はしっかり握って抱きとめた。 「よしょっと!」 背中と膝の裏に星矢の腕の感触がある。瞬はゆっくり目を開けた。 「もー、いきなりなにするの……」 二人がいるのはいちばん低いビルの屋上。それでも六階ほどの高さがある。普通の人間には少年が少女を姫抱きにしていきなり現れたようにしか見えなかったろう。 星矢はイタズラっぽく笑った。 「だって、一番高いビル探してちまちま登っていくなんて面倒じゃん。虹が消えちゃうしさ」 「兄さんみたいなこと言わないの。びっくりした、いきなり投げ飛ばすんだもん」 「あはは、悪い悪い。とと、のんびりしてたら消えちゃう。瞬しっかりつかまっててな」 「……うん」 瞬は諦めたかのように星矢の首にしがみついた。ステキなイタズラを思いついた少年を止める術を誰が持っているだろう。 「よーし、行くぞー」 星矢は瞬を抱っこしてビルからビルへと飛び移った。 聖闘士ならではの荒業だ。 ペガサスが王女アンドロメダを抱いて飛ぶ姿はまさに神話のそれと同じ光景。 虹はだんだん大きく鮮明になっていく。 風をはらんで揺れる星矢の栗色の髪、瞬の亜麻色の髪。 目標のビルに向かって最後の一歩を踏み出した星矢の足が雨で濡れた鉄製の柵に取られた。 「うわっ!?」 「嘘っ!?」 瞬のその細腕のどこにそんな力があるのかと思えるほどに、バランスを崩して落ちかけた星矢をとっさに抱え、空いた片腕から鎖が一閃、向こうのビルの屋上の手すりに向かって伸びた。 「!! ネビュラチェーン!!」 ガシャーンと金属音がして鎖が絡みつく。二人分の体重を支えられるつくりでよかったと瞬はほっと息をついた。そのまま鎖をザイル代わりにふたりはこっそり屋上を目指す。 先に星矢を屋上に放り込んで、瞬はよっこらしょと手すりを跨いた。 星矢がぽりぽり頭をかきながら悔しそうに言った。 「ちくしょう! もう少しだったのに!」 「私がアンドロメダじゃなかったらふたりして病院にお世話になってたね。下手したら向こうでハーデスに何やってんだって言われそう……」 聖闘士のくせにビルから落ちて死にましたなんて洒落にもならない。 じゃらっと音を立てて鎖は少女のそばを離れた。アンドロメダの聖衣に付随している星雲鎖は聖衣を纏っていなくても主人が呼ばうままに現れる。鎖たちは現代の主人である瞬に対して忠実だった。 「ほらほら、星矢。悔しがってないで。虹を見にきたんでしょう?」 「そーだった」 彼は立ち直りの早い少年だった。 だが星矢が前後左右きょろきょろしても虹はどこにも見えなかった。もう消えてしまったのかとがっかりしている星矢を見て、瞬はくすくす笑う。 「消えちゃったのかー?」 「ちがうよ、真上だよ」 「真上!?」 瞬に教えられるままに星矢はまっすぐに上を見て今度こそ感歎の声を上げた。 「おおおおおおお、すげーすげー!!」 星矢は両手を挙げてはしゃぎ、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色が真っ青な空にくっきり浮かんでいる。ここまで鮮やかな虹を穏やかな気持ちで見たのは初めてで、瞬も言葉を失う。 「本当、星矢のおかげですごい虹が見れたね……」 「だろーだろー? もっと誉めていいぞー」 「調子に乗らないの」 それからしばらくふたりは虹が消えるまで黙って眺めていた。 消えはじめの瞬間は分からなくても、消えていくんだということは分かる。 星矢は徐々に薄くなる虹に寂しそうな声を上げた。 「あーあ、消えちゃった……」 「仕方ないよ、虹だもん」 瞬は星矢の栗色の髪を慰めるかのように優しく撫でた。 「……ねぇ、星矢。虹は消えちゃったけど」 「ん?」 瞬は手すりのそばによって、遠くて近い地上を見渡した。 「世界はこんなにも色鮮やかなんだね……」 少女が示す世界はほんの僅かな、箱庭のようなもの。だけどそこにはたくさんの生命と未来が溢れている。 銀翼のペガサスも目を細めてその光景を見つめた。 「これを、俺たちが沙織さんと一緒に守ってきたんだな」 「そうだね、そしてこれからも。私たちが聖闘士であり続ける限り」 星矢と瞬はどちらともなく手を繋ぎあった。 「俺たち、何があってもずーっと一緒な。沙織さんも紫龍も氷河も一輝も。みんなみんな一緒な」 「うん、約束だよ」 戦う運命にあったって、優しさだけはなくさないで。 そう、これは約束のしるし。 だから背徳じゃない。 星矢と瞬は再び唇を合わせた。 離れていくその一瞬でさえ、どこか愛しい。 「……帰ろうか」 「……おう」 そう言った星矢は何を思ったのか再び瞬を姫抱きにした。わけが分からずに瞬はきょとんとしつつも為されるがままだ。 「えーっと」 「星矢、何やってんの?」 「なあ、城戸邸ってどっち?」 「……あっち、ちょうど反対側」 そうかと納得した星矢は瞬の質問には答えずに振り返ってすたすたと歩き出しだ。いやな予感の嵐に襲われた瞬はじたばたと暴れだす。 「いやあああ!! 何考えてるの星矢!!」 「こっから飛んで帰ったほうが早いなーって」 「飛ぶって……」 星矢は瞬の言う事など聞かずに手すりに足をかけた。彼女が呆けて大人しくしている間に飛ぶほうが楽と見たらしい。 ビルの高さはざっと400メートルはあるかと思われる。そして城戸邸もしっかり見えている。 「い、いやあ!! 星矢、普通に帰ろう! ね?」 「大丈夫大丈夫、俺はペガサスだから」 そう言って誇らしそうな星矢に見惚れている場合じゃない。 聖衣も着ていない状態でペガサスだからと言われても、だからどうしたという気持ちでいっぱいだ。 瞬はイタズラを通り越して無謀な星矢を必死で止めた。 「星矢、お願いだから」 「飛ぶぞー!! 羽ばたけペガサスー!」 「いやああああああああああ!!」 星矢は聞く耳を持っていなかった。 そして一番高いビルの上から一筋の流星が流れ、落っこちた。 その頃城戸邸では紫龍がお気に入りの湯飲みで温かい烏龍茶を飲んでいた。 お子様ふたりがいないので静かな午後のひと時を過ごしている。 「ふう……平和だ」 だがそんな彼の平和を無残にも打ち砕く轟音が庭先から聞こえてきて、紫龍は飲んでいた烏龍茶を盛大に拭いた。 「な、なんだ?」 行儀悪くも袖で口元を拭い、慌てて音のほうへ向かうとそこには既に氷河と一輝がいて、平静を装ってはいるものの明らかに困惑した様子で現場を眺めていた。誰かいるようだ。 その姿が明らかになるにつれ、三人はため息を着いた。 「お前たち……」 「何やってるんだ……」 見れば庭にでかい穴が開いていて、その中で星矢と瞬がもふもふと呻いていた。 「もー、だから無理だって言ったじゃない!!」 「でもちゃんと着いたじゃんか! 失敗したのは着地だけだぜー!?」 けほけほと咳き込む星矢の頭を瞬が珍しくもぱこっと叩いた。 「……いいからふたりともあがって来い、泥だらけじゃないか」 一輝がふたりに手を差し伸べた。まず先に瞬が上がり、続いて星矢も穴から出てきた。 城戸邸にも雨は降る。芝生の植えてある庭先にはいくつかの水溜りが出来ていた。 もちろん星矢と瞬は揃って泥まみれだ。 ふたりだけではない、この庭に面していた壁も一面の泥、泥、泥。 紫龍は容赦なかった。 「汚れついでだからふたりで壁磨いとけ、いいな」 「えーっ!?」 「私もー!?」 「瞬、お前は星矢の保護者だろう。同罪だ」 「そんなーぁ」 異口同音に抗議の声を上げるふたりを竜神様はキッとひと睨み。天馬と鎖姫は竦みあがって黙った。 竜神様を怒らせても碌なことがない。 「や、やります……」 紫龍はよしと頷いた。瞬が星矢の保護者ならこの13歳組の保護者が紫龍なのだ。 「穴も塞いでおけ。危なくてかなわん」 「でも土がないよ?」 瞬の一言で穴は業者が来るまで板が置かれることになった。 そしてふたりは早速壁の清掃にかかった。 星矢がホースで水をかけ、瞬がデッキブラシで擦る。高いところは星雲鎖を使って仲良くお掃除といきたいところだ。 だが瞬はすこぶる機嫌が悪かった。 無理もない、瞬は必死に星矢を止めたのに彼が言う事を聞かずに流星ごっこをしてこのざまだ。 「……星矢のせいだからねー」 「だからごめんってば。でも楽しかったろー? 相合傘も出来たし、虹も見れたしさー」 そう言ってにっかり笑う星矢に瞬は怒る気も失せて、くすくす笑った。 「そうだね、それは楽しかったね」 「だろー?」 「で、も。流星ごっこはもうしないからね」 瞬に釘を指されてもなお星矢は言い縋る。 「えー、面白かったろー? 今度はちゃんと着地するからさー」 「だーめっ! 今回は庭に穴空けるだけで済んだけど家に穴空けたらどうするの!? 掃除じゃすまないんだよ!?」 ふたりはそのときのことを想像して震えた。 これまで聖闘士としてどんな敵にも立ち向かってきたが、いちばん怖いのは主夫バージョンの紫龍だということをふたりは普通の暮らしをはじめてから知った。 「ま、とにかく」 「紫龍だけは怒らせないように」 ふたりは夕方までかかって黙々と掃除を続けた。 当然、罰としておやつも抜きだった。 ペガサスがアンドロメダを抱いて飛ぶのは彼女に翼がないから けれど姫は翼がないと泣きはしない そのかわり自分の足でしっかり歩くからと 一歩一歩大地を踏みしめる 背徳と呼んでほしくないキスは約束 少女が探した銀色の翼は 今日も少年の背中に生えている ≪終≫ ≪少年はみんな≫ 星矢×瞬でめっさりほのぼの。ああ、このふたりはもうラブラブしてればいいよ、うん。 しかし星矢がやんちゃを通り越してアホでごめんなさいだ(*゚д゚)スマン。 可愛い星矢と保護者な瞬が書きたかっただけでーす(死ぬといい) 13歳組の暴走を止めるのが主夫紫龍の役割です。俺の中ではそういう認識。 さ、今度はなにやろーかなー(まだやるんかい!) |